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第十四話 最強魔術師、甘々な生活を送る

 数万もの魔獣が王都を埋め尽くしたあの未曾有のスタンピードを、俺がたった一人で完封してから数週間。そして、大聖堂で国中の貴族や騎士たちが見守る中で執り行われた、あの盛大な叙任式からしばらくの時が流れた。


 俺をゴミのように扱い、理不尽に追放した元パーティーやガイウスたちの騒動も帝国の法によって完全に片付き、現在のエルフィア聖王国には、これ以上ないほど穏やかで平和な日常が戻っていた。


 そんな中、俺――アルスは、聖女エルナ様の私室にて、専属騎士としての『特別な任務』に就いていた。


「はい、アルスさん。あーん、してください」

「えっ、あ、あの……エルナ様? いくら二人きりの私室だからといって、流石にこれはその、王宮騎士の職務規定や不敬罪の観点から見ても、非常に問題があるのでは……!」


 目の前には、普段の大聖堂で見せる厳かな聖職衣を脱ぎ捨て、パステルピンクの可愛らしい私服にフリルのついた白いエプロンを身にまとったエルナ様が立っている。


 彼女の小さくて白い手には、フォークに刺さった、焼き立てで湯気が上がっている特製のアップルパイ。ふんわりと香ばしいパイ生地の香りと、甘酸っぱく煮詰められたリンゴとシナモンの芳醇な香りが部屋いっぱいに漂い、エルナ様はサファイアブルーの瞳を少し潤ませながら、小悪魔のようにつややかな唇をすぼめて俺をじっと見つめていた。


「もう、またそうやって堅苦しいことばかり言います。アルスさんは私の『唯一無二の専属騎士』に任命されたのですから、私の命令は絶対のはずです。

 それとも……私が朝から一生懸命作ったこのおやつは、私の手からでは食べたくありませんか? 私、アルスさんに喜んでほしくて、火傷しそうになりながら頑張ったのですけど……」

「うっ……! い、いえ、食べたいです! めちゃくちゃ食べたいですし、エルナ様の手作りなんて世界最高の贅沢です……!」

「ふふ、よろしいっ! では、お口を開けて……あーん、です」


 エルナ様の熱い視線と、少し寂しそうな表情を作る可愛らしい押しに完全に敗北し、俺はおそるおそる口を開けた。


 サクッとした素晴らしい食感と共に、リンゴの濃厚な甘みと、じゅわっと溢れるバターのコクが口いっぱいに広がる。帝国にいた頃は、毎日カビの生えた固い干し肉と、冷え切った泥水のようなスープしか与えられていなかった俺にとって、エルナ様が作ってくれる料理はどれも、気絶しそうなほどの美味と温かさに満ちていた。


「……もの凄く美味しいです。本当に、エルナ様のおやつは世界一です」

「そ、そんなにまっすぐに見つめられて褒められると、私の方が恥ずかしくなってしまいます……!」


 俺が素直な感想を口にすると、エルナ様は急に顔を真っ赤にして、フォークを持ったまま身をよじった。その隙だらけで愛らしい姿は、数万の民を導く『聖女』としての威厳ある姿とは到底思えない、年相応の一人の少女そのものだった。


 午後になり、心地よい陽気に誘われた二人は、王宮の裏手にある専属のひだまり庭園へと場所を移した。


 ここは限られた皇族と聖女しか立ち入ることを許されない特別な場所であり、周囲には色とりどりの白百合や大輪のバラが咲き誇り、心地よい秋風が二人の髪を優しく揺らしている。


「ねぇ、アルスさん。ちょっとこちらへ座ってください」


 エルナ様は、ふかふかの芝生の上に敷いた大きなブランケットの上をぽんぽんと嬉しそうに叩き、自身の美しいドレスのスカートを整えながら、膝の上のスペースを少し持ち上げた。


 その光景を見た瞬間、俺の心臓は、魔獣の群れと対峙した時ですら味わったことのない早さで警鐘を鳴らし始める。


「えっと、エルナ様。それは流石に、まさか……」

「はい、『膝枕』ですわ! 最近のアルスさんは、王都市民の生活結界の総点検や、地方の魔力歪みの調整で、私の知らないところでも働き詰めでしたでしょう? 私の専属騎士が過労で倒れてしまっては困りますから、これは聖女としての、正当かつ義務的な『癒やしの儀式』です。さぁ、早く、ここへ頭を横たえてくださいな!」

「そんな、滅相もないです! 騎士団長や他の神官の皆さんに見つかったら、今度こそ俺、本気で国家反逆罪か何かで処刑されますって……!」

「見つからなければ良いのです! それに、この国の聖女である私が心から許し、むしろ命令しているのですから、誰にも文句なんて言わせませんわ!」


 そう言ってエルナ様は、俺の腕をぐいっと引っ張った。

 華奢な見た目からは想像もつかないほど、神聖な魔力で強化されたエルナ様の引く力は強く、俺はあっさりとバランスを崩して仰向けに倒れ込んだ。

 すとん、と、信じられないほど柔らかくて温かい感触が、俺の頭を優しく包み込む。

 

 「あ……」


 思わず声を漏らして見上げれば、逆さまになったエルナ様のこの世の至高とも言える美しい顔が、すぐ目の前にあった。


 彼女のサファイアブルーの瞳が、いたずらが大成功した子供のようにパッと輝き、慈愛に満ちた眼差しで俺を優しく見下ろしている。エルナ様の身体から漂う、まるでお花畑の中にいるようなフローラルな甘い香りが鼻腔をくすぐり、俺の脳の処理能力は一瞬でキャパシティをオーバーして真っ白になった。


「ふふ、どうですか? 聖女の膝枕の心地は。少しは疲れが癒えそうですか?」

「……最高すぎて、緊張のあまり逆に心臓が破裂しそうです」

「もう、アルスさんはいつも大袈裟ですね。ほら、もっと身体の力を抜いて、私に身を委ねてリラックスしてください」


 エルナ様は愛おしそうにクスクスと微笑むと、優しく、本当に愛おしそうに、俺の前髪を指先でそっと梳かし始めた。


 その指先の絶妙な温かさと柔らかさが、頭皮を通じて心地よく全身の筋肉へと染み渡っていく。


 帝国にいた頃の俺は、仲間たちからいつ怒鳴られるか、いつ背後から攻撃の魔法が飛んでくるかと常に怯え、眠る時でさえ無意識に防衛結界を幾重にも張っていなければ安心できなかった。心が休まる瞬間なんて、人生の中で一秒たりとも存在しなかったのだ。


 それが今、こんなにも温かくて、優しくて、世界で一番安全な、最愛の人の腕の中にいる。


 「アルスさん。私、今、本当に人生で一番幸せです。貴方が私の隣にいてくれて、こうして誰にも邪魔されずに一緒に笑い合える毎日が、何よりも愛おしくて、かけがえのない宝物なのです」


 エルナ様は髪を梳かす指の動きを止め、そっと俺の頬に温かい両手を添えた。その手のひらから、彼女の純粋な愛情がダイレクトに伝わってくる。


「なのでもう二度と、自分のことを『地味で無能な結界術士』だなんて言わないでください。 貴方は、私の孤独だった心を、そしてこの国に生きる全ての命を救ってくれた、世界で一番かっこよくて、世界で一番強い、私だけの騎士様なのですから」

「……はい。エルナ様、本当にありがとうございます。俺、あなたのために、もっともっと強くなります。これから先、どんなことがあっても、この命を懸けてあなたを完璧に守り抜きます」


 俺が彼女の美しい瞳をまっすぐに見つめ返し、心の奥底からの不滅の誓いを口にすると、エルナ様は嬉しそうにサファイアの瞳を潤ませ、ゆっくりと、引き寄せられるように顔を近づけてきた。

 触れ合いそうなほど至近距離で、二人の熱い吐息が重なり合い、庭園の白百合が風に揺れた。

 

 

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