第十話 最強魔術師、再会する
その日、王都の一角にある高級オープンカフェは、穏やかな昼下がりの陽気に包まれていた。
白を基調とした美しいテラス席で、俺――アルスは、専属護衛としての『任務』の真っ最中だった。
「アルスさん、このベリーのタルト、とっても美味しいです! はい、アルスさんも一口どうぞ?」
「えっ、あ、いや、エルナ様、俺は護衛の身ですし、周囲の目もありますから……!」
「もう、お仕事中とはいえ、今はプライベートなお出かけです。それに、私のスプーンから食べるのが嫌なのですか……?」
目の前で、聖職衣ではなく可愛らしい私服に身を包んだエルナ様が、少し潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
周囲のテーブルからは、王国の至宝たる聖女様と親しげに過ごす俺に対して、羨望と、少しの嫉妬が混ざった視線が突き刺さっていた。
国を救った英雄として認められたとはいえ、やはりエルナ様との距離の近さには、未だに心臓が慣れそうにない。俺が顔を真っ赤にしながらタルトを口に運ぼうとした、その時だった。
ガシャァンッ!!! と、カフェの入り口の方で品のない足音と、静かな空間をぶち壊すような大声が響き渡った。
「おいおいおい! 探したぜ、アルス! こんな最高級の店で、女と茶ぃしばいて調子に乗ってると思ったら……やっぱりお前かよ!」
聞き覚えのある、不快極まりないダミ声。
俺が驚いて視線を向けると、そこには、お世辞にも綺麗とは言えないボロボロの衣服をまとい、酷くやつれた顔をした男たちが立っていた。
前衛リーダーだったディラン。魔術師のミリア。盾職人のボルド。
そして、その中心で、薄汚れたコートを着て狂気的な笑みを浮かべているのは、元運営長のガイウスだった。
かつて帝国で俺を「無能」と罵り、ゴミのように追い出した張本人たちが、なぜかこの聖王国の王都に現れたのだ。
俺が思わず立ち上がると、ガイウスは待ってましたと言わんばかりに、周囲の迷惑も顧みずに両手を広げて大笑いした。
「ハハハ! お前を探しに来てやったんだよ、アルス! 感謝しろよなァ!」
ガイウスはドカドカと俺たちのテーブルに近づき、あろうことか、エルナ様が座っているすぐ横の椅子に無作法に足をかけた。
「おうおうおう! いい嬢ちゃんとお楽しみしてんじゃねぇかよォ」
そう言ってガイウスはエルナ様の肩に触れようとする。
俺はエルナ様の椅子を横へ動かし、その手を外す。
ディランたちも、かつてのように俺を見下すような、いや、どこか品性のないギラついた目を向けている。
「おいアルス、お前がうちのパーティーを抜けてから、少しは反省したか? 自分がどれだけお荷物だったか、身に染みて分かっただろう」
ディランが腰のボロボロの大剣に手を当てながら、これまでの鬱憤を晴らすかのように尊大に言い放った。
「まぁ、お前がいなくなってから、ちょっとした『連携のミス』で俺たちも少しばかり調子を落としてな。お前が泣いて土下座して『戻らせてください』って言うなら、戻してやってもいいぞって話を、わざわざここまで伝えに来てやったんだ」
「そうよ、アルス」
ミリアがパサついた髪をかき上げながら、引きつった笑みを浮かべて言葉を重ねる。
「あんた、そこのお嬢さんに色目を使って護衛の真似事なんてしてるみたいだけど、あんたの本業は私たちの後ろで盾を張ることでしょう?
聖女だか何だか知らないけど、そんな地味な魔法しか使えない無能をいつまでも雇ってくれるわけないじゃない。捨てられる前に、大人しく私たちのところへ戻ってきなさい。それがお前のためよ」
彼らは一様に、歪んだ笑みを浮かべていた。
聖王国でアルスが英雄と呼ばれていることなど、何かの間違いか、一時的な大袈裟な噂に過ぎない。自分たちが直々に迎えに来てやれば、この気の弱い少年は、いつものように「はい」と言って自分たちの都合の良い道具に戻る。本気でそう信じ込んでいる眼差しだった。
「…………」
だが、そんな彼らの傲慢な言葉を聞きながら、俺はただ、静かに困惑していた。
怒りよりも先に、強烈な違和感が胸を支配する。
帝国にいた頃の俺は、毎日彼らの顔色を伺い、理不尽な暴言に耐えるのが当たり前だった。彼らの存在は、俺にとって絶対的な恐怖の対象だったはずだ。
しかし、今の俺の目に見えるのは――衣服はボロボロで泥に汚れ、装備の手入れすらまともにできておらず、放つ気配もかつてより遥かに弱々しい、ただの哀れな「見知らぬ他人」の姿。
――憐れだ。
温かいご飯を毎朝食べさせてくれて、俺の魔法を「凄い」と心の底から認めてくれる優しいエルナ様との生活。
その光に満ちた日々に比べたら、彼らと過ごした暗黒の日々は、まるで遠い昔の、ひどく霞んだ悪夢のようだった。
俺が沈黙しているのを、ガイウスは「嬉しさのあまり言葉を失っている」と都合よく解釈したのか、さらにニヤニヤと下卑た笑みを深めて俺の肩に手を置こうとした。
「さぁ、分かったら荷物をまとめろォアルス。お前を特別に、また我が帝国のエリートパーティーの一員として――」
「あの……すみません」
俺は一歩引き、ガイウスの手を自然に躱しながら、本気で不思議そうに首を傾げた。
彼らの顔をじっと見つめ、記憶の引き出しを必死に探りながら、俺はぽつりと呟いた。
「えっと……大変失礼なのですが、皆さんは……一体どなた様でしたっけ?」
その瞬間、高級カフェのテラス席は、まるで時間が凍りついたかのように、完璧な静寂に包まれたのだった。




