第3話後編 武人の矜持
「お前から呼び出されるなんて何年振りだろうな」
「総司令官様はお忙しいから遠慮してたんだよ」
「お陰様で、最前線にいるよりも忙しくさせて頂いているが」
軍の本部から外務省を訪れた総司令官は、軽口を叩いて部屋の中に入る。
軍総司令官にとって幼馴染みの外務大臣は――好くとまではいかないが、冗談を言い合える貴重な仲であることには違いなかった。
「通信魔法の傍受を警戒する程の内容……聞かせて貰おうか」
いつも通り立ったまま話を進めようとするグゥヤを見上げ――背もたれに体重を掛け椅子を軋ませたガディールは、腹の上で手を組んで話し始める。
「――ある筋から、『王国が滅ぼした国の残党が、国家転覆計画を企てている』という情報が入った。それで外務省内にもネズミが入り込んでいたようだが……どうも俺の秘書がキナ臭くてな」
「毎度、見た目さえ良ければ身元も調べずに雇うからだ」
「うるせぇ。話の腰を折るな」と言って続ける。
「信用出来る部下に調べさせたら――秘書の名前と年齢と特徴が、死んだ筈のカドゥリエ王国の姫と一致していた。首謀者かどうかは分からないが、本人だとすれば動機は充分だ」
「カドゥリエ……あの国か。仇敵の懐に飛び込むとは、肝の座った女だな」
「ああ。あまりにも雰囲気が変わっていたから、あの時のお姫様とは結びつかなかったよ。ほら、これが雇った時に書かせた書類の写しだ」
渡された資料をパラパラと捲ってからグゥヤは尋ねる。
「その女は今どうしている。捕らえてあるのか?」
「泳がせたままに決まってるだろ。状況証拠しかねぇのに捕まえられるかよ。俺を犯罪者にする気か」
「……面白い冗談だな」
違法行為の限りを尽くしてきた幼馴染みが見せたまさかの遵法精神に、グゥヤは驚かされた。
――自分の前ではあまり変化がなかったので半信半疑だったが、心を入れ替えて真っ当になったという噂は本当なのかも知れない。
「大体、状況証拠を“証拠”に変えるのは、お前らの仕事だろ?」
「……そうだな」
「で、ここからは外務省の代表として話す」
外務大臣は上半身を起こして前方に傾け、ドアの外を警戒するように声量を下げる。
「――残党共の国家転覆計画というのは、王の暗殺を軸にしているらしい」
「王を……!?」
「王宮の結界があるから実行の心配はしてないが、外に漏れたらマズい内容だな」
王は国民にとって絶対的な存在であり、公人には王の威厳を保つ義務がある。法で定められた――官僚、軍人にとっての常識だ。
そして、この場合における公人というのは外務大臣と軍総司令官の二人であり、国民というのはそれ以外の官僚、軍人を含んでいた。
「だから出来るだけ“内密”に処理して欲しい。ただでさえ残った大国同士が同盟を強化して、こっちも動きにくくなっているんだ。こんな情勢の中で『国内で反乱が起きる』なんて話を嗅ぎ付けられたらどう利用されるか分かったもんじゃねぇ。ネズミは姿が見えないだけで一匹や二匹じゃない。お前の軍だってそうだろう?」
「……分かっている」
外務大臣は主人の望む通りに、尤もらしい理由で総司令官の取れる行動を絞っていく。
『密かに』『総司令官自ら』『尋問』する――あとは、『二人揃って』の部分。
「それから……これは住処を見張らせて分かったことだが、秘書と一緒に行動してる男がいる。上がってきた報告から推察するに、同じ残党で恋人同士だろうな。使えそうな人質が楽に手に入って良かったじゃねぇか。俺の経験上、片方を目の前で痛めつけてやれば必ずどちらかは吐くぞ」
「悪い奴だな。まぁ……今回は参考にさせて貰う」
――主人からも「賢いじゃないか」と褒められた案。本来ならば採用させられるかは半々というところだが、今はグゥヤの心に充分入り込めたという自信があった。その証拠に――
「……」
話が終わった後も、グゥヤは暫く言葉を発さずにいた――かと思うと、涙ぐんで上を向く。
「表立った功績にならない仕事を、ひとり義侠心から行っていたとは……ようやく貴公も国の為に力を使う気になったんだな」
「おいおい。俺は大臣だぞ? 前から使ってるだろが」
「能力はあるのだから、あとは真面目にやってくれさえすれば良いと思っていたが……」
目頭を押さえるグゥヤを見て、ガディールは思わず半笑いになる。幼馴染みの行動に面白みを感じた――訳ではなく、“目的が達成されたという確信”からの笑みだった。
「真面目の基準がテメェだからだろ。俺は良くやってるよ――忠実に」
そう言いながら、最後に秘書ルティエの出勤予定表を転写してグゥヤに手渡す。
「未定が多いな」
2週間後に不自然に空けられた休日が、軍総司令官を見つめていた。
◇◇◇
「資金の“当て”って財務大臣のことだったんですね」
主人から財務大臣アイザヒトの屋敷に行くことを聞き、ようやく合点がいった豚は、スッキリした顔で外務省の制服をハンガーに掛けていた。
一方のルティエは、日が落ち始めたせいか――前日と日中の反動か。宿に帰ってきてからも素の口調のままで話していた。
「掃いて捨てるほどの私財があるのは分かっていたからな。計画を立てた時から織り込み済みだ」
ルティエが魔法省ではなく、財務省を先に落とそうとした理由の一つはこれであった。
「なるほど。服従魔法を掛けてありますから――」
「――全財産だろうと、喜んで差し出すだろうな」
「なんだか悪い気がしますね」
「だから褒美に豚と交尾させてやる」
「んんん!?」
二人の間に生まれる無音の空間――慄く豚の裏返った声が、沈黙を破る。
「ぁ……えぇっ、本気だったんですか、アレ……」
「見くびるな。私は自分の豚との約束は守る」
「だって、それじゃまるで……」
「淫売だな」
その単語に、豚はゾクリと震えた。
――主が今の今まで自分に資金調達手段を知らせなかった理由――感じていた“嫌な予感”が的中したと思った。
「あ、ああ……っ♡ 流石の私もそこまで堕ちたくは……っ」
「何も外でしてこいと言っている訳じゃない。交わる時は傍で見ててやる」
「それなら……。あ……♡ でもぉ……」と、戸惑う素振りを見せる豚に、主人は告げる。
「命令だ。やれ」
「はい♡」
◇◇◇
日が完全に落ちてから、二人は財務大臣の屋敷を訪れた。見上げるほどの高さがある重厚な門の前で、ルティエは呟くように尋ねる。
「どうやって開けさせるんだ」
「この手の門は……あ、ありました。このプレートに手を当てるんですよ。使われているのは、通信魔法装置の亜種みたいですね」
豚のいる門柱まで歩き、教えられた通りにするが――何も起こらない。
「あー……主は魔力量が少ないですから。見ててください」
ノミュラスが触れた部分から彫られた模様に沿って紫色の光が走る。全面に光が行き渡ると、どこかと繋がった気配がした。
「こんばんは。アイザヒト様はいらっしゃいますか? わた……」
《ガチャッ! ガラララ……》
「開いたな」
「本人直通だったんですねー」
敷地内に入ったルティエは、後方で音を立てて閉まり始める門に、忌々しげな視線を送る。
「魔法を使えない人間は門を叩く権利もないということか。不愉快だな」
「まぁまぁ」
◇◇
「ご主人様! お待ちしておりました!」
頷く主人の後方を気にする財務大臣の視界に、本日の目玉商品が飛び込んでくる。
「アイザヒト様、私を買ってください♡」
「買う……! 一生分買うっ!!」
「何百年分買う気ですか? 破産しちゃいますよ♡」
まだ何も伝えていないのに異様に理解が早い財務大臣と、自ら進んで身体を売ろうとする豚に、ルティエは経済活動の原点を見出していた。
◇
簡単な金銭の話をしてから、いつか来た寝室に通される。
「主ぃ。頑張るので、後でちゃんとご褒美をくださいね♡」
「これから使い倒されるというのに、随分と悠長だな」
「ただ抱かれるだけなら、遊びみたいなものですし」
その性道徳を疑う発言に――主人は言葉を失い、客のアイザヒトは部分的に反論する。
「愛しい人よ、私は遊びにも手を抜かないぞ! ただ交わるだけなど、そなたも詰まらないだろう!」
芝居のように大袈裟な動きをする財務大臣が手早く服を脱ぎ、彼自身に魔法を掛けた途端――ノミュラスから余裕の笑みが消えた。
「……は? あの、今掛けた魔法……」
「何年か前に買った精力強化魔法だ。一度使うとその後10日は使い物にならなくなるんだが、今使わずに何時使うというヤツだな!」
「え、いや、嘘……」
視えていたのは、受け入れる側のことを一切考慮していない魔法式――そのエゲツない作りに、当事者として背筋が寒くなる。
「高い金を払うんだ。楽しませて貰うぞ♡」
「いっ……嫌です! それ、人間相手の行為に使う魔法じゃありません! 色んな所が壊れちゃいます!」
「以前は壊されるくらいが好みだと申していただろう」
「それは睦言と言うか、限度があると言うか……」とボソボソ漏らすノミュラスの顔色は非常に悪く、訴える内容が真実であることを物語っていた。
「あ……貴方こそ伴侶にしたいとか言ってたじゃないですか! 私の嫌がることはしない方が賢明ですよ……?」
「おかしなことを言う。そなたへの愛と契約は相反するものではない。金で自分のモノになるのが一晩だけなら、私は最大限、時間を有効に使う努力をすべきだろう」
「愛を囁いた口で急に打算的になるのは止めてくださいっ!」
「豚」
豚同士のやり取りを静観していた主人が、低い声でオリジナルの豚を呼んだ。
「買われた身だ。同じ豚ではあるが、客だと思って奉仕しろ」
「は……はい……」
◇♡◇
約3時間。部屋の中には豚の悲鳴とも嬌声ともつかない鳴き声が響いていた。
◇♡◇
――翌朝。ルティエはベッドに腰掛け、シーツの上に並べた金貨を数えていた。
「高く売れたな。一晩でこれなら、豚一頭で国が傾くというのも強ち冗談ではないかも知れない」
「腰が……立ちません……」
◇◇◇
「豚〜。新しいタオルが欲しかったのを思い出した」
「それでしたら向こうの通りに……」
資金面の不安が払拭されたので、二人は街へ生活用品の買い出しに来ていた。そこでノミュラスは、背後の不自然な気配を感じ取る。
「監視されていますね」
――状況から考えて、監視役が軍の関係者であることは明らかだった。作戦の第一段階が成功したらしい。
豚から正面を向いたまま小声で話し掛けられたので、ルティエも同じく小声で返す。
「じゃあ、今後は出来るだけ離れない方が良いね」
「人質としての価値を高めるために……します? 恋人のフリ♡」
「豚の分際で恋“人”だと……?」という顔をされて豚は歓喜した――のだが、急に手を握られて驚く。
「おや」
「2週間くらいなら我慢する」
並んで手を繋ぐ姿を、追跡者はどう捉えただろうか。
「主が小さかった頃を思い出しますねぇ」
「あの頃は雪山の歩き方に慣れてなかったからな〜」
◇◇◇
そして毎日の監視をやり過ごし、10日ほど経過した日の朝が過ぎ、昼が過ぎ――夜が来る。
宿の二階に音もなく突入してきた二人の男に、ルティエとノミュラスはそれぞれ捕えられた。
「っ、やめ……っ!」
「何ですか、貴方たちは……むぐぅっ」
手際よく布で目と口を塞がれ、手足に拘束具を嵌められる。それから恐らく、馬車に乗せられた。
◇◇◇
「……」
埃っぽい空間、冷たい床の上で、目隠しが外される。
(上手く運んだようだな)
正面に軍総司令官、隣に豚がいるのを確認して、ルティエは塞がれたままの口を歪ませた。
「ガディールの秘書――もといカドゥリエ王国の王女。貴様らの目的は知れている。苦しみたくなければ、持っている情報をすぐに吐け」
猿轡を外されたルティエは、返答を期待せずに総司令官に話し掛ける。
「ここは軍の本部か?」
「答える義理はない」
「余計なお世話かもしれないが、我々の企てが大勢に知られたらマズいのではないかと思ってな」
――捕えられたにも関わらず、この落ち着きよう。虚勢を張っているのか、何か策があるのか。
「……」
その口振りから、仲間と連絡を取る手段を探っているのかもしれない――とグゥヤは考えた。
「貴様らのことは信頼出来る部下にしか伝えていない。それに、この空間は結界によって外部から完全に遮断されている。助けを期待しても無駄だ」
『信頼出来る部下』とは、監視から宿に踏み込み、誘拐までを実行した二人組のことであり――彼らは事が済んだ時と、万が一の時の為に外で待機している。
総司令官は鞘から剣を抜き、ルティエに向けた。
「答えろ。仲間はどこに居る」
「ここに居ますよ」
「なっ!?」
突如立ち上がったノミュラスに総司令官の意識が移っている間に、ルティエは壁際まで一気に距離を取った。二人分の拘束具が床に転がっているのを見て、グゥヤは渋い顔をする。
「……っ、魔導士か」
――部下からは「尾行中、魔法はおろか魔法装置の使用も確認出来なかった」と報告を受けていたが――男の服装のこともあり、念を入れて二人が魔法使いである可能性を捨てはしなかった。
だからこそ拘束具は王国でも最上位のものを用意したと言うのに、それを易々と外してみせるとは……ひょっとしたら魔法大臣イーノと同じくらいの――
「魔法で制御された拘束具なんて玩具以下ですよ。どうされます? 夜が明けるまで追いかけっこでもしますか?」
「……」
結界の複雑な魔法式を読み取ったノミュラスは、意図的に解除しない場合の有効時間が早朝であることを把握していた。
――化け物。
軍の総司令官たるグゥヤは確信する。この魔導士が王国にとっての脅威になることを。今、自分が排除しなくてはならないことを。
「――道具なしでも動けなくすれば良い」
抜き身の剣がノミュラスに向けて構えられ――空気がピリつく。
「一対一ですかー」
「女を盾にするのか? それなら待ってやる」
「する訳ないじゃないですか――あっ!」
総司令官は躊躇なく剣を振り下ろし、対峙する魔導士の利き腕を断とうとした。それを機敏に避けた豚は、相手を称える。
「っ……ぶないですねぇ。さすが魔法使いと闘い慣れている」
ジリジリと間合いを測る総司令官を注視し――その四肢に浮かぶ魔法式を理解したノミュラスは目を細めた。
「その腕……魔力で動く義手ですか。高度な技術ですね」
「――ハァッ!!」
「おっと」
繰り出された剣撃を防ぐ為にノミュラスが生成した分厚い氷の壁が――魔法動力ならではの力技で叩き割られ、派手な音と共に大小の破片となって四方に飛び散る。
「んんっ、凄い力。ここまで来ると魔法の一種と言っても良さそうです」
「――フッ!」
無駄のない動きで剣を振るい、もう一度利き腕を狙うが――すんでのところで躱される。
隙を作らぬよう瞬時に体勢を整え、再び剣を構えたグゥヤの正面で――ノミュラスは唇を尖らせていた。
「あのー、会話して貰えないと寂しいです」
「――ハッ!」
「拳で語り合う――みたいの苦手なんですよ。私、魔法使いなんで」
「たぁっ!!」
攻撃する度に魔法で認識を外され、グゥヤからはノミュラスが瞬間移動しているように見えていた。
――苛立つ。一向に当たらない攻撃と仕留めきれない自分自身に。それ以上に、弄ばれている現実に。
「逃げるなっ! 戦え!」
「嫌です」
空中に氷の槍を3本生成し、順番に剣身に撃ち込む。氷と金属のぶつかる音が響き、3度目で剣が弾き飛ばされた。
「くっ!」
武器を失ったグゥヤは、咄嗟に格闘術の構えを取る。
「力量の差が分からない訳でもないだろうに……引けませんか。指揮官である前に武人なんですねぇ」
「総司令官として、貴様を野放しにする訳にはいかない。腕の一本でも取れればオレの勝ちだ」
「貴方の命と私の腕が同等ですかー」
ノミュラスは、剣を弾き飛ばしたのと同じ氷の槍を――十倍の本数にして総司令官の頭部目掛けて放つ。
「軽く見られたものですね」
一撃一撃が、先ほどの攻撃よりも重い。それが三十連続で襲いかかる。
「――ッ!!」
グゥヤは後方へ押されながらも、義手を盾のようにして急所を狙う氷を全て防いだ。
「これでも壊れませんか。丈夫ですねー。ところで……私に迫れたの、初手の不意打ちだけですかぁ? 最近の方はこの程度でも軍人を名乗れるんですねぇ。200年前なら一般人でももう少し――」
煽り立てる魔導士に向け、グゥヤは左脚で床を蹴り、猛スピードで突進する。生身では実現し得ない速さに不意を突かれた形のノミュラスは――伸ばされた一組の義手に――その首を明け渡した。
「――掴まえたっ!」
首を絞められ吊り上げられた銀髪の魔導士は、藻掻きもせずに怪しく笑う。
訝しむグゥヤの両義手の隙間に、スルリと手が差し込まれると――《パァンッ!》という破裂音がして、肘から下の部分に大きな亀裂が入った。
「何っ!?」
バランスを崩して膝をつくグゥヤの前で――ノミュラスは喉を押さえ、小さく咳払いをした。
「これは想定していませんでしたか?」
動かなくなった両腕の重さに、グゥヤは冷たい汗を流した。
――煽られて逆上した訳でも、油断した訳でもない。
外側から注がれた魔力で機能不全に陥る――この道具のこんな壊れ方は、理論上有り得ない。もし有り得たとすれば、それは“人間”の持てる量を超える魔力を注がれたということだ。
グゥヤは知る由もなかったが、地上でその不可能を可能に出来るのは――神の血を引き、膨大な魔力量を持った一族の末裔くらいのものだった。
「……貴様は何者だ」
「ただの豚ですよ」
ノミュラスは慣れた回答をしてから、自身を睨む総司令官を――
「義手の魔法式を読んだ瞬間から見えていた勝ち筋なんですけど、寸分の狂いもなく実行出来て助かっちゃいました。素直な方ですね」
――と、褒め言葉で侮辱する。
「魔法使いと闘う時はまず腕を砕くという狙い――セオリー通りですよね。そこまでは良かったんですが、初撃で失敗したら絶対に駄目です。以降はいたずらに時間を消費しているだけだったの、分かってますよね。本当に勝つ気があるとしたら、首から上だけを狙うべきでした。腕……脚……ときて、最後にしたい気持ちは分かりますけど♡」
指でこめかみを示す大魔導士様の物騒な知恵袋に、ルティエは「豚はたまに嫌な過去を匂わせるな」という思いを全力で表情筋に乗せていた。それに気付いた豚は、慌てて己の嗜虐性を否定する。
「ち、違います! そういう人に会ったことがあるだけです! 私はそんな闘い方をしません!」
「……まぁ良い。豚、動きを封じれるか」
「それなら簡単です。脚も壊せば良いだけですから」
またもや破裂音と共に左の義足を無力化されたグゥヤは、軽く身体を押されただけで後ろに倒れ、背中を床に打ち付けた。
「ぐっ……!」
「自前なのは右脚だけ……どんな戦い方をしたら、こんなことになるんです?」
「……オレは貴様らのような化け物ではないからな」
貴様“ら”。そこには恐らく手足を失う原因となった相手や、戦友の魔法大臣――イーノが含まれていた。
「総司令官殿」
ルティエは呼び掛けた人間の真横にしゃがみ込み、その顔を見下ろす。
「豚の相手はご苦労だったな。“守られる”というガラでもないが、“正攻法で戦う”というガラでもないから助かった」
「……」
膝に頬杖をつく亡国の姫は、険しい表情の総司令官に向け薄笑いを浮かべた。
「私の祖国を、貴殿の軍団が荒らしてくれたらしいな」
「オレは任務を遂行しただけだ」
「貴殿がそういう心積もりならばそれで良い。だが、私の考えでは『指揮していたのだから罪は同じか他より重い』――やはり復讐は気持ち良くないとな」
――自身に積年の恨みを持つ王女。人間離れした力量の魔法使い。
死を覚悟したグゥヤは、静かに声を発する。
「ガディールは貴様らの手に落ちていたんだな。奴から聞いた話……どこまでが真実だ」
「嘘は、他に仲間がいることくらいだな」
「正直者だろう?」と笑うルティエに、グゥヤは吐き捨てる。
「――復讐なんて、何も生まない」
「……お前たちは、示し合わせたように私を苛つかせてくれるな」
ルティエは立ち上がり、鳩尾を踵で踏みつけた。呻き声を上げる男を見下ろす目は、氷よりも冷たい。
「さて、豚。総司令官殿は助けを呼べるのかな?」
「無理でしょうね。部屋のどこかに結界の解除装置があるようですが、この状態で作動させるのは不可能ですし――音を遮断しているので外部から異状に気付く術もありません。強固な結界が仇になりますね」
「“助けを期待しても無駄”みたいだな」
口角を上げたルティエは、おもむろにグゥヤの腰のベルトに手を掛けた。
「っ!? 何をする気だっ!」
抵抗して主人を蹴ろうとする脚に、ノミュラスはスッと手を伸ばして添える。
「右脚も失くしますか?」
「……ッ!」
「豚、脅してやるな。何、大人しくしていれば悪いようにはしない」
ルティエの言葉によって、グゥヤは落ち着きを取り戻す。
「……殺す気はないのか」
「ない。貴殿らと同じところへは堕ちたくないのでな」
――殺す気はない。その事実だけで軍総司令官の眼に光が宿る。『生き残れば必ず反撃の機会が訪れる』――それが彼の信条だった。
♥♥♥
ズボンと下着を膝まで下ろされた総司令官は、自身が性的な辱めを受けようとしていることを悟る。尋問の手段としては珍しくもなく、理解は早かった。
「痛みには強そうだが、快感はどうかな」
そう言って、ルティエは総司令官の矜持を一枚ずつ剥いでいった。
「身体の傷は勲章にもなるだろうが、こっちはどうだろうな」
「ワハハ。まるで獣だな。胸に乗る立派な勲章が泣いているぞ」
「自分を偽るのは辛いだろう。どうせこんな身体になっては後戻り出来ないんだ。私の豚になれば楽にしてやるぞ」
「普段はよっぽど抑圧されてるんだな。無理もないか。こんな本性を隠したまま人の上に立っているのではな。――本当は軍の人間全員に気付いて欲しくて仕方ないんだろう?」
それでも――どれほど侮辱され、無様な声を上げさせられようとも、グゥヤの眼から光が消えることはなかった。『生き残れば必ず反撃の機会が訪れる』という信条と――彼だけが知る『もう一つの算段』が、その背を支えていたからだ。
♥♥♥
「そろそろ朝か……。さすがの精神力だな」
ひと息ついた主人の横で、豚は虚ろな目をした総司令官に話し掛ける。
「結界が解けたら、外に待たせてる部下の方、飛び込んできますよね。良いんですか? こんな無様な姿を見られてしまっても」
「オレ……の……勝ち……だ……」
――結界が制限時間を条件に解けた場合、戦闘に長けた少数精鋭部隊を呼び出す手筈になっている。となれば、いくら化け物といえども無事では済まないだろう。作戦の成功を前に、一時の恥など考慮する余地もない。
ルティエたちが知り得ない計画。それこそが総司令官の瞳から光が消えない理由だった。
「覚悟決めちゃってますね」
「まぁ……腹心の部下と言っていたものな。何を見られようが幻滅されない自信があるんだろう」
「あ゛ぐっ!?」
唐突に打ち据えられ、グゥヤは呻き声を漏らした。
「ところで総司令官殿。この技術を知ってるか?」
ルティエは豚から小さな箱を受け取って、床に転がる男に見せつける。
「っ!? それは……っ!!」
――知っていた。魔法省で開発したばかりの記録装置。軍事利用を検討するべく何度か説明を受けたことがある。注ぐ魔力量に応じた記録時間、いかなる衝撃にも耐えうる丈夫な構造……。
「知っているなら話が早い。細工をして常に再生されるようにしてあるんだが……映像記録、豚の魔力だと素晴らしく鮮明だろう。」
他人の視点で自身の痴態を認識させられている総司令官からは、冷や汗が吹き出し、カチカチと歯の鳴る音がしていた。
「あ……あ……」
「どうした? 部下には“責めに耐えきった自分”だけを見せるつもりだったのか? せっかく頑張ったんだ。過程も見て貰わなくては勿体ないだろう」
映し出される己の醜態――想定される最悪の未来が、全身の熱を奪っていく。
「あ…………けっ、消せば……」
「二度と消せない細工もしてある。私の豚は優秀なんだ」
優しげに微笑むルティエの後ろで、規格外の魔導士がニコリと微笑んだ。グゥヤの目の前が真っ暗になる。
「これからコイツが何人の手に渡って何千人の話の種になるのかは知らないが――軍の殆どに知れ渡るだろうな。おや、願望が叶うか?」
「う……っ、あ…………あぁ……」
ボソリと呟いてルティエが魔法を発動させると、赤い光が四方から――グゥヤの身体目掛けて飛び込んで行く。
「ご苦労。総司令官殿」
「〜〜〜〜っ!!」
部屋中に拡散した赤い光が――窓のない部屋を埋め尽くして直ぐに消えた。
「脆いものだな」と装置を豚に放り投げてから、ルティエは放心状態の新しい豚グゥヤを強引に現実に引き戻す。
「豚になった祝いだ」と、ルティエは新しい豚の身体に、二度と外せない所有の証を刻んだ。その方法を、ここで詳述する必要はないだろう。痛みと与えられた快楽の区別もつかなくなった総司令官は、もはや従順な声で応えるばかりだった。
「面白そうだから、今度クズ豚にも同じものを贈るか。幼馴染みとお揃いだ、嬉しいだろう?」
「……はい」
返事を聞いてルティエは満足そうに頷き、ノミュラスは映像の再生を止めた。
◇
「服を着せろ」という命令に従い、豚はグゥヤの身支度を手伝う。布が肌に触れるたび、苛め抜かれた身体が小さく強張った。
「座れ」
「……っ、はい」
ノミュラスの肩を借り、椅子に座らされた総司令官は――正面に立つ主人から命を受ける。
「私は近々この国を落とす。それまでは外務省と足並みを揃えて大人しくしていろ。お前と軍に働いて貰うのはその後だ」
――国を落とすのに武力を使う気はない。しかし、国を落とした時に軍の力がなければ――軍が反抗したなら、いつまで経っても混乱が収まらない。それが、ルティエの私情を除けば――軍部を落とす最大の理由だった。
「では帰る。部下に宿の近くまで送らせろ」
解除装置の位置を伝えられたノミュラスが結界を解くと、部下二人が武器を手に突入し――尋問対象と上司が並ぶ光景に困惑する。
「総司令、これは一体……!?」
「今から説明する」
「暫しお待ち下さい」と耳打ちされたので、ルティエは豚と離れた位置で待つことにした。
◇
「本当に上書きしてしまいましたね……」
文部大臣の魔力が消えた映像記録装置を手の平で転がして、豚は沈んだ声を出した。
「読み通り役に立っただろう? 使えるものは何でも使わないとな」
「しかし……」
物言いたげに眉根を寄せる豚から目線を外し、ルティエは薄汚れた壁に背を預ける。
「……ああいった記録というのは、記憶を引き起こすキッカケでしかない。記憶自体が残っていれば同じことだ」
――残るのが好ましい記憶だけなら良いですが。と、ノミュラスは声にしなかった。




