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姫と豚  作者: シブキ
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第3話前編 王国の内側


《ギィ……ギシ、ギシ……》


抜き足差し足……宿泊客を起こさぬよう細心の注意を払うタキアを嘲笑うかのように、老朽化した床板は大きな音を立てて軋んでいた。


――先生に魔法のことで質問がある。帰宅時間の関係で遅くなってしまったが、まだ起きているだろうか。


そんなことを考えながら二階の奥の部屋の前に立つと……中から物音どころか――聞いてはならない類いの、艶めかしい声が漏れ聞こえてきた。「主(あるじ)」という媚びた呼び掛けが、否応なしに、中で行われていることと――それをさせている人物を想起させる。


「ひぃ……っ!」


度肝を抜かれたタキアは、自宅へと逃げ帰った。



◇◇◇


翌朝。外務省の制服を纏ったルティエがタキアの後ろ姿を見つけて声を掛ける。


「おはよう。今日は出勤、普通の時間なんだね」

「……っ、お……おはよ。うん……昨日、休日出勤して仕事が一段落したから……」


歯切れの悪さ――どこかよそよそしい様子にルティエはピンと来た。


「ごめんね。豚は夜になると大体サカり出すから。話をするなら朝か夕方にすると良いよ」

「お……おおう……」


無駄な察しの良さと、変態行為を特に恥とは思っていない様子に、童貞(タキア)は震えた。


「途中まで一緒に行こう」

「おおう……」


宿から出てすぐに、タキアは控えめな声量でルティエに伝える。


「あ……あの、先生には俺が聞いてたって言わないで……。顔、合わせづらくなるし……」

「何で? 豚は大喜びするよ、きっと」

「それはもっと嫌だッ!」



◇◇◇


その頃の外務省では――週末に命じられた通りに財務大臣(アイザヒト)が大臣室を訪れていた。


「どうも。ご無沙汰しております」

「チッ……何の用だ、成金■■野郎」


部屋の主と対峙する財務大臣は、険悪な空気を吸い込んで鼻から吐く。


「とんだご挨拶ですこと。人格者の私(わたくし)でなければ大問題に発展しているところですよ。まぁ、貴方様のことですから相手を選んでいらっしゃるんでしょうけど」


アイザヒトは、低い身分による劣等感を財産と地位を手に入れることによって克服してきた。

その結果、大半の人間から一目置かれているが、この外務大臣だけは少年時代のイジメっ子さながら心の弱い部分を刺激してくるので、控えめに言って大嫌いであった。


「質問に答えろ。何の用だと聞いたんだ」

「ご報告がありまして」


不快感を前面に押し出しつつも、財務大臣は事務的に命令を遂行しようとする。


「私(わたくし)もご主人……ルティエ様の豚になりました」

「……そうか」


「ルティエ」という名前に僅かに反応を見せる他は、外務大臣に変化は起きなかった。


「こうして同じ立場になったことですし、いい加減に役職か名前で呼んで頂けません?」

「俺に命令出来るのはルティエ様だけだ。どうしてもと言うのなら、あの方に頼むんだな」



◇


「――と、まぁ。ほぼいつも通りで御座いました」

「そうか。ご苦労だった」


外務省の会議室で、要求通りクズ豚の様子を報告してきた財務大臣を、出勤したばかりの主人は労《ねぎら》った。


「財務省の方針はどうした」

「これから指示を出しますので、来月からは予算の割り振りが変更になるかと。次の閣僚会議は荒れそうですね」

「楽しみだな」


唐突に予算を削られれば、軍の総司令官が一番に騒ぎ立てるとルティエは予想している。いよいよ軍が動くことを思うと不思議と彼女の胸は躍るのであった。


「裏奴隷取引の方は? もう手を打ったか?」

「そちらもこれからになりますが、まずは個人や零細の業者が手を引くよう、奴隷の落札価格を下げる工作を致します。その後は軍に情報を流して一部の取引を摘発させ、市場の動きを鈍らせる予定です。ご承知のことと存じますが、市場自体は無くしませんよ。他商会に出張られると我が商会の独占が崩れてしまい、逆に統制が取れなくなります」

「分かっている。やれる範囲でやれ」



◇


《ガチャッ》


財務大臣と別れた後、ルティエはようやく本来の職場である大臣室に入った。そして、主人の他に人間が居ないかを確認する外務大臣が挨拶をするより先に――ツカツカと歩み寄り、ドンッと音を立てて机に片手を付く。


「クズ豚。質問に答えろ」


「はい」と蕩けた顔に変わった外務大臣に、単刀直入に問い掛けていく。


「王に会ったことはあるか?」

「あります。とは言っても子供の頃ですが」


「それ以降は?」

「お会いしておりません」


「高齢のため、体調が――か」

「そのように伺っております」


――財務大臣の証言と一致している。

閣僚一丸となって王の死を偽装しているという線は消えた。


「……ちなみに、子供の頃会った王というのはどういう人間だった」

「銀髪の老人でした」


「性格は?」

「親に連れられて謁見しただけですので、把握しておりません」

「……」


『質問に答える』為だけに主人の言葉を待つ外務大臣の従順な様子に――「先ほど財務大臣から聞かされた態度とは真逆だな」と思ったルティエは、そのことに触れたくなった。


「財務大臣とは仲が悪いんだな」

「特にそのようには感じておりません」


思いがけない返答に、ルティエは眉根を寄せる。


「……奴は、お前が馬鹿にしてくるのが不快だと言っていたが」

「あのように卑しい人間は、嘲弄《ちょうろう》されて然るべきです」


悪びれもせず醜悪な人間性を晒す外務大臣を、ルティエは氷よりも冷たい目で見る。


――何があろうと到底許せないから聞きも調べもしなかったが、『もしかしたらコイツにも下衆にならざるを得ない事情があるのかも知れない』と思うこともあった。しかし、いま確信した。目の前の男は生来のクズだ。


ルティエは、心の中にドス黒い色の炎が燃え上がるのを感じた。


「――高貴だ庶民だ男だ女だと差別するのをやめろ。聞いていて不愉快だ」

「……承知しました」


僅かに逡巡したのを見て、ルティエは命令が思惑通りの効果を生むであろうことを確信する。


――『差別意識』や『優越思想』はクズ豚の人間性の基礎だ。

封じると元の人格まで変わってしまいそうだが、外務大臣として“使えれば”なんでもいい。

人格の消失は、死に等しいだろうか?――少なくとも肉体の死ではない。


「生きてさえいればどうとでもなる……か。ハハ、良い言葉だなぁ」


訳も分からず愛想笑いをする大臣を、光の無い目が見据えた。


「クズ豚。私はな、お前が根っからのクズで本当に嬉しいよ。私の歩く道には、血は流れないにしても、悲鳴は絶えないから。お前のような痛めつけられて当然のクズが一人居てくれるだけで私の良心は安らぐ。その傍らに他の多くの救いがあると思うと、これこそが正道なのだと信じられる。何の皮肉か、私を“反逆者”ではなく“英雄”たらしめるのはお前なんだな」


全てを失ってから、復讐の象徴で在り続けた人間の背後に見える、数え切れない恨み憎しみの中の一つ――幼き日の自分の声だけが頭の中に響く。


――私たちの受けた苦しみの何倍も苦しめばいい。生きて、苦しめばいい。


瞳を閉じ、ゆっくりと開く。その動作の間に、ルティエからは形だけの笑みが失われていた。降り積もる雪のように、言葉だけが淡々と紡がれる。


「お前を堕とした今でも、家族の顔を思い出そうとすると、視界が途端に血に塗れる。楽しかった日々も、温かいはずの思い出も、等しく真っ赤に染まるんだ」


――もう復讐とは切り離せない、復讐の中でしか感じられない家族の存在。それでも忘れたくないから、取り戻したいから苦しくとも前を向いて走ってきた。それだけの十年間だった。


「……この悪夢から覚めた時、私の目には何が映るのだろうな」


希望とも絶望ともつかない声色で呟いたルティエは、ようやく青い顔をしている外務大臣に気付いて嗤う。


「ワハハ。反省というよりは怯えているようだな。なぁに、心配は要らない。お前も私の豚だ。――死ぬまで面倒を見てやる」


言いたいことを言って、ルティエは外務大臣の反応を待たずに部屋から出た。



◇◇◇


帰宅する前に、ルティエは図書館へと足を運んだ。返却を済ませ、新たに借りる本を集めて長机の上に積んでいると――


「ルティエちゃんっ!」


駆け寄ってきた文部大臣(トラーン)は、初めて会った時に着崩していた服をキチンと整え、大臣らしく外套を羽織っていた。


「来てたなら声を掛けてよ〜」

「いるとは思わなかったの。まだ勤務時間中だし」

「仕事がない時は図書館《ここ》に居るって言ったでしょ?」


彼の言う“仕事がない時”とは、“休日”ではなく文字通り“処理すべき業務がない状態”のことらしい。


――財務大臣もロクに登庁せず自分の商売にかまけているようだし、この国の大臣職に勤務時間という概念は存在しないようだ。成果さえ上げれば良いという考え方なんだろう。


(下の者に示しがつかないから、私が王なら出勤くらいは義務付けるがな)


未来に思考を飛ばすルティエの服装を、トラーンがビシッと指差す。


「それより、その制服! ルティエちゃんって、外務省に勤めてたんだね。どこの部署にいるの?」

「大臣付きの秘書だよ」


最も予想から遠い返答だったのか、トラーンは目を丸くした。


「えぇっ? あの人の……? いつから!?」

「ひと月くらい前から」

「えー長い! 秘書の人、新しく来ても週単位で辞めちゃうので有名だったのに!」

「……」


有名なのに殺したり壊したりしているのはバレていなかったのか、誰も調べようとは思わなかったのか――と、クズ豚への怒りに加え、トラーンら部外者への怒りが湧いたルティエの表情がわずかに曇る。


「ルティエちゃんは凄いなぁ。特別な素質を持っているんだろうねぇ」


自分の心の内など知らずに無邪気に笑い掛けてくるトラーンに、ルティエは引き攣った頬を無理に動かし口元を緩めた。そして、すかさず情報収集を行う。


「トラーンは、ガディール閣下とは話したりするの?」

「閣議の時に必要なら話すくらいだけど……あの人、ちょっと苦手なんだよねぇ。悪い噂しか耳に入らないのも納得だよ」


財務大臣に引き続き、文部大臣からも嫌われているらしかった。

トラーンは溜め息を吐き、つらつらと続ける。


「秘書だけじゃなく、恋人も取っ替え引っ替えしていて……婚約者の服の下は痣だらけって話だよ。その婚約者の父親も手を引きたがっているのに外務大臣側は体裁が悪いって揉めたみたいで、この間は憲兵が出る騒ぎになってたね……」


――クズ豚の悪評は尽きることを知らないな。


ルティエが思わず真顔になっていると、不意にトラーンが机の上に積まれた本の背表紙を指でなぞった。


「今は王家について調べてるんだね」


トラーンの指摘通り、書籍で調べるのは情報の足りない“王”を対象に絞っていた。不審がられる前に話題を変えたいルティエは、用意しておいた質問の一つを投げ掛ける。


「そうだ。もしもトラーンに会ったら聞こうと思ってた事があるの」

「なになに? 僕に答えられることなら何でも聞いて!」


周囲に喜びの花を飛ばすトラーンに、本を開いて王家の系図を示す。


「この辺……ほとんどの王族が同じ年に亡くなってるみたいなんだけど、どの本を読んでも詳しく書いてなくて。トラーンは何か知ってる?」

「あぁ〜……」


トラーンの周りから花が消えた。


「そうだよね……。外から来たんじゃ気になるよね」

「どういうこと?」

「僕が言って良いのかなぁ……うーん」


僕が、というのは“文部大臣として”ということだろう。禁じられてはいないようだが、よほど機密性の高い情報だったのか、一度「まぁいいや」と言った後も口にするのを躊躇っている様子だった。トラーンは聞き耳を立てる人間が近くにいないかを確認してから、ルティエに顔を寄せる。


「――一度滅びかけてるんだよ、この国。僕たちのひいお祖父ちゃんくらいの時代に」


話の流れから言って、王族の逝去年が集中している85年前のことだろう。しかし――


「そんなの、どこにも書いてなかった」

「学校の教科書も含めて、一般に出回るような本には書いてないから。……ちょっと待ってね」


トラーンはどこかへ小走りで去った後、古い本を手に戻ってきた。そして巻末に近いページを開き、細かい文字で書かれた文章の一節を指差した。


「例えばだけど、この記述。少し長いけれど、要約すると――『総勢200名近くの王族と貴族が疫病で死に、蔓延した恐怖によって多くの国民が発狂した』」


――200名。確か今の王族と貴族の総数と変わらない。その数字だけでどんな規模の災いだったかが分かる。


それともう一つ、分かったことがあった。


「……トラーンって本の場所と内容、全部覚えてるの?」

「図書館に置いてある本なら」


ルティエは、本の森林とでも例えるべき大図書館内に改めて目をやった。――『王国の叡智』の二つ名は伊達ではないらしい。


「それで、災厄については当時の内務省主導で行った大規模調査の報告書よりも詳しいのがこの日記なんだよね」

「日記が……。ちなみに誰の?」

「王から見て叔母にあたる王族の女性」


ここで昼休み開始を知らせる鐘が鳴った。

鳴り止むのを待って、トラーンは話を続ける。


「災厄に関連する資料は故(・)意(・)に(・)処分されたり曖昧なものが多いんだけど、王の方針でこの日記だけは原文のまま残されてるんだ。叔母さんと仲が良かったのかな――なんて」


開いたページに目を落として文字を撫でるトラーンの手元をぼんやりと眺めながら、ルティエは考える。


――国民への秘匿。滅びかけたとなれば、王家の権威が貶められるという理由からだろうか。


「そうなんだ〜。そこまでひた隠しにされると、何かあるんじゃないかって勘ぐっちゃうね」

「僕もそう思う。叶うなら王が健在の内に直接話を聞いてみたいけど、5年経って無理ならもう無理かなぁ……。あぁ、歴史が僕の目の前で埋もれて行くなんて……」


この落ち込みよう、嘘を吐いているようには見えない。文部大臣ですら手を出せない隠された真実。本当に権威の保持だけが理由なのか。何がそこまで不都合なのか。


「その本、借りられない?」

「借りても良いけど、読める?」


小さい文字に改めて注目すると、見たこともない言語で書かれた文章だった。


「読めない……」

「著者の母親の出身地方の言語なんだ。とうの昔に消滅してるから、読める人は少ないと思う」

「何でそんな言葉で……」

「人に見られたくなかったのかも。日記だし」


「僕も機密文書作成には古典語を使うよ!」と、もう少し口にするのを悩んだ方が良い情報を挟んでから、文部大臣(トラーン)は補足する。


「それからね、参考資料に選んでおいてなんだけど……彼女は精神を病んでしまったから、この日記は資料的価値がないと見なされているんだ。実際、これ以降の記述のほとんどが支離滅裂だし」


ペラペラと残り少ない続きのページを捲るトラーンの顔を、ルティエは見つめていた。


「でもトラーンはその日記を読み込んじゃうくらい、災厄の件が気になってるんだ」

「うん。学者の性分だよね。あとは……当時の一般国民への聞き取り調査で『呪《のろ》い』って単語がよく出て来るのが気になるところかな」

「呪い?」


曖昧に微笑んでから、トラーンはうわ言のように呟く。


「だから僕の予想だと、ただの災厄なんかじゃなくて……」


ルティエが次の言葉を待つ中、トラーンはハッとして正面に向けた手のひらと首を横に振った。


「やめようやめよう! 確証のない知識を拡散するなんて、学者以前に教育界の長としてあるまじき行いだ」

「え〜そこまで言ったのに〜」


「ごめんね」と平謝りするトラーンに、ルティエは心の内で「大臣としての良心があるのかないのか分からない男だな」と感心して呆れていた。


その後、昼休みが終わるまで取り留めもない話をしていた間も、ルティエの中で「85年前の災厄」という言葉が燻ぶり続けていた。



◇◇◇


「クズ豚、私がいない時は今まで通りだったって」

「そうでしたか。魔法式の範疇ではないので、私としても興味深いです」


財務大臣から受けた報告をそのまま豚に伝えたルティエは、定位置へと向かって座り――「はぁ〜〜〜〜っ」と長い溜め息を吐きながらテーブルに突っ伏した。


「どうされました?」

「実はさー……クズ豚と話してる時、つい頭に血が上っちゃって……人格の根っこ部分……かなりイジっちゃったんだけど……どうだろう。精神魔法掛けてあるの、他の人にバレるかな……」


帰路についてからというもの、ルティエはジワジワと後悔の念に苛まれていた。あくまで『計画の支障になる可能性が生じた』ことへの後悔であって、『外務大臣の人格を壊した』ことへの後悔は微塵もなかったが。


作業台の上で果汁と蜂蜜の入ったカップに湯を注ぎ始めたノミュラスは、項垂れる主人に向けて軽い調子で答える。


「大丈夫ですよ。主(あるじ)の前以外では魔力の気配が消えるように編んであります。解析出来る人間はまず存在しないでしょう。性格が変わったとの噂くらいは立つかも知れませんが、その程度で済むはずです」


豚の言葉にルティエは少し安心し――深く反省した。


「私としたことが、あんな感情的になるなんて……」

「良いじゃないですか。復讐なんて強い感情がなきゃ完遂出来ませんよ。随時発散していきましょう」


最初に外務大臣を堕とすことによって復讐の火が消えてしまうのではないかと心配していたノミュラスは、心からの笑みを湛《たた》えてルティエに飲み物を差し出した。


「それと、また文部大臣に会ったんだけど……」

「そちらの方が心配です。問題ありませんでしたか?」

「うん。それどころか良い情報を仕入れたよ」


トラーンと話した内容を思い起こして話すのは――85年前の災厄、疫病、呪い、王の叔母の日記。

間違えてトラーンの好物と香草嫌いに言及した時には「めちゃくちゃ仲良くなってるじゃないですか」と戦慄された。


当時の王国の事情については「近くに住んでいなかったので、詳しいことは分かりません」というのが豚の基本姿勢なので、ルティエは意見だけを求める。


「豚はその災厄が、どういう風に王と関係していると思う?」

「そうですね……」


目を閉じるノミュラスの睫毛に、窓の外から差す――夕日に変わる前の陽光が降り注いだ。暫くして、雲が太陽を遮るのと同時に瞼が開く。


「……幼き日にその災厄で親兄弟を失ったのであれば、それは人格形成に多大な影響を与えているでしょうね。原因を憎むか、失ったものを求めるか、残ったものに縋るか……」


――かつての自分の、もう一つの可能性。


そんな好ましくない一節がルティエの脳裏をよぎった。


もしも祖国が侵略などではなく、天災によって滅んでいたとしたら、私はどうしていただろう。自分を支えるものなど何一つない世界で、果たして前向きに生きることを選べただろうか。


――全てを失い、王国を憎み、復讐に支えられて生きるという皮肉。それが“私”の全てだ。


対する“王”は、やり場のない憎しみを世界に向けたから、その世界に復讐する為に、他国を支配――侵攻しているのだろうか。それとも、残った何かが王にそうさせている……。

しかしトラーンの口振り……『ただの災厄なんかじゃなくて』とは、どういうことだ。天災ではない……あるいは仕組まれた……人為的なもの……だとしたら、それが王の憎む先――


「――――主(あるじ)、主(あるじ)」


豚の呼び声で、ルティエは現実に引き戻される。


「情報が不足している状態で考え過ぎるのは良くありませんよ。思考が凝り固まってしまいます」

「……そうだね」


「そうですよ」と頷いた豚が自身のカップに湯を注ぐのを見ながら、ルティエは不意に早朝の出来事を思い出した。


「あ。そう言えば昨日の夜――豚がサカっている時にタキアくんが部屋の前まで来てたみたい」


手元が狂ったのか、派手にお湯を撥ねさせた豚が食い気味に問い返す。


「本当ですか!? ど……どんな様子でした?」

「一言で言えば『ドン引き』」

「あぁ……♡」


豚がサカり始める雰囲気を感じて、ルティエは「マズい」と急いで布団に潜った。


「疲れたから仮眠する」

「そんなー! 期待させておいて、そんなのってないですよぉ!」

「豚が勝手に期待したんでしょ」


しつこく騒ぎ立てる豚に「面倒だから自分で処理しろ」と言うことは簡単だが、一度甘やかすと躾け直す羽目になって後々苦労するのは目に見えているので、主人は1つだけある抜け道を示す。


「分かった。豚も寝よう。夢精なら好きなだけして良いから」

「えぇ〜。狙ってするものでもないですし、しても気持ち良くありませんし……そうだ! 特別なご褒美を下さるって言ったじゃないですか! 私、待っているんですよ!?」

「うんうん、はい……」

「ちょっと、本当に寝る気ですか!? 主(あるじ)っ!?」


(そうだ……特別なご褒美、考えないと……)


ルティエはブヒブヒ続く豚の鳴き声を子守唄にして眠り、うっかりそのまま朝を迎えた。



◇◇◇


「では、朝食を買いに行ってきます」

「んー」


主人が洗顔などの前日に行うはずだった身支度を済ませている間に外に出ようとした豚は――階段の下に、前日最大の興奮を与えてくれた人間の姿を見つけた。


「タキアくんっ!」

「せ、先生……」


タキアは気まずさからの緊張を覚えると同時に、興奮状態で駆け下りてくる師を見て「ルティエさんが一昨日の件を先生に伝えやがった」ことを悟った。


「はぁ、はぁ……幻滅しましたか!?」


目の輝きと噛み合っていない質問――普段なら「あっ、え……うっす……」としか返せない状況だが――今日は不思議と頭が冴え渡っていた。翌日が久し振りの休日という開放感が良い方向に働いていたのかも知れない。


「いえ! 世の中には色々な性癖を持つ人がいるので!」


――これぞ誰も傷付けないスマートな大人の返し! と、両手のひらを見せて否定するタキアは、いつになく自信に満ち溢れていた。


「……っ!」

「………………」

「そうですか……寛容なんですね」


ノミュラスは三段階でガッカリした顔を作った。


「なんで!?」


渾身の回答が空振って衝撃を受けるタキアの後方から、彼の実父が呼び掛ける。


「先生。ちょっといいかい?」

「はい。何でしょう」

「まだ泊まっていくんだろう? 代金を先払いして貰いたいんだが」


間もなく王都を訪れてからひと月が経とうとしていた。


「あー……すみません。今は持ち合わせがなくて。少し待っていただけませんか?」

「そういうことなら。息子が世話になってるし、あんまり遅くならなきゃ目を瞑るよ」

「恩に着ます」



◇


《ガチャッ》


「主(あるじ)ぃ、先ほど宿代の催促をされてしまいましたよ〜」

「もうそんな時期か〜」


買い物から戻るや否や「先送りの申し出は恥ずかしかった」「滞納は良くない」など豚が早口で訴える中、ルティエは広げていた前日の新聞を畳んで脇に置いた。1面の大見出しには、魔法大臣と壊滅させた町の名前が踊っている。


「大丈夫なんですか? 私、本当の本当の本当に何もしていませんよ?」


以前、路銀について尋ねた時に聞かされた「当てはある」という言葉に従い――特に金策を行《おこな》っていなかったノミュラスは、今更ながら不安を覚えていた。買ってきた食事をテーブルに乗せてから、質問を重ねる。


「当てって、主(あるじ)の秘書としてのお給金のこと……じゃありませんよね」

「ないない。そんな端金、少し服を買っただけで消えたよ」


初めて給与明細を見た時の話題が「これと変わらない給料で身を粉にするタキア」一色(いっしょく)だったのは言うまでもない。


「まぁ、待って貰えるなら来週辺りに動けばいいかな」


一向に“当て”の内容を知らせようとしない主(あるじ)に、豚は嫌な予感しかしなかった。



◇◇◇


太陽が少し高くなった頃、宿の二階の奥から「違う……」「これも違う」と苛立つ声が聞こえてくる。


「う〜ん……特別と言ったからには、いつもと同じ責めじゃダメだよなぁ。あー、余計なことを言うんじゃなかった!」


ノミュラスが出払った部屋で――テーブルの上だけでは場所が足りず、ベッドの上にまで並べられた手持ちの道具を観察し、ルティエは懸命に『特別なご褒美』について思索していた。


悩み過ぎて痛くなってきた頭で「これじゃあ、どっちが主人でどっちが奉仕をしているのか分からないな」などと考えていると――入口の扉を叩く音がした。


――豚が忘れ物をしたか、宿屋の主人の気が変わって代金の催促に来たか。


簡単な予想を立てたルティエは、手にしていた玩具をベッドに放り投げて扉に向かった。


「はーい……あれ、タキアくん。仕事は?」


キョトンとするルティエに裏返った声で挨拶をしたタキアは、遅れて質問に答える。


「溜まった代休を消化してるんだ。それはともかく、先生いる?」

「ちょっと前に出掛けたよ。昼前には帰ってくるんじゃないかな」

「じゃあルティエさんでいいや。ちょっと見て欲しい物があるんだけど」



◇


ルティエは、宿の一階にあるタキアたちの自宅エリアに通された。


「ここが俺の部屋。汚くてゴメ……あっ!」


そこでタキアは生まれて初めて女子を自室に招き入れた事実に気付く。

幾度となく失敗を繰り返してきた計画がこうもあっさり成功したので、タキアは「俺ん家、金魚飼ってるんだ」よりも“使える手”として此度の成功体験を引き出しに加えた。


「タキアくんらしい平凡な部屋だね」

「無個性を個性みたいに言わないでよ……」

「けど……」


普通の部屋と違うのは――


《カタカタカタカタ》


部屋中の家具と小物が小刻みに震えていることだった。


「どうしたの? これ」

「先生に作って貰った魔法を家の中で練習してたんだけど……何故か床じゃなくて物が震えるんだ。しかも止まらなくて……。見てて」


「共鳴す(レゾナント)る大地(グラウンド)」


《ガタッ、ガタガタッ》


タキアが魔法を発動すると、床のゴミ箱が一段と激しく震え始めた。


「もう新しく震えるものがないのに、狙いの床だけは震えてくれないっていうね。魔法センスのなさに俺が震えるよ」


ゴミ箱に目をやったっきり無反応の姉弟子に、タキアは恐る恐る助言を要求する。


「魔力の向きが間違ってるんだと思うんだけど……ルティエさん、何か分かる?」


その時、ルティエに電流が走る――!


「閃いたっ!!」


急な大声にタキアはビクッと身体を跳ねさせ、足を椅子にぶつけた。


「痛っ! な、何!?」

「タキアくん! これ、どれくらいの時間震えてる!?」

「え? えぇと、昨日の夜に揺れ始めたのがギリギリ揺れてるから……半日くらいかな」


ほくそ笑んだルティエは「待ってて!」と言って退室した。



◇


数分後。ルティエは部屋から持ってきた大量の――卵型の玩具を床に並べていく。


「何それ」

「いいから魔法を使って!」

「わ、分かった」


勢いに押され、タキアは床に手を向ける。


「共鳴す(レゾナント)る大地(グラウンド)」

「もっと! まだまだ!」

「共鳴す(レゾナント)る大地(グラウンド)、共鳴す(レゾナント)る大地(グラウンド)、共鳴す(レゾナント)る大地(グラウンド)……」


目的も聞かされぬまま、延々と魔法を発動させられたタキアは――最後に震えさせた玩具が見覚えのある形状をしているのに気付いて、半分ほど察(・)し(・)た(・)。


「タキアくん、ありがとう!」

「お……おう……」


――初めて魔法で人の役に立った件がこれかぁ。


タキアは疲れた手を腰に当て、シニカルな笑みを浮かべた。



◇◇◇


「豚っ! おかえり!」

「何ですか……それは」


出迎えてくれた――いつになく上機嫌な主人を含め、理解の追いつかない光景が豚の眼前に広がった。


主(あるじ)が両手にぶら下げて見せつけてきたのは、紐で念入りに括られた“いつもの”玩具。よく見ると、触れてもいないのに不自然に震えている。感じ取った魔力から、タキアの魔法を仕込んだことを読み取った瞬間、豚は嫌な予感と、隠しきれない期待に身を震わせた。


「……っ、あ、あの、主(あるじ)、それは一体……」

「特別なご褒美っ! 豚、絶対に喜ぶよ! 付けたら散歩に行こう!」

「……へっ!?」


♡♡♡


「はぁ……♡」


“お散歩”から戻った豚は、使用済みの玩具をグツグツ煮る鍋の横で、汚れた自身の服をジャブジャブ洗っていた。


「主(あるじ)ぃ……私……目覚めちゃったかも知れません♡」


ルティエは買ったばかりの雑誌を読みながら、興味なさげに「うん」と返していた。



◇


翌朝。早くに目覚めたルティエの耳に、ガリガリと物を書き殴る音が飛び込んできた。


「おはようございます、主(あるじ)」

「おはよ。……寝てないの?」

「昨日の魔法を再現して、魔法道具化――行く末は遠隔制御等もしたいと思いまして」


ノミュラスは、昨日の玩具が転がるテーブルの上から――何十枚目になるか分からない下書きを手に取り、壁に貼り付けた。


「タキアくんに作ったやつ、そのままじゃダメなの?」

「あの魔法、私が使うと建物が倒壊します」

「それじゃ、ご褒美にならないね」


ルティエは「ご褒美を気に入ってくれたようで何より」と思ったし、準備も実行も大変だったので「最低でももう一働きはさせよう」と誓っていた。



◇◇◇


時を同じくして、王国内務省の特別会議室から怒号が響く。


「これは、どういうことだっ!」


室内では閣僚会議が開かれており――次月の予算編成を通達した財務大臣に、軍総司令官が詰め寄っているところだった。


「内陸部の広範囲で干ばつがあって、税収が下がっているのですよ」

「そんなもの高が知れているだろう! 軍部(うち)から奪った金はどこへ行った!」

「奪うという表現は如何かと思いますが……強いて申し上げるならご覧の通り、文部省と魔法省の研究予算でございますね」


財務大臣は、今まさに総司令官が握りしめている資料を指し示す。別の席では、文部大臣(トラーン)が予算表を何度も読み返し、その都度ニヤけていた。


総司令官の剣幕にも臆せず、財務大臣(アイザヒト)は素知らぬ顔で無茶な理屈を押し通そうとする。主人からの『軍事費は直近の害のない部門に回しておけ』というお達しに従っての行動だった。


「教育、研究費を増やすべきというのは、以前から度々議題に上がっていましたよね。ご記憶にございませんか?」

「時期も配分も極端すぎるから言っているんだ!」

「理由は既に申し上げました。ただでさえ軍は維持費が膨れ上がっているのですから、ひと月くらいお国の為に我慢なさってくださいませ」


そっぽを向いて話し合いを拒否した財務大臣に、面目を潰された形の総司令官はワナワナと震える。


「何が“国の為”だ……手前の利益しか考えていない商人から聞きたい言葉ではないな」

「私《わたくし》だって軍人さんに金勘定のことで口を出されたくありません。金に汚い商人なので」


服従魔法によって意に沿わない働きをしているとはいえ――なお誇りを持って財務大臣の職に就いているアイザヒトは、閣僚会議という場での“商人”扱いにカチンと来ていた。


片や、全軍人の模範であることを信条としている軍総司令官のグゥヤは、一旦冷静になろうと長く息を吐き――会議中ほとんど発言していない外務大臣に話を振る。


「ガディール。貴公の省の予算も大幅に減額されているだろう。いつもなら文句を言うところなのに……どうした、らしくもない」


褒められはしないが――外務大臣が常習的に省の予算を使い、外遊《しごと》と称して旅行を楽しんでいるのを知っていたグゥヤは、その違和感を指摘した。――たまたま黙っていただけであれば、援軍になってくれることを期待して。


「俺んトコは何とでもなるから構わねぇよ」

「……っ」


たった一言で希望を打ち砕かれた軍総司令官(グゥヤ)は、現状を打開する唯一の方法として――議長席に視線を移し、一段と真剣な表情で役職名を呼ぶ。


「――内務大臣」


癖なのか――眼鏡の奥で目を細めたその人は、入室してから一切変わらない微笑みを湛えて「どうぞ」と応えた。


「このままでは王の望みである早期の大陸制覇が危ぶまれます。財務大臣に予算配分を再検討させるべきです」

「『させる』とは何ですか。この場において私とあなたの立場は対等の筈ですよっ」


財務大臣が横槍を入れるのを眼力で黙らせ、総司令官は話を続ける。


「王が我々を信任なさる以上、この予算案が王の決定と等しく――異を唱えることは王へ意見するのと同義であると理解しております。しかし、これは明らかに異常事態。貴公の介入が必要です。……王の御為にも」


最後の大義名分は、王の名代である内務大臣の良心に訴える目的で付け加えられたものだった。『王の剣となり盾となる』という理念の元に存在する――軍の代表であるグゥヤの本心でもある。


「困りましたねぇ」


多少なりとも気持ちが通じたのか、内務大臣は「財務大臣」と静かに呼び掛けた。


「予算案を書き換えるつもりはありますか?」

「ございません」

「――だそうです。では、“決定”ですね」


このやり取りで義理は果たしたと言わんばかりの内務大臣に、後のなくなったグゥヤは語気を強める。


「納得出来ません! 斯様《かよう》な状態でどう収拾をつけるおつもりですか!」

「私が拝見する限り、声を荒らげていらっしゃるのは貴男《あなた》だけのようですよ」

「……っ!」


内務大臣の目が細まり、暗に「決定を受け入れろ」と命じていた。それでも諦めきれない総司令官は、歯噛みしてもう一人の当事者の名前を呟く。


「こんな時にイーノは何をしているんだ……っ」

「おっくれました〜。おっはよぉございま〜っす」


絶妙なタイミングでイーノこと魔法大臣が入室した。


「イーノ……! 貴公という者は、外套も羽織らず遅刻など……」

「アレって何か意味あるの? 動きにくいからボクきら〜い」


「好き嫌いではなく規則だ!」「まず遅刻を詫びるのが筋だろう!」と諌めるグゥヤを宥めながら席に着いたイーノは――パラパラと机の上の資料を捲り「おっ」と感嘆の声を上げる。


「ヤッター! 何かよく分からないけど魔法省(ウチ)の予算が増えてる〜!」

「ねっ、兄様! 文部省(うち)なんて過去最大の予算だよ。僕、嬉しくて嬉しくて――」


《ダンッ!!》


「貴公らは自分さえ良ければそれで良いのかっ!」


はしゃぐ二省の大臣に、軍総司令官(グゥヤ)がついに痺れを切らした。会議室の空気が張り詰め――ようやく只事ではないと気付いた魔法大臣(イーノ)は、隣にいる弟に状況を尋ねる。


「なになに? グゥヤさんは何で怒ってるの?」

「軍部の予算は減ったんだって……」


小声での回答に「予算?」と聞き返したイーノは、顔を総司令官に向けた。


「それで、何が問題なの?」

「この予算じゃ軍の人件費だけで一杯一杯だ。新たな出兵どころか、万が一攻め込まれた場合の防衛すら危ぶまれる」

「お金がないからって、やれないことはないよね?」


当事者意識の欠片も感じさせないイーノに、グゥヤは頭の血管が切れそうになる。


「何故この期に及んで他人事なんだ……! 魔法省との合同出兵の予算はこちらから汲み上げているのだぞ!」

「だぁ〜か〜らぁ〜」


王国最強の魔導士――イーノ・フェスレは、両手を斜め上に広げた。


「攻撃も防衛も、ボクが一人で出ればいいじゃん。雑魚なんて居たって邪魔なだけだしぃ、コストも掛からないしぃ、ボクも楽しいしぃ、イイこと尽くめ〜」


一騎当千を地で行くイーノならではの発想に、グゥヤは言葉を失う。10年以上共に戦ってきたのだから、その働きを疑ってはいない。どんな衝突も短期間で決着させてみせるだろう。


――だが、違う。そういうことではない。


作戦という作戦を無視してきたイーノには分からないだろうが、戦は勝って終わりというものではない。そして今グゥヤが欲しいのは、予算減の深刻さを共有してくれる味方であって、減らされた中でやり繰りする助言ではなかった。


「はいはい」


毒気を抜かれた総司令官が次の言葉を見つける前に、内務大臣がパンパンと手を叩いた。


「取り敢えずこの予算編成でやってみて、問題が起きるようでしたら、臨時で話し合いましょう。――魔法大臣。何か報告はありますか?」


単に時間が押しているからか、場の雰囲気を気にしたのかは不明だが――とにかく閣議を締め括ることにしたらしい内務大臣は、遅刻してきたイーノに発言を促した。


「え〜何かあったかな〜。あっ! そういえば魔法研究所で試作してる魔法装置と新魔法がテスト段階に入ったから、来月にはお披露目出来るって言ってた!――気がする!」


なお、イーノは戦場以外では『研究所で自分用の攻撃魔法を作る業務』しか行《おこな》っていない為、魔法省の情報に関しては後に上がってくる副大臣作成の報告書頼みだった。


「分かりました。他に何かある方は?」


順番に各大臣の顔を眺め――最後に軍総司令官と目を合わせた内務大臣は、ニコリと笑ってから音声記録装置を止めた。


「それでは、また次回」



◇


「お疲れ様でした」

「失礼致します」


自分の持ち場へと戻って行く面々を、グゥヤは敵意を隠すことなく睨みつけていた。その肩がポンポンと叩かれる。


「グゥヤさ〜ん。ドンマイドンマイ切り替えて行こ〜。来月も同じ予算なら怒っていいと思うよ〜」

「その時は、刺し違えてでも財務大臣の椅子から引きずり下ろしてやる」


グゥヤが鬼のような形相で廊下に出て行くのを見て、「お〜怖っ」とイーノはおどけた。


そうして会議室には、魔法大臣と文部大臣の兄弟が残される。


「えへへ〜。予算、何に使おうかな〜」


アレもコレもと考え、ウキウキと花を飛ばす弟に、兄は目から星を飛び散らせ提案する。


「トラーン! 魔法省《うち》と合同で古代魔法の研究を始めない!? 前に予算が足りなくて出来ないって言ってたヤツ!」


トラーンは「あ〜」と言ってから、「う〜ん」と難しい顔をして唸った。


「今後も継続的に予算が下りるなら立ち上げたいけど……研究員の士気を考えると、途中で頓挫するのが一番良くないからなぁ」


文部大臣としての消極的な物言いに対し、魔法大臣はあっけらかんと言い放つ。


「研究員のモチベ? そんなのどうでも良いじゃん。やれる所までやろうよ」

「兄様の省、飛び抜けて労働環境が悪いって噂になってるよ……」


同じ大臣という立場から兄を諭したくなったが――言って聞くような人間でないのはよく知っていたので、トラーンもそれ以上は言わなかった。



◇◇◇


(おや……)


閣僚会議が終わってから1時間後に出勤したルティエは、大臣室前の廊下で珍しい人物と鉢合わせた。武人らしい体格と顔の傷、胸にひしめく勲章が武勲を物語る――軍総司令官だ。


頭を下げてすれ違った後、その姿が完全に消えるのを待ってから扉を開く。


「っ!! おはようございます!」


ガディールの挨拶を聞き流したルティエは、カバンを机に置きながら問う。


「軍部から客が来ていたようだな。今日の閣議絡みか?」

「はい。会議中に静かだった理由を聞きに来ました。適当にあしらいましたが、付き合いが長い分、私の行動に不信感を覚えているようです」


椅子に座った主人から「来い」と足元を示され、外務大臣は急いで跪く。


「何だ。親しかったのか」

「私とグゥヤは同い年で父親同士が友人だったため、子供の頃から共に行動することが多く――大人になってからは外務省と国軍、別分野ながらも互いに競い合い高め合ってきました」

「幼馴染みで好敵手(ライバル)というやつか」

「はい」


全ての人間から嫌われているとばかり思っていたクズ豚の爽やかな交友関係に、ルティエは純粋に驚いた。


「そうと分かれば都合が良い。奴の人となりについて話せ。お前と付き合えるくらいだから、さぞや人格者なのだろうな」


肯定せずにヘラヘラと笑った外務大臣は、その態度に苛つくルティエの冷たい視線に刺され、焦って話し始める。


「グゥヤは家と職場の往復以外で外出することはなく、仕事を理由に見合い話を全て断るほどの堅物です。それと……幼馴染みの私を迷わず逮捕しようとするくらい職務に忠実な男です」


唐突に現れた『逮捕』という単語が引っ掛かったルティエは、そっくりそのまま聞き返す。すると――禁じられた“差別”に絡むのか、クズ豚は言い辛そうに口籠った。


「構わないから言え」

「十数年前、女性に手を上げている現場を勤務中のグゥヤに目撃され、『見逃せ』『見逃さない』の押し問答を繰り返したのですが……結局、女性側に法外な額の示談金を握らせる羽目になりました」

「クズ豚……」


「申し訳ございません」と、外務大臣は主人を不快にさせたことを詫びた。容易に想像のつく十数年前から今までの悪行を思い浮かべ、気分が最高に悪くなったルティエは――


「そう言えば今朝、泥を踏んだな。落とすのを忘れていた」


などと言いながら椅子に腰掛け直し、雑巾にするように外務大臣を踏みつけた。苦痛に呻くクズ豚には目もくれず、靴先でグリグリと踏み躙りながら、ルティエは総司令官について思考を巡らせる。


――どうやらグゥヤという男は、下馬評通りのマトモな価値観を持った人物らしい。動きの予想はしやすいだろうから、注意すべきは軍の組織力と本人の戦闘力か。


「ゔ……ぐ……」

「お前のここは足拭きに丁度いいな」

「っ……お褒めにあずかり光栄です」


罵りの言葉と共に責めから解放された外務大臣が、主人の顔を見て――何らかの記憶と結び付いたのか「あっ」と声を上げた。


「たった今思い出しました。ルティエ様の祖国を制圧したのは、グゥヤの軍団です」


思わぬ因縁にルティエの心臓がドクンと高鳴る。


「それは本当か」

「はい。王国に戻った後に話したので間違いありません」

「そうか……」


――クズ豚だけかと思いきや、閣僚の中に直接の仇がもう一人いる。これを運命と呼ばずして何と呼ぼうか。


「軍部を落とすタイミングを決めかねていたが、魔法省の前でも悪くないな。準備が整ったら、お前にも働いて貰うとするか」


機嫌良く、組んだ片足を揺らす主人の姿に、クズ豚はいつにない安堵感を覚えていた。



◇◇◇


「ルティエさん、ちょっと宜しいですか」


大臣室から移動する途中、事務員のケンティカに呼び止められた。昼休みを前に手を洗ったばかりなのか、石鹸の匂いがフワリと漂う。


「最近、大臣に変わったことはありませんでしたか?」

「何もないと思うけど」


秘書として歴代最長の日数を勤めているルティエは、職員たちから『外務大臣のお気に入り』として認識されており――威圧的な外務大臣の代わりに質問されたり、取次ぎを頼まれることがあった。


「どうして?」

「実は大臣が……ここのところ無茶を言わなくなったと思ったら、昨日からは人が変わったように優しくて……精神魔法を掛けられているんじゃないかと職員の間で専《もっぱ》らの噂になってるんです」


ルティエは「んん〜〜」と唸りたいのを我慢しつつ、「優しい外務大臣」の具体例を聞いていた。


「いや〜、それでも精神魔法って……流石にないでしょ」

「……確かにそうなんですよね」


ケンティカは神妙な面持ちで、身振り手振りを交えて根拠を説明し始める。


「魔法省戦闘職の内定を蹴って外務省に入った――という経歴の方が、大臣の魔法式?を読み取ったそうなんですが、何も見えなかったと仰っていて。魔法を使われた可能性はないみたいです」


噂は立つが、魔法はバレない――奇しくも豚の言う通りになり、思いがけず安心を得たルティエは強気に出ることにした。


「だったら、単純に心を入れ替えたんじゃない? 良いことには違いないんだから、気にしないのが一番だよ」

「そうかも知れませんね」


当分の間、元来の外務大臣を知る者は戸惑うかも知れないが――精神魔法の痕跡を見つける術がない以上、噂が消えるのは時間の問題だろう。


「ねぇ、全然関係ない話をしていい?」

「何でしょう?」

「――軍の総司令官ってどう思う?」


折角なので、次の標的について一般人目線での見方を探る。返ってきたのは「素敵な方ですよね」という国民人気の高さを裏付けるような答えだった。


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