第2話前編 王国の叡智と庶務係
――その朝に昇った光は、いつもよりも眩しかった。
軽やかな足取りで石畳の道を行く。路地から流れる焼きたてのパンと淹れたての茶の香り。人と人が挨拶を交わす声。早朝から働いていたであろう商売人の母親と、その背でうとうとする子供――
店から良い匂いが漂ってくる度に豚から預かった小銭で食べ物を買い、やたら維持費の掛かっていそうな噴水の縁や、丁度良い木陰にあるベンチを転々とする。そうする内に――気が付けば日が高くなり、宿を出た当初は散見されていた各省庁の制服に身を包んだ人間は、もうどこにも居なくなっていた。
「そろそろ行かなきゃ」
そんなこんなで秘書として重役出勤したルティエは、「失礼します」と大臣室のドアを叩いた。
「ルティエ様っ!」
ドアを開けた先で、外務大臣――ルティエの命名によるところのクズ豚が大声を出し近寄って来たので、主人は眉をひそめる。
「様付けはやめろ。誰かに聞かれたらどうする」
「申し訳ございません!」
深々と頭を下げられ「それもやめろ」と言った後に、ルティエは“さっさと根本的に解決するための命令を下すべき”と考え直した。
「私たちの関係を他人に勘付かれないようにしろ。その為にする無礼な振る舞いは大目に見てやる」
「了解しました!」
「分かったら席に戻れ」
言われた通りに座る姿を見ていると、つい昨日までそこにあった姿と比較してしまう。
――10年飼っている豚でも反抗することはあるが、この豚は間違っても歯向かうことはなさそうだ。気味が悪いほどの従順さ――元の人格からは考えられない挙動。これは人格が変化したものなのだろうか、それとも新たに生じたものなのだろうか。
ルティエは生まれて初めて使った魔法について検証してみたくなった。椅子をクズ豚の方を向けて足を組む。
「今後、私の命令外で悪さをするつもりはないな?」
「勿論です!」
「私に命令された事案で判断に悩んだら?」
「速やかに指示を仰ぎます!」
『主人の不利益に繋がる可能性のある行動は取らない』――この辺までは豚から聞いた“服従魔法”の効果の範囲だ。
なお、命令の解釈や遂行方法は対象者自身に委ねられるため、その成果は本人の才覚や良識に大きく左右される。
ルティエは足を組み替え、手を膝の上に乗せ――上半身を気持ち前方に傾けた。
「本心から言っているのか?」
「無論です! ルティエ様に隠し事など出来ません!」
ルティエは膝をトントンと指で叩き、少し間を置いてから問い掛ける。
「なら――私の一族を殺したことをどう思っている」
無表情で投げ掛けられた質問に、外務大臣の終始ニヤついていた顔が一瞬で色を失った。よろけながらルティエの正面まで歩き、崩れ落ちるように膝をつく。
「あっ、あっ……あぁっ!! お許しくださいっ! ヒッ、ヒィ……死にます! 死なせてください!」
胸を掻きむしり泣きじゃくるクズ豚に、ルティエは目を細める。
――元の人格が消えた訳ではなく、私の前での人格が生まれたのか。
取り乱し方から、古い人格と新たな人格との摩擦で精神が分裂しそうになっている――と予想して、ひとまず納得がいったルティエは、口角を上げて命令する。
「まだ死なれては困る。死ぬな」
「あっ、はっ、はっ、はいぃ……♡」
「……私の前以外ではどうなるのか、新しい豚を手に入れたら様子を報告させてみるか。楽しみが増えたな」
主人の機嫌が良さそうなのに安心したのか、クズ豚は涙で顔をグシャグシャにしてヘラヘラと笑った。
◇◇◇
「姉ちゃん、役所で働き始めたのか」
「うん。そうだよ」
ルティエが宿に帰ってくると――暇だからだろう。連日制服姿を見ているはずの宿屋の主人が、今更ながらその事に触れてきた。
「俺の息子も魔法省で木っ端役人をやってるんだよ。休みも殆どないし、朝早く出て夜遅く帰るから会ったことないだろ」
「魔法省……?」
――豚はこの宿から魔力の気配がしないと言っていた。魔法省の人間が身内に居るなど、大失態ではないか。
ルティエの脳がお仕置きの内容を選び始める。
「――と言っても、魔法が使えないのに魔法使いに憧れて“雑用係”を、な。それじゃ家を継ぐのと変わらないだろって言ってるんだが、ちっとも聞きやしないんだ」
「なるほど」
――魔法を使えない雑用係。どう見積もっても脅威とは程遠い。
「馬鹿な倅だ」と肩を落とす宿屋の主人の前で、ルティエは「豚を躾け直す手間が省けた」と思った。
「ま。顔を合わせたら仲良くしてやってくれ」
◇
《ガチャッ》
「お帰り〜」
ルティエが部屋で寛ぎ始めてから数時間後。部屋に戻ったばかりのノミュラスが「作戦会議をしましょう」と言って、机の上に地図とケーキを置いた。釣られるようにルティエも席に着く。
「次の標的は、財務省か魔法省ですよね」
「優先度的にはね」
元の計画で挙げられていたのは、財務大臣の力で侵略に割く当面の予算を大幅に削減させるか、王国最大戦力と名高い魔法大臣を服従させて今後の行動リスクを減らすかの二択だ。
「もう少し調査を進めてから、私がどちらにするかを選んでも宜しいですか?」
「理由は?」
「下衆なら下衆ほど仕掛けやすいかと思いまして」
豚の買ってきたケーキを口に運んだルティエは――咀嚼して飲み込み、不機嫌そうに言う。
「私を見くびっているの? たとえ相手が聖人だろうと必要なら堕とすつもりだよ」
「……失礼しました」
《ドンッ》と、地図上の財務省にフォークが突き立てられる。
「だから定石通り財務省を落とす。魔法省は……総出で来ようが豚が何とかするでしょ!」
「私を買い被り過ぎですよぉ」
眉をハの字にして消極姿勢をアピールするが、問答を続けたところで「やれ」「はい」というやり取りしか生まれないので、その話は切り上げられた。
「では、明日から本格的に財務大臣周辺の調査を始めます。彼はあまり積極的に登庁しないようなので骨が折れそうですね」
「そもそも、在宅中とか移動中とかに襲えないの?」
頭に浮かんだ素朴な疑問を口にしたルティエに、ノミュラスは怒涛の勢いで反論する。
「無理です、不可能です、自ら捕まりに行くようなものです! 主は、お偉い方の屋敷と馬車に張り巡らされた異常な強度の結界を知らないからそんなことを言えるんですよ! 一度でもアレらの魔法式を見て理解したら、冗談でもそんなことは言えません!」
「……豚で無理なら無理かぁ」
ルティエは感情のない表情と声で呟いた。
「何で家と足だけ守られてるんだろうね?」
「家は命と財産等を守るためで、馬車は性質上警護が手薄になるからでしょう」
「なるほどなるほど。それはそうと――」
主人の声が低くなって身体を強張らせる豚と「また私、何かしちゃいましたか?」「した」と目で会話した後、ルティエはきちんと声に出して答え合わせと採点を行う。
「――豚の物言いに腹が立った。事が済むまで、一番欲しい褒美はお預けだ」
「そっ、そんなぁー」
「早く財務省を落とせるようキビキビ働け」
“口は災いの元”という言葉を何度教えても頭から抜け落ちるらしい自身の豚に、ルティエは本日分の愛想が尽きていた。
◇◇◇
翌朝。珍しく早起きしたルティエは、豚を伴って宿の階段を下っていた。すると、唐突な大声が耳に飛び込んでくる。
「えっ! 可愛い!!」
声の主は――宿屋の主人の定位置である受付カウンターに入っている――よく言えば親しみやすい、悪く言えば軽薄そうな青年だった。
「うわー! こんな可愛い子が泊まってたなんて! 親父も教えてくれれば良いのに……」
ルティエがカウンターに近付いてからも、青年は口説くというより独り言のように話していた。
「初めまして! 俺、この宿の息子でタキア! よろしく!」
「よろしく。私はルティエ。こっちは豚」
紹介された隣の男を、ここでようやく目に入れ――タキアは戦慄する。
「えっ、いつものやたら美形で美声のお兄さん……まさか……同室!? か、彼氏!?」
「ううん。豚」
何を言っているのか分からないが、恋人ではなさそうなのでタキアは一先ず安心した。
「他の宿泊客かと思っていたら、息子さんだったんですね。今日はお手伝いですか?」
今まで簡単な挨拶しかしてこなかった顔見知りの正体を知り、ノミュラスは楽しげな声を出した。対してタキアは悲しげな声で応える。
「はい……20日ぶりの休みなのに、朝っぱらから親父に留守番させられてるんです……」
「20日……それ、人間の職場ですか? 軍馬でももう少し休めますよね」
「あっ」と声を上げたルティエは、タキアの父親から聞いた情報をそのまま口にする。
「タキアくんはね、魔法が使えないのに魔法使いに憧れて魔法省で木っ端役人をやってるんだって」
「は……歯に衣着せないなぁ」
どんなに聞き慣れた言葉でも、美少女の口を通せば大ダメージを与えてくることを知ったタキアが「だって俺ん家、親子三代王都生まれだけどバリバリの平民だから貴族の人と違って学校で魔法習えないし……才能があれば本を読んだだけでも使えるんだろうけど才能ないから……魔法省には庶務係として入るのが精一杯で……」とブツブツ言いながら肩を落とすのを見て、ルティエが余計なことを閃いた。
「豚、魔法を教えてあげれば?」
「ええっ?」
「嫌?」
ノミュラスは長く魔導士をやっているが、弟子を取った経験がない。他人に魔法を教えたのもルティエが初めてだった。
理由を聞いたことはないが、何らかの信条があってそうしているのだろうと察しつつも――ルティエは思い付きの善行を優先させた。
「いえ……命令でしたら従います」
「うん。じゃあ頑張ってね」
「えっ、今からですか!? 用事はどうするんです!?」
「今日は休みでいいよ」
不思議そうに成り行きを見守っていたタキアに、ルティエが明るく伝える。
「豚は私の魔法の師匠なんだよ!」
「マジで!? 旅の人なのに!? 王都の外にも魔法使いって居たんですね〜」
悪気なく放たれた言葉に、ルティエは複雑な思いを抱く。
だが――タキアのような一般の王都民には、侵略先で罪のない魔法使いが殺されている状況を知る術がないし、魔法教育を受けられずに職業や地位を制限されるという点では彼らも被害者なのだ。
ルティエは頭で、そう理解していた。
「あの、お言葉ですが主。現状、時間を無駄にするのは得策ではないかと。せめてもう少し計画が進んでから……」
「平気だって。少しくらい休まないと却って効率が悪くなるよ。代わりって訳じゃないけど、私が図書館で調べ物をしてくるから」
内緒話を終え、ヒラヒラと手を振ったルティエは宿の外へ出ていく。一方、魔法の指導を言い渡されたノミュラスは「休みとは……?」と哲学的思考を強いられていた。
「えっと、豚さん? 宜しくお願いします」
おずおずと声を掛けてきたタキアに、ノミュラスはまず訂正する。
「私は貴方の豚ではありません。ノミュラスと申します」
「あっ、失礼しました。ノミュラスさん、宜しくお願いしまっす!」
同時にタキアの脳内に「名前じゃないなら豚って何?」という疑問が生まれていた。
窓の向こうまで目で追っていた主の姿が完全に消えると、ノミュラスはタキアに向かい合う。
「そういえば魔法省にお勤めだったんですね。いつも私服ですよね?」
問いかけられたタキアは「職場で制服に着替えてます……事務職なのバレるとカッコ悪いし……」と目を伏せ小声で答え、ノミュラスは「なるほど」と流した。
「魔法、少しは使えますね?」
「ほんのチョットなら……独学ですけど」
「出来るところまでで結構ですから、発動して見せてください」
◇◇◇
文部省に隣接する王立図書館。大陸一の蔵書数を誇るその場所の空気を、ルティエは胸いっぱいに吸い込んだ。
(壮観だな)
ルティエは幼少期から本が好きだった。母に読み聞かせて貰った物語の全てが、彼女の原体験だ。物語も、歴史書も、復讐のために開いた本でさえも、その心を躍らせてくれた。
司書以外の気配がない館内――どこまでも続く本棚を巡り、目ぼしい本を選んでいく。
地理、歴史、政治……机の上に一通り揃えたら、じっくりと内容を吟味する。どれも、外で流通している物とは比較にならないほど詳しく書かれていた。
(これほどの情報量だ。一部の本は王都から持ち出すと燃えて灰になるというのは本当だろう)
大体の書を確認し終えたルティエは、標的の情報を再確認するべく、政治の棚にあった一冊を手に取る。歴代大臣の情報が網羅されたその本の――『現職』の辺りを開くと、いきなり見知った顔が現れた。
外務大臣ガディール――実績のある元外交官。年表化された華々しい経歴の初期にある祖国の名前を見て、ルティエは思わずページを握りしめていた。
(おっと)
我に返り、慌てて皺を伸ばしてからパラパラと続きを捲っていく。
財務大臣アイザヒト――目下の標的である彼は、自身で立ち上げた商会を十年足らずの内に国一番の規模まで育てた敏腕実業家であり、現職で唯一民間から採用されている大臣だ。
奴隷取引で財を成した一方で、それまで野放しだった『労働用途外の奴隷取引』を全面禁止する法律を制定し、奴隷の置かれる環境を改善する為に奔走した。
(これだけ見ると人格者だな)
そう思ったところで、ルティエはページを送る手を止める。
――大臣らのことは、こうして調べられるし予想もつく。だが……王の顔が見えて来ない。
ルティエは、机の端に積んだ王や王族に関する書籍に目をやる。これらに関しては、今までに読んできた物と殆ど変わらない薄い内容だった。
(私が生まれるより前から表に出ていないのだから、王の情報が少ないのは当然といえば当然だが……)
この王国の統治者は、96歳の王だ。72年前に即位して以来、歴代最長の在位期間を更新し続けている。しかし、ここ20年は彼の病気を理由に実務を執り行っている内務大臣が実質的な最高権力者となっている。法律に関しては各大臣の意見をそのまま聞き入れ、制定・施行させているようだし、侵略に関しても基本的には外務大臣、軍総司令官、魔法大臣の裁量に任せているという。
要するに、王は居てもいなくても同じなのだ。病気療養が本当だとしても、過去に例のある譲位の話が上がらない等、依然として不自然な点が残る。当然、ルティエは王の死が隠されている可能性も考慮していた。
――王が居なかった場合は肩透かしを食らうことになるが、あくまで復讐の矛先は『王国』なのだから……まぁ、今は気にしても仕方がない。
(とりあえず後でクズ豚を突いて情報を引き出すか)
ひとしきり考えを巡らせた後、次の大臣の項を開く。
文部大臣トラーン・フェスレ――『王国の叡智』と渾名される優秀な学者にして教育者。あらゆる学問に精通し、他省から助言を求められることもあるという。
少し読み進めると、文部大臣と魔法大臣が並ぶ部分に辿り着いた。彼らが頻繁に併記されている理由――それは、共に歴代最年少で大臣に就任した、天才と称される類の兄弟だからだ。
(年齢は……文部大臣が1つ、魔法大臣が3つ私より上か。近影のはずなのに、両者とも見た目が幼いな)
「僕のことを調べているの?」
「っ!?」
横から覗き込む顔が、目の前の紙に印刷された顔と同じだった。
「文部大臣……っ」
「うん。君は王都の外から来たの?」
ルティエの隣へ腰を下ろし、あどけない笑顔を向けてくる。――トラーン・フェスレ本人。
――庁舎が近いとはいえ、まさか標的の一人に出会えるとは。
彼に関する下調べが完了していないことに一抹の不安を覚えながらも、ルティエはこれを情報を得る好機と捉えた。
「はい。それで、この国のことを学んでいるのです」
「やっぱり! 服が王都じゃ見掛けない感じだから、そうだと思ったんだ。5年前くらいの流行りだよね」
「……」
思ったことは何でも言う性格のようだ。
「閣下のご慧眼、感服いたします」
「ああ、かしこまらないで。僕のことはトラーンで良いよ。敬称も敬語も要らない。職場から離れたら仕事のことは忘れたいんだ」
煙を払うように顔の前で手を動かし、初対面の部外者にするとは思えない要求を突きつけた文部大臣を眺めながら――ルティエは「王立図書館は文部省の管轄なのだから、職場から離れてはいないな」などと考えていた。
独特の価値観を持つ“やりにくい”人間――それが彼に抱いた第一印象だった。
(だが……ここで気に入られ、繋がりを持つことは決して悪くない)
「じゃあ……トラーン」
「うんっ! 君の名前も聞いていい?」
「私はルティエ。こっちは……」
条件反射で豚を紹介しようとして、場に豚がいないことに気付いた。
「……素敵なところだね」
「王都のこと?」
「そう」
誤魔化しついでに何か有益な情報を手に入れようと、ルティエは話を組み立てていく。
「すっごく豊かで、みんな幸せそう」
「大陸一の都市だからね! えへへ、生まれ育った土地が褒められるのって嬉しいなぁ」
――自然に放たれた言葉からは、その下にある多くの不幸への配慮が感じられない。虫も殺さぬ顔をしたこの人間も、所詮は王国の支配者層なのだ――と、苦々しく思うルティエの心を知らず、トラーンは目を輝かせて尋ねる。
「ルティエちゃんはどこから来たの?」
「シェルザナっていう小さな町だよ」
下手に誤魔化してもボロが出ると思い、ルティエは山の麓の町の名前を答えた。
「ルシェイザナ神山の近くの?」
「よく知ってるね。行ったことがあるの?」
「知識として知ってるだけだよ。そっかー。随分と遠くから来たんだね」
文部大臣の話をさせたいルティエは、話題の方向を変えようと努める。
「トラーンは王都の外には行かないの?」
「行かないね。少し前――同盟国があった頃は、文化交流なんかでちょくちょく足を運んでいたんだけど。はぁ……国が大きくなるのも考えものだよ」
トラーンの言うように、ここ数年で周辺の同盟国全てが王国に組み込まれた。『仕上げ』の段階に入ったのか――と、知らせを聞く度に焦った記憶がルティエには新しい。
「でも、代わりに兄様が外の話を聞かせてくれるんだ!」
「魔法大臣が?」
「うん。兄様は軍と一緒に、外で行動することが多いから」
彼の兄である魔法大臣――イーノ・フェスレは王国始まって以来の天才魔導士と名高く、魔法省の長としての実績よりも戦場での働きの方が有名だ。今の情勢で立場のある人間が王都外に出る用事となると侵略――戦ということになるのだろう。
「……トラーンはお兄さんと仲が良いんだね」
「うん! 僕は兄様のことを尊敬しているし、兄様も僕のことを大切にしてくれるんだぁ」
――弾む声、屈託のない笑み。そこに嘘はなさそうだ。文部省自体の優先順位は低いが、魔法大臣を籠絡する上で使えるかもしれない。
ルティエは、トラーンに向ける目を僅かに細める。
「トラーンのお兄さんって……」
「僕や兄様のことなんて幾らでも本に書いてあるんだから、君の話を聞かせてよ」
「……」
――主導権を握りっぱなしにはさせてくれないらしい。
「私の話なんか聞いても面白くないよ」
「じゃあ、無理にでも話したくさせちゃおうかな」
そう言った瞬間、トラーンの目がスッと据わった。
「――ルティエちゃんは、本当に平民? そこにある本を読めるだけの教養があるし、すっごく綺麗だし、少しだけど中北部の訛りがあるよね? 辺境の国の高貴な生まれだったりしない?」
(コイツ……)
ルティエは表情を変えないよう、気を引き締める。
――ここで調べた限り、私は祖国が滅びた時に死亡したことになっている。たとえトラーンが祖国――カドゥリエ王国の歴史に精通していようとも、真の名も知らずに私の出自に気付くとは考えにくい。
つまり――これは今得られる少ない情報から推測し導き出した結論。それがここまで正確とは……計画を勘付かれる前に堕とすことも視野に入れるべきか――
「当たってた?」
数秒間無言になったルティエを急かすように、トラーンは首を傾げて尋ねた。
「教養があって綺麗ってのは当たってるかな〜」
「やったぁ。他は?」
「大ハズレ。シェルザナ育ちの普通の平民だよ。孤児だから、引き取られる前のことはよく覚えていないんだけどね」
訛りの件を取り繕うために、作りの甘い設定を口走ってしまったと若干後悔したところで、トラーンが話に飛びついて来た。
「孤児なんだ! それなら、僕の知識で出自が分かるかも! もっと色々聞かせてよ!」
「……」
――これ以上話すのは危険だ。今日のところは引こう。
「……っ」
「どうしたの!?」
急に涙を溢れさせるルティエに、トラーンは狼狽した。
「ごめん……昔のことを思い出して……幸せな思い出ばかりじゃ、ないから……」
「あっ……無理しないで! そ、そうだよね……孤児ってことは……。ゴメン……僕、一度気になると止まらなくなっちゃって……」
「家族からしょっちゅう叱られてるんだけど……」「またやっちゃった……」などと呟き悄気るトラーンの横で、ルティエは席を立ち机の上の本を一纏めにする。
「トラーンは悪くないよ。けど……もう帰るね」
「あ、あの……良かったら、また……」
不安げな瞳を向けてくるトラーンに、ルティエは目元に残っていた涙を人差し指で拭ってから微笑んだ。
「……過去以外の話ならしたい。これからも仲良くしてくれる?」
「――うん! 仕事がない時はここに居るから、来たら必ず声を掛けてね!」
パァッと明るい表情になったトラーンは「片付けるのを手伝うよ!」と言って、立ち上がった。
◇◇◇
時は遡り、ルティエが図書館へ向け出発した直後の宿屋一階。
「う……えぇいっ!」
ノミュラスが見守る中、タキアの手のひらで風魔法が発動した。発生したのは、近くの置物に積もった埃も動かないほどの微風だった。
「どうですか? 見込み……ありますかね」
「そうですねー。魔力の質的に土属性なら無理なく習得出来そうですね」
手を握ったり開いたりしながら、タキアはボソボソと話す。
「土かぁ〜。ずっと風魔法を練習してたんだけどなぁ。向いてなかったのか……」
「確かに風属性も取っ付きやすいですが、貴方へのオススメは土です」
「じゃあ土魔法で」と、タキアはアッサリと引く。
彼にとっては魔法の内容より何よりも、少年時代からの悲願である「攻撃魔法を習得する」という目標が大切だった。
「ちなみに土魔法って言うと、地面を震わせて岩を出してドカン!って奴ですか?」
「そういうのが良いですか? どんな魔法でも大丈夫ですよ」
「マジっすか!?」
頼もしい言葉を受け、身振り手振りで『ぼくの考えた最強の土魔法』を表現するタキアに、ノミュラスは温かい眼差しを向ける。
「それとタキアくん。制約を付けますか? 習得が楽になりますよ」
「制約って……アレですよね。血を代償にするとか、対象の半径1メートル以内じゃないと発動しないとか」
「そうです。条件を設けることで、効果を増幅したり必要魔力量を少なくしたり出来ます」
タキアは腕を組んで「う〜ん」と唸り、「土魔法、土……地面から……地面を……」とブツブツ呟く。
「やぶさかではないですけど……そんな都合の良い魔法がありますかねぇ?」
「貴方用に作るんですよ」
「ぃえ゛え゛ぇあ゛っ!?」
予想外の返答に、タキアは目を剥いて素っ頓狂な声を上げた。
「あっ、ああ……新しい魔法を作れるなんて、ど、どんな大魔導士なんですか!? そんなの魔法省の魔法研究所でも数人しかいないですよ! ノミュラスさん、貴方は一体……」
「私はただの豚です」
――だから豚って何!? とタキアが言葉にする前に、ノミュラスは続けて言う。
「細かいことは良いじゃないですか。あ、私のことは他人に言わないでくださいね。それが魔法を作る条件です」
タキアは割と細かいことが気になる性格だが、それでも憧れの魔法習得を目前にしてブッコむほど愚かではなかった。
「……分かりましたっ! 先生、宜しくお願いします!」
「先生……?」
唐突に変更された呼称に、ノミュラスは眉をひそめる。
「あの……先生はやめてください」
「大魔導士様だと知ってなお、名前で呼ぶだなんて恐れ多すぎて無理です!――先生っ!」
「師匠の方が良いですか?」という質問に対し首を横に振ったノミュラスは「先生で結構です」と、タキアの曇りなき眼に押し負ける形で了承した。
「タキアくん。次の休みはいつですか?」
「明日です。その次は……未定です」
曇りなき眼が一瞬で濁った。
「分かりました。では、明朝までに魔法を作っておきますので、続きはその時にしましょう」
そう言って、ノミュラスは宿の出口へと向かう。
「どちらへ行かれるんです?」
「元々あった用事を済ませに行ってきます」
「えぇ? ルティエさんから“休みでいい”って言われてたじゃないですか」
「休暇中に好きでやることなので、労働には該当しません」
タキアは「この人、うちの職場に向いてるな」と思ったが、良心から勧誘はしなかった。
◇◇◇
「あれ、豚」
図書館からの帰り道。宿から離れた通りでルティエは豚の姿を見つけた。
仕事終わりの人々の間を縫って駆け寄り、隣に並ぶ。
「主。お疲れ様です」
「こんなところで何してるの?」
「少し調査をして来ました」
「タキアくんは? もう教え終わったの?」
――彼への魔法指導を言い渡したはず。もしも中途半端に投げ出したとなれば、お仕置きの対象だ。
「今日は彼の力量を見極め、専用魔法の希望属性や制約の内容を確認しただけなので、正味1時間も掛かりませんでした」
お仕置きの必要がないことを知ったルティエは次いで「専用魔法」と呟いた。
制約に制約を重ねて習得した自身の魔法を思い、タキアの置かれた状況を察したからだ。
「タキアくんも魔法の才能がないんだ」
「ええ、まぁ。しかしながら希望する魔法のレベルが低いので、簡単な制約を付ければ問題ないかと。あとは彼の努力次第ですね」
ルティエは『努力』という言葉を聞き、腰の後ろで手を組んだ。
「大変だねぇ。私は努力しなくてもすぐに使えるように、制約を余計に付けたくらいだからな〜」
「主は、敢えてぶっつけ本番を選びましたからね。悪人を使って試すことだって出来たのに」
生暖かい視線を向けられ、ルティエは組んだ手を下ろしてバツが悪そうに言う。
「思うように発動しなかった時に、私の努力不足じゃなくて魔法を作った豚のせいに出来るからだよ」
「そうですねー。成功して良かったです」
◇
宿に着くと受付にタキアの姿はなく、従来通り宿屋の主人が出迎えてくれた。
「息子に魔法を教えてくれるんだってな。宜しく頼むよ、先生」
「ご主人まで先生はやめてください……」
ルティエは、様付けで呼ばれる時の比ではなく豚のテンションが下がっているのを感じた。
◇◇◇
「聞く限りでは、深追いは危険ですね」
部屋に戻り、文部大臣と邂逅したことを知らせると、ノミュラスは警告めいた感想を口にした。
「たまにいるんですよ。魔力を第六感に全振りしたような異様に勘の鋭い人」
「もう会わない方がいいかな」
「決めるのは主です」
トラーンには会いたくないが、ルティエには図書館で調べたいことが、まだまだある。
「決めた。遭遇した時の為に下準備をしておいて、基本は文部大臣が居なそうな時間を狙って行く」
「大胆で堅実ですね。主らしいです」
そんな風に称えながら、ノミュラスはテーブルの上に地図を広げていく。
「そっちは収穫あったの?」
「ありましたよ。今日は財務省ではなく、財務大臣が代表を務める商会の方を調べていました」
商会の位置を指で示す。王宮の周り――庁舎の集まる周辺ではなく、貴族を含む富裕層の住宅と商業地の中間くらいの位置だった。
「彼のもう一つの顔ですが――裏奴隷市場の元締めでもあるようです」
ルティエは昼間に図書館で調べ直した内容を思い起こす。
「表向きも奴隷商じゃなかった?」
「裏は裏です。労働力以外の用途での奴隷取引は禁止されてますから――そちらで売り買いされるのは、表沙汰に出来ない“商品”。その中には、まだ年端もいかない子供も含まれます」
子供、という一語に、ルティエの纏う空気が一段冷えた。
「違法化したのは、奴隷の待遇を改善する為じゃなくて、同業者を蹴落とし裏での奴隷取引を独占する為、か」
「そういうことでしょうね」
「……胸糞が悪い」
絞り出すように吐き捨てた主人に、豚は静かに「はい」と同意した。
「そんな訳で、少々ガラの悪い場所にも調査に行かなくてはならなくて」
「頑張って」
溜め息を吐く豚に、軽い調子で送られる声援――それを聞いて一つ増える溜め息。
「主……いくら私でも、物理的な罠や攻撃に対しては万能とは言えないんですよ」
「姿を消して精神魔法で自白させれば余裕でしょ」
ルティエ推奨の必勝プランに豚は異議を唱える。
「認識を外す魔法のことでしたら、本来一対一の戦闘用なので複数人には使えない制約が付いていますから、使える状況は限られてしまいますし……自白させる魔法だって、王国では禁術扱いですから、使用がバレたら一発でお縄です。毎度危ない橋を渡っているんですよ」
「ふ〜ん」
「渡っているんですよ……?」
精神魔法は扱いが難しく、ほんの少しの誤操作で精神に異常をきたす危険性があるため違法とされている。ちなみに、ルティエの服従魔法も精神魔法の一種であり――法に照らし合わせるなら、極刑でもおかしくないほどの代物だ。
「掛ける人間と状況を間違えなければ良いだけでしょ?」
「簡単に仰りますね……」
◇
「豚、寝ないの?」
珍しく夜更けになっても豚が活動しているので、ルティエは怪訝に思って聞いた。
「タキアくんの休みが明日しかないそうなので、今夜中に魔法を作らなくてはいけないんです」
「ふぅん」
机に向かったノミュラスがペンにインクを吸わせる姿を見て、ルティエは彼が自分のための魔法を編んでいた時期を思い出す。
(あの時は、ひと月くらい書斎に籠もってたっけ)
魔法を発動させる為の設計図――魔法式は難易度の高い魔法ほど複雑になる。そして僅かな違いで魔法の内容が変わってしまうほどに繊細な仕組みをしている。オマケに同系統の魔法は一つしか習得出来ないので、一度覚え間違えると取り返しがつかない。
――つまり『かつてノミュラスはルティエの望んだ超高等精神魔法を寸分の狂いなく作成する為に1か月近く神経を擦り減らし続けた』。
「主。何故タキアくんに魔法を習得させようと思ったんですか?」
急に意図を問われたルティエは『気まぐれ』という大部分を占める理由――ではない方を答える。
「恩を売れば計画の役に立つかも知れないから……ってのは建前で、魔法を使いたい人全員が使える世界であって欲しいから、かな」
ノミュラスはここまで一度も手を止めずに聞き、話している。
「確かに、この国のように技術資源として独占するのは良くないとは思いますが……」
「豚はどう思うの?」
言葉を濁す豚に、ルティエは敢えて反論を促した。それは興味というより確認の意味合いが強いものだった。
「主の言葉を借りるなら……全員が使えるよりは、誰一人使えない世界が良いと思っています」
あくまで「魔法は人には過ぎた力」というのが豚の基本理念であるらしい。
――持つ者と持たざる者との視点は違う。
こればかりは主と豚とはいえ意見が一致することはない。
「じゃあ、タキアくんに教えるの嫌なの?」
「そんなことはありませんよ。主の望みですから」
「分かってるみたいで安心したよ」
そして、意見を一致させる必要はない。主人の意見こそ絶対なのだから。
◇◇◇
「こんな複雑な魔法式、俺に理解出来ますかね……」
昼下がり。宿の一階に置かれたテーブルで、ノミュラスの作った薄っぺらい魔導書を前にしてタキアは頭を抱えていた。
師の「これ以上簡素化出来ない程に単純なんですけどね」という呟きを拾って、疲れ切った顔をする。
「俺、あんまり頭が良くないので……」
「頭じゃなく身体で理解すれば良いんですよ。攻撃魔法の式は、あくまで補助的な物です」
「魔法大臣も似たようなことを記事の中で言ってました……。天才は言うことが違う……」
意気消沈するタキアに、ノミュラスは子供をあやすような調子で言う。
「確かに才能に依るところもありますが、努力でどうとでもなりますよ。魔法は単なる『自然現象』です」
タキアは「そういうとこ〜」と思った。
「とにかく、何もしない内から落ち込んでも仕方ありません。外で実践しながら覚えましょう」
「もう実技ですか……」
「“無”から生成する水、火、雷と違って、風と土は“存在する物”を操りますので、実際に触れた方が感覚を掴みやすいんですよ」
「なるほど……深く考えたことはなかったけど、初心者向けってそういう意味だったんですね」
「教わらないと分からないですよね。私も父からそうして教わったので、魔法習得の一番の近道は実戦……実践だと思っています」と話しながら、ノミュラスはテーブルの上の書類をまとめていく。
「それと名前を付けるのも良いですよ。発動するイメージがしやすくなります」
「――共鳴する大地」
「形から入るタイプなんですねぇ」
魔法名らしき言葉と共に謎のポーズを取るタキアを見て、ノミュラスは微笑んだ。
◇
数時間後。近くの空き地で指導を受けたタキアは、汗と土まみれになって肩で息をしていた。
「ゼンッゼン出来ない……!」
弟子の心が折れかけているのを察知し、それまで助言役に徹していたノミュラスが実演すべく屈み込む。
「土魔法はですねぇ。こう、魔力を地面に這わせるイメージで……」
手を近付けた地面の少し先が、ゴゥンと音を立てタキアの腰ほどの高さに隆起して――手を離すと元に戻った。
「スゲェー……ちなみに風魔法は?」
「風? 風魔法は宙に魔力を送るイメージです」
手のひらの上で球状に風が起こり、土埃を巻き込む――タキアが特訓していたという魔法の完成形そのものだった。
羨ましそうに眺めるタキアに、風を消してからノミュラスは尋ねる。
「何故この魔法を特訓していたんですか? もっと初心者向けの風魔法、いくらでも有りますよね」
「……それ、うちのボス――イーノ・フェスレの得意魔法なんです。ボスのは比べ物にならないくらい強力だし、雷と併せて使うけど」
「ほぉ」
ノミュラスはそれを標的に関する有益な情報として頭に入れた。
「随分とお詳しいんですね」
「年が近いから、子供の頃から天才魔導士として活躍してるあの人をずっと見ていて。俺の憧れなんです」
はにかむタキアから深い尊敬の念を感じ取ったノミュラスは提案する。
「でしたら、やはり習得するのは風魔法にしますか?」
「いえ! 長年特訓しても覚えられなかったので、先生がおっしゃるように適性がないんですよ! 無謀な夢を見続けるほど子供じゃないです!」
「そうですか」と微笑んでから、ノミュラスは両手を小さく広げた。
「参考までに伺いますが、魔法大臣の使う魔法はこんな感じですか?」
左右の手で発生させた風と雷を体の正面で組み合わせると、小型の嵐が生まれる。突風を顔に受け、タキアは純粋に感動した。
「そうそう、そんな感じです! 昔、公開演習で見たまんま! はぁ……うちのボスもですが、先生もお若いのに凄いですねぇ……」
ノミュラスは魔法を解いてから、弟子の誤解を解くように努める。
「大臣は本当にお若いようですけど、私はこう見えてお爺ちゃんなんですよ」
「マジですか!? やっぱ魔法ってスゲェ〜〜っ! 見た目を変える魔法ですか? 俺も魔法を使えば美形になれますかね!? 魔導士の方って大体美形ですもんね! 俺、攻撃魔法を覚えたら次はそういう魔法を覚えるって決めてるんです!」
「そういった魔法は存在しません。私の顔は生まれつきです」
ノミュラスはタキアにとって残酷な事実だけを言い渡した。「じゃあお爺ちゃんってどういうこと?」という疑問が一瞬で吹き飛ぶ勢いで息を吐き、タキアは両手で顔を覆う。
「美形が憎い……っ」
その表情を窺い知ることは出来ないが、声色からは深い憎悪や怨恨の情が読み取れた。
「私はむしろ醜く生まれたかったですけどね。その分罵って貰えますから」
「クソッ……! いえ、先生はドMなんですね……俺もドMになりたい……」
「それも生まれつきです」
ここで初めてタキアは「あ、豚ってそういう……」という気付きを得るのであった。
◇◇◇
「終わったの?」
夕方になり――宿の二階から下りてきたルティエが、修行から戻った二人に声を掛けた。
それを見上げるタキアは「この子、こんな顔してドSか……」と遠い目をする。
「魔法使えた?」
「全然ダメだった……」
「まだ始まったばかりですよ」
「だって。頑張れ!」
「うん……」
タキアへの慰めもそこそこに、ルティエは親指で外を示した。
「皆でご飯を食べに行こう」
一階に降りてきた目的はそれだった。
「私は出掛けますので、お二人でどうぞ」
「ふ、二人きりですか!?」
「嫌?」
「嫌だなんてとんでもない!」
急激に元気を取り戻したタキアからノミュラスへと視線を移し、ルティエは手のひらを差し出す。
「豚、お金ちょうだい」
「あっ、俺がご馳走しますよ! 魔法を教えて貰えてるのはルティエさんのお陰だし! 安月給だけど使う暇がないんで、金だけはあるんです! 着替えてくるからちょっと待ってて!」
主人と豚は、宿の奥へ走り去る魔法省の公僕を気の毒そうに見送った。
◇
十数分後。タキアとルティエは、宿の近くの食堂のテラス席で、向かい合って座っていた。
「雰囲気の良いお店だね」
「でしょ? 味はそこそこなんだけど……うわっ、ぬるいっ!?」
サービスの水に口を付けたタキアの反応を見て、ルティエも同じように確認する。
「本当だ。出してから時間が経ってたのかな」
「おばちゃーん! 水がぬるいんだけどー!」
タキアが叫ぶと、「我慢してー!」という声が店内から聞こえた。
「そんな馬鹿な」
「豚がいれば氷を出させたのに」
「氷?……ひょっとして魔法で?」
「うん? そうだけど」
「マジか……スゲェな……日常使いで氷を……」
タキアは天を仰いだ。その様子を見て、ルティエが質問する。
「氷の魔法って珍しいの?」
待ってましたと言わんばかりに身を乗り出すタキアに、ルティエはしくじったと思った。
「珍しいなんてものじゃない! ハチャメチャな高等技術だよ! 水を温めるだけなら火属性との複合で再現出来るかもだけど……冷やすのは本当に難しいんだ!」
「へぇ〜」
止まらなくなったタキアは、聞いてもいないのに早口で語り出す。
「魔法は基本的に第一の属性って呼ばれる火水風土雷の5つに分類されて、その中の2属性か、音熱光の第二の属性っていう3要素を複合することで発展するんだ。第二の属性は魔導士レベルじゃないと扱えなくて……氷魔法は『水+熱』の複合魔法だね」
「ふぅ〜ん」
「それから雷っていう例外の多い属性があって……第一の属性に数えられてるけど、最初から音と熱と光がプラスされてるっていう訳の分からない性質を持っているんだ。だから、極めればどの属性の魔法より強いと言われてる」
ルティエは声を出さずに頷いた。
「魔法大臣はその雷魔法の名手でね、戦場じゃ『風雷の化身』なんて二つ名で呼ばれてるんだ。カッケェなぁチクショー! 昼間、先生に見せて貰ったんだけどさ――」
「お客さんたちお待たせー。魚介のパイ包み焼きだよ」
「あ、それは私の。もう片方はそっち」
届いた料理をフォークで突きながら、ルティエは毒にも薬にもならない感想を述べる。
「魔法、詳しいんだね」
「ヘヘッ……子供の頃からそういう知識だけは蓄えてきたから。魔法式の読解とか実践はカラッキシだけど」
モグモグと咀嚼して雑に相槌を打ったルティエに、タキアは前のめり気味に質問する。
「ルティエさんも魔法を使えるんだよね?」
「うーん、修行中」
そういうことにしておいた方が都合が良いと判断し、ルティエは嘘を吐いた。
「そうなんだ! じゃあ俺の方が先に使えるようになっちゃうかもね!」
「かもね」
「……ルティエさんは、あんなに凄い人に弟子入りしたのに、魔法に興味がないの?」
ルティエはナプキンで口を拭う。回答する前から目が「興味なし」と主張していた。
「もちろん魔法は使いたかったけど……魔法自体はただの道具でしょ? 道具に興味はないよ。生まれる結果が全てだもん」
「どういうこと?」
「与えられた道具で戦う時に、気にするのは道具自体じゃなくて勝ち負けでしょ? ってこと」
「よく分かんないけど、ルティエさんカッケェ〜!」
「伝わらないかー。まぁ良いや」と、ルティエは料理の続きに手を付けた。
◇◇◇
ルティエが食事を終えて帰ると、一足先に豚が部屋に戻っていた。
「主、お帰りなさい」
「ん」と頷いて、豚の向かい側の椅子に腰掛ける。
「聞いたよ。豚の魔法、凄いんだって?」
「タキアくんですか」
「うん。氷魔法が珍しいって教えて貰った。そう言えばクズ豚も驚いてたね」
「珍しいは珍しいですが、全く使い手がいない訳でもありませんよ」
そう言ってから、豚はソワソワし始めた。
「主が興味を持たれないので、伝える機会を失っていましたが……今しかないので言わせてください」
「良いよ」
念願が叶った豚は――咳払いをしてから姿勢を正して発表する。
「■■■を転送する魔法と■■を一瞬で洗浄する魔法。実は世界でも私くらいしか使えない超高等魔法なんです。見る人が見れば度肝を抜かれますよ」
「使い道がロクでもないから驚かれるんじゃない?」
主のツッコミでも豚の話は止まらない。
「魔法における時空という概念は、長らく空想上の産物とされていたのですが……自分に自分を使いたい一心でやってやりましたよ。魔導士冥利に尽きます」
ルティエは「豚冥利の間違い」「時空という概念が泣いてる」「恵まれた才能から生み出されるゴミみたいな魔法」と連続で呟いた。
「ゴミなんてことはありません。時空……いわゆる第三の属性を解明する切っ掛けになったのは間違いないんです。あらゆる技術は性欲によって発展したんですよ」
「絶対に違う……」と顔を引き攣らせるルティエの足元に、豚は不意に跪く。
「主……ご慈悲を頂けませんか?」
「……」
足の先にいる豚を見つめる主人は悟る。
――こんな話をしたからサカり始めたな。
「“大魔導士”も“先生”も疲れました。私を“ただの豚”にしてください」
「……私にとってはいつだって“ただの豚”だが」
「それを身体に教えて欲しいです♡」
――たった2日ばかり行ったタキアへの指導を交渉材料にしてくるとは、浅ましいことこの上ない。
いつもなら「気に食わない」と一蹴する要求ではあるが――
「……タキアと豚は、私に徳を積ませてくれるなぁ」
ルティエが立ち上がると、半分諦めていたらしい豚の目が爛々とする。
「良いだろう。元は私の気まぐれが原因だ。付き合ってやる」
「ありがとうございますっ!」
――それは第三の属性を使った魔法の、おそらく地上でもっとも不適当な使い方だった。
♡♡♡
「誰がどう見ても立派な豚だ。良かったな、豚」




