エピローグⅡ 流れる時の中で
「暑い……はぁ〜風熱複合魔法の真骨頂ですねぇ」
顔の周りに魔法で冷風をまとわせても、赤らんだ顔は戻らない。ノミュラスはブツブツとうわ言を漏らしながら、自国とハニノ共和国の国境を成す砂漠地帯の街道を、ひとり進んでいた。
目的はハニノの首脳との会談――ではなく、南の森の魔女に会うこと。
◇◇◇
「お会いして頂けて光栄です、サトゥオラさん」
木々の影が濃く落ちる、森の奥の一軒家。日の差さない室内には、古い薬草と煙草の匂いが幾重にも染みついていた。その奥で、ノミュラスと向き合う銀髪の美女こそ――ハニノの森の大魔導士、サトゥオラだった。
「政府経由で連絡を貰った時は何事かと思ったよ。北の大魔導士様がアタシに何の用だい?」
「あ。そう並び称されていたらしいですねぇ。それで私、数年前にサトゥオラさんのことを知ったんですよ」
「アタシはアンタを昔から知っていたよ。200年くらい前に方々でヤンチャしてただろう」
「いやはや……若気の至りでお恥ずかしい限りです」
「アタシの弟子も何人かヤられてるんだよ」
「それはそれは…………申し訳ございませんでしたっ!」
床を舐める勢いのノミュラスに、サトゥオラは「顔を上げな」と苦笑した。
「良い筋してたのに、自信を失って廃業した奴も居たよ。どんな魔法を見せたのやら」
「あの時代は強い人が沢山いましたから、楽しくてつい……。当時の私に伝えたい。青田刈りは悪手だと」
武者修行の旅のさなか、怯えて逃げ去る者や、闘いの後に呆然と立ち尽くす者を、ノミュラスは「弱い」と一蹴してきた。だがそれが、別の形の強さも、次代へ繋ぐ芽も潰していたのだと気付いたのは――優れた魔法使いが目に見えて減ってからのことだった。
「それで今は……インカドゥリエって言ったかい? あの国にいるんだね」
「はい、宰相をやっています」
「急に政権がひっくり返ったと聞いていたが、アンタが噛んでたとはね」
「私は手を貸しただけで、成したのは私の主です。女王様です。王子も生まれて安泰です」
「へぇー。王配がいるとは知らなかった」
一言断って煙管に火を入れたサトゥオラに、ノミュラスはあっさり返す。
「居ませんよ」
「ん? じゃあ誰の子だい?」
「主は教えてくださらないのですが、どうも複数人の子種を使ったかのような口振りなんですよ!」
「んん?」
「私も1週間、拘束監禁されて子種を提供させられたんですけど、妊娠が分かった時に『私の子ですか?』って聞いたら『そうなのか?』って!」
「……子作りに趣向を凝らす必要はないと思うけど」
「あれ、貞操を奪われた内に入るんですかねぇ?」
「知らないよ……好きに決めな……」
「じゃあ無効! 無効です! そもそも視覚も聴覚も遮断されていて、確かめようがありませんし!」
サトゥオラは煙を肺一杯に吸い込み、長く吐き出した。立ち昇った紫煙が消えるまでの間、彼女は何も言わなかった。
「一体、誰の子なんでしょう……そんなふしだらな女性に育てた覚えはないのに……」
「アンタくらいの血の濃さなら、子供の髪色は銀色になるはず。アンタの子かどうかは分かるだろ? 子供の髪色は?」
「銀色ですけど」
「アンタの子じゃないか」
「私の子でしたかー……」
複雑そうな顔をしたノミュラスは、すぐに眉をキリッと上げた。
「でも主が認めない以上、私もまた、彼の父親ではありません」
「難儀な思考回路をしているね……」
サトゥオラは眉根を寄せ、足を組んで背もたれに身を預けた。煙管を細い指で支えたまま腕を組む。
「アンタも王宮で暮らしてるんだろ? 将来、父親かって聞かれたらどうするつもりだい?」
「『生物学上は』と答えます」
「可哀想だからやめてやんな……」
燃え尽きた煙草を灰皿に落とす魔女の指先を見ながら、ノミュラスはふと尋ねた。
「サトゥオラさんにも、お子さんがいらっしゃるんですか?」
「いたよ。とうの昔にくたばってるけど。もう玄孫か来孫くらいの世代かね」
「そうなんですかー」
「二度はゴメンだが……子育ては楽しかったね。一度は経験しておいて損はない」
「分かります。私は主を8歳からしか育てていないので、赤子が育つのを見ていると、面白くて可愛いです」
煙を肺まで吸い込んだサトゥオラは、ゴホゴホとむせた。
「アンタの主って娘!?……さっきの『育てた覚えはない』って本気のヤツかい!……何だか気持ち悪いから帰んな」
「えー遥々来たんですから泊めてくださいよぉ」
◇
結局その晩泊まることになったノミュラスは、夕暮れになっても家主を話に付き合わせていた。
「不老長寿あるある! 生殖行為を苦痛に感じる」
「まぁ、アタシらの性欲が強いと増え過ぎてしまうからね」
「生殖に関わらない行為なら問題ないんですけどねぇ。具体的に言うと■■■■……あ、私が受け入れる側ですよ。この一点に関しては本当に、男に生まれて良かったと思っていて」
「初対面の女にそんな話をするんじゃないよ……」
「でも、女性に責めて頂くのが一番好きなんですよ。絶対数が少ないので、手軽に性欲を満たそうと思うと、どうしても男性を誘うことになるのですが……そうだ。サトゥオラさん、鞭に興味はありませんか?」
「……」
サトゥオラは煙を一つ吐いて息をついた。室内には、半日燻り続けた煙草と薬草の匂いが、いよいよ濃く澱んでいる。
「世間話をしに来た訳じゃないだろう。前置きは良いから要件を言いな」
「――時間操作魔法を教えてください」
要求に驚いた様子も見せず、魔女は続きを待つ。
「噂で聞いたんですが、来てみて確信しました。この森だけ何百年も前の魔力を放っています。理由は聞きませんけど、何度も時間を逆行させていますね」
「……アンタほどの魔導士なら、自力で編み出せるだろう」
「2年間研究して分かってしまったんです。ゼロからでは、主が生きている間の完成は不可能だと。第三の属性……いわゆる時空魔法。私は空間に特化して編み出したので、時間の方は偶然形になっただけで――理解が足りません」
ノミュラスはテーブルの上の籠から果物を取り、瞬く間に反対の手へ移して見せた。
「百年の猶予もないのかい。そりゃ厳しいね。それで、使い道は?」
「壊れた精神を、元の状態に戻したいんです」
「なるほどね。心は複雑過ぎて“治”せないから」
ランプの明かりが照らす室内で、銀色を写す暗紅色の瞳が、ノミュラスを見据える。
「悪いけど、出来ない相談だ。この魔法は強力すぎる。信用出来る人間にだって教える気はない」
「……」
――自分とて、転送魔法のような第三の属性が絡む術を、他人に教えようとは思わない。同じ高みに立つ魔導士だからこそ、サトゥオラの拒絶の固さが、痛いほど分かってしまった。
ランプの火が細くなり、部屋の中が一段と薄暗くなる。煙管から立つ細い煙だけが、二人の沈黙を埋めていた。
意気消沈するノミュラスに、サトゥオラはわずかに声を和らげる。
「期待させる訳じゃないが……理由を教えてみな。役に立てるかも知れないよ」
「以前……私の力不足で、主の友人を失わせてしまったんです。何の為に何百年も魔導士をやっていたのか分からなくなりました」
「魔法で遅れを取ったのかい。アンタが」
「イーノ・フェスレという我が国の魔法大臣で……“どちらも絶対に死なない”という条件内では勝てませんでした」
「……!」
ハニノに近い魔導士として、嫌というほど聞かされたその名前に反応する。
「友人ってのは……そのイーノ・フェスレ?」
「違います。経緯は省きますが、主の友人はその弟のトラーン・フェスレという、これまた我が国の文部大臣です」
「……なるほどねぇ。ソイツは大事だ」
灰を落とし、煙管を脇へ置いたサトゥオラは、俯いてふっと笑う。
「気が変わったよ。アタシが直々に治しに行ってやる」
「ほっ、本当ですか!? ありがとうございますっ!」
机に身を乗り出したノミュラスは、「座りな」と制され、腰を下ろす。
「対価は何を用意すれば宜しいですか?」
「要らないよ、ほんの気まぐれさ。久々に旅行をしたいと思っていたところだしね」
「せめて靴を舐めさせてください!」
「舐めたら、その瞬間に話をなかったことにするよ」
◇◇◇
「本当か……っ!?」
高い天井に声が反響する。インカドゥリエ王国の王宮――謁見の間。磨き上げられた石の床の冷たさを、玉座へ続く緋色の絨毯だけが、一筋断ち切っていた。豚の連れてきた訪問者に、女王は深く頭を垂れる。
「ありがとう……サトゥオラ殿」
「女王様がそんな真似をするもんじゃないよ。背筋を伸ばしな」
「王としてではなく、私個人として礼が言いたい。……本当にありがとう」
サトゥオラは若い女王に、目だけで微笑んだ。
「どうする? 身体と脳の時間も戻して、全てをなかったことにも出来るけど」
「……いや、いい。魔法の効果だけを消してくれ」
ノミュラスが、トラーンを連れて入ってくる。細かな事情を知らされていないトラーンは、困惑したまま、主人とサトゥオラへ順に頭を下げた。
「えぇと……こんにちは」
「うん。こっちにおいで」
言われるまま歩み出たトラーンの額に、サトゥオラが手を当てる。
「すぐ終わるからね」
「ん……」
ルティエが固唾を呑んで見守る中――処置は、ほんの数分で終わった。
「……終わったよ。じきに意識がはっきりしてくる」
◇
サトゥオラとノミュラスが下がった後。広間に二人だけが残された。黙したまま動かないトラーンを、ルティエはただ見つめている。
高い天井の下、衣擦れ一つしない静寂の中で、どれほどの時が過ぎただろう。――やがて、固まっていた唇が、ようやく開いた。
「ルティエ……ちゃん……」
「トラーン……!」
聞き慣れた「女王様」でも「ご主人さま」でもない、懐かしい調子で名を呼ばれて――ルティエも、思わず名を呼び返していた。
「僕……」
トラーンは、ここ数年、頭に幾重にもかかっていた靄が、晴れていくのを感じていた。
「記憶は……ある?」
「……うん」
「そう……」
ここ2年の記憶。――堕とされた日からの、記憶だ。
この場のルティエの口調は、作ったものだった。信頼を築き直したい――その願いが、無意識に幼い呼び方を選ばせている。
「……謝ったところで許されないのは分かっている。けど……ごめんなさい」
「僕を信じて貰えなかったのは少し悲しいけど……ルティエちゃんの取った手段は、目的のためなら仕方なかったと思う。僕の方こそ、何も分かってなくて、ごめんね」
「謝る必要なんて……っ」
――ようやく、豚の気持ちが分かった。理解など示さず、いっそ罵倒してくれたら、どれだけ楽だろう。
それでも、閣僚全員を豚にすると決めたあの日に、罪ごと背負っていくと決めた。その覚悟は、今も変わらない。
「……身体や記憶も“なかったこと”に出来たんだけど、そんなの虫が良すぎると思ったから……魔法だけ消して貰ったの」
「気にしないで。僕も忘れちゃいけないと思うし……ほら、せっかく伸びた身長が縮むのも嫌だったから!」
頭頂部を撫でておどけてみせる。それでもルティエの顔が晴れないのを見て――トラーンは、胸の中で一番大きな気持ちを口にした。
「助けてくれて、ありがとう」
「……っ!」
受けるべきではない感謝に、ルティエは感極まる。顔を背け、こぼれた涙を見られまいとした。
「えっ!? わっ、泣かないでっ」
「うっ……だって……全部私のせい……」
「僕、恨んでもないし、怒ってもいないよ! 魔法を掛けられても、生活自体にそこまでの影響はなかったし……」
「……」
短い沈黙を破ったのは、トラーンだった。
「また君に会えて嬉しい――その気持ちだけは信じて貰えないかな」
「……うん……私も……」
ルティエは俯いて目を瞑り、涙を払ってから顔を上げた。
「あのね、話したいことがいっぱいあるの。聞いてくれる?」
「うん! 僕もずっと知りたかったことが山程あるんだ!」
失った時間を取り戻すように、止まっていた心を溶かすように――どちらからともなく、二人は語り始める。
◇
再会の声が漏れ聞こえる大広間の外――人気のない廊下に、グズグズと鼻をすする音が響いていた。
「良かったですねぇ……! あ。私、300年前に母親が死んだ時と100年前に妹の血を洗い流している時振りに泣いてます」
「サラッと歴史的瞬間に立ち会わせるんじゃないよ。重たい過去が垣間見えるし」
中の様子を窺うノミュラスは、服の袖で涙を拭った。
「それじゃ、アタシは退散するとしようかね」
「話していかなくて良いんですか? 子孫なんでしょう?」
ノミュラスは、状況と、微かな魔力の似通いから、トラーンとサトゥオラに血の繋がりがあることを見抜いていた。
「こんな遠い血縁の婆ちゃんに話し掛けられても困るだろう。しかし……1/32の一致率しかないのに大した魔法感知力だね。アンタみたいに優秀な魔導士が付いてるなら、この国は安泰だよ」
サトゥオラはフッと笑い、ノミュラスに背を向けた。
「そうそう。いずれ姪っ子を連れて家に遊びにおいで。何か助言出来ることもあるかも知れない」
言い残し――「お見通しでしたか」という呟きを聞くより早く、魔法で姿を消す。
「あぁい」
「おや、リィン」
背後から足にしがみついてきたヨチヨチ歩きの赤ん坊。慌てて追う世話役の侍女を片手で制し、ノミュラスはその小さな体を抱き上げた。
「きゃあ〜」
「お母さんは大事な話をしているところだから、あっちで遊びましょうね。そうだ、お姉さんのところに行きましょうか。貴方が生まれた記念に植えた苗木、もう大きくなり始めたんですよ。いずれ庭に植え替えましょう。もしも兄弟が増えたら、並べて植えても良いかも知れませんね〜。それと……」
自らを抱く人間の声を聞きながら、リィンはニコニコと笑っていた。
◇
◇◇
◇◇◇
◇◇◇◇
――ずっと先の未来。
よく晴れた日の、王宮の中庭。皆で植えた苗木は、いつしか見上げるほどに育ち、幾本も並んで風にさざめいていた。その傍らには、後から植え足した若い木も、何本か枝を伸ばしている。
木陰に、銀の髪の少女が腰を下ろしていた。かつては幼子のように小柄だった身体も、今ではすっかり年相応に育っている。隣には、同じ髪色の青年。かつては見上げるほど大きかった姉と、今は少し視線を下ろして話す。
「お母さんからぼくを『宰相やお姉ちゃんの為に産んだ』って聞かされた時は『それってどうなの?』って思ったけど――」
リィンは膝に乗った本に手を置き、枝葉の隙間からこぼれる光を少しの間見上げる。
「生きてて楽しいこともいっぱいあったし、これから先もお姉ちゃんと同じ世界で生きられるから、生まれてきて良かったなって思うよ」
「リィン。余もお主が生まれてきてくれて幸せだ」
柔らかな笑みを浮かべるシュシュに、リィンは屈託なく笑い返す。その緩んだ顔が、ふと強張った。離れた場所に立つノミュラスが、いつの間にかこちらを見ていることに気付いたからだ。
「……げっ」
露骨に眉をひそめ、心底嫌そうに吐き捨てる。
「宰相は別。宰相には言ってないから。何で盗み聞きするかなぁ。これだから魔法って嫌いなんだよ。あーその顔をやめて。キモい」
にべもない言葉の数々に、ノミュラスは傷つくどころか、満ち足りた息をひとつ零した。この遠慮のない嫌悪が、これから先の途方もない歳月、変わらず自分に向けられ続けるのだ。
(主……ありがとうございます……)
「だから、その顔っ……もーっ、お姉ちゃん! 早く弟たちとトラーンくんのところに行こう!」
風が渡り、育ちきった枝が大きくしなる。空に浮かぶ銀色の雲が、東の空へ運ばれていく――
人の数だけ、物語は巡る。
TRUE END
読んでくれてありがとうございました。
あとは、もっと細かく投稿してた時代の名残のオマケの一コマ+αをまとめて終わりだと思われます。
それはそれとして、この話を投稿する前に過去編が抜けてることに気付きました。
その状態で第5話以降を読んだ人がいたら何を思ったんだろう……(連絡がなかったのが答え)




