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姫と豚  作者: シブキ
11/15

第5話 私の復讐


「トラーンってば今日、筋肉痛でロクに動けないのにさぁ、午後から仕事に行ったんだよ〜。フツーに休めばいいのにねぇ!」


昼過ぎになってようやく豚のベッドから起き出したルティエは、乱れた前髪をかき上げながら眉を寄せる。


「……自分の仕事はどうした」


昨日の今日で宿を訪れたイーノは、無断で入室すると、当然のように椅子へ腰掛けて主人の目覚めを待っていた。

主人用に用意したパンとお茶をテーブルに置いたノミュラスは、「貴方のじゃありません」と伸びてきた手を叩く。


「部下に押し付けてきたに決まってるじゃ〜ん」

「恒常的に副大臣が泣かされているという話が、一介の庶務係にまで届いているのはどうなんだ」

「え〜? 別に良いんじゃない? 何か問題ある?」


タキアの話しぶりが「そんな素行でも許されるイーノ・フェスレの凄さ」に重きを置かれていたことを思い、ルティエは返答しなかった。


「そもそも、何で入って来れたんだ」

「鍵が壊れたままだったから、フツーに入ってきたよ」

「そうだったな。弁償しろ」

「イマ金欠なんだよね〜。給料日まで待ってくれないかなぁ」


ルティエはイーノの向かいの椅子を引いて腰掛け――鼻に届く茶葉の香りが好みの種類(もの)だったので、すぐにカップを持ち上げる。


「大臣なのに金欠か。夢のない話だな」

「ボクたち高給取りって言うほど貰ってないし、友達とか女の子と遊んだらすぐ無くならない?」


ルティエは「知るかそんなこと」という目をしてカップに口を付けた。


「あ。トラーンは友達いないし読書と服以外の趣味もないから、フツーに貯金あるよ。ボクもよく借りるんだ〜」

「……」


「そういえば大臣職の報酬は公開されていたな」と豚に言うと「月に金貨50枚ほどですね」と返す。


「思ったより少ないな」

「でしょ? 今は例外が多いけど、“大臣”って領地を持ってる家の人が箔付けでやるようなものだから。領地収入がない家だと、財務大臣みたいに上手く商売に繋げないと儲からないよね」


今の閣僚だと、王族に連なる内務大臣は言わずもがな、外務大臣と軍総司令官の家がそれなりの名家だ。


「お前たちの家は古株の貴族じゃなかったか」

「括りじゃ貴族ってことになるんだろうけど、最初が客将(さいしょ)だから何代経っても余所者扱いなんだよね〜。ウチ領地とか1コも持ってないし。ま、その分柵(しがらみ)が無くてやりやすいけど。……あれ? 考えてみれば、ボクたちひいひいお祖父ちゃんの代からずっと国に雇われてんの? ウケる。

そもそも今の“フェスレ家”になったのだって、ひいお祖父ちゃんが没落貴族のひいお祖母ちゃんと結婚して婿に入ったからだしぃ〜ボクのお祖父ちゃんとか北東(ワヤーニュ)の出身で入り婿だしぃ〜お母さんも平民出身だしぃ。自由でしょ? ボクも家督とか面倒臭そうだから、トラーンに押し付けようと思ってるよ!」


自身の自由さのルーツを語り尽くしてから、イーノは「あ!」と、名案を思い付いた時の顔をして、机の上に身を乗り出す。


「ねぇねぇ、主(あるじ)。今日ヒマ?」

「だとしたら何なんだ」

「ウチに遊びに来ない?」


ちぎったパンを口に放り入れながら、ルティエは窓から天気を確認した。――快晴。絶好の外出日和。イーノは仕事に戻る気はないのだろう。


「……邪魔させて貰うかな」


予想外の返答に、ノミュラスは片付けていたカップを手から滑らせ派手な音をさせた。


「主(あるじ)!?」

「あっ本当? 今の時間は家に誰もいないんだ〜」

「させませんよ」

「悪いコトはしないよぉ。だいたい主(あるじ)の嫌がること、出来ないようになってるじゃん」


イーノは服従魔法の該当部分の魔法式を読み上げるが――当然、並の魔導士に出来る芸当ではないのでノミュラスは眉間に一段と深いシワを刻む。


「いずれ解除出来そうで怖いんですよね、貴方」

「出来ないし、出来てもしないって。ボクって信用ないな〜」

「笑うところですか?」


そこでルティエが立ち上がって着替えを手に取った。


「支度が済んだら出る」

「私も行きます」

「いいよいいよ〜。ノミュラス様もおいでよ!」



◇◇◇


約30分後。


「ようこそボクの家へ!」


王宮から離れた位置にあるフェスレ家の屋敷は、古びた家屋の大きさに対して広い庭に――真新しい鍛錬用の器具が大量に設置してあるというチグハグな作りだった。


「立派な庭だな」

「そこしか褒めるトコないよね〜。屋敷を建てたひいお祖父ちゃんの趣味なんだって〜。節約も入ってるのかな?」


ルティエは何に使うか見当もつかない器具に腰掛けて、思い出した情報をそのまま口に出す。


「曽祖父までが不老長寿で、客将の高祖父は魔法剣士……だったか」

「トラーンにそんなことまで話させたの? そうだよー魔法剣士。聞いたことないでしょ。イマドキ流行らないよね」

「各道を極めた方が効率的ですからね」


ノミュラスは、何百年か前に闘った魔法剣士たちの太刀筋を思い出していた。


「子供の頃は、この庭でよくトラーンと遊んだんだ〜」

「昔から仲が良かったらしいな」

「うん。主(あるじ)にも兄弟はいた?」

「姉が一人と、兄が二人いた。それ以上は聞くな」

「分かった〜」


魔法の効果か、元々の他人に興味を持たない性格のせいか――大人しく言うことを聞いたイーノは、出し抜けに手を差し出す。


「主(あるじ)。お手をどうぞ」

「何の真似だ?」

「昔トラーンとやってた遊び! 主(あるじ)にも見せてあげる!」


ルティエが手を取り立ち上がると、二人はフワリと宙に浮かび上がった。


「これは……」

「もっと高くまで行くよ〜!」


グンと地面から屋敷の屋根を越え――その5倍ほどの高さにまで上昇する。


「ちょっと! 危ないですよ! 絶対に落とさないでくださいね!?」

「ボクを誰だと思ってるの〜?」


地上をウロウロしながら、風と音の複合魔法で声を飛ばすノミュラスに、イーノは笑って手を振る。


「主(あるじ)、ドキドキしてる?」

「高いところに慣れているから、そうでもないな」


上空の風を受け、ルティエは髪を押さえて言った。


「あ〜そうだった。主(あるじ)はルシェイザナ神山に住んでたんだ。ちぇ〜これで大抵の女の子は落ちるのに」

「主人を落とそうとするな」

「落としちゃダメですよ!? 私の手持ちの魔法じゃ受け止めきれませんからね!?」


魔法を使ってやり取りする二人の魔導士には構わず、ルティエは高みからの景色を見渡す。どこまでも続く青空の下に――目ぼしい山々や近隣の町は勿論、南の海までもが見えた。


「壮観だな。トラーンもこの風景を見たのか」


このタイミングで弟の名前が出る理由が分からなかったイーノは、弟と交わした会話を思い返し――ようやく心当たりに至る。


「……トラーンが最近仲良くしてた“平民の女の子”って主(あるじ)のこと?」

「話していたのか」

「やっぱり〜! そっかー、主(あるじ)だったかー。用意周到〜」


うんうんと納得する度に、二人の身体がふわふわと揺れた。


「詳しくは教えてくれなかったんだよね〜。『可愛い子ならボクにも紹介して!』なんて言っちゃったから」


その口ぶりは、まるで「知っていたら会いに行って、ついでに計画を止めてみせたのに」とでも言いたげだった。


ルティエは一瞬だけ表情を曇らせた後、笑い掛ける。


「会いに来ていたなら、先にお前を堕としてやったのにな」

「怖〜い。ボク、美人に弱いからフツーに負けちゃってたかも〜」


徐々に下降して、フワリと地に降りる。駆け寄ったノミュラスが主人の無事を確認し、胸を撫で下ろしていた。


「楽しかった?」

「悪くなかった。豚には真似出来ないのか?」

「魔法式自体は驚くほど簡潔なんですが……見た目以上に緻密な魔法操作が必要になるので、少なくとも今から練習しようとは思えませんね。たとえ熟練していようと、人を連れて〜なんて以ての外ですよ」

「失敗したことないも〜ん」


子供の頃から遊びに使っていたというのだから、その魔法操作力は天賦の才に違いなかった。

ルティエは苦笑する。


「イーノが長寿じゃなくて本当に良かった。どこまで強くなるのかと思うと末恐ろしい」

「ボクは不老不死、諦めてないけどね」


長寿を超え、不死ときた。ノミュラスは古今東西聞き飽きたその単語に、冷めた目をして言う。


「ああ、だから時空魔法に食い付いてくるんですね」

「ボクに足りないのは時間だけだもん。ねぇ〜ノミュラス様ぁ。ヒントで良いから教えてぇ〜?」

「死んでも教えません」


イーノは「ケチ〜」と唇を尖らせ、ぐいと身を乗り出した。


「悪用が心配なら、主(あるじ)に悪用しないよう命令して貰えば良いじゃん」

「そういう問題でもありません」


「長寿ズルい」「独占反対」と子供のように頬を膨らませるイーノを見て、ノミュラスは小さく息を吐く。


「貴方の力は、普通の人間だからこそ得られたという印象を受けますけどね」

「何を言ってるのぉ〜? 時間なんてあればあるほど良いに決まってるでしょ〜?」

「いつの世も、“有限”から“無限”が生まれるんですよ」

「ま〜た遠回し! ノミュラス様のそういうトコ、ボク嫌〜い」

「好かれたくありません」


ルティエは豚同士のやり取りが一段落するのを見計らい「そろそろ帰るか」と呟いた。


「えっ、中に入らないの? 面白いモノいっぱいあるのに」

「入らない」


門の方向に歩き出した主人に――イーノは「ねぇ、主(あるじ)」と声を掛けて振り向かせる。


「これだけ聞かせて」


嫌な予感がしたノミュラスが制止する目的でイーノに視線を送るが、ルティエは許可を出す。


「言ってみろ」

「トラーンのこと、どう思ってたの?」

「……」


即答出来ない質問にルティエが押し黙る中、イーノは重ねて問い掛ける。


「トラーンは『仲良くなれそうな人がいる』って本気で嬉しそうだったよ。主(あるじ)は、本当に利用してただけ?」


かつての弟に救いがあったのか、ないのか。イーノは本人の代わりに聞き届けようとしていた。


「イーノくん」と窘(たしな)めるように呼ぶ豚の思いに反し、ルティエは「いや、良い。答える」と言った後――一(ひと)呼吸置く。


「……最初はその利用価値しか見ていなかった。だが……話して中身を知る内に、友人になれるかも知れないとは思った」


木と空の間に視線を送り「過ぎた話だ」と呟く主(あるじ)を、2頭の豚は全く別の表情で見つめていた。


「えー……友達止まりぃ?」

「回答が不足だったか?」

「いや、まぁ……誰だって最初はそうだもんねぇ。うん。2か月ちょい……? 報われたっちゃ報われたか……」


ブツブツと一人で喋った後、「じゃあさ……」と、彼にしては控えめな調子で尋ねる。


「今のトラーンとは仲良くなれない?」

「私にとって、豚は豚だ」

「そっかぁ」


イーノも空を見上げてから、主(あるじ)の顔をチラリと見る。少しだけ哀しげに見えるその表情に、救いはあったのだと知れた。


「豚として可愛がってあげてね」

「言われなくてもそうする」



◇◇◇


翌朝。


「ノミュラス様ぁ。ここ無駄に複雑だから直してみたよ」

「イマドキの回路ですね。確かに効率は良いんでしょうが、元の式だと副次的な効果が生まれるじゃないですか」

「ん? んん?……あー、そういうこと! これ、計算して編んでたの?」

「最初に見つけたのは偶然でしたけど、この魔法なら使えるかと思って組み込みました」

「つまり計算ってことじゃん。怖〜」


当たり前のように居座るイーノと――初めは無視していたが、いつの間にか応対させられているノミュラスの横を、寝起きのルティエが通る。


「どうして朝っぱらから魔法なんて作っているんだ」

「タキアくんにお礼と」

「お詫びを!」


目に映る関係性の割には仲良く答える豚2頭に「なるほどな」と頷いてから、ルティエは洗面所に向かった。


「ボクたちが監修したって言ったら、どれだけの値が付くかなぁ」

「相場で言ったら金貨100枚くらいじゃないですか。売りませんけど」

「こっそりノミュラス様のサイン入れておこうよ」

「入れません」

「じゃあボクが代わりに書いておくよ。見本ちょうだい?」

「偽造じゃないですか」


いたずらっぽく笑った後、イーノは頬杖をついて物憂げな表情に変わる。


「あー、ボクも魔導書が売れればなぁ。万年金欠から解放されるのに」


給料日まで、あと半月だった。


「法律か何かで縛りがあるんでしたっけ」

「あるある。名前を出すと国の物として売らなくちゃいけなくなるから、ボクの物として売りたいなら大臣辞めなきゃなんなくなる」


「辞めれば良いんじゃないですか」と、ノミュラスはペンを走らせながら無責任に言い放った。


「“魔法大臣”って、信頼の担保だから。野良のボクとか猛獣でしょ。国としてもボクを手元に置いておきたいしぃ、ボクも安定したお給料と肩書が欲しいしぃ、イイこと尽くめの関係なんだよぉ」

「その辺の自己分析は出来てたんですね」

「何年“天才魔導士”やってると思ってるの〜?」


「あ、そこ間違えてる」「分かってますよ」というやり取りの後、ノミュラスは真新しい紙を取り出して言う。


「イーノくんは良くも悪くも人懐っこいから、化け物扱いまではされないんじゃないですか」

「あ〜。やっぱり性格は大事だよねぇ。ボクは元々こういう性格だけど、違ったとしてもこういう風に振る舞ってたと思うな〜。ボクたちみたいのが取っ付きにくいキャラだと、本当の化け物扱いされて終わりじゃん?」

「……」


ノミュラスは一瞬手を止めて、また動き出した。


「アハハ、覚えがあるみたい。ノミュラス様、世渡り下手そうだもんね〜」

「そんなことありませんけど。私ほど世渡りが得意な人間もそう居ませんよ」

「世渡り上手は山に結界張って籠もらないよ」

「ワハハ、違いないな」


外野から話を聞いていたルティエが笑いながら二人に近寄り――豚が空けた席に座り、足を組む。


「ところでイーノ。そろそろ内務大臣に接触しようと思うのだが」

「それなら大臣(ボク)が行けば会えると思うよ!」

「なんだ、呆気ないな」

「ボクは頻繁に遊びに行ってて仲が良いから怪しまれないと思うけど、他の人じゃ怪しまれるかもね。いっつも『用もなく会いに来るのはやめてください』って言われるし」

「特に仲良くないじゃないか」


「大丈夫大丈夫」という言葉を半分だけ信じ、「いざとなったら他の閣僚を使うか」と考えるルティエは、足を組み替える。


「手段を確保出来たとなると、次は攻略法だな」


豚によると――『愛妻家』『息子が19歳』以上の個人情報が集まらなかったので、危険を承知で子供に近付いてみたものの、家でも徹底した秘密主義を貫いているらしく新情報は得られなかったという。「息子さん、軍人なんですね。好青年でしたよ」という、どうでも良い情報だけは得られた。


「イーノ。内務大臣だが、魔法は使えるのか?」

「使えはするだろうけど、得意じゃないと思うよ。主(あるじ)ほどじゃないにしても、魔力量が少ないから」

「そうか。その辺りの警戒は必要なさそうだな」


(妻子持ち……魔法は不得手……)


「情報不足感は否めないが、予定通りあ(・)の(・)手(・)で行くか」

「数はどうします?」

「多すぎても良くないからな。最少で3、最大でも8だ」

「了解しました」


蚊帳の外に放り出されたイーノがムッとした表情で割り込む。


「二人だけで通じ合ってないで、ボクにも教えてよ〜!」

「ならイーノ、精神魔法は使えるか?」

「あ、それはパス。ボク、ああいう狡(こす)い魔法は基本的に使わない主義なの。精神魔法を使う人間って、大体ひねくれてて陰険じゃん?」

「陰険で悪かったな」

「主(あるじ)は別だよぉ♡」


媚びへつらうイーノの横で、ノミュラスが上着を羽織る。


「もう動くのか?」

「はい。丁度外に出る用があったので、ついでに働いてきます」

「いってらっしゃ~い。気を付けてねぇ」


ノミュラスは厳しい目をして、イーノが振っている手を掴んだ。


「貴方も私と一緒に出るんですよ。魔法省、内務省の近くでしょう」

「ヤダァ〜ッ! 働きたくないぃっ!」

「働かなくて良いから出ていってください」


イーノは引き摺られるようにして連れ出された。



◇◇◇


宿に一人になったルティエは、外務省の制服に着替え、図書館まで足を運んでいた。


予想を裏切らず「ご主人さまぁ♡」と近寄って来たトラーンに「公の場でその呼び方はやめろ」と囁く。


「今日は何を読んでいるんだ」

「地質調査の報告書を、古地図と照らし合わせています。採取地を選定するのに、自分なりの基準で判断したいので……」

「仕事か。私に構わず続けろ」

「はいっ」


トラーンが机に向かうと、図書館が静けさを取り戻す。ルティエは本を借りて読むこともせずに――黙々と仕事をする様子を眺めていた。



◇


「――僕に何のご用ですか?」


十数分して――仕事を終えたトラーンは、姿勢を正して主(あるじ)と目を合わせた。


「顔を見にきただけだ。仕事はもう良いのか?」

「まだ残っています。昨日の分が溜まっていて……」


トラーンの視線の先――机に2つあった書類の山の片方が未処理の案件だったらしい。


「そういえば昨日は半日休んだと言っていたな。では、そろそろ退散するか」

「あ、業務時間中には終わる量ですので、お気になさらないでください!」


「何か本を見繕いましょうか?」と、ぎこちない動きで立ち上がろうとするトラーンを止めたルティエは、その甲斐甲斐しい言動の数々に「クズ豚なんかと違って、基本の人格は元と大きく変わらないんだな」と思い――つい、願いにも似た問いを溢す。


「――初めて会った頃の人格には戻れないのか?」


唐突にされた意図不明の質問に首を傾げたトラーンは――暫く待っても主人から反応が返ってこないので「ご主人さま?」と、声に出さずに唇を動かした。


「……いや、忘れろ。邪魔したな」


ルティエは振り返らずに図書館を後にした。



◇◇◇


「お疲れ様です。ルティエさん」

「お待たせ」


外務省の玄関口にやって来たルティエは、事務員のケンティカと合流する。予てから約束していたものの、中々予定が合わなかった『一緒にランチ』の履行日だった。


「近くに安くて美味しいご飯屋さんがあるんです」

「へぇ〜楽しみ」

「……あれ。何でしょうか」


いつもは職員が行き交うだけの通りに、人だかりが出来ていた。中心の光景を目にしたケンティカは、一目散に人の群れへと突っ込んでいく。ルティエもその後を追った。


「どうされました?」

「迷子らしいんだけど、外国の子で何を言っているか分からなくて困ってるんだよ」


大人たちの視線の先でさめざめと泣く少女は、黒い髪をしていた。恐らく北東のワヤーニュ人だろう。


「そういうことでしたか。えーと――」


屈んで目線を合わせたケンティカが聞き慣れない言葉で話しかける度に、子供は震える声で応じた。


「商人のお母さんと市場に行く途中にはぐれたそうです」


異国の少女と意思を疎通させたケンティカに、周囲から小さな歓声が上がる。


「ルティエさん。ご飯屋さんなんですが……市場方面で探し直しませんか?」



◇


少女を無事に母親の元に送り届けた2人は、市場地区におけるケンティカおすすめの店に向けて歩いていた。


「お礼を沢山頂いちゃいましたね。ルティエさんも宜しければどうぞ」

「私は何もしてないから良いよ」


ケンティカは貰った袋を2つほど「付き合って頂いたんですから!」と押し付けた。ルティエは礼を言い、さきほどの流暢なワヤーニュ語会話を思い出す。


「ケンティカって王国語以外にどんな言語を使えるの?」

「生まれた地域の……今では年配の方しか使わない言葉と、日常会話程度でしたらハニノ語とワヤーニュ語が使えます」

「凄いね」


王国は占領した土地で王国語の使用を強制する上、他国との外交でも王国語しか使用しない。昔からどの国でも上流階級や商人の間で王国語は嗜みだった。


「いえいえ、私なんて……。下手の横好きです」

「どうして複数の言語を習得したの?」


王国が全盛を極める今だ。王国語以外の言語を覚えようとする人間は少ない。

ケンティカは恥ずかしそうに微笑んで言う。


「実は私、外交官になるのが夢だったんです」


声のトーンが決して明るくない原因は、その過去形とケンティカが事務員である事実だろう。予測すると同時に、ルティエは先ほどの母娘に対する彼女の笑顔を思い返していた。


「ご存知かも知れませんが、外交官になる資格を有するのは王国民のみです。私の出身地は王国に併合されて50年程度ですので、私は準国民という扱いでして」


「上京してから知るなんて馬鹿ですよね」「せめて外交部で働ければと秘書に応募して……結果はご存知の通り」「今の上司に誘われて事務員として採用された後も、語学学習を続けたり……未練がましいですよね」と返答の間を与えることなく続けるケンティカは、徐々にルティエから視線を反らしていった。


「……それにしたって、王国の外交官は王国語しか使わないと思ったけど」

「言葉は心を通じ合わせるための道具ですから」


再びルティエを見るケンティカの目に力がこもった。


「外交の本質は『相互理解』のはずです。その土地の言語を使うことが他国の方と平和的に交渉するための一番の近道だと、私は信じています」

「ケンティカみたいな人に外務大臣になって欲しいな」


自然と口から出た言葉に、ルティエは心地よくなる。ケンティカが外交官を志した理由は、聞かずとも清く尊い。そんな人間が王都で働いてるというのは、それだけで心の支えになるらしい。――かつてトラーンと話した時にも覚えがある感覚だった。


「へっ! え!? そ、そんな一介の事務員が外交を語る時点でおかしいんですから、だ……大臣だなんて……面白い冗談ですね! ルティエさんも、もっと笑ってください、あはははは」

「あの女の子を助けたケンティカを見て、本気でそう思ったんだよ」

「いえいえいえ! 今回はたまたま、たまたま上手くいっただけです!」


顔を真っ赤にして否定していたケンティカは――やがて口を閉じ、ワヤーニュ商人から受け取った袋の持ち手を握りしめた。


「けど……そう言って頂けて嬉しいです。外交官にはなれなかったけれど、こうして人と人を繋ぐことは出来るのだから、今までの努力は無駄ではなかったと思えます」

「なれるよ」


ケンティカは慰めだと受け取ったが、それにしてはルティエの目は真剣だった。


「ふふ、ルティエさんに言われると叶いそうな気持ちになるから不思議です」



◇◇◇


「お帰り」

「主(あるじ)も出掛けられたんですか?」

「うん。これお土産」

「わぁ、干し柿ですね。子供の頃よく食べました。懐かしいです」

「そんな昔からある名物なんだ」


宿に戻った豚は、外務省の制服に着替えていた主人を不思議に思ったが、詳しい行き先までは聞かなかった。

ケンティカから貰った北東土産をつまみながら、ルティエは尋ねる。


「イーノは大人しく仕事に行ったの?」

「最後まで渋っていたので、強引に庁舎の結界内に押し込んだら、すぐ職員に捕まっていました」


「魔法省の皆さんは優秀ですね」と言って、豚は荷物を片付ける。


「準備、いつ頃終わりそう?」

「3日あれば充分かと」

「じゃあ3日後、内務大臣のところに行こう」


服従魔法の行使期限という意味での猶予はあるが――内務大臣に勘付かれているというのが本当なら、こちらを捕捉される前に籠絡しておきたかった。


「いよいよ大詰めですね」

「そうだね」

「こ〜んば〜んは〜!」


真面目な空気を破壊する脳天気な声に、二人は頭を抱えた。


「イーノ……お前は頻繁に来すぎだ。近所の人間が怪しんでいるだろう」

「この宿、魔法省(ウチ)の子いるでしょ? だったら不自然じゃなくない?」

「庶務係の家に、大臣が何の用があると言うんだ」


自由すぎる駄豚(イーノ)に嫌気が差してきたルティエは――ようやく重い腰を上げる。


「……面倒だから先延ばしにしたかったが、一度躾ける必要があるな」


ノミュラスは壁にかかっていた袋をひっくり返し、中身を机の上に広げた。「拘束しろ」の号令で、机の上の――拘束具がイーノに取り付けられていく。


「えっ、何これ、えっ? えっ?」


瞬く間に、全ての動きを制限されたイーノは、床の上で焦りながら可動部を探っていた。


「豚、遠出して夕飯を買って来い。その間に済ませる」

「了解しました」


豚が部屋から出るのと同時に――ルティエは靴を脱ぎ、爪先でイーノの脚の間を焦らすように撫でる。


「ふぁっ!? あっ、何、主(あるじ)、ちょ……っ、スゴッ!? でもヤダヤダァ! こんなの楽しくない! 反省するからフツーにシようよ! これ解いてよぉ!」


♡


「はっ……もっ、無理ぃ♡ 分かった、分かったから……もうやめ……お゛っ♡」


「え゛っ! そんなの無理っ、ムリムリ! 入らない゛ってぇっ! 謝るっ、謝るからっ、許してぇ!」


「ごっ、ごめんなさい゛ぃい゛ぃっ♡ ぼ……お゛ぉっ♡ ボクは、あ゛っ、主(あるじ)の、忠実な豚ですゔうぅゔぅっ♡」



◇


「イーノくんが代わりにお湯を作ってくれたんですね」


風呂場から出て来た姿を見て言った豚に、ルティエは「もう帰らせたよ」と返す。寝床に近付いた豚は、ベッドの上に散らばる使用済の道具を凝視した。


「こんなに使ったんですか……」

「それ、片付けておいて」


髪を拭きながら命令したルティエは、豚が戦慄(わなな)いているのに気付いて訝しむ。


「豚?」

「……っ、ズルいです……何で日々尽くしている私へのご褒美より、駄豚(だとん)のイーノくんへのお仕置きの方が豪華なんですか!?」

「えぇ……」

「だいたい面倒な豚って何です!? 私は主(あるじ)のお手を煩わせない範囲でワガママを言っています! あんなのと一緒にしないでください!」


豚の面倒臭さ(ストレス)が爆発した結果――ルティエは着替えた後だったにも関わらず、ご褒美だかお仕置きだか分からない行為に付き合わされた。あと、イーノは3日後まで会いに来なかった。



◇◇◇


「内務大臣〜来たよ〜!」


予定通りの日――ルティエとノミュラスはイーノの手引きで大臣室の扉を叩き「どうぞ」という声に従い中に入った。


「ご機嫌よう、魔法大臣。……そちらの方々は」

「ボクの主(あるじ)と師匠!」

「弟子にした覚えがないのですが……」

「既成事実を作っておこうと思って」


内務大臣の席に座る――ホージュ・シュラナムは、入室した3人を順番に眺め、大げさに目を見開く。


「ひょっとして、私が最後の一人ですか?」

「察しが良いな」

「はぁ……困りましたね」


イーノの話通り――状況を把握しているらしい内務大臣は、耳に髪を掛けながら溜め息を吐く。その仕草に、ルティエは、“色気がある”とはこういう人間を指して言うのだろうと思った。


「公表してる肖像、偽物じゃなかったんだな」

「私も実在する人物ですので」

「王族の縁戚というから、もしかしたら銀髪なんじゃないかと思っていた」


ルティエが過去の憶測の一つを何気なく口にすると、机の向こうの男は微笑む。


「それはそうです。王の姻族というだけですから」

「豚に雰囲気が似ているから、血の繋がりがあると言われても信じるが」


「似てますかぁ?」と何故か不満げな豚を見た内務大臣が――


「ありませんねぇ。あったら嬉しかったのですが。魔法が得意ではないので苦労してきました」


と返したので、ルティエとノミュラスに緊張が走る。


「私のことをご存知ですか」

「ええ。貴男(あなた)が襲撃した件を歴史から葬り去ったのは、私の祖父と父ですので。銀髪に隠した目……初代王妃の兄君ですね。どうです? 久し振りの我が国は」

「王が変わっても、やっていることは相変わらずですね。停滞は腐敗に繋がりますよ」


捻りのない皮肉に「貴重なご意見痛み入ります」と口を押さえて笑う。


「一族ぐるみで隠蔽してきたのか」

「そうなりますね」


歴代の内務大臣は――今の内務大臣から見て、祖父、父、義父……一族で持ち回ってきたとしか思えない。


「家業が決まっているというのは羨ましいことだな」

「家業? 大臣職のことですか?」

「随分と順風満帆な役人人生だったようじゃないか」


調べた経歴を解釈しての感想に、内務大臣は微かに眉をひそめた。


「順調に出世しているように見えましたか? 泥水を啜ってきましたよ。どうしても内務大臣になる必要があったので」

「……実質的な世襲じゃないのか」

「世襲(それ)なら良かったのですが、変に政治性があるせいで大変でした」


そう言って、悩ましげに目を伏せて語り始める。


「魔法が得意なら別のやり方もあったのでしょうが、父を早くに亡くした私に使えるのは身体だけだったので――要職の人間、その奥方、政敵……必要とあらば誰彼構わず関係を持ってきました」

「……」

「想像がつきませんか? オジさん、これでも昔は美人で有名だったんですよ」


過去の出来事とはいえ――父親ほどの年齢の男から色仕掛けで成り上がった話を聞かされ、ルティエは不快感を顕わにするが、内務大臣はニコリと笑って続ける。


「特に副大臣になる時は、まだ若いと言うので内務省内の有力者を懐柔するのが大変でした。当時の内務大臣――義父の推薦を得て事なきを得ましたけど」

「……」

「妻より義父と寝た回数の方が多いくらいですよ」

「聞きたくないのが分かっていて続けるな。底意地が悪い」

「失礼しました。つい懐かしくなってしまって。当時を知る人間は誰一人としてこの世に残っていないので……」


消した……消す力があると言いたいらしい。言葉の節々から感じる棘に、「食えない男だ」とルティエは思う。


「今更ですが、お嬢さんが何者かを伺っても宜しいですか?」

「……カドゥリエ王国の王女と言えば伝わるか」

「ああ!」


内務大臣が急に大声を出したので、とっくに話に飽きて上の空になっていたイーノが肩を跳ねさせた。


「なるほど、そうでしたか。お父君には私もお会いしたことがあります。王とは斯くあるべし、といった立派な方でしたね。

国も安定していて、良い治世だったと聞き及んでいました」

「貴殿らの国に殺されたし、滅ぼされたがな」


――目の前の男が内務大臣の座に就き、実質的な権力を保持している間の出来事だ。外務大臣同様、直接の仇と言って差し支えない。


「土地土地の支配者を殺す捕える追放する等の裁量は、外務省に任せてありましたので。その件は省内でも問題になったようですよ。一番はガディールさん……現外務大臣が父君の人脈を使い、軍の一部を無断で運用したことでしたが」


必要もないのに明かされる情報に、ルティエは苦い顔をした。


「一応、私も事後に調書を取ったのですが『王族揃って脳内お花畑なのを見ていて、ぶっ壊してやりたくなった』と仰っていましたね」

「教えてくれてありがとう。過去に戻ることがあれば、皆に悲観的な発言をするよう助言しておく」

「ええ、是非。それと、結果は出してくれそうなので外交官だった彼を大臣にまで引き立てたのは私なんです」


空気を読まずに吹き出したイーノが「内務大臣メッチャ煽るじゃん」と腹を抱える中、ルティエは微動だにせず問い掛ける。


「で? 私の嫌悪感を助長する目的は何だ?」

「そんなつもりはなかったのですが、お気に触ったのなら謝罪致します」


「――王に目を向けさせたくないんでしょうね」


豚が静かに言うが、ルティエも同意見だった。――自身を嫌悪させることで、王を庇う。そういった思惑を感じる。


「そもそも王……本当に生きて存在しているのか? 貴殿が王なんじゃないのか?」

「いらっしゃいますよ」

「……」


眼鏡の奥の瞳は、初めて会った瞬間から一度も揺らいでいない。


――真偽の程が分からない。


そんなルティエの考えを先回りして、内務大臣は提案を持ちかける。


「何もかも信用出来ないでしょうから、精神魔法を使って頂いて結構ですよ」


ルティエが言葉を返そうとするのに、内務大臣は人差し指を口に当てて見せた。


「ただ、お願いがあります。――貴女がたが成そうとしていることを黙認します。必要な質問にも答えます。ですが――私を直接関わらせないと約束してください」


初めて笑顔が消えた表情の凄みに、ルティエは思わず息を呑む。


「……断ったらどうする?」

「自爆します」


いつの間にか開いていた引き出しの中――再び笑みを湛えた内務大臣は、魔法装置に手のひらを乗せていた。


「内容が見えるか」

「嘘ではありませんね。彼どころか庁舎ごと木っ端微塵です。正気とは思えません」

「マジだね。どんな状況を想定してこんなの用意してたの? 内務大臣イッカれてる〜」


二人の魔導士が口を揃えるので、間違いなく危険な代物らしい。


「約束、どうされます?」

「……してやる」


――脅し返されたのは不快だがやむを得ない。


「助かります。それと、質問が。――王を討つ、おつもりですか?」

「絶対に殺さない。同じ場所まで堕ちたりするものか」

「それを聞いて安心しました」


ルティエが淀みなく答えるのを聞いて、内務大臣は装置から手を下ろし、引き出しの中にあった鍵を机に置いた。


「何だ、これは」

「拷問部屋の鍵です。地下にあるんですよ、そういった器具の揃っている部屋」

「……」

「精神魔法、私は精神力が人よりも強いらしくて掛かりにくいんです。だから必要かと思いまして」

「何を言い出すんだ貴殿は」


色仕掛けの件から、王への思い入れ、精神魔法を掛けられた経験――精神力を削ぐための拷問を自ら勧めてくる感性――内務大臣に関する情報が急になだれ込み、ルティエは目眩がしそうになっていた。


「内務大臣〜。主(あるじ)の拷問って、痛いやつじゃなくてエッチなやつだよ」

「快楽ですか。お優しいんですね」

「優しいかなぁ……?」


イーノは自身の受けた仕打ちを思い、「優しくはないな」と結論付けた。


「貴男(あなた)ほどの魔導士が掛けられるだなんて、さぞや強力な魔法なんでしょうね」

「うん! 主(あるじ)も内務大臣並に魔力量が少ないのに、制約で効果を何十倍にも増幅させてて超強烈なんだぁ!」

「それは凄いですね。私にもご教示頂きたいです。ちなみに、制約の内容は教えて頂けますか?」


豚に視線を送ると「問題はないと思います」と答えたので、ルティエは服従魔法の制約――『18歳の誕生日から半年間という行使期限』『自らの手で対象の尊厳を奪い屈服させること』を知らせる。


「え?」とイーノが何か言いたそうにしたが、ノミュラスが黙るよう目配せした。


「尊厳……。やはり心を折るのに快楽でなければいけないという決まりはないのですね。オジさんの乱れる姿なんて見たくないでしょうし、普通の拷問がオススメなんですが……」

「生憎、こちらは“オジさん”どころか“ジイさん”の見るに堪えない痴態に慣れている。気遣いは無用だ」


豚が「んんっ♡」と興奮した様子で唸った。


「とは言え、経験者とは予想外だったな。まぁ……最悪、爪を剥ぐか歯を抜くかすれば良いんだろう」


本で読んだだけの拷問方法を思い浮かべるルティエは――痛みや恐怖だけで人間が屈服するのか疑問だし、するにしても時間が掛かりそうで面倒だと思っていた。


「最初からそちらで宜しいですよ」

「私に意見するな」


暴力による拷問に誘導しようとしてくる意図が不明だが、読み合いにキリがないと判断したルティエは計画を決行することにした。


「部屋は借りる。豚、準備は良いな」


「はい」と返事するノミュラスの横――「ボクは帰って良いんだよね?」と聞くイーノは、主人が頷くのを確認して雑に敬礼する。


「じゃあお先に失礼しまーっす。内務大臣、頑張ってね〜」

「ありがとうございます。気を付けてお帰りください」



◇◇◇


内務大臣の案内で、ルティエと豚は隠し通路じみた場所を進んでいた。


「子供が貴女と同じくらいの年頃なんですよ」

「そうらしいな」

「はぁ……一児の父として情けなくて泣けてきます」

「……」


振られる世間話の内容とは真逆で、移動中一度も微笑みを絶やさない様子にルティエは呆れ果てる。無益な会話を続けていくと、地下に金属製の扉が現れた。


「ここです」


鍵で開けた先は――薄暗く、ほのかに饐えた臭いのする、絵に書いたような拷問部屋だった。


「久し振りなので優しくしてください」

「する訳ないだろう」


内務大臣の要望を即座に打ち消したルティエは、次いで豚に指示を出す。


「豚。イーノに使わなかった媚薬、持ってきているな。分量は加減しなくて良い。転送魔法で体内に直接流し込め」

「力業ですね」



◇◇◇


「はっ……はっ、あっ……」


高濃度の媚薬が全身に回り――息を荒くしていた内務大臣は、ルティエの視線に気付き、喘ぐように話し掛ける。


「……っ、この薬、凄いですね。私もここまでの物は……初めてです」

「何もしなくても気が狂いそうだろうに、お喋りとは気丈だな」


苦しげに喘ぎながら、その目だけが妙に凪いでいる。ルティエは小さな違和感を覚えつつ、握ったり開いたりした手を見つめて魔法を発動した。


――『思考拘束(バインディングソート)』


豚曰く「熟練度が上がったことにより長時間の発動が可能になった」らしいので、責めの内容に向いていることもあり、試すことにしたのだった。――再びこの魔法を使う機会があるのかは知れないが。


「それが……っ、貴女の、魔法っ、ですか? 素敵な名前……っ……ですね」

「そうか? 豚が付けた名前だから気に入ってはいないんだが」


この場に居ないはずの豚の「決める時に散々確認したじゃないですか!」と叫ぶ声が聞こえた気がした。


「ところで、彼は……どちらへっ、行かれたんですか……?」

「内務省の関係者で、男との行為に抵抗のないゲスを集めさせた」

「ああ、なるほど……それはっ……困りましたねぇ」


困ったと言う割に、声は最後まで取り乱さなかった。

ルティエは布の袋を内務大臣の頭からすっぽりと被せ、両手を頭上で縛り上げる。

顔を覆われ、肢体を晒して立ち尽くす姿からは、もう表情を窺うことは叶わない。

やがて部屋の外に男たちが集まり始めた。

声を上げれば素性が知れる――その一点だけは守ろうとしているように見えた。


途切れ途切れの嬌声と、下卑た笑い声が続く。

傍から見れば、一人の高官が立場を失う恐怖の中で尊厳を削られていく時間だった。

“メス”として扱われる度、赤い光は確かに増えていき――服従魔法は滞りなく成立へ向かっていた。


だが――ルティエには、どうしても違和感が拭えなかった。


確かに、シュラナムには失う物が多すぎる。ただ、その“多すぎる物”を布一枚を隔てた向こうで、どれほど惜しんでいるのかは分からない。しかし少なくとも、この男がたった一人のために生きてきた人間だということだけは分かっている。

そんな男が、本当に屈したのだろうか。


――赤い光がどれだけ集まっても、ルティエの中に「堕とした」という手応えだけは、とうとう生まれてこなかった。



♥


――3時間後。


ボロ雑巾のように床へ横たえられた内務大臣の傍らで、最後の一人が「お疲れさん」と袋越しに頭を撫で、簡単に身支度をして出ていった。


「仕上げをするか」


ルティエが布袋の拘束を外し、肩で息をする内務大臣へ魔法を発動し直す。が、何も変化が起きない。屈服は、とうに成立していたらしい。


「何だ、暫く光が発生しないと思ったら……それならそうと言え」

「言え……ま……せん……っよ……♡」


薄汚れた身体、涙の滲んだ目で訴える。それでも口元だけは微かに笑っている気がして――ルティエは、見なかったことにした。



◇◇◇


「ご機嫌よう。ルティエさん」


内務大臣(シュラナム)を籠絡してから3日。ルティエは一人で内務省を訪問していた。


「元気そうだな。文部大臣(トラーン)は豚になった日から1週間経っても体調が戻らなかったらしいぞ」

「私だって未だに身体が痛いですよ。もう年なので」

「充分若いだろう。本当に神の血が流れていないのなら化け物だ」

「そんなに褒めても何も出ませんよ」


口に手を当てて笑う内務大臣の顔色は、先日と全く変わりない。


「秘術でも使っているんじゃないか」

「適度な運動と睡眠時間は確保するようにしています」

「秘訣は聞いていない」


そこまで言って、ルティエはハッとした。


「そんな話をしに来た訳じゃない。どうも貴殿の顔を見ていると調子が狂うな」

「よく言われます」


豚なのに「貴殿」と呼ばされてしまうところも、本領発揮といった様子だった。


応接用のソファーに腰掛けたルティエを見て、内務大臣はその正面の席に移動しながら尋ねる。


「王に会う方法を聞きに来たのでは?」

「それもあるが……少し世間話でもしようと思ってな」

「そんなことを言って、質問攻めにする気でしょう」


ルティエは鼻で笑ってから再び口を開く。


「銀髪の王族……もうほとんど残っていないんだろう? 豚が系図は嘘だらけだと言っていた。なのに街を歩けば「銀髪といったら王族」……どんな印象操作をしたらそうなるんだ」

「姿を見せていた頃の王やイマト様の印象が強いですから。若い人はそうでもなかったでしょう?」


確かに豚の髪色に反応するのは四十代より上の人間が多かった。


「なるほどな……イマトと言うのがよく分からないが」

「王族ではないのですが銀髪の――例の件の生き残りで、長らく王宮の護衛を担っていた方です。王が変わった後は付き添って表に出られていて、未だに王族だと勘違いされている方が多いんですよね」


銀髪、護衛という単語や、王族と勘違いという表現から、ルティエは前にトラーンやイーノから聞いた話を思い出す。


「トラーンやイーノの曽祖父か。話に出てくる機会が多いな」

「太陽のような方でしたから。亡くなった後も存在感は健在ですね」


当人を思い出してクスクス笑う内務大臣に――ルティエは「話は変わるが」と前置きして、現時点で一番大きな疑問をぶつける。


「結局、私たちの行動を見逃していた理由は何だったんだ?」

「貴女の成そうとすることを、私も支持したからですよ」

「……国を落とすことをか?」

「侵(・)略(・)を止(と)めること、です」


内務大臣の口からスラスラと出てくる回答に、ルティエの理解が追いつかない。


「……そんなもの、貴殿が進言して止めれば良かっただろう」


――身を挺して王を守ろうとするくらいだから、強い忠誠心があるものだとばかり思っていたが、言っている内容は真逆だ。


疑問を解消しようとして、生まれたよ(・)り(・)大きな疑問に困惑するルティエに――内務大臣は眉を寄せ、おそらく本心を打ち明ける。


「――あの方には、もう私しかいないから。裏切られたなんて感じさせてしまったら、可哀想じゃないですか」

「……直接関わらせないでくれ、なんて感傷的な要求をしてきた理由もそれか」


目を伏せて頷く内務大臣を見ながら――親戚、古くからの知り合いというだけでは片付けられない絆があるのだろうと、ようやくルティエは理解出来る気がした。


「私は王の為に生きています。王の望むままに在ります。そして、大陸を制することが王の為になるとは思っていません」


「これだけ荒らしておいて言うか」という指摘に「手厳しいですね」と可笑しそうにした後、内務大臣は至って真面目な声色に変えて言う。


「成し遂げた先に、望んでいたものがなかったら、絶望してしまうでしょう。私はあの方には最期まで幸せでいて欲しい。願わくば、あの方に相応しい幸せを見つけて欲しい」


自分の目を見て――他にいる主人を思うかのように語るその人を、ルティエは見つめ返す。


「そんなに王が大切か」

「はい。何よりも大切です」


迷いのない即答に、ルティエは一瞬言葉に詰まる。――豚が時折自分に見せる顔と、いよいよ被ったから。


「そこまで言い切られてしまうと、いよいよ貴殿を堕とした気がしないな」

「ルティエさんのことも同じくらいお慕い申し上げておりますよ」

「そういうことにしておく」


ルティエはフッと笑って足を組んだ。


「さぁ、王の居場所を教えろ」



◇◇◇


一旦宿に戻って来た主人の支度が済んだらしいので、豚は「もう行かれるんですか」と声を掛けた。


「王宮の結界、3時間しか解除させてないんだ」

「3時間も開けておくとなると不用心ですね。ついでに警護して差し上げましょうか」

「豚は宿(ここ)で待ってて」


当然のように付いていくものと思い込んでいた豚は、荷物に伸ばした手を下ろし、驚愕の表情で主人を見つめる。


「王宮には一人で行く。それで――王に会って、国を明け渡すよう説得してくる」

「何故ですか」

「これは私の復讐だから」


ルティエの真っ直ぐな瞳の中に『納得出来ない』と顔に書いてあるノミュラスが映っていた。故に彼女は“理由”の続きを語る。


「私、祖国を取り戻すためには、そうするしかないから――王国を、王国民を引き受けようと思ってた。でもね、私が作りたい国には、王国の人間が必要だったの。……嫌いじゃなくなっちゃったの」


トラーンが語った、誰もが望む教育を受けられる国。ケンティカの言う、心を通じ合わせる外交。魔法に憧れるタキア……王都の人々の、ただの一日。――それらはいつの間にか、ルティエに「国を取り戻した後」を具体的に考えさせるようになっていた。壊した先ではなく、続いていく国のことを。


「王は、きっと私と同じ。何か理想があって、その為にこの国を動かしてる。もしも私が魔法で、暴力でこの国を奪ったら、今度は私が――かつての“王側”になるだけ」


――あの吹雪の日に誓った事を、ルティエはもう一度、自分の声でなぞった。


「そんなのは、私で終わらせる」


――綺麗事だと、ノミュラスは思った。血を流さない復讐、それは当人の血を流さない前提の上に成り立つ。その前提が崩れれば、ただの愚行だ。


「……無謀です。魔法が使えるであろう相手に、丸腰で立ち向かうだなんて、考えられません」


ノミュラスは、かつて遭遇した甥姪の力量を思って忠告した。――が、ルティエはまた、理由を重ねる。


「だから、連れて行けない。少しでも上手く行かなかったら、私は豚を頼ってしまうから」


その一言で、ノミュラスは理解してしまった。


かつて自分が妹を喪うに至った過去。主(あるじ)が断ち切ろうとしている、悲しみが悲しみを呼んだ連鎖の極み。主(あるじ)は、間違っても私にそれを繰り返させたくないのだ。


「……」


彼女の言う理屈は全て理解した。彼女の人生に必要な選択であることも。


だが、師として父として豚として――


「頷けませんよ」


厳しい顔つきのノミュラスに、ルティエは宥めるような調子で言う。


「豚が言いたいことは分かるよ。こんな賭けみたいな真似、最後にすることじゃないよね。でも――私は行くの。行かなくちゃいけないの」

「……死ぬかもしれないんですよ」

「それも、“私の”復讐の結末」


俯いていたノミュラスが、弾かれたように顔を上げた。しかし、何か言い返そうとしても、言葉が出てこない。論理で止められる段階は、とうに過ぎていた。


「……私を、買い被りすぎです」


絞り出した一言は、聞こえないフリをされた。


「豚、ここまで付き合ってくれてありがとう。行ってくるね」


豚になってから最も難しい命令を受けたノミュラスは、一言も発さないまま宿の外まで主人を見送る。

一度だけ笑顔を見せて、振り返らないまま遠ざかっていくその背中を、豚はいつまでも見つめていた。



◇◇◇


「お前はいつでも図書館(ここ)にいるな」


王宮へ向かう途中、ルティエは少し寄り道をした。「どうぞ!」と引かれた椅子に座って、隣に話し掛ける。


「イーノも珍しく登庁しているから、お前くらいにしか会えなかったよ」


命令を破って余計なことをする恐れがあるので、イーノに計画の実行日は知らせていなかった。


文部大臣――トラーンは「ご主人さまは」と無声で口を動かしてから聞く。


「外務大臣の秘書も務められていますよね?」

「クズ豚に会っても『この国を落としたら即解任してやる』くらいしか言うことがないからな」

「そうですか……」


主人の発言を手繰り寄せたトラーンは――今から彼女が何をしようとしているのかを理解し、引き締まった表情になる。


「トラーン。この国を落としたら……いつか聞かせてくれた話……『皆が望む教育を受けて、望む職業に就ける世界』だったか。それを私の下で実現しろ」

「はい」

「お前のことだ。聞いてはいないが、他にもやりたい事はあるんだろう? 全部叶えろ。その未来はきっと私も見たい」

「はい!」


心の底から湧き上がったであろうその笑顔を前にして、ルティエも自然と微笑む。


「じゃあ、私は行く」

「あの、僕……待ってますから!」


「ああ」と応えたルティエの、王宮に向かう足取りは軽かった。


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