第61話 妊婦は情緒不安定です
お腹がだいぶ目立つようになってきた今日この頃。
「どうしよう。やっぱりちゃんと育ってるか不安……」
私は絶賛、情緒不安定だ。
何しろ、この世界には産婆さんや治癒魔法師はいても、産婦人科はない。
当たり前だけど、エコー写真でお腹の子の成長具合なんて見られない。
お腹は大きくなってるから、育ってはいると思う。
でも、もしも五体満足に産んであげられなかったら?
妊娠してから、ちゃんと栄養バランスを考えた食事っていうのもできていない。
身近に経産婦さんもいない。
お母さんが弟を宿していたときのことは覚えてるけど、その時のお母さんの心情を聞くことはできないし、そう思うとどんどん悲しくなって、泣きたくなる。
というか、実際に泣いてる。
泣くたびに、こんな弱い人間がちゃんと母親になれるのかと、さらに不安になる。そして泣く。
こうなってしまうと、フォルがどんなに慰めて励まして、共感してくれてもだめで、最終的にはルージュさんの豊かな胸に顔を埋めてエグエグして、疲れて寝る、を繰り返している。
フォルはちょっとさみしそうだ。
たとえどんな出産になっても、生まれてくる子供も私のことも、絶対に助けてみせると、心強いことを言ってくれるんだけど、言われたその時は安心しても、すぐにまたエグエグしてしまうのだ。
申し訳ないけど、どうしようもない。
おかしい。
数少ない知り合いの妊婦さんたちは、みんな幸せそうだったのに。
とりあえず、そんな風に情緒不安定になってはエグエグして周りを困らせていたけど、更にお腹が大きくなる頃には少し落ち着いて、むしろ、お腹をポコポコ蹴ってくる赤ちゃんが愛おしくて仕方なくなった。
フォルも、しょっちゅう私のお腹に張り付いては、
「動いた!」
「蹴った!」
「パパだよー」
と、大騒ぎ。
最初の頃は微笑ましかったけど、流石に毎日繰り返されると、少し鬱陶しい。
だって、すきあらば張り付いてくるんだもの。
ちなみに、フォルが言うには、お腹のこの子はやはり魔力が高いらしく、まだ胎児だと言うのに、結構な魔力を保有しているらしい。
生まれる前に余りにも高魔力を保有してしまうと、私が魔力過多症になるらしいので、その辺はフォルがうまいこと赤ちゃんから魔力を吸い上げてるらしい。
単に張り付いてるだけじゃなかった。
フォル、ごめん。
とにかく、だいぶ情緒は安定したとは言うものの、初めての出産だ。不安は多い。
まもなく臨月、という頃。
夜、寝ようとしていたら、フォルが私の顔をのぞき込んで言った。
「やっと、魔法の構築に成功したんだ」
「魔法?なんの?」
「夢の中で、だけど、ラピスのお母さんと話ができるよ」
「え……お母さんと、話が?」
以前、妊娠がわかったばかりの頃に見た夢を思い出す。
あの時も、お母さんは出てきたけど、「私」と話をしたわけじゃなかった。
「世界線が変わってしまってるから、娘だとは思わないかもしれないが」
それでも。
たとえ、私が娘だとわからなくても。
「嬉しいです。ありがとう、フォル」
「ごめんな、時間かかっちまって。ホントはラピスが辛い時期に間に合わせたかったんだけど」
「ううん、いいの。ほんとにありがとう」
「おし。んじゃ、目、閉じろ」
言われたとおりに目を閉じると、いつものように瞼にキスが落とされることはなく、なにか、温かいものが目元を覆ったのが分かった。
それと同時に、意識が暗闇に沈んでいく。
どれだけ沈んだのか。
小さな光が見えて、私はそっちの方へと足を動かした。
夢の中特有の、どれだけ足を動かしても進んでいかないもどかしさはあったけれど、やがて徐々に光が大きくなって、私は光の中へとたどり着いた。
ああ。
おかあさん、と言いかけて、口をつぐむ。
そこには確かに、私の母がいた。
大きな草原の中にある、ベンチに腰を掛けて、沈み行く夕日を見ている人。
「ここ、座ってもいいですか?」
静かに、母に話しかけると、こちらを振り向いた母は、ちょっと驚いた顔をして、それから微笑んだ。
「ええ、どうぞ。ここには何回か来ているけど、他の人と会ったのは初めてだわ」
「きれいな場所ですね」
「ええ。この世のものとは思えないくらい。あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」
「……ラピス、です。ラピスラズリ」
「ラピスさん。ラピスラズリは宝石ね。いいお名前。私も息子に宝石の名前をつけているのよ」
私の弟、琥珀。
両親は、私達姉弟に、宝石の名前をつけてくれた。
それは、世界線が変わっても同じだったようだ。
「私も、お腹の子に素敵な名前をつけてあげたいです」
「名前は、親から子への初めての贈り物だというものね」
「本当は、初めての妊娠で、不安がすごくあるんです。出産も、子育ても」
「出産の痛みは、場合によって違うから、一概には言えないけれど、安全性で言えば、ちゃんと準備して臨めば、大丈夫よ。もちろん、危険も伴うけれど。でも、危険を恐れてばかりいても、赤ちゃんは産めないわよ?そうねぇ、ここばかりは、母親の頑張りどころね。でもね、動物だって、古代人だって、ちゃんとお産が出来てたのよ?命がけではあったとしても。
お産が命がけなのは変わらないし、それこそが、命をこの世に送り出すという重大な仕事なのよ。
そのかわりね」
母は、一旦言葉を切って、いたずらっぽく微笑んだ。
「苦労して産み出した赤ちゃんは、とてもかわいいわよ。おさるさんみたいだけれど、本当に愛おしいの。出産には、旦那さんも付き添うの?」
「その予定です。詳しくは言えないんですけど、絶対無事に出産させてやるって」
「あらあ、頼もしいわね。旦那さんがそこまで言うのなら、何も心配いらないわ。
それとね、子育てに関しても心配しなくていいの。
親はね、子供と一緒に育っていくのよ。悩んだり、躓いたりしながら、親になっていくの」
「そうですね。ふふ、経産婦さん、ていうか、『お母さん』と話したことがなかったから、不安だったけど、おかげですごく安心しました。ありがとうございます」
「どういたしまして。元気な赤ちゃん産んでね」
「はいっ」
それから、私たちはしばらく黙ったまま、夕焼けを見ていた。
「そういえば、地球温暖化とか騒がれてましたけど、私の暮らしているところでは、ここ何十年か寒冷化が進んでいて、原因がわからないんです」
「寒冷化……ねぇ。地球は、何万年に一度くらいの割合で氷河期が来るとか聞いたことはあるわね。あとは、最近テレビで観たんだけど、太陽の黒点がどうとか……」
太陽の黒点……!
そういえば、昔習った気がする。
黒点が減少すると、太陽エネルギーが落ちるとかなんとかで、寒冷化するんだっけか。
でも、あれも確か一時的なものだったはず。
そして、1度きりのものじゃなくて、定期的だったかは忘れたけど、過去にもあった。
アストリア界は、平面だから、自転と公転による太陽の向きうんちゃらはないとおもうけど、太陽はあるんだから、黒点が減少してるなら、寒冷期に入っていてもおかしくない。
日本では、江戸時代に100年近く続いたとかなんとか。
こっちの世界で寒冷期に入ったのは50年くらい前からだとか言ってた気がする。
それなら、もう少し粘れば。
問題は、飢饉だ。
うん、その辺は目が覚めたらフォルに相談してみよう。
「あと、何だったかしら。大噴火で大気圏まで粉塵が到達して、太陽光を遮った場合とかも、なんか、寒冷化するとか……うーん、どうだったかしら」
「充分です!すごく参考になりました!ありがとうございます。本当に」
「少しはお力になれたかしら?あら、向こうで誰か呼んでるわね」
母の言葉に、キョロキョロしてみると、遠くで誰かが手を振っていた。
「……お別れの時間みたい、です。お話しできてよかったです」
「私も、何だか娘ができたみたいで楽しかったわ」
涙が出そうになるのを、ぐっと堪える。
「またね」
「はい、また……」
次があるのかはわからない。
フォルが魔法を構築してくれたから、もしかしたらまた会えるかもしれない。
でも、その時に、今日のことを母が覚えているかはわからない。
目を閉じると、光が収束していって、段々と暗くなる。
「ラピス」
愛おしい声に、目を開ける。
「フォル」
「会えた、みたいだな」
「はい。たくさんお話できました」
もし二度と母に会えなくても、私はこの夜のことを忘れないと、心に誓った。




