第20話 師匠は萌えを知っているようです
翌日。
ベッドの中で師匠からのバックハグ状態から抜け出した私は、こっそりと自分の部屋へ戻って朝の支度をした。
少し前までは、ルージュさんがメイクとかをしてくれていたけど、ルージュさんだって朝は忙しいだろうし、自分でやることにしたのだ。
ルージュさんに昨日、そのことを伝えたら、なぜか、あらあらウフフな反応をされた。
「朝の支度でお二人の邪魔をしたら、主様に怒られてしまいますものね」
違う。
そういうことじゃない。
というか、私たちはそういう関係じゃない。
確かに、ここ二日ほど、同じベッドで眠っているけれど。
抱きしめられたりしちゃってるけれど!
とにかく、そんなわけで支度を終えて朝食の支度を手伝おうかとキッチンに行ってみたら、なんとほぼ終わっていた。
「早い、ね」
「早めに作っておけば、いつでも食べられますから」
そうだけど。
やっぱり、私役に立ってない。
でも、これは口には出せない。
昨日、言霊について聞いてしまったから、その辺りは気をつけている。
「じゃあ、運ぶくらいはするね」
「ありがとうございます。ああ、ちょうど主様も来られたようですね」
そう言われて、料理を持って食堂へ行くと、確かに師匠が定位置に座っていた。
「師匠。もう起きてるなんて、珍しいですね」
「朝から失礼なやつだな。まぁ、今日は起こされたからな」
起こされた?
もしかして、そうっと部屋を出たつもりだったけど、起こしてしまっていただろうか。
「ああ、お前じゃないから心配すんな。昔なじみだ。朝っぱらから、結界をバンバン叩いてやがる」
どうやら、結界が揺らいだり、衝撃を受けたりすると、師匠にわかるようになっているみたいだ。
「またルドルフさんですか?」
「ルドも来ているみたいだが、うるさいのはもう一人の方だ。お前は、会うの初めてだな」
そりゃそうだ。
私は、師匠以外ではルドルフさんしか知らない。
まぁ、召喚の儀に立ち会っていた人なら、会ったことがあるうちに入るのかもしれないけど。
「そろそろここに着きます?」
「いや。結界を通してないからな。朝飯くらいゆっくり食わせろってんだ」
それは確かに。
何しろ、今はまだ、割と朝早い時間なのだ。
そんな時間に訪ねてくるなんて、急用なのかもしれないと私は思ってしまうのだけど、師匠の反応を見る限りでは、そんなこともないのだろう。
「この卵料理うまいな。お前が作ったの?」
「残念ながら、ルージュさんです」
師匠が、やってしまった、みたいな顔をしている。
このパターン知ってる。
旦那さんが奥さんの手料理を褒めたつもりでいたら、買ってきたお惣菜だった時のやつ。
ルージュさん。
師匠の後ろにいるから師匠からは見えてないだろうけど、口元押さえても肩が震えてるの、私からはバッチリ見えてますから。
「えーっと、あの!」
「お、おう。どうした」
しまった。
空気を変えたくて話しかけてはみたけど、まるっきり会話の内容を考えてなかった。
しかも、無駄に大声になってしまったし。
考えろ。
絞り出せ、私。
「そう!師匠の言霊の通りになりましたね!」
やった。
私、頑張った。
自分を褒めてあげたい。
「そういや、昨日の夜そんな話したな」
師匠はもきゅもきゅと食事を続ける。
私も、もきゅもきゅとパンを食べ続ける。
会話は続かない。
いや、コミュ障過ぎでしょ、私。
ん?師匠もそうなのかな。
いや、師匠のはただのマイペースに見える。
普段。
普段はどんな話をしてたっけ。
必死に記憶を辿る私に、天使降臨。
「あるじ様。お花に、魔法ぱあってしてほしいのですよ」
アミュが、食べていたお花入りのお皿を見せる。
そう言えば、魔力を注ぐとおいしくなるんだっけか。
「ん。そうだ、ルリにやってもらうか?」
「ルリちゃ、やってくれるです?」
そんなに期待のこもったキラキラな瞳を向けられたら断れない。
「いいよー。おいしくなぁれ。萌え萌えキュン」
元の世界の喫茶店で働くメイドさんみたいなことを言ったついでに、両手でハートを作って魔力をお皿に流す。
「わあ!すごいのですよー。魔力たっぷり、甘いのですー」
「萌え萌えキュンてお前……」
わかってる。
イタイのは自分でもわかってるから、つっこまないで、師匠。
というか、萌えはわかるのかしら、師匠。
不思議そうな顔をした私に、師匠はすっ、と目を逸らした。
「お前の元の世界のことは、すべてじゃねぇがある程度は知ってる」
「へえ。やっぱり、召喚の時に調べたんですか?」
「いや、そうじゃないが……」
よくわからないけど、萌えの文化については知っているみたいだ。
今度、オムレツかオムライス作ったときに、ケチャップでハートでも描いてみようか。
ちなみに、便宜的にケチャップとよんではいるけど、この世界のケチャップは、私の知るケチャップとは少し違う。
元の世界でも、ケチャップがトマトケチャップを指すのは日本だけで、海外では色んな野菜ペーストのソースを総称してケチャップと呼ぶらしいし、この世界のケチャップが、赤くてもトマト味じゃないのは、特に気にしない。
むしろもっとフルーツっぽい味で、私は好きだ。
「おかえりなさいませ、ご主人様、とかやった方がいいですか?」
ちょっとした冗談のつもりで聞いたら、見事なほど師匠はゴフッと噎せた。
すごい。
顔が真っ赤だ。
相当苦しかったんだろう。
悪いことをしてしまった。
「エプロンとプリムはご用意しておきますね」
落ち着きかけた師匠に追い打ちをかけるように、ルージュさんがいい笑顔で言う。
こっちに向けてサムズアップしてるのはなぜ?!
「前々から、ルリ様には可愛くてフリフリなメイド服や、レースたっぷりなワンピースを着せたいと思っていたのです」
「いや!私、もう二十歳過ぎてますしね?!」
「それが何か?」
ルージュさんは、何が駄目なのかというように、首を傾げる。
そりゃ、元の世界でだって、何歳だろうとそういう服を着た人はいたけれども。
「わかりました。主様に決めていただきましょう」
何をかな?!
焦る私と、平常運転のルージュさん。そしてマイペースに食べ進めるアミュ。
師匠は……両手で顔を覆っているけれど、耳は真っ赤だ。
「俺に……決めろってのか」
低い低い、地を這うような声。
これはもしかして、怒っていらっしゃる?
「や、あの。ルージュさんも面白がってるだけで、私にそういう服が似合わないのはわかってますし」
「似合わないとは言ってねぇ」
えええ。
悪者になるのが嫌で怒ってたんじゃないんですか?
まあ、たしかによく考えれば、師匠は自分が悪者になることで場が収まるなら、そういうのも厭わないタイプだとは思うけど。
「食事は終わりだ。そろそろ通してやらねぇと、うるさい奴が更にうるさくなる。ルージュ、ルドとラズを迎える準備を」
「かしこまりました」
師匠は、少しだけ料理を残したけど、ほぼ食べ終えた段階で席を立った。
私も、慌てて残りを食べてしまう。
ルージュさんは、さっきまでの冗談はどこへ行ったのかと思うほど、クールなメイドさんに戻っている。
私は、ルージュさんがお客様をお迎えする準備をしている間に、食器を洗って片付けた。