帰還
一週間という期間は瞬く間に過ぎ去り、とうとう夏休みが始まってしまった。
短い期間であったが、総一朗とも更に仲よくなった気がするし、幸希に対してもへそ曲がりの嫌悪感を抱くことも無くなっていた。とはいえ何処かこの日が来るのを遠ざけていたような気もする。
考えないようにもしていたし、来るなとも願っていた。かといって時の流れには逆らえず、陰鬱なまま飛行機と電車を乗り継ぎ地元の駅に到着した。
半年前は意識のないまま都心へと連れてこられた。その為にこの駅を利用したのは実に数年ぶりである。
市街地に位置するこの町は近年発展著しく、地方都市として駅近郊は様々な商業施設が立ち並ぶ。とくに特産物があるわけではないが、観光にも力を入れ、景観的な条例から建物の高さも制限されており、高層のマンションも少ない。
その為、駅から遠目に覗く山々が一望できる。
―――――こんな場所だっただろうか?
真は一瞬異世界に迷い込んだ錯覚に陥った。元々休日も家に籠りがちだった真の行動範囲は狭かった。買い物に出かけるにしても近くにスーパーやショッピングモールも進出し、苦労を感じたことは無かった。駅を利用する機会も殆どなかったのだが、果たしてこの数年でこんなにも変わってしまうものなのかと、記憶にない駅の建物を眺めながら心なしかもの淋しさを感じてしまった。
「どうするの?」
タクシー乗り場でタクシーに乗る素振りを見せないままの幸希の行動に声をかける。
「ん。ああ、迎えがもうすぐ来るんだ。俺んち徒歩じゃちょっと遠いからな」
へぇ、と納得する。タクシーでもいいんじゃないかと考えたが、口には出さずに幸希に従う。五分程待った所で真等の近くにシルバーのセダンが停車した。
「坊っちゃん」
そう、名を呼び車から降りてきたのは三十代前後の人当たりの良さそうな男性であった。
「よう、悪かったな、わざわざ呼び寄せて」
「いえいえ、これもお役目ですからね」
男性は真にも軽く会釈をすると多くを語らずと言った具合で荷物をトランクに積み、二人を後部座席へと促した。真は幸希が呼ばれていた坊っちゃんと言う単語が面白おかしく、脳内で反響していたが、車が進んで行くにつれ、慣れ久しんだ景色に目を取られる。通学路でもあった道を遠望しながら此処に来てやっと帰っていたのだと実感する。二年と少し通った学び舎を視界の隅に入れた後は、再び真の知らない景色ばかりに行きあたった。車は山に向かって進んでいるようで、十五分近く走らせて一つの敷地に入った。
男性が車を停め、幸希がドアを開けたの後、習って真も外に出た。
やはりと言っていいほど広々とした庭に立つ。この庭だけでニ、三軒の家が立つのではないかと考える。
厳かな雰囲気を醸し出すいかにもといった日本建築に、それに劣らずの松や樹木などの庭を彩る造園施工。足元には玄関と門を繋ぐ道標的な石畳。
同じ敷地内でありながら目隠しを兼ねた竹垣の向こう側には目の前にある建物よりも遥かに広く、時代を感じる建物が聳えてる。それが何か真は理解していた。足を運んだのはこれが初めてであるが名前だけは知っていた。市内唯一の神社、大条宜寺。それが、幸希の実家であった。
周囲の景色に目を取られていた真は幸希の呼びかけに我に返る。迎えに来てくれた男性は荷物を置いて既に車ごと居なくなっていた。真は荷物を手に取り幸希の傍に寄る。
必要以上に周囲を見回す真に軽く口元を綻ばせた幸希だが、構わず進み玄関の引戸を引いた。
「ただいま」
建物の広さゆえか多少声を張り上げ帰宅を告げる幸希に待ってましたとばかりに足音が響く。小走りで掛けて来たのは若い女性であった。
「おかえりー」
笑顔で出迎えてくれた女性と視線が合わせる。緊張のせいか背筋を伸ばし、会釈する。
「あなたが真ちゃんね。初めまして、幸希の姉の小春です。話は聞いてたからすっごく逢いたかったの、何も無い所だけどゆっくりしていってね」
垢ぬけた感じの女性、小春は弟である幸希の再会よりも来客の真に喜びを示した。幸希もそれを解っていたようすで靴を脱ぐ。そして家に人の気配が無いことに気づく。
「あれ、親父達は?」
途端、小春の笑みが引き攣ったものとなる。苦笑いを浮かべた小春は申し訳なさそうに真に目を向ける。
「あのね・・・出かけちゃって・・・・」
気まずそうに言葉を紡ぐ小春に幸希は意味を悟り、ため息を零す。
「・・・つまり、相模にビビって逃げた訳か」
「・・・・その通り」
「全員?」
「そう」
そして小春は真へ向き直る。
「不快な思いさせたらごめんね、両親に説得はしてみたんだけどやっぱりあなたに不信感があるというか、怖いところがあるみたいで・・・・。でも逆にこの家には私達しか居ないから遠慮なく過ごす事は出来ると思うの。絹江さんて言うお手伝いの人には頼んでいるんだけど逢う事は無いとおもうから」
小春に頷きながら、真自身も安堵の息を零した。人が居ない方が真も気兼ねなく生活出来ると感じていたからだ。自分に悪意があるのなら尚更居ない方が都合がいい。
「お世話になります」
改めて、真は小春にお辞儀をした。
朝早い時間帯から長い事移動を続けており、何分距離があるために四谷の家に着いた頃には日が傾いていた。軽い休憩をした後すぐに食事をごちそうになり、殆どが姉弟の会話を成されていた為に会話に耳を傾けず自分の世界に入り込み、気がねなく出された食事を平らげた。
その後、一番風呂を頂き、髪を乾かした後与えられた自室でのんびりと就寝までを過ごしていた。
真が与えられたのは一階にある客間の一室で、畳の張られた部屋であった。十畳程のその部屋は一人にしては広すぎると感じるもので、ひかれた布団とテーブル、部屋を彩る骨董品以外は余計な物の無いシンプルな部屋であった。障子で遮られた縁側からは中庭を一望出来る。
旅館みたいだな。とそれが幸希の実家に対する正直な感想であった。
部屋に通される際、簡単に御手洗いや風呂場なども案内されたが、それだけでこの家の部屋数は把握出来なかった。それに幸希と小春の部屋は二階にあるらしい。
風呂に入る時にも今もだが、広すぎる部屋慣れない場所は物淋しい怖さと、心細い不安、そして何か人ならざるものでもいるのではないかという違った恐さを払拭出来ず、落ち着かない心地でいた。
そんな中、襖越しから来室を告げる小春の声が届いた。迷わず是を唱えると、現れた小春はトレーにお茶とお茶菓子を乗せていた。
「ごめんね。夕食の時全く話せなかったからちょっとお話しようと思って。寝るところだった?」
そう尋ねる小春に首を振り問題無い旨を告げるとテーブルに促す。
こちらとしても少し小春と会話をしてみたかったこともあり、小春が腰を落とすと自分から声を掛ける。
「小春さんっていくつなんですか?」
「二十一だよ」
二十一・・・そう心の中で反響する。
幸希が長男ということは知っており、てっきり一人っ子か妹がいるのだろうと思っていたので姉がいたのには驚きだった。それにあまり雰囲気も顔付も似ていないと感じる。
「小春さんは私が此処に来る事をどう思われたんですか?」
不躾な質問かもしれないが、聞かずにはいれなかった。初めて蒼間としてこの世界に足を踏み入れた時は招かれざる客として悪態や罵りしか受けなかった。それは覚悟もしていたし、慣れてきたのもあったが、最近出会う人物は真を受け入れていた。仕方ないと思っていることもあるかもしれないが、莉緒にしろ総一朗にしろ、もてなされてはいないものの目に見えた悪意を示さなかった。
だが今回、小春は客人として真を受け入れた。真の来客を喜んでいるようにも見える小春の振る舞いは真にとって理解出来ないものだった。
小春は僅かに小首を傾げたが、直ぐに言葉の意味を察した。
「嗚呼、蒼間のこと?別に私は気にしないかな。他の人達は縄張り意識が強すぎると思うのよね、両親には悪いけど。私は知らない事が多いから良く解らないんだけど遥鳴と幸希が危険視していないから大丈夫かなって。
私の家って家柄上身内や関係者しか入れないから歳の近い女の子を家に連れて来たのは初めてなの。だから正直嬉しいかな。
それに世の中沢山人が居るじゃない?だから蒼間以外にも力を持った子も何処かにいるんじゃないかと思っていたの。霊感あったり視えたりする子もいる訳だし此方の調べが及ばない所で真ちゃんが離縁した蒼間の一族だって可能性だってあるでしょ」
小春は饒舌なのかもしれない。一つの質問に何個の答えを乗せて返ってきた。小春の率直な考えを聞けたのは嬉しいが返す言葉に困ってしまった。
しかし、直ぐに溶け込んでくる話し方は嫌いじゃなかった。人当たりの良さは幸希とよく似ていて流石は姉弟と言った所であろうか。初めて姉弟らしさを垣間見えた所で、改めて小春が口にした会話を思い返す。
「友達・・・呼んだこと無かったんですか?」
蒼間の事を考えれば仕方の無いものかもしれないが、やはり常軌を逸している。自分でさえ幼い頃は僅かなりに友人を連れ込んで遊んだ記憶はある。
「精々玄関までね。一応寺だからって言い訳は出来てたから変には思われなかったけど、子ども心には辛いものがあったわね。家は広いし泊まれる部屋はこんなにあるのにどうしてだろうって、まぁある程度年齢が行くにつれて理解はしていったけどね」
テーブルに肘を付き、砕けた体制の小春はそのまま茶菓子へと手を伸ばす。
「真ちゃんはうちの家がどんな役割を持ってるか知ってる?」
「えっと、・・・蒼間の名家?で昔の書物とか扱ってるんですよね。確か・・・四谷のお父さんの妹さんが遥鳴さんのお母さん・・・だった気が・・・・」
そう、記憶を手繰り寄せながら言葉を紡ぐ。
「随分詳しいんだね。その通りだよ、その次期当主が幸希なわけ。
私さ、この家に生まれた割には能力が全くないんだよね。体力すら付かなかったし、女だから大して期待はされてなかったんだけど期待や重圧が全て幸希に行っちゃったんだよね。
だから私に比べて幸希は家に縛られてほとんど遊んだり出来なかったの。その分幸希には申し訳なく思ってるの」
女子特有のお喋りのノリで急に重い話題をされ、再び真は返事の言葉に悩んでしまう。
確かに幸希はあの飄々とした見た目にしては苦労していると感じる。その苦労の大半は自分に原因があるので罪悪感も持ってはいる。
「私はずっとこの家で育っていたから幸希と過ごした時間すら少ないんだけどね」
「そう言えば四谷は小学校は向こうに居たって聞きました」
「色々連れ回されてたんだよ。あの頃はそこそこ純粋だったからね。
・・・・真ちゃんはさ、将来の夢とかあるの?」
唐突な話題の切り替えに頭が混乱しそうだ。
「え・・・そうですね、あまり考えた事はないですね。元からそういうのに疎かったから学校の授業でも将来については大変だったし・・・今はそれどころじゃないですからね」
自分で言いながら空しい人間だなと実感する。蒼間の事で手いっぱいではあるが、それは言い訳に過ぎない気もする。もし蒼間の問題が片付いたのならいずれやってくる問題なのだから。
そっか。と零す小春に自らも問いかける。
「小春さんのも聞いていいですか?」
「ん、私~?美容とか服飾関係に憧れてたんだけどね~、今の大学出たら結婚するからね」
「結婚しても仕事は出来ますよね?」
「普通はね、でも私は蒼間だからね親が決めた許嫁の所に嫁ぐの。家のつながりをより良くする為にもね」
いい加減空いた口が塞がらなくなりそうだ。結婚はめでたい事だ、少し早い気もするが、しかしこのご時世に許嫁なんて言葉が出てくるとは考えてもみなかった。
「・・・・・蒼間だと皆そうなんですか?」
明らかに嫌悪感丸出しで尋ねてくる真に小春は笑みを零す。
「皆がそうって訳じゃないよ。今ではごく少数。私は拒否する事も出来たんだけど自分から望んだんだよ」
更に理解出来ないとばかりに真の眉間に皺が寄る。
「あっはっはっ、そんな顔しないでよ。私は今まで家の役には立たなかったの。穀潰しって奴ね、幸希にばかり責任押し付けてずっと罪悪感があったの。それが婚姻によって初めて家に必要とされた。正直それが嬉しかったんだよね、心の錘が取れたってか、相手の人にも何回かは逢ってるの。歳も近いし今のところ感じはいいし苦労はあるかもしれないけど立場的には私の家の方が高いのだし、自分で言うのもなんだけど私処世術は長けてると思うからそこまで不安視はしてないかな。
家に縛られるのは確かだから大学を卒業するまでは心置きなく遊ぼうと思ってね、今遊びまくっているの」
小春の言い分に複雑な感情を言葉にすることが出来ないでいた。
小春が納得し、幸せであるならばそれで良いと感じるし、恋愛の末の結婚も全てが幸せとも限らない。
もしかしたら政略結婚でも小春の人当たりの良い雰囲気は意外とうまく生活していけるのではないかとも考えてしまう。
出逢って数時間の人間だが、幸せになって欲しいとも願っているのも事実であった。
「そういえば、四谷は?」
何か話題を変えようと唯一浮かんだ人物の名を口にする。久々の実家なのだからゆっくりしているに決まっているはずなので無駄な疑問に過ぎないのだが、とにかくこの暗い話題から逃げたかった。
「幸希は蔵に籠ってるよ」
「蔵?」
予想を遥かに上回る答えに拍子抜けする。意味がわからない。
「元々幸希が此処に来たのは本来の役目を全うする為だからね。所有している全ての文献を把握しなきゃならないから時間はあっても足りないんだよ」
つまり、蔵に蒼間関連の文献があって、それを覚える為に四谷は蔵に籠っているという訳だ。
「・・・・・ごめんなさい・・・」
謝罪を口にする真に今度は小春が訝しむ。
「どうして真ちゃんが謝るの?」
「本来の仕事を後回しにさせてまで振り回してるのは私なんです。ただでさえ忙しい四谷を私が追いつめている。たまたま同じクラスだったってだけなのに巻き込んで私の為にわざわざ転校してまで向こうに来てくれている。
四谷が居なければあの土地でやっていけなかった。だから感謝はしてるんですけど・・・・・」
その先の言葉を紡ぐ事が出来ずに濁らせてしまう。
「なぁんだ。そんなこと、私は真ちゃんが蒼間にとってどのような存在価値があるのかは知らないけれど蒼間が保護する程の何かを持つ真ちゃんを幸希が警護することは四谷の一族にとっては誉れ高いことじゃない?それに、遥鳴が自ら幸希に頼んだってことだからその分信頼はされてる。断ろうと思えば断れたんだし、出来ると思ったから引き受けたんでしょう?ならあとは幸希の自己責任になるよ。
謝る必要も気に病む必要もないよ」
てっきり幸希には甘いものだと考えていたのだが、意外と辛辣な小春の発言には驚いた。
真を気遣ってでの内容かもしれないが、やはり蒼間としての責任感と育ちの差であろう。大人しく頷くことにした。
日付が変わる時間より前に会話を終え床に就いたのだが、疲れが溜まっていたのか目を覚ましたのは正午を回ったころであった。寝過ぎたとの自覚と共にそれゆえの倦怠感が真の体に残る。
自分の家の布団以外ではあまり寝付けないと思っていたのだが、どうやらそれは杞憂に過ぎないらしい。
与えられる布団の質が良すぎる所為かもしれないが。
よそ様の家なのである程度身なりを整えて部屋を出る。顔を洗い、リビングに行くと人の気配はなく、テーブルには一人分の食事に食卓カバーが掛けられていた。明らかに真の分である。
人の気配を感じないのでとりあえず冷めきった朝食に手を伸ばす。
食事を終え、食器を丁度片づけていた所でリビングに幸希が顔を覗かせた。
「おう。起きてたんだな」
「あ、うんおはよう。ごめん、だいぶ寝過ぎてたみたいで」
「いいよ疲れてたんだろ?丁度起こしに行こうとしてたんだ」
そう言って幸希は冷蔵庫から飲み物をコップに注ぎ、喉を潤す。
「何か用でもあるの?」
「ああ、これから出かけようと思ってな」
「何処に?」
「あー・・・。相模の家だよ、一度くらいは見に行った方がいいと思ってな」
ばつの悪そうに話す幸希に、なるほどと納得する。この為に真をわざわざ地元へと帰らせたのかと。
確かに一度くらいは確認するべきだと。
「分かった、じゃあすぐに準備するね」
「ああ・・・」
何食わぬ顔で部屋を後にした真を幸希は困惑の表情で見送った。
幸希の家から真の実家があった場所までは距離があるのでバスでの移動になる。
真の家は駅近郊にあり、学校を挟んだほぼ対角線上の距離、山側の位置に幸希の実家が存在する。なので一度駅に戻り真の家へと進む事になった。
二人とも私服ではあるが、真は事前に幸希から与えられたキャップを目深にかぶっていた。
幸希曰く、暗鬼から真の存在を隠す為、暗鬼の殺人を事故として処理する為に真も死んだものとして対応した。その真が姿を現すのはまずい為極力顔を隠してほしいと。
この地区の学校が夏休みに入るのは一週間程先の為同級生に会う可能性は少ないが真を知る近隣住民に遭ってしまう可能性も否めない。自分が死人扱いをされているのは以前凪砂から聞いてはいたので素直にそれに従った。チャームポイントでもあるポニーテールもキャップの中に仕舞い込んだ。
バスを降りて我が家へと向かう。
産まれてからこれまで何度も行き来し、慣れ親しんだ道なりを進む。
嗚呼、帰ってきたのだとじわじわと心に広がるものを感じる。いつもより歩く速度も早い気がする。
短い距離のはずなのだが、とても長く感じてしまう。
-----もうすぐ、もうすぐ----。
あの角を曲がれば、見えてくるはずだ。
気ばかりが急く。
だがやはり、角を曲がっても在るべきはずの屋根など見えなかった。
どこかで実は両親が生きてて、帰るべき家が顕在しているのではないかと願っていた。
家の中で、家族が自分の帰りを待ってくれているのではないかと----。
体を貫くような虚無感を感じながらも脚を進め、敷地の前に立つ。
記憶の中に残る洋風の作りをした壁の色、屋根の色、門構え、駐車場。そんな物は何処にもなく、在るのは周囲の住宅地には酷く不釣り合いな空虚の空き地であった。
風景を目に焼き付けることで現実を思い知る。
蒼間は火事の既成事実を作っていたらしく、地面には土に交じって木屑と灰、そして取り壊しの際に残ったであろうコンクリート片が混じっていた。
この場所で、家族は殺されたのだ。
この区画だけがぽっかりと穴をあけ、周囲とは違う世界を作り出している。住んでいた頃には狭くも感じていた家は、全てを取っ払われる土地だけを見るととても広いものだったと感じる。
もう、記憶の中でしか自分の家も、家族も存在しないのだ。
「―――ありがとう。もう帰ろう」
漸く此処で真は幸希に振り返った。
「もういいのか?」
幸希はバスを降りてから一切言葉を発さなかった。真の心情を悟ってか、気を使ったのか、自分の存在を消すようにして真の後ろを黙々と付いてくるだけだった。家の跡地に佇んでいたときも静かに見守っていた。
「うん。色々と思い残すことがあったから、今日確認が出来て良かった」
「・・・・・家族の墓の事なんだが・・・お前の両親、親族とほぼ離縁してるだろう。だからしばらくこっちで預かってたんだが、うちの納骨堂で納める事にしたんだ。一応永代供養だから心配は要らないと思うけど、帰りに参るか?」
そう、真には親族と言うものが居ない。両親が結婚する際、両家から反対され半ば駆け落ちに近い形で籍を入れたらしく、折り合いは良くなかった。真が生まれる頃まではそれなりに付き合いはあったそうだが度々トラブルを起こし、絶縁に至ったらしい。両親に非があったのか、それぞれの両親に非があったのか詳しく聞いた事が無かったので詳細は不明だが、その為真には祖父母というものを知らない。
余程仲が悪かったのか家には両親の幼い頃と祖父母の写真すら無かった。顔も知らない祖父母を今まで必要と思わなかったし、寂しいとも感じなかった。
存命しているかすらも知らないし、今更頼ろうとも思っていない。
両親亡き今、真は天涯孤独の孤児であったのだ。
幸希の問いに首を振る。
「いや、いいよ」
思う事はあったが口には出さなかった。いつか、全てが終わったら、遭いに行こうと-----。
空き地に背を向け歩き出す。
時折走馬灯のように幼い頃の家で過ごした家族の思い出で頭をよぎる。こみ上げてきそうな何かを堪えながら振り返ることなく脚を進める。
もう、此処に来ることはないだろう。
自分の家に別れを告げ、思い出は胸に仕舞い込むことにした。
翌日、特に予定のない真は部屋の縁側に腰掛け、中庭の風景をただぼぉっと眺めていた。
幸希の許可無しに外出はしないで欲しいと頼まれた。その代わり、境内含む敷地内であれば好きにしていいと言われたのだが、そんな気力は湧いてこなかった。きっと外に出たいと言えば幸希は許可するだろうし行動を共にするだろう。そうなると幸希本来の仕事の邪魔をしてしまうのは明らかであり、不本意なので朝からリビングでテレビを観るか、部屋で大人しくしている。
遥鳴の家でも似たような生活だったのだが、たまには疲れを取る為にゆっくりすることも必要だと自分に言い訳をしながら今に至る。正直、身体の疲れよりも精神面を落ち着かせたいのもあり、目の前の風景は心を癒すのに丁度良かった。
穏やかな空間にまどろみ始めたころ、部屋に来客を告げる声が響いた。家にいる人物は限られている為、重い腰を上げ、襖を開ける。
「何か用?」
欠伸を噛みしめながら眠気を覚ますよう極力不機嫌に思われない程度に意識的に声のトーンを上げる。
「いや、暇そうだし、部屋に籠らせてばっかだと悪いんで、お前に見せてやろうと思ってな」
「何を?」
主語が抜けているので言葉の意味が理解できない。
「いいから暇なら付いてこいよ」
そう幸希は真を促す。此処で説明する気は無いようである。暇なのは確かなのでそのまま後に従うことにした。
一度玄関から外に出て、家の裏口へと回る。建物が多きいので結構な回り道になってしまう。幸希の家は俯瞰から眺めると口の字の形をしている。玄関側に四谷一家が住んでおり。廊下と、中庭越しの部屋はほぼ客間として利用している。最も、今は時期ではない為に住んでいるのは四谷一家のみだが、年始などには客間が全て埋まるらしい。
その客間の奥、山側に面した土地の隅の方に土蔵が三棟連なっていた。漆喰で塗られたそれは時代を感じるものの、何度か塗り直しがされているのであろうまだそれなりに真新しさを感じることが出来る。
その内のひとつの土蔵の前に脚を止める。
扉の右側、漆喰の壁に不釣り合いな電子機器が四角く取り付けられていた
。幸希は迷うことなくその機器に手を触れる。途端、重厚な扉からガコンと物々しい音が響いた。指紋認証の鍵なのだろう。土蔵に文明の利器。これ程不釣り合いな物はないが、化学的に証明出来ない事が何でもありな一族なのだ。少しだけ突っ込んだが、心の中に留めておく事にした。
見た目通り重そうな扉を開け、真を中に招き入れる。
そこは書斎を兼ねているようで、棚にぎっしりと本が詰められていた。
「ここは?」
本以外の何物でもないが、それも古めかしい時代を感じるものだったり巻物だったり、木簡だったり様々だった。
「一応、書庫だな。前に言った蒼間関連の文献だ」
「これが見せたいもの?」
疑問符しか湧いてこない。蒼間でない人間の真にとって、売ったら高そうだな。とか、国宝級の価値はあるんじゃないか程度にしか思えない。
「これは予備なんだ」
「予備?」
「まぁこれを見ろよ」
そう言うと幸希は蔵の隅まで向かい、徐に腰を下ろす。コンクリートで出来た足元には半畳ほどの地下収納のスペースなのか扉が存在している。重そうにその扉を持ち上げると地下へと通じる階段が姿を現した。
「何これ?」
思わず目を見張り、覗きこむ。
「隠し通路だな、この下にあるんだ」
幸希は真の反応が面白いのか楽しげな口調だ。戸惑う真を余所に、幸希は階段を降り、真もそれに続く。
通路にはただただ地下へと階段が通じており、木材で作られた階段に、段差の両端に足元を照らす程度の照明が続いている。人が一人通るのがやっとの狭い通路。その壁はコンクリートで張られていたが進むにつれて土を削り取ったものに変わった。先には足元の証明が点々と灯すばかりで先が見えない。振り向くと書庫の光が小さくなり、視界から消えていく。
夏だと言うのに地下の空気はしんしんと冷たく、肌寒さを感じる。それが真の不安を煽っていく。
閉所恐怖症だったならば発狂してしまうだろう。
このまま永遠と出口の見えない闇へと向かっていく気がする。足元を照らす明かりですら黄泉へと導く灯火のようにも感じ取れる。とても長い距離を歩いているようでもある。周囲の環境が精神をすり減らし、体力も気力も挙って奪う。
目の前の幸希に縋り付きたくなった時、ようやく扉の隙間から僅かに零れる光に歓喜し、安堵の吐息を吐いた。
古めかしい扉を開けると、闇に慣れきった瞳が明るさに耐えられず、目を瞑る。だんだんと慣らしながら視界を戻していくと捉えた光景に言葉を失った。
階段は地下へと向かっていた。ここは屋内のはずなのだが。
正面には神社があった―――。
何がどうなっているのか理解できないとばかりに周囲に目をやる。
鳥居があり、石畳があり、少しばかり小ぶりの本殿がある。その建物から少し離れた場所には地上と同じ土蔵が置かれていた。屋外に出てしまったのだろうかとも思ったが、テニスコート八面程度の敷地に、周囲は土壁に覆われている。ビル三階程の高さの頭上からは人工的な明かりが注いでいることから、ここが外ではないのが伺われる。
「・・・何?ここ・・・・」
狼狽える真の反応を口元を上げ、満足だと言わんばかりの幸希は愉快そうに話す。
「相模が期待以上の反応を見せてくれて嬉しいぜ。見せる甲斐があったな。此処は本堂なんだ」
「・・・本堂?」
そう言って幸希は地上の方へ指を指す。
「上が大条宜寺。宜って言うのは義理や仮って意味なんだ。仮の神社。その本堂が此処、名を大条寺と言う」
さっき上で予備って言っただろ?そう付け加えた幸希に頷く。
「あそこに蔵があるだろう、そこの書物が本命なんだ。秘蔵書が数多く存在する。それを俺は暗唱出来るくらいに覚えなきゃいけない。上のは増刷されてあったり出回ったものなり大した価値の無い物だ。基本あの蔵には継承者の俺か親父しか入れない。鍵かけてるからな。ごくたまにメンテナンスの為に操った無関係の業者を呼ぶくらいだ。
上はもしもの為の目くらましだな。いつ裏切られるかわかんねーし燃やされる可能性だってある訳だからな」
「そんな所に私をいれて大丈夫なの?」
直接一族とは無関係な人間がこの場に居る事に後ろめたさを感じる。
「いいんじゃねえの?後継ぎである俺が許したんだ。お前は蔵書悪用しようなんて考えてるとは思えないしな。それ以前に古文書読めないだろ?此処の本堂だって神経質になる程深い意味は無ぇんだ。
まぁ相模以外は遥鳴をいれたくらいだな。気にすんな」
この人物が後継ぎで大丈夫なんだろうかと違う意味で不安になったが、とてもいい経験をさせて貰った気がする。下らない優越感さえも覚えてしまうほどに。
改めて周囲や本殿を見回す。
やはり屋内にと言うだけあって多少の物暗さは感じる。
「ここは神社よね。なら何を祀ってるの?」
素朴な疑問だったが、幸希はいい顔をしなかった。
「あんまり聞いて良いもんじゃねぇよ。上は仮として江戸前期まで長年この地を治め続けた大倉家の領主、主に大倉宗孝って人物を祀ってる。戦上手で美丈夫、学問の才も秀でた人物だったらしい。だから学問と出世の神様として祀ってるな」
大倉家。この土地の領主だったと言うのは真でも知っている。全国的には無名だが、この地方では有名で度々社会の授業などで取り上げられる人物だ。そういえば大条宜寺もそんな御利益があった様な気がする。
そして、ふと疑問が過る。
「今此処を治めてるのは四谷じゃないの?それまで四谷は何をしてたの?」
「察しがいいな。それまで四谷は大倉家の後ろについて祭祀を司っていたんだ。大倉は蒼間とは無縁だったしな。
大倉宗孝は確かに祀るに値する才能を持ってた。群雄割拠の戦国時代、何度この地を責められても守り抜き、更には兵の損失も少なく負けなしだった。だがな、中身はかなり非道な暴君だったらしいぜ。
戦のたびに民衆の警護料と称してどんどん税を上げて行った。
そんな事をしていたらさすがに村人は悲鳴をあげ、抗議する。反論に腹を立てた宗孝は住民を一部に集め処刑した。反逆罪と銘打ってな。加えて税も上げた。その恐怖政治から一時的に反論の声は減ったがどんどんのし上がる税の重圧に耐えきれず、また住民の声が上がる。すると今度は抗議した住民とその家族、親戚筋まで処分したんだ。女子供問わずにな。みるみる住民の数は減っていった。
だが宗孝は策士だ。村には難民や移民が多く流れ込んだんだ。負けなしの戦上手と知れ渡っていたし、村は税で潤っていたからな。移民の税は最初のうちは僅かにしか取らなかったが良いように上げて行った。んで気付いた時には手遅れ。村を出ようとしたものにも反逆の罪を被せ処刑した。
死人の数は把握できなかったらしい。
当時の四谷は干渉しなかったからな。
憑かれた様に人を殺しまくった宗孝は気味悪がられた。晩年も奇妙だったんだ。
ある晩にふらりと出て行ったと思えば翌朝遺体で見つかった。住民を処刑していた場所で自ら首を撥ね落としていたんだ。処刑された住民の呪いだって囁かれた。
宗孝は子を成していなかったからな、流石に動かざるを得なくなってな、それ以降うちが納めてんだ」
淡々と話す幸希の内容は地元住民の真にとって衝撃のものだった。
大倉宗孝は地元では英雄として祀られていたし、そういった話題は今まで一切出てこなかった。
「んでだ。
その処刑場ってのが今の宝宮山だ。正式名称は箕多祠山という。御霊を祀る山だな」
聞き覚えのある単語に息を呑んだ。
「それが丁度うちの家の裏にある山一帯だ。霊峰として祀っているが今じゃ登山として有名な山だな」
何故そんな所をと言うのが正直な感想だった。宝宮山は一番観光名所として謳っている名所だ。霊峰として修験道にも用いられ、地元住民は幼い頃より学校行事で何度も登山で世話になっている。山道全体が登山者用に整備されており、確かに山の頂上や山道の至る所に仰々しい祠も存在するが、それは登山者の健康と安全を祈願したものだと聞き育っている。
「そんな所を観光名所にして大丈夫なの?」
怪訝そうな表情を隠さない真にお手上げといった感じでため息と共に同意する。
「それが良くないんだよ。
どうしても観光としてあの山を使いたかった役所がな、勝手に推し進めたんだよ。一応土地はうちのだったんだがな。もともと昔から道の整備はしてたんだ。祀るためにな。
こういう時だけ動きが早いんだ。
――――――出るんだよな、あそこ。
話を戻すけど、宗孝が亡きあともあの土地は不審な死が相次いだんだ、ふらりと住民が居なくなったと思えば遺体で見つかる。姿を見たり声が聞こえると言う者もいた、だから暫く山を立ち入り禁止にしてたんだ。
そしてある日山の調査をする事になった。宗孝によって殺された死者の数を確認する為に。供養の意味を込めてな。その時期に道の整備をしたんだが、無いんだよ―――。遺骨が。
遺体は山中に埋めていた。それはこちらも確認済みだったから見つけるには簡単な筈だった。
決めた場所に深い穴を掘って投げ込んでいたからな。
だが何処にもないんだ。処刑者の骨が。何百との村人があの地で殺されていたにも関わらず、一体も出て来なかった。
それで祠を作って毎年供養してたんだ。
本堂がこんな地下にあるのはその死んだ住人の魂を鎮めるためだな、山の中に埋められた村人を山から出さない様に山の中に本堂をつくってな。まぁ、隠すためってのが第一だがな。
心霊スポットにしない為でもある。噂は無関係な霊まで呼び寄せると言うからな。
それ以降はあまりそういった目撃談は出てないな。
たまにそういった話は出てくるが、霊峰には付き物だ。
その話を知ってるから俺は登山なんて一度も行かなかったけどな。
あんな怨念渦巻く山に好んで登山なんて理解出来ねぇ。知らぬが仏だな。確かに景色は綺麗かもしれないけどな。
相模も登山するなら別の場所を進めるぜ」
「いや今更そんな事言われても・・・私毎年学校行事で登山してたんだけど・・・」
それに四谷は登山以外の学校行事すら参加しなかったじゃないか。滑りそうになった言葉を呑みこんだ。最後に登ったのは去年の十月だ。きつかったが、景色は雄大で空気は美味しかった印象があった。
そんな話を聞いたら二度と登りたいとは思わない。
自分が多少の怖がりであるのは自覚していたが、一人でも心霊番組やホラー映画などは視聴していた。
やはり身近な心霊話は恐怖心を倍増させているらしい。腕には鳥肌が見事に立っており、胃の不快感をも覚えた。
「・・・そんな逸話があったんだね。知らなかったよ」
ひとり言のように呟いた真に幸希は笑みを零す。
「知られない為に俺らが動いてんだよ。知られたら意味が無いだろ」
「それでも地元住民には教えて欲しいものだよね。不気味で仕方ない。
あんな所を観光地として進めた神経が疑われるわ・・・」
「同意だな」
その話を区切りに幸希は蔵に籠り、読書という暗記活動に没頭した。
あの暗い道なりを一人で帰ろうとも思わなかった真は本殿の周囲をうろうろしたり、一緒に蔵の書物に触れてみたり、様子を眺めたりして時間を潰していた。
過ごしてみると一周間はあっと言う間に過ぎ去った。
ほとんどの時間を家でテレビを観て過ごすか、幸希と共に蔵へ行き、割と出回っている希少価値の少なく、尚且つ自分でも読めそうな本を読んでみたりして時間を潰していた。
小春とはあれから二度程顔を合わせたが、本人が口にしていた通り遊びが忙しいらしく、時間を共にすることは少なかった。
不思議な時間もあった。幸希と真、就寝前には二人してテレビを眺め、その内容に花を咲かせる。
奇妙だなと感じながらも、居心地の悪くない空間での生活に慣れていった。
最終日はさすがの小春も在宅しており、別れを惜しむように見送られた。
来た時と同じように車で見送られ、後ろ髪を引かれる想いで生まれ育ってきた故郷を後にした。




