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「あ~長居しすぎちゃったねー」
店外へ出て、開口一番咲妃が嘆いた。
本来は軽く昼食を済ませた後買い物をしようと予定を立てていたのだが、思っていた以上に話題に花を咲かせてしまい、時間も随分経過し、時間を要するであろうショッピングは後日改めて見送る形になった。
時間帯はまだ昼間ではあるが平日で、行き来する人は多いが学生の数も少なく、それが皆の気分を高揚させていた。まだ帰るには惜しいのか特に商業施設に入る訳でもなくただ街中を会話しながらぶらぶらを歩いていた。
7月上旬の気候はまだ暑いとは言えず、陽射しだけが刺す様に眩しい。
会話は特におもろい訳では無く、ただ2学期の選択授業を何にするかとか、単発でもバイトをしてみたい。などのこれからについての内容に盛りあがっていた。
誰も口には出していないが、このままある程度自宅近くまでは歩いて帰ろうとしているのかもしれない。皆それなりに体力を持ち合わせているので何ら問題は無い。比較的人の多い大通りを歩んで行くが、進むにつれてすれ違う人は少しずつ減って行く。平日ではあるが、時間帯も昼を過ぎているので真達以外にも制服を着た学生がちらほら現れ始める。
そんな、平穏な一時に幸福ながらも違和感を感じた刹那、真を襲ったのは異様な臭い。
真は歩みを止め、前屈みになると口元を咄嗟に手で押さえた。
「真?大丈夫?」
すぐさま気付いた雪乃が傍に寄るが、顔色を青白くした真は言葉を発する事が出来ずにいる。
―――――――気持ちが悪い。
胃袋を直接揉み解されているかの不快感。息を吸えば喉まで刺激してくる酷く耐えがたい臭い。何かが腐ったような、形容しにくい死臭の様な香り。
それは何を表わすのか、確信していた。
―――――――また、来た。
―――――――どうして、何で今――――――
真は酷く混乱していた。
――――――――何故、皆気付かないの?
暗鬼の来襲を伝えたくとも、声を発する事も出来ない程の死臭に襲われ言葉にして表す事が出来ない。真の足は震えていた。
尋常ではない真の様子に心配しながら背中を擦る雪乃。
咲妃も奈々絵も、真の様子を窺事しか出来ない。
そんな中、幸希は弾かれた様に後ろを振りむいた。探る様に視線を辺りに巡らせている幸希に雪乃ら三人も何かと違う幸希の雰囲気を感じとっていた。
真っ青な顔をした真が訴える様に視線を幸希に向ける。
「・・・走れるか?」
視線に気付いた幸希の問いに真は口を押さえたままこくこくと頷く。
「走るぞ」
真の返事を是とみた幸希は咲妃達3人に走る旨だけを伝えると、真の腕を掴みそのまま駆けだした。数テンポ遅れた3人も理解しないまま幸希を追いかけた。足が縺れて上手く走れ無い真を雪乃らは直ぐに追いついた。
「ちょっと、どう言う事?」
何処か只事ではない事態は感じ取っていたが、まだ2人のやり取りについて行けない様で、説明を求める雪乃。幸希は走るペースを変えず、真を引っ張ったまま神妙な面持ちで口を開く。
「・・・暗鬼だ。それも結構な力の。
何処か人が少ない所に行った方がいい。逃げるのはきっと無理な量だ―――」
「そんな―――」
3人の顔色が一瞬にして変化する。それもそうだろう、真と幸希以外まだ、暗鬼に遭遇したものは居ないのだから。
大通りに面した路地を曲がり、少しでも人の往来が無いであろう方向へと足を走らせる。悔むべきは今いる町に詳しくは無いと言う事だ。何処を進めばどの道にでる等は知らない為、勘を信じて進むしかない。跳躍することも可能だが、やはりまだ人目があるため控えた方がいい。暗鬼が現れてしまえば意味の無い事だが、気配のみで何処に何体いるのかも把握できない以上、闇雲に動けない。
幸希は自分の愚かさに歯を食いしばった。
完全に気を抜いていたのだ。
真が狙われていると解っている以上は用心しなくてはいけないのに、束の間の、学生の青春を謳歌しようとしていた自分が、本当に腹立たしい。真の事も心配だが、真よりも暗鬼の気配に気付くのが遅れた。仕舞には、真以外にも危険に晒している。
とにかく、公園でもあれば――――――――
祈る想いで幸希は足を進めた。
手で口を押さえたまま、真だけが息をあげていた。全力で走っているものの、体が付いて行かない。真を引っ張っている幸希は勿論、雪乃も咲妃も奈々絵も、真に合わせて走駆けていた。
暫く走った所で、急に幸希は足を止める。雪乃らもそれに反応する。
暗鬼の気配が変わったのだ。
――――――――囲まれた―――――――――
薄っすらと纏っていた気配がはっきりと浮き彫りになった。
幸希は辺りを巡らす。
しくじった。場所があまりにも悪い。道を知らなかった所為で、人通りの多い路地に出てしまっていたのだ。もう引き返せない事は明らかだった。
辺りは高層ビルに囲まれており、陽も高く、周囲は影に覆われていた。
ふっと、物体によって太陽の進行を遮られた影の明度が酷く落ちた。
―――――――ピチャン
雫の滴る濡れた音が響いたとと共に、ボコッツと影になっていた黒色が盛り上がった。
ボコッツ。
ボコボコッ。コポッ。
それは影から黒色の沸騰した様な音と共に複数の実体となって少しずつ成形されていた。
周囲を歩いていた人々は何事かと皆足を止め、その光景に視線を奪われる。
余りに危機感の無い一般人に幸希は内心舌打し、咲妃と奈々絵に顔を向ける。
「咲妃、道重、今更だが人払いを掛けれるか?」
それに息一つしていない2人は頷く。
「どれくらい?」
「半径500でいい、それと急ぎ隠密に連絡を。無理はしなくていい、自分の身の安全を第一に考えろ」
念を推して語尾を強めると、咲妃と奈々絵は顔を見合わせ再び頷き、その場から駆けた。
幸希は残された2人を見やる。
真の顔は青白いまま冷や汗をかき、荒い息を整えている。雪乃は真の傍で背中を擦りながらも視線を幸希に向けていた。
「雪乃は出来る限り相模を守ってやってくれ」
雪乃は覚悟した表情で頷くと、真を支えながら少しばかり幸希と距離を広げた。再び意識を周囲に向けると、影から幾重にも盛り上がりを為しており、それが人間よりも多少の大きさと持った物体から膨らみが止み、凝縮凝固され人の形を作り出し暗鬼へと姿を変えた。
初めて暗鬼を視認した時に比べ、少しばかり背も高く、人間でいえば筋肉質な形をしている。それに、中学襲撃時には全ての暗鬼が何らかの黒塗りの武具をてにしていたが、今回はそれを所有しておらず、手の指に当たる部分が鋭く伸びている。指が、攻撃手段なのだろう。
暗鬼の眼球の無い顔面が、全体此方側に向いている事から目標は悪魔でも真なのだろう。その証拠に間近に居る一般人に襲いかかる様子も見られない。肝心の一般人は驚いて逃げる者も、腰を抜かす者もいる。厄介なのは現れた暗鬼を携帯のカメラで撮っている者だ。
此処までくれば腹を括るしかないのかもしれない。一般人は咲妃等の人払いでこの場から少しでも早く去っていってくれるのを願いながら幸希は周囲を囲む暗鬼に集中し、呼吸を整えた。
今の所、目に見えて把握出来るのは13体だ。だが、現れて居ないだけでそれ以上の気配を感じる。幾ら『柱』として蒼間の上位に立っていても、暗鬼と直接やり合うのは初めての経験である。中学での暗鬼はまだ軽く倒せるべきレベルだった。真の、未知なる力を持ってしても。
だが今回は明らかに強化されている。相手の力が把握出来ない以上、絶対に気は抜けないのだ。
背後に居る真と雪乃に意識を向けつつ幸希はそっと口元に手をやった。そして、右手の親指の腹に歯を立てると勢い良くその表面を噛み切った。強く深めに歯を立てた所為かぴりっという痛みの後、指を伝い流れる血。
その真っ赤な鮮血に染まった指を掌へと擦り付ける。血が掌へ滴り、移り付けば準備は整った。
まだ、此方の様子を窺ってか行動を移さない暗鬼。その中の一番自分達に近い一体の暗鬼に目を付け地を蹴った。
幸希は暗鬼が身動きをとる間もなく間隔を詰め、暗鬼の胸元へ触れた。血に濡れた右手の腹で。そのまま暗鬼の胸元から破裂した。まるで、幸希の血に反応し水入り風船の如く暗鬼の体は破裂した。形状が崩れた暗鬼はバチャバチャッと黒色を成したまま水の塊が音を立てて地へ落ちた。
蒸発したその暗鬼だった物を眺めながら幸希は軽く安堵し、息を零した。
賭けだった。蒼間の中でも幸希は一族の血が濃い。元は暗鬼と言うのは蒼間が使役していた式神に近い存在。
血による制約がまだ可能かと考えたのだ。誰もが出来る訳ではない。暗鬼は成長している。それでもまだ使役が可能な範囲だったのだ。その結果、暗鬼は幸希の血に反応し、拒否反応を示している。
古い文献の中に少しだけ記載のある暗鬼の記述。
文献に書かれた当時に比べたら暗鬼の力も格段に上がっており、また、術式の力も全盛期に比べては弱まっているのでその頃の術式に比べたらこの方法は弱いものかも知れない。
それでも目の前の暗鬼を打ち破るには十分だった。
幸希は傷のある親指を指で強く押さえつける。深く噛み切った指は圧により更に血を零す。渇きもしないその血液を左の掌にも擦り付ける。
そして、完全に暗鬼の標的となった幸希は奴らがじりじりと間を詰めている間に自分から懐に飛び込んで行った。




