第十九話
まず最初に狙ったのは足だった。動きを阻害して、これ以上邪魔しないようにするため。
次に狙ったのは腕だった。剣を後ろから投げつけられたら困るから。
「……な、なんでなんだよ?」
赤い血溜まりの上に這いつくばるエバルは、心底訳がわからないと言った顔でルベリアを見上げていた。
「……俺が何したってんだよ? 上を目指そうとしただけだろ?」
彼は地面を転がりながら、こちらに手を伸ばしてくる。
その姿は、あまりにも悲しかった。
「お前の世界に、他の人間はいたの?」
ルベリアが静かに聞いた問いに、彼は答えない。まるで呪詛のようにブツブツと呟いている。
「俺がこんなことになる謂れはない……。何もしてねぇだろ……。邪魔する奴が悪いんだ……。俺は上に立つべき存在だ……」
一言一句が、独りよがりなものであった。馬鹿は死ななきゃ治らないというが、その通りだろう。エバルは、どんだけ痛い目に遭ったとしても、決して自分を顧みない。
這いつくばり、こちらに近寄ってくる彼の姿に、心の底から気持ち悪さがこみ上げてくる。人間はこんなにも、周りが見えなくなるのか。
──こいつは、ここで殺しておかなくてはダメだ。
ルベリアの感情が引いていく。
エバルを冷たい瞳で見下ろすと、ルベリアはゆっくりと剣を振り上げた。
「……おい、おいおいおい」
彼女を見上げるエバルの顔は、血の気が引いていくのが見て取れる。
木々の隙間から漏れる太陽の光は、ルベリアの持つ剣先を鈍く照らしていた。
「俺を殺すのか!? なんでだ!? 俺は最善の方法を──」
「最後の最後まで……──」
ただ一言。悪かった。
それすらも言えないのか。
剣を容赦なく振り下ろした。
──カチン。
ルベリアの耳に張り付いたのは、何かの蓋を閉める音。
眼前の光景に、彼女は目を見開いた。
剣先は、エバルの首元ギリギリで止まっていた。いくら押し込んでも、動かない。まるでその空間に固定されているかのように。
「俺を、俺を本気で殺す気だったな!?」
エバルが吠える。その瞳には、怒りの炎が込められていた。
「お前も俺の邪魔者だ!」
ここでこいつを放っておくのはダメだ。
何が何でもその怒りの目を摘み取らなければ、後々に足を引っ張ってくる可能性がある。
「──だから、邪魔をするなぁ!」
力いっぱいだった。しかし、ミリとして動かなかった。
「は、ははは! やっぱり、神は俺の味方だ! 俺に生きろと言っている!」
彼は地面を這いずりながら離れていく。
「絶対、絶対絶対に許さないからな! お前の命も奪ってやる!」
「……その話は聞き捨てならないですね?」
──カチン。
再びあの音が響く。ルベリアの固定されていた剣が動き、体勢を崩した。
剣先はエバルに当たることなく、地面に突き刺さる。
ここでようやく、誰が止めたのか理解する。顔を上げると、エバルのすぐ近くにローセントが立っていた。
「こんな男のために、リゼットを見殺しにするんですか? ルベリア嬢」
「お、おおお前は……『赤星の剣』の副長か!? た、たた助けてくれ、あの女がいきなり襲ってきたんだ!」
ローセントの足元に張り付くエバルの姿は、情けないを通り越してもはや何の感情も湧いてこない。
今は、殺すのを邪魔された怒りのほうが勝っている。
しかし、ローセントは冷静な口調で続ける。
「ここに、黒ローブの仲間たちが向かっています。ギルド長が──」
「おーーい! 俺を無視するな!」
「うるさいですね!」
ローセントがそう言うと、エバルの頬を蹴り飛ばした。
彼の体は、地面を数メートルほど転がる。こちらを見つめる目は、白目を剥いていた。
「あなた程度に構ってる暇はないんですよ」
それだけ言うと、モノクルをかけ直した。彼が手に持っている懐中時計の蓋を閉じる。
すると、転がったエバルの周りに半透明な時計盤のようなものが浮かぶ。どうやらローセントの魔法が発動したようだ。
「あなたはそこで大人しくしておいてください。いずれ、適切な裁きがくだるでしょう。それよりも──」
ローセントはルベリアへと向き直る。
「黒ローブの仲間たちが向かって来ています。それをサミュエルが、ギルド員を統率して止めています。私も拘束役としてそれに加わらなければなりません」
彼が冷静に淡々と現状を告げる。
その間に、洞窟から大きな声が聞こえてくる。それはこの世のものとは思えないほど、不気味な叫び声だった。
「あなたは、リゼットを助けるのでしょう?」
ローセントの問いに、ルベリアは頷く。
「だったら、ここでこんな男のために立ち止まっている暇はないはずですが?」
その言葉に、ルベリアは頷くしかなかった。




