第十六話
森の景色は以前来た時とは変わらない。生い茂る草に大き過ぎる木。昼間だと言うのに、太陽の光が少ししか届かない。
いつも通りだ。リゼットは空を見上げながら息をついた。
そう、いつも通り──町中にいるときと、心の中の穏やかさは変わらない。
敵意がない。悪意がない。ただ、見られている。
冒険者の剣戟も聞こえてこない。
魔物が住み着く森として、あまりにも静かすぎる。
──パキリ。
小枝を踏んだような音が響いた。視線を向けると、エバルがこちらを向いて腕を広げる。
「何、立ち止まってるんだ?」
聞いたことがないほどの、彼の穏やかな声だった。最初、自分の耳を疑ったほどに。
「帰ったら久しぶりに打ち上げやろう。もちろん、これくらいの依頼料だと、豪勢にやれないけどな」
その、これから先もあると言うような口ぶりは、まるで蜜のような危険が孕んでいた。
「……うん、わかった」
何故かは分からない。けど、心臓の音が警鐘を鳴らしている。しかし、それでもリゼットの足は進む。
茂みをかき分け、枝を折り、足跡をつける。
隣を歩いていたキネノと、視線が合った。彼女はすぐにふいっと前を向く。
いまだに耳と尻尾は垂れたままである。
「……きょ、今日は、魔物に遭わないね」
気まずくなり、話しかける。キネノの尻尾がピンとたった。そのすぐ後に落ち着かないように左右に振れる。
まるで、猫が不機嫌なのを表すように。
「そうだにゃ」
その簡潔な一言は、いつも元気だった彼女の面影はまったくない。ただ、事務的に、答えたかのようだ。
苦笑いを浮かべて、彼女から視線を外した。前を歩くエバルが剣で道を切り拓いている。こちらを振り返ると彼は笑顔を見せた。
不気味なくらい、キネノとのテンションの差が激しい。
「リゼットはなんでエバルとの依頼を了承したにゃ?」
「……そ、それは」
「……今ので大体わかったにゃ」
キネノは迷うような仕草を見せた。本当に些細な動きの違いだ。
彼女の心の機微に気がついたのは、リゼットがいつも仲間の目を気にしていたからだろうか。
どうしたの。そういう言葉をかける勇気は──リゼットにはなかった。
──パキリ。
また、エバルが小枝を踏んだ。
彼はこちらを見ると、大仰に腕を広げる。
「何、立ち止まってるんだ?」
その声は、聞いたことのないほど穏やかだった。
※※※※※※※※※※
「呪術とやらは本当に怖いなぁ、おい」
ゴブリンキングの巣穴。それが鎮座していた大きな広場にエバルとキネノはいた。
中央には黒ローブをまとった集団が数名。何やらブツブツと呟いている。彼らはボーッと立つリゼットを取り囲んで手を合わせていた。
まるで違う宗教観を見せられているようで、彼は舌を鳴らす。
しかし、これで奴らの仲間を殺されてしまったことはチャラだ。
勝手だとエバルは思う。
押し売りのように呪術を披露しようとして、リゼットを呪うのを勝手に失敗して死亡して、その責任をこちらに押し付けようとしたんだから。おかげで、エバル自身が動いて、リゼットを罠にかけなければならないハメになった。
こんなところ、ほかの人間に見られていたら、なんて言われるか分からない。
しかし、悪いことばかりではない。
これで何故かリゼットのことばかりのルベリアも目を覚ましてくれるだろう。
高い買い物だったが、自分にも利があったと思えばなんとか我慢はできた。
「エバル、私はもう付き合いきれないにゃ」
そう呟いたのは、耳や尻尾を垂らしたままのキネノだった。
信じられない言葉でも聞いたかのように、エバルは目を見開いて彼女の方を見る。
「はぁ!? やっと安心して、冒険者に専念できるところだろ!?」
「私も冒険者を続けられるなら。そう言い聞かせたけど……人殺しを容認するようになったら終わりにゃ」
「なんでだよ、これからって時だろ!? 本当にこれから、やっと再スタートできるんだ! 足を引っ張るやつももういねぇ!」
その言葉は、洞窟内に響き渡る。
彼の表情は、心底信じられないとでも言っているかのようであった。
「むしろ、たった数ヶ月の付き合いで、ここまでリゼットのことを嫌いになれることのほうが驚きにゃ」
「そりゃそうだろ! あいつのせいで、ルベリアの才能がまるっきりつぶれてたんだろ。むしろ、キネノもリゼットを嫌ってたじゃねぇか。一緒に責めてただろ」
「……あのときは、疲れがたまってただけにゃ。毎回毎回、気絶したリゼットを運ばされる身にもなってほしいにゃ。でも、殺したいって思うほどではなかったにゃ」
そうかよと、舌打ち交じりにエバルは言う。その後すぐ、キネノの方を見ないまま続けた。
「でも、見て見ぬふりしてここまでついてきたってことは、お前も同罪だろ?」
「……っ」
彼女の尻尾は悔しそうに揺れる。




