第十話
人の行き交いを、リゼットはただ眺めていた。時々頭の揺れが激しくなり、吐き気がこみ上げてくる。しかし、ルベリアに向かって吐いたほどではなかった。
不可抗力とはいえ、服に吐かれてしまった。しかし、彼女は怒るどころか袋を取ってくると離れていく。今までのルベリアでは考えられない行動だ。
本当になんなのだろうか。そんなことを軽く考えていると──
「やーっと、やっと見つけたぁ!」
ジュリアの声が聞こえて、瞼をピクリと動かす。頭がガンガンする中での彼女の甲高い声はかなり響く。
浅い呼吸を繰り返し、彼女の方に視線を向ける。
「もう、本当に本当に、気配隠すのうまいんだから! 探すこっちの身にも──あれ? どったのどったの?」
リゼットの元気がないことに気がついたのか、彼女が眉根を寄せた。
「少し、魔法でやられて……」
口元を抑える。その手の上を伝うように、鼻から漏れた血が流れた。
その様子を見て、ジュリアが目を見開いた。
「どうしたの? どうしたのそれ!?」
彼女が慌てた表情で顔を近づけてきた。鼻を動かして匂いまで嗅いでくる。
その珍行動に、リゼットは返す気力はない。ただ、ぐわんぐわんと回り続ける頭を、なんとか抑え続けた。
「これは……魔術……いや、呪術のにおい……」
「……呪術?」
「そうそう、古来では呪い師とも言われてた奴らの術」
呪い師。聞いたことある。というか、家で魔法を一通り叩き込まれたときに、文献で読んだことがある。
人を呪う仕事。遠隔で殺せてしまうほど危険な奴らは、以降禁忌扱いとされた。そして、人々の記憶からも忘れ去られた。
そんな奴らが何故リゼットを狙ったのか。やはり、大賢者の子孫だから?
いやいや、それだけで狙われるなら今までももっと狙われてきた。何か別の理由があるはずだ。
「詳しく、よろしいでしょうか?」
町中でもよく聞こえる、懐中時計の蓋が閉まる音。見ずとも誰が話しかけてきたかわかる。
「はやや!?」
ローセントの声に過敏に反応したのは、ジュリアの方だった。
彼女の肩を飛び上がらせ、髪はボサボサに広がる。まるで尻尾を踏まれた猫のようである。
「ふ、副長何かごようですか? ですか?」
冷や汗をかきまくっているジュリアは、ゆっくりとローセントの方へと顔を向ける。
一方のローセントは至って冷静に立っていた。
左手を腰に添え、モノクルの奥の瞳は今日も鋭い。右手にはお馴染みの懐中時計が握られている。
パチンと鳴らすのは、もはや彼の癖だ。
「いえ、中々ギルドの会議にやってこないあなたを迎えに来ただけですよ。すると、一般市民にちょっかいをかけている姿が目に入りまして」
「い、いやだなぁ。有望な人をスカウトしてただけです! これも立派な立派なギルドの活動ですよ」
「……リゼットさんはもう試験を受けられたでしょう?」
「私がそのその結果に納得してると思いますか?」
ローセントはリゼットを見つめてから、ジュリアを見つめ、またリゼットの方に視線を向ける。
懐中時計の蓋を閉めかけて、彼の指が止まった。
「ま、今はそんな話をしてる場合ではなさそうですね。少しお話が耳に入ってきたのですが、呪術にかかっているというのは本当ですか?」
「はい、はい! 間違いありません! 私の嗅覚を舐めてもらっては困ります」
「その物理的な嗅覚の信用度は置いておいて、元々リゼットさんには今日ギルドに来て貰う予定でした」
「……え?」
弱々しく返事をしたのは、リゼットだ。彼の鼻から再び出た血が、ゆっくりと唇を伝った。
「やっぱり合格ってことですよね! ですよね!」
「合格かはさておいて、あなたに嫌疑がかかっています。人を殺した嫌疑が」
「は?」「え?」
リゼットとジュリアの口から疑問符が出たのは、ほぼ同時だった。
※※※※※※※※※※
ルベリアは袋を握りしめながら、リゼットを休ませた場所に向かっていた。
服はいまだに汚れたまま。普段の彼女なら着替えているが、今はそんなことよりもリゼットの容態のほうが大事だ。
あれは明らかに病気ではない。何かの呪術がかけられた。しかし、別に命が狙われたというわけではなさそうだ。
何か良くないものに触れようとしたから、警告的な意味で呪われたのだろう。かけられた呪いの種類が軽度なものなのを見て、まず間違いなさそうだ。
ただ、だからといって彼を一人で置いていくのは間違いだった。弱っているリゼットの姿を見て、まともな判断ができていなかった。
とにかく、今日一日は彼を護衛しないと。そう思いながら袋をさらに握りしめる。
「リゼット、おまた……せ?」
しかし戻ってみると、彼の姿は消えていた。




