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番外編 記憶の淵

 そっと娘の部屋のドアを開け、寝台の横に付き添っているユフィに声をかける。


「リリアはまだ眠ってる?」

「ええ、ずっと眠ったままよ。起きたとしても、しばらくは様子を見るしかないわ」

「そう…」


 返事をしながらそっとリリアの様子を見てみると、愛娘の安らかな寝顔が見えた。あまりうなされた様子でない事に安堵すると共に、一向に目覚める気配のない事には不安をつのらせる。

 自分が転生者であり、夢で見た不思議な世界が実際にあった自分の前世だと知ったリリアは、よほどショックだったのか、そのまま気を失ってしまった。


「私の知らないゲームの追加シナリオを知っていたから、私達の死んだ後の世界から来たのは間違いないわ。それが私達と同じように、不慮の事故や病気だったとしたら、さぞかし辛い思いもしたでしょう」

「そうだね…、でも、あの子の前世でどんな辛い事があったとしても、今はユフィも私もついてるから大丈夫だよ。聖女の力だって公表さえしなければ、普通の人生だって望めるしね」

「ふふ、それがいいわ。あの子の婚姻にも響く事だから秘密にしておきましょう」


 聖女に対して明確な判断基準と言うものは無い。しいて言えば精霊の愛し子かどうかだが、魔力制御さえしっかりしていれば、自ら口を割らない限りは一般人と同じなのだ。

 下手に国の内外に公表しても、厄介事の種にしかならないのは目に見えている。ここは隠し通すのが賢明だろう。

 そう思いながら再び寝台に眠る愛娘に視線を戻す。


「リリア、今はしっかり眠っていて大丈夫だから、気が向いた時に安心して目を覚まして頂戴」


 転生者であろうが、聖女であろうが、愛娘は愛娘だ。リリアがリリアである事が大切なのであって、他に価値は求めていない。本当は今直ぐにでも目を覚まして欲しいけれど、おそらくこの長い眠りはリリアにとって必要な事だとなんとなくわかってしまう。やるせない思いを抱えながらリリアの頭をそっと撫でると、同じように頬を撫でていたユフィと目が合う。


「親離れ子離れは、まだまだ先の話だから大丈夫よ。今は待ちましょう」

「そうだね」


 これから先も親子3人で、ひょっとしたら新しい子も授かれるかもしれないし、その幸せが続く事に私は何の疑念も感じていない。この子が目を覚ますのもそんなに先ではないだろう。


「目が覚めたら、その時は思いっきり甘やかしてあげるから」





 

 ベッドの上で上半身を起こした私は、見覚えのある白い部屋を呆然と眺めていた。ふと肩にかかった髪の毛が黒い事に違和感を覚え、備え付けのテーブルから手鏡を取って自分の顔を見てみる。


 鏡に映っているのは黒髪の女の子。その顔は、紛れもなく自分の顔なのに、薄い金色の髪と緑の目の少女が重なって見えた。


「あ…」


 その少女の姿はすぐにかき消え、その場を静寂が支配すると、何も無かった部屋に少しづつ物が増えていった。


 子供用の小さな衣装箪笥、備え付けのテレビ、読みかけの漫画雑誌やゲーム機、そして緊急呼び出しナースコールのボタン…。

 

 ああ、この何もない白い小さな部屋は病室だったんだ…。

 理解すると同時に、これまで経験したこともないような負の感情が湧き上がり、私は自分の胸を押さえてうずくまった。


「お父さん、お母さん…」


 たまらず父母を呼んでみるも応える者も無く、私は一人胸の痛みに耐え続ける。


「お父さん、お母さん……」


 再びの呼び声も虚しく響き、諦めた私はそっと口を閉じる。

 そっか、そう言えばずっとこんなだったな…。いくら呼んでも、あの人達は来ることは無かった。ただ気まぐれに両親のどちらかが顔を見せるだけで、その目的も私の生存確認だけだった。


 前世の私は生まれつき病弱で、物心ついた時からずっと入院生活だった。さすがに面と向かって言われた事は無いが、かなりの難病だったらしい。それも治る見込みの無いレベルのものだ。


 そんな将来の望めない娘に対して、私の両親はあまり関心を持てなかったのだろう。

 当たり前の愛情や優しさ、普通の親子の会話はおろか、まともに相手をしてもらった記憶もほとんど無かった。ただ養ってもらっているだけのお荷物、それが前世での私だった。


(あの人達は、私が死んで少しは悲しんでくれたのだろうか?)


 駄目だとはわかっているけど、どうしても思考が負の感情に引っ張られてしまう。


 生まれ持った病気だ。子供の私にはどうすることも出来ないし、もちろん両親にだって責任は無い。本当に運が悪かったのだろうし、必要な治療を受けさせてもらっただけでも感謝するべきなのだろう。それが最低限の義務だったとしても。


 ―――それでも―――


 もっと優しくして欲しかった。もっと話しかけて欲しかった。もっと笑いかけて欲しかった。一緒にお出かけしたかった。一緒にショッピングだってしたかった。もっと普通の家族のようにしたかった。もっと普通の親子のようにしたかった。

もっともっともっともっと―――――――――――――――。


「…………もっと、名前を呼んで欲しかったな…」


 そう言えば、前世の名前は何だったたろう? 呼ばれる事も少なかったからか、全く思い出せない…。


「ううぅ…、ぐすっ…」


 布団のシーツの上で握りしめた手に涙がこぼれ落ちる。どうせここは私一人の世界だ。誰にも気を使う必要も無いと、私は一人で泣き続けた。


“リリア”

「え?」


 不意に呼ばれた自(・)分(・)の(・)名(・)前(・)に、私は顔を上げる。


「お、お父様?」


 変声期など微塵も縁のない可憐な声。間違いなくお父様だ。

 

“リリア、今はしっかり眠っていて大丈夫だから、気が向いた時に安心して目を覚まして頂戴”

“親離れ子離れは、まだまだ先の話だから大丈夫よ。今は待ちましょう”

 

 続けてお母様の声が聞こえてくる。会話の内容からどうやら私は眠っているらしい。声音から察するに、ずいぶんと心配をかけてしまっているようだ。


”目が覚めたら、その時は思いっきり甘やかしてあげるから”

「お父様、お母様…」


 じわじわと胸の奥が暖かいもので満たされていく。大好きなお父様に自分の名前を呼んでもらえただけなのに、こんなに嬉しい事はないと感じてしまう。それに…。


「ふふ、気が向いた時に起きてきなさいなんて、お父様らしい」


 早く起きなさいではなく、無理をせずに、寝るも起きるも好きにしなさいと言っているのだ。娘の事が心配でたまらないだろうに、本当にあの人らしい。


「あ、髪の色が…」


 気がつくとさっきまで黒色だった髪の毛が、お母様と同じプラチナブロンドに戻っている。たぶん瞳の色もお父様と同じエメラルドグリーンに戻っているのだろう。

 ああ、私はこれから目を覚ますのだ。大好きな両親のいるあの世界で。淡い予感がすぐに確信へと変わり、私は病室の白い壁をきっと見つめた。


「もう、ここには帰らないわ」


 誰に聞かせるでもなく私は言い放つ。あるいは自分自身にでも言いたかったのかもしれない。


「私は、リリアよ」


 過去や前世なんて関係ない。私はあの優しいお父様とお母様の子供だ。

 何でこんな簡単な事をうじうじと悩んでいたのだろう。誰からも顧みられずに、ただ生きていただけの前世が辛かったのなら、今をしっかりと生きればいいだけなのに。


「ふふ、気分がすっきりとしたら、今度はお腹が空いてきちゃった。起きたらお父様の手料理をおねだりしよう。何がいいかしら」


 笑いながら私は静かに目を閉じる。それが現実世界での目覚めにつながるとわかるからだ。


―――宣言通りに思いっきり甘やかしてもらうんだから!―――

いわゆる鬱回と言うやつで筆は進まずに、ずいぶんとお待たせいたしました。あともう少しお付き合い下さい。

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