八枚目 僕が、私が、学校休んで観た番組
「ズルい!」
九重観測所の副所長室。
イタミはソファに座り、不満げに頬を膨らませていた。
「なにが『ズルい』のですか」
ウミは手元の書類から目を離さず、淡々と言葉を返す。
「職員の人は、平日にメディカルチェックとか言って定期的にサボ……じゃなくて、ちゃんとお休みできるんでしょ? なのに、イタミは毎回ちゃんと学校に行かされてるの、絶対おかしくない?」
「サボりと言いかけましたね。それに、あなたは大人の職員ではなく、あくまでアルバイトの高校生です。本業は学業でしょう」
「イタミの本業は、所長の可愛いお嫁さん兼、九重観測所のオカルトバイターです!」
「聞き流せない発言が混ざっていましたが……いいですか、イタミさん。……オカルトバイター?」
ウミは手を止め、凛とした視線をイタミに向けた。
「あなたのように、連日霊障に触れ、呪物や怨念の回収に直接関わっている人間こそ、定期的に精神的・肉体的なメディカルチェックが義務付けられているのです。大切なことです。決してサボりなどではありません」
「そんなこと知ってるもん! イタミも休日じゃなくて平日にチェック受けたい!」
「駄目です」
「嫌だ!」
「アルバイトの用事で学校を休むなんていけません」
「じゃあ、イタミもう仕事しない!」
「……」
「……」
互いに目を逸らさず、にらみ合う二人。
正直、イタミの霊感はずば抜けている。
体質のせいか、幽霊や呪いからの影響も非常に受けにくい。
さらに、幽霊との円滑なコミュニケーションのおかげか、恨みの純度も高い。
九重観測所にとって、イタミが抜けるのは非常に痛手だ。
所長も、イタミに仕事を無理強いすることは絶対にしない。
ウミはそのことも理解していた。
「……所長に会えなくなりますよ?」
「いいもん。カウンセリング目的で来るもん。他でお手伝いするもん」
「……はぁ、今回だけですよ」
イタミはぱっと顔を輝かせた。
「ただし」
ウミは凛とした声で釘を刺す。
「学校をずる休みするための口実ではありません。検査が終わったら、そのまま速やかに帰宅しなさい。いいですね?」
「はーい」
返事だけは元気よくするものの、イタミの頭の中は、すでに別のことでいっぱいだった。
平日に学校を休んで観測所に来られる。ということは……。
平日の昼間から、所長とたっぷりお話しできるチャンスじゃん!
イタミはピンクのカーディガンの袖から指先を出し、口元をニヤニヤと緩ませた。
その顔を見たウミは、何か良からぬことを考えていると察したのか、再び大きなため息をつき、書類へと視線を戻したのだった。
メディカルチェック当日。
朝九時から、イタミは九重観測所の職員たちに交じり、身体測定や血液検査、カウンセリングなど、一通りのチェックを受けていた。
昼を過ぎた頃、ようやく全ての行程が終わった。
イタミは休憩室で、ウミと向かい合っていた。
「あー、お腹すいたぁ……」
イタミは机に突っ伏し、力なく声を漏らす。
「メディカルチェックのために、昨日の夜から食事を抜いてもらっていますからね」
ウミは苦笑しながら、イタミがいつも飲んでいる炭酸ジュースを机に置いた。そのまま向かいの席に腰を下ろす。
「わーい! いただきまーす!」
イタミは勢いよく缶を開け、さっそく一口飲んだ。
「はあー、生き返る……」
「ふふっ。大袈裟ですね」
ウミは口元を手で隠し、くすりと笑った。
「だってー。てか、イタミ、お昼ご飯食べたーい」
「それはそうでしょうね」
「所長とお昼ご飯食べたーい」
イタミは机に頬をつけたまま、甘えるような声を出した。
「そうですねぇ。もう少ししたら、所長も一段落つくと思いますよ」
ウミはそう答え、左手首の腕時計に目を落とした。
「ほんと!?」
イタミが勢いよく顔を上げる。
「ええ。ただし、所長のお仕事が終われば、の話ですけど」
「むぅ……」
イタミは頬を膨らませ、手元の缶を両手で包み込んだ。
そのときだった。
休憩室の扉が開き、九重観測所の男性職員が入ってきた。
その後ろには、見慣れないスーツ姿の男が二人。どちらも五十代くらいだろうか。きっちりとした身なりで、いかにも仕事のできそうな雰囲気を漂わせている。
職員に続いて入室した二人に気づくと、ウミはすぐに立ち上がった。
「お疲れ様です」
「ああ、副所長さん。お疲れ様です」
二人も軽く頭を下げる。
短い挨拶を交わしたあと、ウミは二人に会釈して席に戻った。
イタミは缶を口元に運びながら、男たちを横目で眺めた。
「……誰ですかー?」
「五稜観測所の方です。本日、九重観測所に見学にいらしているんです」
「へぇー、見学?」
イタミは興味があるのかないのか、曖昧な声を返した。
そして、もう一口、炭酸ジュースを飲む。
「……ふーん」
どうやら今のイタミにとっては、見学者の正体よりも、お昼ご飯のほうが重要らしい。
ウミはそんなイタミの様子を見て、小さく息をついた。
「イタミさん。お客様がいらっしゃるのですから、もう少し行儀よくしてくださいね」
「えー? イタミ、ちゃんとしてるよ?」
「机に突っ伏していた人の言葉とは思えませんね」
「今は突っ伏してないもん」
「そういう問題ではありません」
ウミが呆れたように返す。
そのやり取りを聞いていた二人の男が、ちらりとイタミに視線を向けた。
片方の男が、興味深そうに口を開く。
「……こちらのお嬢さんは?」
ウミは一瞬だけイタミに目を向け、それから男たちに微笑んだ。
「九重観測所でアルバイトをしている学生の釘屋さんです」
「ほう。学生、ですか」
男の視線がイタミに留まる。
イタミは缶を持ったまま、きょとんと二人を見返した。
……所長の仕事、早く終わんないかなあ。
イタミの頭の中は、相変わらずそんなことでいっぱいだった。
「学生なんて、珍しいですな」
男たちはイタミをじろじろと見ながら言う。
「はい。とても強い霊感を持っていて、いつも助かっています」
ウミは笑顔で応対する。
イタミは興味なさげに視線をそらし、スマホをいじり始めた。
「釘屋さん、でしたかな。五稜観測所の主任研究員、野崎です」
野崎は名刺をイタミに差し出す。
「副主任の松原です」
もう一人の男も名刺を差し出した。
「ありがとうございまーす」
イタミはスマホから目を離さず、片手で名刺を受け取る。
「釘屋さん! お客様に対して失礼ですよ」
ウミが凛とした声でイタミを叱る。
「イタミ、そんなの興味ないもん……」
イタミは不貞腐れながら答えた。
「いやいや、副所長さん。構いませんよ」
野崎は笑顔で応じる。
「……申し訳ありません」
ウミは深く頭を下げた。
「しかし、九重観測所さんも大変ですな。学生まで手伝わせるなんて」
野崎は松原に目を向け、含みのある笑みを浮かべた。
「はっはっはっ」
松原もそれに応じるように笑った。
「そうですね。人手が足りなくて毎日大変です」
ウミはにこやかに答えた。
二人を引率していた九重観測所の職員も、笑顔を浮かべていた。
「……」
イタミは興味なさそうに、スマホをいじり続けている。
「どうですか、副所長さん。五稜観測所に異動しませんか?」
野崎は笑いながら言った。
「それはいいですな! こんな美しい方に来ていただけるなら、我々としても嬉しい限りです」
松原も続けて言う。
「そのように言っていただけて光栄です」
ウミは否定も肯定もせず、笑顔で応じた。
「君も、学校を卒業したあとどうだね? 今からでも構わないよ」
野崎はニヤつきながら、イタミの肩に手を置いた。
「……キモ」
イタミは肩に置かれた手を強く払いのけた。
「はっはっはっ、野崎さん、セクハラですよ」
松原は笑いながら言った。
「いやー、失礼」
野崎は手を擦りながら言った。
「あの……次の予定もありますので……」
九重観測所で二人を引率していた職員が、遠慮がちに声をかける。
「まあ、まだいいじゃないか。彼女たちと話しているほうが楽しいんだよ」
野崎はそう言うと、イタミの隣に腰を下ろした。
「おい、松原。コーヒーを買ってきてくれ」
「はい」
松原は休憩室の自動販売機へと向かった。
九重観測所の職員は、ウミに視線を向ける。
「あなたは仕事に戻ってください。野崎さん、ここからは私がご案内させていただきます」
「おや、これはありがたい。だそうだ、君。もういいよ」
野崎は先ほどまで引率をしていた職員に、手を払うような仕草をした。
職員はウミをしばらく見つめたあと、一礼して休憩室を出ていった。
「釘屋さん。そろそろ所長のお仕事も一段落する頃だと思いますので、声をかけてみてはどうでしょうか?」
ウミはイタミに笑顔で言う。
「ホント? じゃあ、イタミ行ってきまーす!」
イタミはジュースを飲み干すと、空き缶とカバンを持って立ち上がった。
「はっはっはっ。所長さんは女子高生とお昼ですか。いいご身分ですなぁ」
野崎は腹をさすりながら言った。
「我々と違って、優秀なんでしょう」
缶コーヒーを持って戻ってきた松原も、笑いながら続ける。
イタミは二人を無視し、空き缶を捨てるために自動販売機横のゴミ箱へ向かった。
野崎は、所長に会えると嬉しそうにしているイタミを、面白くなさそうに目で追っていた。
松原は缶コーヒーを野崎の前に置き、その左隣に座る。
「優秀なのかなんなのか。あんなの、ただの若造だろ」
缶コーヒーを開け一口飲んでから、野崎は馬鹿にしたように笑った。
「きっと、副所長さんが毎日頑張っていらっしゃるんでしょうな」
野崎はニヤつきながらウミに目を向ける。
「いえ、私はあくまでサポートとしてお手伝いしているだけです。所長は毎日、観測所やこの国のために働いてくださっていますから」
ウミは変わらぬ笑顔で答えた。
「若いのに謙虚ですなぁ。これは、ますますうちに来てほしいですな」
松原は野崎に向かって言った。
「そうだな。九重観測所なんかにいるのはもったいない。無能な所長の下なんかよりも、五稜観測所で呪詛砲の開発を――」
空き缶を捨てたイタミは、カバンを手に野崎のもとへ走り寄った。
ゴンッ!
野崎の頭に、イタミのカバンが叩きつけられた。
「イテッ!」
野崎は頭を押さえた。
直後、イタミのカバンが野崎の右頬を襲う。
野崎は左側に倒れ込み、隣に座っていた松原を巻き込んで、二人揃って床に転がった。
それでも、イタミは手を止めなかった。
倒れた二人に向かって、何度も何度もカバンを振り下ろす。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
イタミは大声で叫びながら、狂ったようにカバンを振り回した。
「イタミさん!」
ウミが慌てて後ろからイタミを羽交い締めにする。
しかし、イタミは足をばたつかせ、机や椅子を蹴りつけた。
机の上に置かれていた缶が床に落ち、コーヒーがこぼれる。
「死ね! 所長を馬鹿にするな! 死ね! イタミの所長を馬鹿にするな! イタミのだ!!」
野崎と松原は頭を抱え、恐怖に引きつった目でイタミを見上げていた。
騒ぎを聞きつけた職員たちが、次々と休憩室に駆け込んでくる。
そのままイタミは、駆けつけた何人かの職員に抱えられ、休憩室を出ていった。
その間も、イタミはずっと叫び続けていた。
数時間後。
医務室のベッドで、イタミは目を覚ました。
頭を少し動かすと、すぐ横に座って本を読んでいるウミの姿が目に入った。
「……ウミさん」
「目が覚めましたか?」
ウミは本を閉じ、イタミに目を向けた。
「ここ、なに?」
「医務室のベッドです。イタミさんがいつまでも暴れ続けるので、お薬で眠ってもらいました」
「……今、何時?」
「十七時頃ですね」
ウミは左手首の腕時計に目を落とした。
「……お腹すいた」
「その前に、なにか言うことがあるんじゃないですか?」
ウミが静かに問いかける。
イタミはしばらく黙っていたが、やがて布団を頭まですっぽりと被った。
「……イタミ、悪くないもん」
「今回の問題は、イタミさんのワガママだけで済む話ではありません。対応に追われるのは所長です」
「……」
「各観測所との関係が悪化すれば、所長のお仕事にも影響が出てしまうのですよ?」
「……」
「今回は五稜観測所の所長が間に入ってくださったおかげで、丸く収まりましたけど……これも、所長の人望あってのことですからね」
「……所長、イタミのこと嫌いになったかな」
イタミは震えた声で呟いた。
ウミは小さくため息をつく。
「所長からの伝言です。目が覚めたら、ご飯にしようとのことです」
「……えっ?」
イタミは布団から、ほんの少しだけ顔を出した。
「今回の件は、五稜観測所のお二人にも多少の問題はありました。しかし、手を出すのは絶対に駄目です」
「……」
「でも……ここだけの話、私も少しスッキリしました」
ウミは、綺麗な顔で微笑んだ。
「……ウミさん」
「所長なら大丈夫です。こんなことでイタミさんを嫌ったりしませんよ。もちろん、私もです」
ウミはそっとイタミの頭を撫でた。
「……」
イタミは再び、頭まですっぽりと布団を被った。
「所長も私も、まだご飯を食べていないので、お腹が空いちゃいました」
「……イタミも」
「じゃあ、早く行きましょうか」
「……もう少し」
布団から顔を出さずに、イタミは呟いた。
「……ふふっ」
ウミは小さく笑った。
「今日だけは、もう少しだけ一緒にサボりましょうか」
終




