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釘屋イタミの偏愛 ~平成ギャルの心霊バイト~  作者: 酒吞ピース


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6/20

六枚目 プールの匂いは結局塩素の匂い。それでも好き。

「所長と勉強ー」


 九重観測所の『会議室』と書かれた扉の向こうで、イタミは椅子に座り、メイクを整えていた。


 手鏡を覗き込み、ウインクしたり、キメ顔を作ったりしている。


  今は金曜日の夜。


 今日は月に一度の報告と、霊や恨みについての勉強を兼ねた集まりだ。


 普段は何人かの職員も一緒に参加するが、たまたま今回はイタミだけとなった。


「ヨシッ! 今日もかわいい!」


 メイク道具と手鏡をカバンにしまい、スマホで自撮りをする。


「所長と二人っきりかあ」


 イタミの表情がほころぶ。


「イタミちゃん……今日は別の勉強をしよう……」


「えっ……所長……そんな……」


「大丈夫だよ。イタミちゃん……」


「所長。あっ……電気は消して……あと、イタミって呼んで……」


「わかったよ……イタミ」


「所長!」


 一人二役で妄想を繰り広げながら、イタミは椅子の上で身をよじる。


 そのとき、会議室の扉が開いた。


「あっ! 所長、お疲れ様です!」


 イタミは笑顔で立ち上がった。


「こんばんは。やる気があるみたいですね。感心です」


 扉を開けて入ってきたウミが、凛とした声で言った。


「……」


 イタミは黙ってウミを見つめている。


「さあ、始めましょう」


 ウミはホワイトボードの前に立った。


「あの……所長は?」


「急な会議が入ったので、私が代わりに来ました」


「……ウミさんは、会議に出なくていいんですか?」


「わざわざイタミさんに来ていただいたのに、そのまま帰すのは申し訳ないので。私から代役を申し出ました」


「……申し訳ないですよー」


 イタミは立ち尽くしたまま言う。


「ふふっ、ありがとうございます」


 ウミはホワイトボードに絵を描き始めた。


「でも、大丈夫ですよ。あとで録画を見ますから。便利ですよね、Web会議って」


 イタミに向き直り、ウミはにっこりと微笑んだ。


「……その絵はなんですか?」


 イタミはホワイトボードに描かれた絵を指さした。


 そこには、幽霊らしきものや、ウサギらしきものが描かれている。


「勉強するなら、楽しい方がいいかなと思って。絵があると楽しいですよね?」


 そう言いながら、ウミはまた何かを描き足す。


「……なんの絵ですか?」


「ふふっ、イタミさんと幽霊と、あと、これは猫ちゃんです」


 イタミには、どれがどれなのか分からなかった。その中に自分まで描かれていると知り、思わず目を見開く。


 えっ……イタミってどれよ? あのウサギみたいなやつ? 耳みたいなのがツインテールのつもり?


「さあ、座ってください。大丈夫ですよ。二十二時前には必ず終わりますから。もちろん、私が家まで送りますからね」


「……よろしくお願いしまーす」


 イタミはゆっくりと椅子に座った。


「ふふっ、じゃあ始めます!」


 それから二時間ほどで、勉強会は終わった。


「今日はここまで。お疲れ様でした」


「……」


 イタミは机に突っ伏している。


「では、表に車をつけますので、玄関で待っていてください」


「……」


 イタミは返事をせず、右手だけを上げた。


「あと、この部屋を施錠するので、早く出てください」


 ウミは巫女装束の袂から鍵を取り出し、軽く振ってみせる。


「……はーい」


 イタミは力なく立ち上がり、カバンを持って会議室を出た。


「……ジュース買ってきます」


「はい。その辺を歩き回らないでくださいね」


「そんな元気ないでーす」


 会議室を出たイタミは、先にトイレへ向かった。


 用を済ませ、手を洗ってから鏡を覗く。


「……イタミ、疲れた顔もかわいい」


 髪を軽く整えると、休憩室に向かった。


 その頃、ウミは玄関前に車をつけ、イタミを迎えに戻ってきていた。


 休憩室に着いたイタミは、自販機で炭酸ジュースを買い、缶を開けて一口飲んだ。


「ふぅー」


 パイプ椅子に座り、カバンとジュースをテーブルに置くと、そのまま突っ伏す。


「もー! ウミさんの勉強、長すぎ! 絵、下手すぎ! スマホぐらい触らせてよー!」


 イタミは手足をバタつかせた。


「私の絵……下手ですか……」


「……えっ?」


 イタミは突っ伏したまま、ゆっくりと顔を声の方へ向ける。


 休憩室の出入り口に、涙目のウミが立っていた。


「絵……下手でした? 楽しくしようと……思って……ごめん……なさい」


 ウミの目に、みるみる涙が溜まっていく。


「ち……違います! 絵、上手すぎ……そう! 絵、上手すぎって言ったんです!」


 イタミは慌てて立ち上がり、ウミに駆け寄った。


「ほ……本当ですか?」


 ウミはイタミの両手を、自分の両手で包み込む。


「あ……当たり前です! 勉強会は、ずっとウミさんがいいなー!」


 イタミは精いっぱいの笑顔を向けた。


「ふふっ、ありがとうございます」


 ウミはイタミの手を離し、目元の涙を拭う。


「じゃあ、所長には私から言っておきます!」


「えっ?」


「イタミさんだけ、特別に私が担当させてもらいますね」


 ウミはにっこりと微笑んだ。


「いや……その……」


「さあ、荷物を持ってください。帰りますよ」


 ウミはイタミの頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「……はーい」


 これ以上面倒にならないように、イタミは大人しく言うことを聞いた。


 カバンと炭酸ジュースを持って玄関へ向かい、停めてあるウミの車の助手席に乗り込む。


 どうやって所長との勉強会を取り戻そうか。


 家へ向かう車の中で考えていると、カバンの中のガラケーが鳴った。


「あっ、幽霊」


 イタミはカバンからガラケーを取り出す。


「なんて来ました?」


 ウミが前を向いたまま聞いた。


 イタミは画面を見る。


『ツカレタ、ナニモシタクナイ』


 その文字を、そのまま読み上げた。


 車は今、商業ビルが並ぶ通りを走っている。


 この周辺に、恨みを溜めた幽霊がいる。


「ウミさん」


 イタミは運転席に視線を向けた。


「もう遅いので、イタミさんは帰ってください。帰りに私が確認してきます」


「嫌だ! イタミがやるの! 所長に褒めてもらうの!」


 イタミは膝の上のカバンを叩いて抗議する。


「駄目です。未成年をこんな時間に街で歩き回らせるわけにはいきません」


「大丈夫!」


「大丈夫じゃありません。補導されても、事件に巻き込まれても、所長に迷惑と心配をかけてしまいますよ?」


「ううっ……」


 イタミはなんとかウミを説得しようと考えたが、何も思いつかなかった。


 その思いとは裏腹に、車はどんどん家へと近づいていく。


「じゃあ、明日! 明日イタミが探しに行く!」


「知ってしまった以上、先延ばしにはできません」


「ウミさんの堅物! 巫女服! 副所長!」


「はいはい」


「イタミが所長に褒められるのが嫌なんだ!」


「はいはい」


「イタミがダイナマイトボディだから嫉妬してるんだ!」


「古いですよ」


「イタミより胸が小さいから悔しいんだ!」


「そんなこと、いちいち気にしません」


「家に着いても、すぐ抜け出すから! 補導されたら所長に迎えに来てもらうもん! ウミさんのせいだって言っちゃうもん!」


 イタミはカバンを叩きながら、なおも抗議を続ける。


 しばらく聞いていたウミは、大きくため息をついた。


「わかりました……今夜は私が様子を確認するだけにします。対処を明日に回せるようなら、一緒に行きましょう」


「えっ? 本当!?」


 イタミは目を輝かせる。


「一緒にですからね。明日の十三時頃に迎えに来ます。今夜、勝手に抜け出しては駄目ですよ」


「はーい!」


「特別ですからね」


「うん! ウミさん大好き! 所長の次に!」


「はいはい」


 やがて、車はイタミの自宅に到着した。


 ウミは改めて明日の約束と、今夜は外出しないことを確認すると、九重観測所へ帰っていった。


 イタミは鼻歌交じりに家へ入っていく。


 翌日の十三時。


 ウミは約束の十分前から、イタミの自宅の前で待っていた。


 しかし、イタミが出てきたのは、約束の時間を十五分ほど過ぎた頃だった。


「おはようございまーす」


 いつものように制服の上にピンクのカーディガンを羽織り、スクールカバンを持ったイタミが助手席に乗り込む。


「おはようございます。イタミさん、遅刻ですよ」


「まあまあ。で、昨日はどうでした?」


「まったく……」


 ウミはため息をつき、イタミがシートベルトを締めたのを確認してから、エンジンをかけた。


「人に危害を加えるような幽霊ではなかったので、対処は今日に持ち越しました」


「わーい」


「特例ですからね!」


「はーい」


 その後、目的地付近に到着した二人は、コインパーキングに車を停めた。


 ウミの車は、真っ赤なスポーツカーだ。


 ただでさえ人目を引く車から、巫女装束の女性と制服姿の女子高生が降りてきたのだから、周囲の視線はますます二人に集まった。


「で、どこなんですか?」


 そう言いながら、イタミは商業ビルの一つに目を向け、歩き出した。


「わかってるじゃないですか」


 ウミもその後に続く。


「わかりませんよー。感覚です」


「本当に、その力をもっと真面目に磨いてくれればいいのに」


 二人はそのビルに入り、ウミは受付へ向かった。


 イタミは少し離れたところから、その様子を眺めている。


 やがて、ウミがイタミに手招きした。


「さあ、行きますよ」


 ウミは受け取った鍵を手に、エレベーターへ向かう。


「毎回気になってたんですけど、いったいどんな交渉してるんですか?」


「ふふっ」


 ウミは意味ありげに笑った。


「……やっぱりイタミ、気にならなーい」


 二人はエレベーターで最上階まで上がり、そこからさらに階段を上って屋上へ向かった。


 ウミが鍵を使って扉を開けると、風が吹き込み、イタミは思わず目を閉じる。


 目を開けた先には、スーツ姿の五十代ほどの男が、屋上の縁に立っていた。


 そして、男はそのまま飛び降りた。


「あれですね」


「そうです」


 二人は男が立っていた場所へと歩み寄る。


 数分後、先ほどの男が、何もないところにふっと現れた。


 男は再び屋上の縁に立ち、そして、また飛び降りた。


 男がもう一度現れたとき、ウミが声をかけた。


「突然申し訳ありません。私、九重観測所で副所長を務めております、風ウミと申します」


 ウミは一礼する。


 男はゆっくりと振り返った。


「イタミでーす」


 イタミはカバンから、ストラップが沢山ついた使い捨てカメラを取り出す。


「……イタミさん」


 ウミの視線が、カメラのストラップに向いた。


「あっ! そ……それより、お話を! ほらほら!」


 イタミはウミの後ろに回り、その背中を押す。


 男は焦点の合わない目で、二人を見ていた。


「……それ、ちゃんと外してくださいね」


 ウミは乱れた装束を整え、改めて男に向き直る。


「失礼しました。単刀直入に申し上げます。あなたは亡くなっています。成仏するお手伝いをさせていただけませんか?」


 男は何も言わず、立っている。


「聞こえてないんですかね?」


 イタミがウミの後ろから聞いた。


「もう少し様子を見ましょう」


 ウミはその後も、根気よく話しかけ続けた。


 イタミは屋上の縁から離れた場所に腰を下ろし、スマホを弄る。


 二十分ほど経った頃、男がぽつりと呟いた。


「私……は……死んだん……ですか?」


 男の目に、徐々に焦点が戻っていく。


「はい」


 ウミが凛とした声で答えた。


 イタミは大きく欠伸をする。


「そうか……死んだんだ」


 男はその場にしゃがみ込んだ。


「やはり、ご自身が亡くなったことに気づいていなかったんですね?」


 ウミも腰を落とし、男と目線を合わせる。


「……はい」


「屋上には、自殺しに来たんじゃないんですか?」


 イタミが二人に近づいた。


「そんな気は……なかったと思います」


「思いますって、なーに?」


「仕事がきつくて……毎日毎日残業で、休みもないし……たまに休めても、一日中寝て終わり。私、五十三なんですけど、上司は年下ばっかり……上に気に入られてない私は、出世もできない……仕事を押しつけられて、私だけ会社に残されることもしょっちゅうでした……」


 ウミは目をそらさずに聞いている。


 イタミはスマホを弄りながら聞いていた。


「それで、ある日、屋上に行って……死ぬ気なんてなかった……ただ、縁に立って、ぼーっとしてたんです……理由もなく……何も考えず……」


「そこで、足を滑らせてしまったのかもしれませんね」


「そうだと思います。こうして、死んでるんですから……」


 男は力なく笑った。


「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


 ウミが凛とした声で聞く。


「岡本……です」


「岡本さん。今、どうしたいと思っていますか?」


「ど……どうって?」


「『パワハラ野郎を許さない!』か、『もう成仏したい!』か」


 イタミは指を一本ずつ立てながら言った。


「岡本さんの恨みを、その相手への呪いに変えることもできます。どうなさいますか?」


「の……呪うだなんて……」


 岡本は狼狽えた。


「そ……そんなことわ……わかりません」


 視線を落とす岡本に、イタミが呆れたように言う。


「考えたくないってこと? 情けなーい」


「えっ……」


「自分のことなのに、何も選ばないの? イタミはそんなの、面白くないから絶対に嫌」


 イタミは顔の前で、虫を払うように手を振った。


「……」


「岡本さん。あなたが何を選んでも、私たちはそれを尊重します。でも、考えることからは逃げちゃ駄目ですよ」


 ウミは岡本の手を取る。


 しばらくの沈黙の後、岡本は口を開いた。


「……私は」


 岡本は、会社で働いていた頃の自分を思い出す。


「はーい、岡本さん! これ、よろしく!」


 若い男が、岡本の机に書類を置いた。


「いや……私、自分の仕事が……」


「大丈夫でしょ! 残業してけば! どうせ家に帰っても誰もいないんだから」


 男は馬鹿にするように笑う。


「ほら、みんなも! 仕事なんて岡本さんに任せて、任せて!」


「ありがとうございまーす!」


「アタシもー!」


「俺はいいや。ミスしそうだし!」


「「「はっはっはっ!」」」


 笑い声とともに、岡本の机に次々と書類が積まれていく。


     


「岡本! 得意先からクレームだ! 書類の数字がめちゃくちゃだってよ! 舐めてんのか、お前!」


 社長室で、岡本は書類を投げつけられた。


「申し訳ありません! でも、仕事が多くて……」


「はあ!?」


「じ……実は、みんなが私に仕事を押しつけているんです……」


「そんなの、断らないお前が悪いだろ!」


     


 別の日、岡本は再び社長室に呼び出された。


「お前、自分から他の社員の仕事を奪ってるらしいな!」


「そ……そんなこと、してません!」


「押しつけられてるって言ってたから、調べてやったのによぉ!」


 社長は机を叩いた。


「聞き取りで、ほとんどの社員がそう答えたんだよ! そうだな!?」


 隣に立っていた、あの若い男が頷く。


「はい。岡本さんが実績欲しさに、僕らや若い子たちから無理やり……」


「そんな……ち……違います……」


「私がもっと早く相談していれば……申し訳ありません、社長!」


 男は深々と頭を下げた。


「やってません! 本当です!」


「お前みたいな万年平社員の言うことなんか、信じられるか! そんなに働きたきゃ、休みなんかいらねえよなぁ!」


 頭を下げたまま、男は口元に笑みを浮かべていた。


     


 そして、あの日の屋上。


「私は……何してるんだろうか……なんで……こんな、毎日毎日……」


 岡本は屋上の縁に立ち、ぼんやりと眼下を眺めていた。


「……まあ、いいか……」


 そのとき、突風が吹いた。


 体勢を崩し、足を踏み外す。


 岡本の身体は、屋上から投げ出された。


 地面が迫る。


 叩きつけられる、その瞬間……


 岡本の意識は、目の前にウミとイタミがいる今の屋上へと戻った。


「……私に、あいつらを呪うだけの力はありますか?」


 岡本は震えながら言った。


「詳しいことは省略しますが、岡本さんにその力があることは保証します」


 ウミは岡本の手を握ったまま答える。


 イタミはカバンから取り出したガラケーを、笑顔で振っていた。


「……わかりました。あいつらを呪います」


 岡本はウミの目をまっすぐ見て言った。


「わかりました。任せてください」


 ウミは優しく微笑んだ。


 そこからウミは、呪いの手順を説明した。


 呪いたい相手を明確に思い浮かべること。対象の人数が少ないほど、一人に及ぶ効果が強くなること。


 岡本は説明を聞き、やがて静かに頷いた。


「じゃあ、撮りまーす。はい、チーズ」


 イタミがシャッターを押す。


 フラッシュが光り、岡本の姿が消えた。


「はい、一件落着」


 イタミはストラップを持ち、カメラをぶらぶらと揺らす。


「じゃあ、帰りましょうか」


 ウミはそう言って、屋上の扉へ向かった。


「はーい」


 二人は階段を下りながら、岡本について話す。


「あのおじさん、何人選んだんですかね?」


「さあ。転送データを確認すればわかります。観測所としては、データが集まればそれでいいんですけど」


「ウミさん、こわーい」


「仕事ですからね。いちいち感情移入していたら、きりがありません」


 二人はエレベーターに乗り込み、ウミが一階のボタンを押した。


「プロですねー」


 イタミはニヤニヤしながら言う。


「イタミさんも素質がありますよ。卒業したら、ぜひ観測所に就職してくださいね」


「イタミ、働きたくないなー」


「今日だって働いてるじゃないですか?」


「それはそれ、これはこれ」


「ふふっ。やっぱり変わってますね」


 ウミは口元を隠して笑った。


「……ウミさんに言われたくないなあ」


 その後、二人は九重観測所へ戻り、ウミはそのまま呪詛の儀式に取りかかった。


 岡本が呪いの対象に選んだのは、八人だった。


 数週間後、とある企業が倒産したという記事が、地方新聞の片隅に載った。


 それが特に話題になることはなかった。


 終











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