三枚目 あの頃自販機で買っていたジュース、気付いたらない
「あまあま飲んで帰ろーよー」
学校からの帰り道、花ちゃんがイタミに抱きつきながら言う。
「行こ行こ! あゆみんも行くでしょ?」
「もち」
三人は、駅前の商店街の一角にあるコーヒーショップに入った。
それぞれ注文を済ませ、テラス席へ向かう。
「イタミ、クリーム多くね?」
花ちゃんは笑いながら丸いテーブルに飲み物を置き、席に座った。
「倍にした! イタミは今日はそんな気分」
イタミは満足げに言い、花ちゃんの左隣に座る。
「なにそれ? てか、あゆみんは?」
「まだ会計中。先に座っててって言ってたから」
イタミはカップの上に盛られたクリームにかぶりついた。
「あま……うま……」
幸せそうに目を瞑り、クリームを食べる。
「まったく、イタミはいいね。体質的に太らないんだからさ」
花ちゃんは笑いながら、自分のお腹をポンッと叩いた。
「あんたは間食が多いからでしょ」
遅れてやってきたあゆみんが、トレーを置いてイタミの左隣に腰を下ろす。
「お菓子はねー、食べちゃうよねー」
「仕方ないよねー」
イタミと花ちゃんは手を繋ぎ、笑い合った。
「……ん? 違う! あんたは敵だ!」
花ちゃんがイタミの手を振り払う。
「ああっ……お代官様、ひどい」
イタミは泣き真似をした。
「あれ? あゆみん、あまあまじゃないの?」
花ちゃんは自分の飲み物を飲みながら聞いた。
「気が変わったの」
「イタミ、コーヒー飲めなーい」
「ピアス開いてるから、味覚狂ったんじゃね?」
「えー、花ちゃん飲めたっけ?」
「開いてないけど、飲めなーい」
「「はっはっはっ!」」
イタミと花ちゃんは楽しそうに笑った。
「アホか」
あゆみんは小さく呟いた。
「馬鹿やってないの……」
あゆみんは呆れながら、ホットコーヒーを飲んだ。
三人で他愛もない話をしていると、イタミがおもむろにカバンからガラケーを取り出した。
「なに? また不思議なメッセージ?」
あゆみんが楽しそうに聞く。
「私たちには、何の文字も見えないもんね」
花ちゃんは追加で注文したケーキを食べながら、イタミのガラケーを覗いた。
イタミは不敵に笑う。
『オマエハミエテイル』
画面にはそう書かれているが、花ちゃんには見えていない。
「うふふっ。バイト、バイト」
「なに? 行っちゃう感じ?」
あゆみんは追加で頼んだパンを一口かじった。
「えっ? まだ話したい! 二人が帰るときにバイト行くから」
「相変わらず、自由なバイトね」
花ちゃんが笑いながら言う。
そのとき、通りの向こうから、スーツ姿の男が三人の席を目がけてゆっくりと近づいてきた。
血だらけで、足を引きずり、首を傾けている。
男は徐々に距離を詰め、ついには三人のテーブルに上半身を倒すように覆いかぶさった。
下から見上げるように、イタミを見る。
「お前、見えてるな?」
「うん」
「ん? なになに、イタミ?」
花ちゃんがニヤニヤしながらイタミを見た。
「妖精さんでしょ。それより、花……」
あゆみんと花ちゃんは、そのまま二人で話を続ける。
「てか、あゆみんの話のオチの前だったんだけど」
イタミはスーツ姿の男を睨みつけた。
「えっ? 俺に……言ってる?」
「当たり前でしょ? 空気読んでよ」
イタミは不貞腐れたように、ケーキを一口食べる。
「いや……見えてるなって分かって……その……」
「だから何? イタミに関係なくない? メッセージ見たんだから、後で行くでしょ? 常識ないの?」
「メッセージとかは、僕には分かんないです」
「とりあえず邪魔。端っこの方で座ってて」
「……はい」
スーツ姿の男は身体を引きずりながら、テラス席の端へと移動した。
それから一時間ほどして、あゆみんと花ちゃんは帰っていった。
「終わったから、こっちの椅子に座って」
イタミは欠伸をしながら、スーツ姿の男に手招きする。
周りの客が一瞬、怪訝そうにイタミを見たり、辺りを見回したりした。
テラス席の端から、スーツ姿の男がゆっくりと近づいてきた。
椅子をすり抜け、そのまま座る。
「相変わらず便利ね」
三個目のケーキを食べながら、イタミは男に言った。
「えっ? 何がですか?」
男は傾いている首を、更に傾げる。
「すり抜けるものと、すり抜けないものを選べるんでしょ? じゃなきゃ、椅子に座れなくない?」
「あっ! 本当ですね! 僕、無意識でした」
男は欠けた歯を見せながら、楽しそうに笑った。
「んで? あんたは、どんな未練でここにいるの?」
スマホを見ながら、イタミは男に尋ねる。
「未練……か……」
男は視線を落とした。
首がぶらぶらと揺れる。
「僕、気づいたら死んでたんです。目を覚ましたら、あそこから動けなくて」
男が指さした先には、交差点があった。
「あー、ひき逃げかもね。ネットニュースで見たかも」
イタミはスマホから視線を移さずに言う。
「そうだと思います。妻や子供が、泣きながら花を供えていたので……」
「ふーん。で? 恨みがあるの? 未練なの?」
ようやく、イタミはスマホから男へと視線を向けた。
「分かんないです……」
イタミはカバンから使い捨てカメラを取り出す。
「まあ、これでパシャッと撮ったら、基本的には成仏できるけど。幽霊パワーが強いと無理なんだよねー」
カメラについたストラップを、くるくると回す。
「幽霊パワー?」
「とにかく、成仏する気がなきゃ無理ってこと」
「僕はどうすれば……」
「そんなの、イタミは知らなーい。トイレ行くから考えといてー」
イタミは立ち上がり、店内のトイレに向かった。
周りの客は、イタミの席を指さしながら、ひそひそと何かを話している。
男はそれを聞きながら、折れた首を傾けたまま、一点を見つめていた。
やがて、イタミが席に戻ってきた。
「よいしょっと。決まった?」
「……」
「犯人をひどい目に遭わせたいとかは?」
「顔を知らないんですけど、できるんでしょうか?」
「知らなーい。少なくとも、イタミたちには無理」
髪をくるくると弄りながら答える。
「家族に……妻と子供に会いたいです……」
「会うだけしか無理だよ? 会ったところで、すぐに成仏させちゃうよ? それがイタミの仕事だし」
イタミはカメラを構え、シャッターを押すふりをした。
「それでもいいです……」
「はーい。じゃあ、行こっか」
イタミはトレーを持って店内に入った。
しばらくして外に出ると、交差点へと向かう。
男もその後についていくが、何かを思い出したようにイタミに声をかけた。
「でも、どうやら僕、動ける範囲が決まってるみたいで。何度か試したんですけど……」
男は心配そうに呟く。
「大丈夫、大丈夫。イタミに取り憑けば」
「ど……どうやって?」
イタミは男の正面に立った。
「取り憑くぞ〜、って思えばオッケー」
ピースをしてみせる。
「えっ?」
「いいから! 取り憑くぞ〜、って」
「と……取り憑くぞ……」
「「……」」
「で……できましたかね?」
「知らなーい。とりあえず、道案内して」
イタミはつかつかと歩き出した。
「あっ! 待ってください!」
男も足を引きずりながらついていく。
どうやら、取り憑くことには成功していたらしい。
男はこれまで越えられなかった範囲を抜けると、イタミにお礼を言った。
「ありがとうございます!」
首をぶらぶらと揺らして喜ぶ。
「お礼は着いてからにしてー」
「ダジャレみたいですね?」
「はあ?」
イタミが男を睨む。
「ご……ごめんなさい。こっちです」
男の案内で、家へと向かう。
歩き始めて十分、そして三十分と過ぎていった。
「……ごめんなさい。遅くて」
男が申し訳なさそうに呟く。
「仕方なくない? その足なんだし。歩いてれば、いつか着くでしょ」
イタミはスマホを弄りながら答えた。
「……イタミさん。ありがとうございます」
やがて、一軒家の前で男が足を止めた。
「ここです……」
「いい家ね。それじゃあ、ちゃちゃっと会いに行ってきたら?」
「……ここでした」
「……えっ?」
イタミはスマホから男へと視線を移す。
「表札が変わってます……きっと、僕が死んで、引っ越したんですね……仕方ないですよね……お金、かかっちゃうし……僕のせいで……」
男は崩れるように、その場にへたり込んだ。
「イタミさん……申し訳ありませんでした……もう、未練はないです……お願いします」
男はイタミに向き直り、土下座した。
「……」
イタミは男を見つめる。
「今日は無理」
「えっ?」
思ってもいなかった言葉に、男は折れた首を上げた。
「もう遅いし、イタミ帰りたーい。また今度来るから、この辺のどっかに取り憑いててー。悪さはしないでね。イタミのせいになるから」
「そ……そんな……」
「じゃあねー」
イタミはスマホを弄りながら、駅の方へと姿を消した。
「……」
男は呆然とするしかなかった。
そして、イタミはというと……
「あっ! 所長! お忙しいところ、すいません! 今、何してました? イタミはですねー……」
楽しそうに、九重観測所の所長と電話をしていた。
それから数日が過ぎた頃、男のもとにイタミが現れた。
「どうも〜」
ピンクのカーディガンの袖から半分だけ出した手を振る。
「あっ……こんにちは」
男は家の表札の下で、体育座りをしていた。
「何もしてない?」
「はい……ただ、ここを通るわんちゃんに、たくさん吠えられてしまいました。怖がらせちゃったかな……」
男は折れた首を傾け、頭を掻いた。
「まあ、邪魔だもんね。とりあえず、ここから移動するから」
イタミは進行方向を指さす。
「ど……どこに?」
「イタミはプロだから、写真を撮るロケーションにもこだわりがあるの。だから移動するの」
「はっ、はあ……」
「ほらほら、とっとと私に取り憑いて」
「は……はい」
促されるまま、男はイタミに取り憑き、その後についていった。
途中でバスに乗り、家を離れてから一時間ほどが過ぎた。
バスを降りた男は、辺りを見渡す。
「あれ? ここって……」
「早く行くよー」
イタミは住宅街へと歩き出した。
「は……はい」
歩みを進めるうちに、見覚えのある景色が増えていく。
「この辺は……妻の実家があるところです……」
「へー」
イタミはスマホを弄ったまま答えた。
「イタミさん……もしかして……」
「はい。歩くよー」
バスを降りてから四十分ほど歩くと、日はすっかり落ち、辺りは暗くなっていた。
「よーし。ここで撮るから」
イタミが足を止めたのは、住宅地から少し離れた田んぼ道だった。
その脇には、二階建ての家が建っている。
「……妻の実家です」
「へー」
イタミはカバンから使い捨てカメラを取り出した。
「イタミは色々と準備があるから、適当にその辺うろうろしててー」
カメラのストラップをくるくると回す。
「えっ……それって……」
イタミは返事をすることなく、男に背を向けた。
「……」
男は身体を引きずりながら、玄関へと向かった。
玄関の引き戸をすり抜け、居間へと進む。
そこには、老夫婦がテーブルに並んで座っていた。その向かいには、綺麗な女性がいる。
女性の隣には五歳ぐらいの男の子が座り、四人で食事をしていた。
「由貴……良平……」
男の子は、今日あったことを楽しそうに話している。
三人はそれを聞き、優しく微笑んだり、頷いたりしていた。
男は崩れ落ち、咽び泣いた。
「由貴……良平……」
楽しそうに話していた男の子が、居間の出入り口に目を向ける。
そして、おもむろに立ち上がり、男のもとへと歩いてきた。
それに気づいた男は、ゆっくりと顔を上げる。
男の子は、男と目を合わせたまま立っていた。
「良平……」
男の子は男の頭を撫でた。
それから、にっこりと笑って席に戻る。
「どうしたの? ご飯中に立ったりしちゃ駄目でしょ?」
「はーい」
男の子はそう言い、食事を再開した。
男は四人の団欒を見守っていた。
やがて涙を拭き、まっすぐに立ち上がる。
折れていた首も、引きずっていた足も、元に戻っていた。血に汚れていたスーツも、綺麗になっていた。
「由貴……良平……いってくるね。愛してるよ」
そのとき、由貴が男の方を向いた。
「……良一さん?」
しばらく不思議そうに眺め、それから食事を再開する。
そこに、男の姿はもうなかった。
「イタミさん」
男はイタミの前に戻ってきた。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「なにがですかー?」
イタミは欠伸をしながら答えた。
「もういいなら、写真撮りますよー」
カメラのファインダーを覗く。
「はい……本当にありがとうございます」
男は優しく微笑んだ。
「いい顔ですねー。所長ほどではないですけど」
イタミは笑いながら言う。
「はい、チーズ」
小さなシャッター音とともに、フラッシュが光った。
男は消えていた。
「変なとこまで来ちゃったなー。帰れるかな……」
イタミはカメラをカバンにしまい、歩き出す。
「そうだ! 所長に電話して、迎えに来てもらっちゃお! いやーん! イタミ天才! ドライブデートじゃん!!」
楽しそうにスマホで電話をかける。
コール音が響いた。
「イタミちゃん……今夜は帰さない……」
「駄目ですよー……イタミ……女子高生だし……」
「構わない! 愛してるよ……イタミ……」
「所長……!!」
イタミはコール音を聞きながら、一人二役で楽しそうに妄想を繰り広げていた。
後日、九重観測所。
「ありがとうございましたー」
『副所長室』と書かれた部屋から、イタミが不機嫌そうに出てきた。
「まったく……ウミさんは、いつもいつも口うるさいんだから……きっとイタミが若くてかわいいから嫉妬してるんだ……大体、この前だって、ウミさんに迎えに来てってお願いしてないのに、わざわざ来たりしてさ……」
ぶつぶつと独り言を言いながら、観測所の休憩室に入る。
自販機で炭酸ジュースを買い、パイプ椅子に腰を下ろした。
ジュースを置き、ポケットから封筒を取り出す。
「色々と調べるのにお金使っちゃったし、今回は儲け少ないなー」
お金を出そうと封筒に指を入れると、明細書が出てきた。
いつものように金額が書かれているが、裏側から何か文字が透けて見える。
「ん? なにこれ?」
イタミは明細書を裏返した。
『お疲れ様です。今回イタミさんが使ってくれた分はこちらで補填します。それと、とても頑張ってくれたので、ちょっと上乗せ。
所長より』
「し……所長……」
明細書を持つイタミの手が震える。
「えっ!所長の手書きじゃん!? これって、所長と相思相愛ってことだよね! 所長大好き! イタミも愛してる!」
明細書を慎重に封筒に戻してポケットにしまうと、荷物と炭酸ジュースを手に、休憩室を飛び出した。
「所長! 待っててねー!!」
今日、所長は出張で観測所にいない。
そのことも忘れ、イタミは観測所を探し回った。
そしてイタミは、その日二度目の大目玉を副所長から食らった。
終




