十八枚目 あの夏より暑い夏
「はい、チーズ」
フラッシュと共に、幽霊は消えた。
「んー」
イタミは背伸びをして空を見上げた。
「あっつーい」
昼を少し過ぎた商店街。青空の下、イタミは恨めしそうに太陽を見つめていた。
「そんな服着てるからだろ」
右肩にしがみついている『痛み』ちゃんが、イタミのピンクのカーディガンを引っ張る。
「いいの。イタミはこれが一番かわいいの」
イタミは使い捨てカメラを、左肩に掛けたカバンにしまった。
「どうでもいいけど、潜入捜査とやらはまだなのか? 俺様はお前とだらだら仲良くバイトなんてする気はねえんだよ」
「じゃあ、どっか行けば?」
「……クソっ」
血の契約を交わした以上、痛みが釘屋イタミを裏切ることは契約違反となる。
期限を定めていないため、下手をすれば、このまま一生だらだらと時間だけが過ぎていく可能性もあった。
「安心しなよ。イタミだって目的があるから、一生このままなんてありえないよ」
イタミは痛みの頭を撫でながら、見透かしたように言った。
「そうかよ」
痛みは不満そうに吐き捨てた。
「ただ上手いこと誤魔化さなきゃならない人が何人かいてさ……」
そのとき、イタミのスマホが鳴った。
「ん?」
画面に表示された名前は、ウミだった。
「……まさかどっかで聞いてないよね?」
イタミは辺りを見渡し通話ボタンを横にスライドさせる。
「もしもーし」
「お疲れ様です、イタミさん」
「なんですかー?」
「また呪物の回収をお願いできないかと思いまして、お電話しました」
「あー、イタミ、友達と旅行中なので」
「お仕事はしていただいているようですが?」
「旅行先で幽霊滅殺! みたいな感じです」
「……そうですか。お邪魔してすみません」
「いーえ」
「それでは、失礼します」
ウミは通話を切った。
イタミはスマホの画面を見つめた。
「……なんで嘘なんかついてんだ? サボりか?」
「違うよ。今はやりたいことがあるの」
イタミはスマホをしまい、楽しそうに笑った。
「所長に会えないのは最悪だし、考えられないし、もう無理って感じなんだけど。でも、会えない時間がイタミの愛をどんどん強くするの」
イタミは人目も気にせず、くるくると回った。
「相変わらずわけわかんねぇガキだな」
「次に会ったら、いっぱいいっぱい甘えるんだ」
イタミは幸せそうに笑った。
*
九重観測所、副所長室。
「……」
ウミは書類に目を通しながら、先ほどのイタミとの会話を思い返していた。
『あー、イタミ、友達と旅行中なので』
あのイタミさんが、所長について一言も言及しなかった……。
……取り越し苦労ならいいのですが。
コン、コン、コン。
副所長室の扉がノックされた。
「どうぞ」
ウミが返事をすると、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、白衣姿の女性だった。
長い黒髪は背中まで伸び、前髪は眉の下で真っ直ぐに切り揃えられている。
伏せ気味の目元には、どこか近寄りがたい雰囲気が漂っていた。
女性は手にした書類を白衣の袖口から覗く白い指で支えながら、ウミのデスクまで歩み寄った。
「……こちら、確認をお願いします」
とても小さな声だった。
女性が書類を差し出すと、ウミはそれを受け取って目を通した。
「ありがとうございます。わざわざ持ってきていただいて」
「いえ」
女性は短く答えた。
そのまま一礼すると、長い黒髪が肩から静かに流れ落ちた。
表情はほとんど変わらない。
ただ、伏せられた目の奥には、何を考えているのか簡単には読み取れない静けさがあった。
「灰原さん、休憩は取られましたか?」
「いえ」
「無理しないで、ちゃんと休んでくださいね」
「はい」
灰原はもう一度、一礼すると部屋を出ていった。
ウミは受け取った書類に目を落とす。
表紙には『呪詛砲建設進行表』と記されていた。
その右下には、開発部長、灰原詩音の名前がある。
ウミは書類を手に、内容の確認を始めた。
*
九重観測所、廊下。
「……」
廊下で話をしていた男たちが、灰原に気づいた。
「灰原さん、お疲れ様です」
「……さま」
灰原は小さく返事をすると、足早にその場を通り過ぎた。
男たちは特に気にする様子もなく、再び会話を始める。
灰原は技術開発室に入ると、奥にある部長室へ向かった。
部屋に入ると、扉の鍵を閉める。
大きなデスクの椅子に腰を下ろし、パソコンの電源を入れた。
それから、デスクの隅に置かれた小さなサボテンの鉢植えを手に取る。
灰原は霧吹きで、サボテンにそっと水をかけた。
「ふふっ」
口元が緩む。
「所長、お水ですよー」
サボテンに向かって、灰原は小さく呟いた。
もちろん、返事はない。
それでも灰原は、満足そうにサボテンを見つめていた。
やがて、パソコンの起動が終わる。
デスクトップに表示されたのは、一人の男性の画像だった。
灰原は画面を見つめ、うっとりと目を細める。
デスクトップだけではない。
画面の中には、同じ男性の画像が何枚も、何枚も並んでいた。
「うふふ……」
灰原はサボテンを元の場所に戻すと、再び画面に目を向けた。
「所長、世間では夏季休暇の時期ですが、所長はお休みにならないのですか? そうでしょうね。所長は仕事人間ですもんね。知ってますわ。付き合いはあの人たちよりも短くても、私はよく知っています。そんな働き詰めの所長に、少しでも休んでほしくて私考えました。よかったら今度、一緒に一泊二日の旅行でも……あっ! 旅行といっても、関係施設の見学も兼ねてですわ。この前は日帰りでしたけど、今回は泊まっていきませんか? もちろん、お部屋は同じですわ? 研究や色々なことについて語り合いたいですし……だからって変なことしちゃ駄目ですよ? もう……胸ばっかり見ないでください。私はただ、語り合いたいだけですのに……ふふふふふ、困った所長さん」
灰原は画面を見ながらボソボソと呟いている。
「練習は完璧だわ……」
誰もいない部屋に、かすかな笑い声が響いた。




