十六枚目 干した布団と冷たい飲み物
「まったく……」
ウミは、九重観測所に併設された社員寮の一室で眠るイタミを見下ろしていた。
「イタミさん、起きてください」
ウミはイタミの肩を揺する。
折りたたんだ敷布団を枕代わりにし、薄い掛け布団をかけて眠るイタミは、起きる気配すらない。
「……不本意ですが」
ウミはイタミの耳元に顔を寄せた。
「イタミさん、所長が呼んでますよ」
「……んっ……所長?」
イタミはだらしなく口元を緩ませ、片目を開ける。
その左目が、目の前にいるウミを捉えた。
「ぐー、ぐー、ぐー」
「イタミさん、寝たふりをしても駄目です」
ウミは呆れたように言った。
「おはようございまーす」
イタミは薄目を開けたまま、にこやかに挨拶する。
「勝手に入っては駄目だと、何回言えば分かるんですか?」
「勝手じゃないもん。イタミも観測所の関係者だもん」
「社員寮に関しては別です」
「いいじゃん。ここ、空き部屋なんだし」
イタミは上半身を起こし、ぐっと背伸びをした。
「よくありません。規則違反です」
夏休みに入ってからというもの、イタミはほぼ毎日のように九重観測所を訪れていた。
「イタミ、仕事で疲れちゃってー。寝なきゃ無理? みたいなー」
「それなら家で休んでください」
「家は嫌だなー」
「……まったく」
「おなかすいたー」
「……はぁ」
ウミは立ち上がり、イタミに背を向けた。
「昼食でも食べに行きますか?」
「うん! いくいくー」
イタミも勢いよく立ち上がり、ウミに抱きついた。
「食べたら帰ってくださいね」
「ふっふっふ」
「……まったく」
二人は社員食堂へと向かった。
「おや、副所長さんにイタミちゃん。お疲れ様」
社員食堂のおばちゃん、高野が笑顔で声をかける。
「高野さん、お疲れ様です」
「いえーい」
ウミは頭を下げ、イタミはピースサインを返した。
「今日はなに食べる?」
「私は日替わり定食をお願いします」
「イタミはハンバーグ二枚! ご飯大盛り! 炭酸ジュース!」
「はいよ」
高野は笑顔で応えた。
二人は空いている席を見つけ、向かい合って座る。
「所長はお昼、まだかな?」
イタミはそわそわと、社員食堂の出入り口に目を向ける。
「所長は今日、昼食は外で食べると思いますよ?」
「えっ? なんで?」
イタミは不満そうにウミを見た。
「今日は開発部長と一緒に、関係施設を訪問していますから」
「……イタミ、あの人嫌い」
イタミは机に突っ伏した。
「行儀が悪いですよ」
「ウミさんも嫌いでしょ?」
イタミはにやにやしながらウミを見上げる。
「そんなことはありません」
「本当に? いつもあの人に怒ってるじゃん」
「怒っている回数で言えば、イタミさんに対してのほうが多いですよ?」
ウミはにっこりと笑った。
「……ぐぅ」
イタミはぐうの音も出なかった。
やがて、配膳係が二人のもとへ食事を運んできた。
「いただきます」
ウミは目を閉じ、両手を合わせる。
「いただきまーす」
イタミは箸でハンバーグを切り、頬張った。
「うーん! 今日も美味しい!」
続けて、白米を頬張る。
「ふふっ」
ウミはそんなイタミを見て微笑むと、味噌汁を口に運んだ。
「ウミさんたちは、今年はお休みあるの?」
「どうでしょうね? もちろん、申請すれば休めはしますけど……」
「相変わらず、ウミさんは働き者だなー。イタミはむりー」
「ふふっ。でも、仕事が楽しいので」
「変人だもんね」
「あなたに言われたくありません」
二人は食事を終えてからも、同じ席で談笑を続けていた。
「でね? その時にイタミの友達が……」
言いかけたその時、イタミは振り返り、食堂の出入り口に目を向けた。
ウミもまた、険しい表情で出入り口を睨んでいる。
「……」
ウミはゆっくりと立ち上がった。
何人かの職員も出入り口に目を向ける。中には、不安そうにウミのもとへ駆け寄る者もいた。
「副所長……」
女性職員が不安げにウミを見上げる。
「全員、ここから出ないように。イタミさんも」
そう言い残し、ウミは食堂を出て行った。
ウミは研究室に入り、さらに奥へと進む。
その先には、入室制限が設けられた扉があった。
ウミは首から下げている社員証をかざし、ロックを解除して中へ入る。
「……」
扉のすぐ先にある大型エレベーターに乗り込み、再び社員証をかざしてロックを解除する。そして、地下九階のボタンを押した。
エレベーターが下降していくにつれ、ウミの表情に焦りが浮かんでいく。
やがてエレベーターが停止し、扉が開いた。
目の前には大型モニターがあり、砲台の設計図らしきものが映し出されている。
その周囲には、大型のカプセルがいくつも並んでいた。
さらに、その近くでは何人もの職員が膝をついている。
ウミはエレベーターを降りると、すぐそばで倒れている白衣姿の職員に駆け寄った。頭を抱え、声をかける。
「何がありました?」
「う……副所長……」
壮年の男は苦しそうに口を開いた。
「呪い返しです。……祓い終わった呪物を通じて……何者かが……」
「分かりました。その呪物は?」
「……消えました。物は、かんざしです」
「すぐに祓い師を手配します。もう少しだけ待っていてください」
ウミはスライド式のガラケーを取り出し、どこかへ連絡を入れた。
その間も、部屋を回りながら職員たちの安否を確認していく。
*
「なんだったんだろう、あの嫌な感じ……」
「中に幽霊が入ってきた?」
「ここに? あり得ないだろ……」
「じゃあ、何?」
食堂に残された職員たちは、不安そうに話し合っていた。
「炭酸ジュースちょうだい」
そんな中、イタミは食堂の受付へ向かい、飲み物を頼んだ。
「大丈夫かね、イタミちゃん」
高野は飲み物を渡しながら、心配そうに尋ねる。
「大丈夫でしょ?」
イタミはジュースを一口飲むと、席へ戻った。
数分後、ウミが食堂に戻ってきた。
職員たちを前に、今回の異常は回収した幽霊たちの共鳴による一時的な暴走だったと説明する。滅多に起こる現象ではなく、すでに収まっていることも伝えた。
「イタミさん、今日は早く帰ってください」
「はーい」
イタミは素直に返事をすると、食堂を出て行った。
ウミは、その背中をじっと見つめていた。
*
「幽霊たちの暴走かあ」
観測所の外に出たイタミは、その場でくるくると回った。
「なにを隠してるんだろ? ふふっ、楽しい夏休みになりそう」
イタミは回るのをやめ、振り返って九重観測所を見上げた。
「イタミは所長のお嫁さんなんだから。所長のことは全部、全部知りたいの」
イタミはピアスのついた舌を、ぺろりと出した。
終




