十三枚目 大人の歳でも子供。きっとこれからも
「あー」
カッターシャツにパンツ姿の男は、気だるそうに座布団から立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。
「カビ?」
冷蔵庫から卵を取り出し、開封済みの食パンの袋から六枚切りの一枚を抜き取る。
半額シールの貼られたパンの表面を眺め、男は呟いた。
「まあ、温めれば食えるか」
パンをトースターにセットし、棚からフライパンを取り出してコンロに置く。
油を引いて火をつけると、つけっぱなしのテレビから笑い声が聞こえてきた。
「くだらねえ」
男はぼそりと吐き捨てた。
フライパンが温まったのを確認し、卵を割り入れる。
ジューッ。
音を立てながら、白身が徐々に白く固まっていく。
男はそれを少し眺めてから、冷蔵庫からマヨネーズと牛乳パックを取り出し、流し台に置いた。
チンッ。
トースターが音を立てる。
男は焼き上がったトーストを取り出し、流し台に乱雑に置いた。
表面にマヨネーズをかけ、開けっ放しの冷蔵庫にマヨネーズを戻す。
目玉焼きをひっくり返し、塩コショウを振る。
それを少し眺めてから、男は牛乳パックを手に取り、そのまま口をつけて飲みながらテレビの前のテーブルへ向かった。
「……」
立ったままテレビを眺め、牛乳をもう一口飲む。パックをテーブルに置くと、男はコンロの前へ戻った。
フライパンから目玉焼きを滑らせ、流し台に置きっぱなしだったトーストの上に乗せる。
男はトーストを手に、テーブルの前に敷かれた座布団へ腰を下ろした。
「……」
テレビでは、芸人やタレントたちが楽しそうにクイズを解いている。
「……」
男はトーストにかじりつき、ときおり牛乳を飲みながら画面を眺めていた。
「ふうっ」
食べ終えた男は両手を合わせ、牛乳を一口飲んでから立ち上がった。
玄関へと続く扉の前に立ち、ドアノブの根元にネクタイをきつく結びつける。
外れないことを確かめると、男はドアノブを背にして床へ座り、上半身を預けた。
下半身をだらりと伸ばし、垂れ下がったネクタイを首に一周巻きつける。
そして、右手で強く引っ張った。
「グッ!」
男は目をきつく閉じる。
顔が徐々に赤みを帯び、鼻から荒い息が漏れる。
それでも、右手はネクタイを握りしめたままだった。
「ふっ! ふっ! ふっ! ふっ!」
両足がばたつき、ドンドンとフローリングを叩く。
顔色は赤から紫へと変わっていく。
「んーっ! んーっ!」
男の足は、さらに激しく床を叩いた。
やがて、男は一度だけ目をカッと見開いた。
舌がだらりと垂れ下がり、左手が力なく投げ出される。右手はネクタイを握ったまま、動かなくなった。
男の下半身から尿が漏れ出す。
床に広がった尿の輪は、ゆっくりと大きくなっていく。
やがて、それも止まった。
テレビからは、変わらず楽しげな笑い声が聞こえていた。
「事故物件?」
花ちゃんが怪訝そうに尋ねた。
「そう。パパの知り合いの大家さんが持ってるアパートの一室が、そうなんだって」
パックの紅茶を飲みながら、スマホをいじっていたあゆみんが答えた。
「げー、って感じね」
花ちゃんはスナック菓子を食べる。
「まあ、私は幽霊なんて信じてないけど」
あゆみんは笑いながら言った。
「でも、事故物件ってことはなに? 人が死んだとか、そんなの?」
「じゃない? 知らないけど」
「ふーん」
花ちゃんは、一緒に昼食を食べているイタミに視線を向けた。
イタミは手鏡を見ながら、軽くメイクを直している。
「イタミは幽霊っていると思う?」
花ちゃんはイタミの髪を自分の指に巻きつけながら尋ねた。
「興味なーい」
「なんじゃそりゃ」
花ちゃんは笑った。
「だいたい、私たちの知らないとこで毎日人一人は死んでるじゃん? 全員幽霊になってたら地球パンクするでしょ。だから私は信じてないの」
あゆみんはポテサラを食べながら、箸でくるっと丸を描いた。
「まあ、確かに」
花ちゃんは、なおもイタミの髪を弄りながら言った。
「……」
イタミはリップを塗り、唇を合わせて口を動かす。
鏡に映った自分にウインクすると、メイク道具をしまった。
「かわいくできましたかー?」
花ちゃんが尋ねる。
「うん。イタミ、今日もかわいい」
イタミは自分の顔を両手で包み、にっこりと笑った。
「それはそれは」
あゆみんは笑いながら言った。
「自己肯定感の化物だわ」
花ちゃんは呆れながら、イタミの頭を撫でる。
「だって、かわいいんだもーん」
イタミは頬を緩ませた。
今日、イタミのガラケーが鳴ることはなかった。
終




