十一枚目 長い木の棒は僕らの必殺剣
その日、イタミは九重観測所の送迎車の中にいた。
「……眠たい」
退屈そうに呟きながら、朝日に照らされていく街並みを窓から眺めているうちに、イタミはそのままウトウトと眠りについた。
時は、二日前に遡る。
副所長室。
「心霊スポット?」
イタミはソファに深く腰掛け、パリパリとお菓子を口に放り込みながら首を傾げた。
「そうです。隣県にある心霊スポットへ赴き、そこにある呪物の回収をお願いしたいのです」
ウミはイタミの対面に上品に座り、煎茶碗からおそるおそる湯気の立つお茶を口に含んでいた。
「なんでイタミがそんなことしなきゃいけないわけ?」
「スキルアップです」
「なにそれ?」
「イタミさんに協力していただいてから、約一年になります。そろそろ、次のステップに進んでもいい頃だと判断しました」
ウミはゆっくりと煎茶碗をテーブルに置いた。
「現場に赴き、呪物を回収し、忌み地を祓う。これも我々にとっては大切なお仕事なんです」
「そんなの、イタミにできるの?」
イタミは炭酸ジュースの缶を傾けて一口飲むと、そのままソファにゴロンと横になった。
「回収だけなら、今のイタミさんにも十分に可能です」
「ふーん」
「もちろん、無理強いはしません。危険を伴うため、怪我の可能性だってありますからね」
「この仕事したら所長喜んでくれる?」
「今回イタミさんを推薦したのは、他でもない所長です」
「えっ、所長がイタミを!?」
イタミはソファから勢いよく跳ね起きて、ウミを凝視した。
「はい」
ウミは穏やかな笑みを浮かべて頷く。
「今回の回収物の危険度はそれほど高くないので、イタミさんに経験させるのにちょうどいいのでは、と仰っていました」
「所長が……イタミを……」
イタミは自分のカバンをぎゅっと抱きしめ、うっとりと幸せそうに目を細めた。
――
「イタミちゃん、ありがとう。怪我はなかったかい?」
「えーん、怖かったよー」
イタミは所長の胸に飛び込んで、思い切り甘える。
「ごめんね、イタミちゃん。でも、君のおかげで助かったよ。ありがとう」
「いいの……所長のためなら、イタミ、なんでもする」
「イタミちゃん……」
「イタミね……ご褒美が欲しいな……」
「もちろん……何でも言って?」
「所長……んー」
イタミはうっとりと目を閉じ、小さく口をすぼめる。
「イタミちゃん……」
――
現実に戻ったイタミは、抱えていたカバンに何度もチュッチュとキスをしてから、ふにゃふにゃとソファに寝転がった。
「……それで? 引き受けていただけるんですか?」
ウミはジト目を向け、呆れたような溜息をつきながらイタミを見下ろしていた。
送迎車のタイヤがアスファルトを捉える低い摩擦音を立てながら、車体は緩やかにスピードを落としていく。
「ん……」
微かな減速のGに揺られて、イタミはゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「……着いたの?」
ボーッとする頭のまま窓の外に目をやると、見慣れないどんよりとした曇り空の下に、鬱蒼とした木々が生い茂る寂れた敷地が見えてきた。
「釘屋さん、こちらになります」
運転席の女性が静かに声をかけた。
ウミ曰く、呪物の回収は基本的に二人一組で行うことになっている。
犠牲を最小限に抑えるための徹底したリスク管理だ。
しかし、今回は初仕事ということもあり、車内にはイタミのほかに三人の大人が乗り込んでいた。
運転手を務める女性と、腕利きの祓師が二人。
だが、これから不気味な気配を漂わせる現場の廃屋へ足を踏み入れるのは、あくまでイタミ一人だけだった。
「……」
イタミは車の窓からじっと廃屋を見据えたまま、黙り込んでいた。
そんな彼女の様子を察したのか、運転席の女性がバックミラー越しに優しく声をかける。
「釘屋さん……大丈夫です。何があっても、必ず私たちがあなたを守りますから」
ハイエースの後部座席に陣取る二人の祓師も、それに同調するように力強く頷いた。
「……髪も服も汚れそう。最悪なんだけど」
イタミは気だるげにそう呟くと、面倒くさそうに車のドアを開けて外へ足を下ろした。
「じゃあ、いってきまーす」
ひらひらと片手を軽く振ってドアを閉め、不気味な気配を漂わせる廃屋へと向かって歩き出す。
「……いってらっしゃい」
運転席の女性は、その背中に向かって小さく呟いた。
目の前にそびえる廃屋は、寂れ果てた木造二階建ての一軒家だった。
朝の八時頃だというのに、どんよりとした曇り空のせいで、周囲は夕暮れ時のように薄暗い。
その時、イタミの肩に掛けたカバンの中で、ガラケーが音を立てて震えた。
取り出して画面を開くと、短いメッセージが表示されている。
『ココカラデテイケ』
「……めんどくさ」
イタミは吐き捨てるように呟くと、画面をパタンと閉じて雑にカバンへと押し込んだ。
その拍子に、二日前に、副所長室で交わしたウミとの会話がふと脳裏によみがえる。
――
「今回、呪物とされているものは、廃屋の内部にある遺影だと推測されます」
「へー」
「それを回収してきてください」
「はーい」
「……本当にわかっていますか?」
「大丈夫ですよー」
――
イタミは目の前のどんよりとした廃屋を見上げ、心底嫌そうに顔を歪めた。
「……絶対、でかい虫いるじゃん。最悪なんだけど。でも、所長のため」
ボソボソと文句を垂れながら、イタミはギィと音を立てる廃屋の引き戸に手をかけ、重い扉をそっと押し開けた。
スライドさせたその隙間から、澱んだカビと古びた埃の臭いが、むわっと鼻を突いた。
「うわ、くさ……」
イタミは思わず顔をしかめ、小さく舌打ちをする。
引き戸の先にあるのは、薄暗い家屋の奥へと真っ直ぐ伸びる板張りの廊下だった。
外の曇り空から差し込む光などわずかで、廊下の向こうはまるで闇に飲み込まれているかのようにどんよりと沈んでいる。
さらに、その廊下の突き当たり、家の一番奥の空間には、二階へと続く急な木製の階段がぽっかりと口を開けて待ち構えていた。
誰もいないはずの暗がりから、冷気がひたひたと這い寄ってくるような気配が漂っている。
「おじゃましまーす」
イタミは汚れないように慎重に、しかし気怠そうに一歩目を踏み入れた。
スマホのライトを頼りに、イタミは廃屋の中を進んでいく。
「遺影かあ……普通、仏壇のある部屋とかに置いてあるっしょ」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、イタミは次々と部屋を物色して回った。
やがて、古びた引き戸をガラリと開けて台所へ足を踏み入れた瞬間、天井からロープで首を吊っている男と、真っ正面から目が合った。
男は目をカッと見開き、口をぽっかりと開けたまま、そのギョロギョロとした目玉だけを動かしてイタミを睨みつけている。
「……」
イタミは数秒ほどその姿を直視したが、何の感慨も抱くことなく、そのままスルーして次の部屋へ進もうとした。
「おい……」
背後から低く掠れた声が響き、男がぐにゃりと手を伸ばしてきた。
「なに?」
イタミは面倒くさそうに振り返ると、持っていたスマホのライトをその男の顔面に直撃させた。
「まっ、まぶしっ……!」
男は慌てて両手で顔を覆い、苦悶の声を漏らす。
「だから、なに?」
イタミはライトをしっかりと構えたまま、冷めた目で問い詰めた。
「お前……怖くないのか……?」
「別に。てか、首つってんのに普通に喋れるんだ。」
イタミは興味なさげに呟く。
「……これ以上、この家を荒らすな」
「イタミは遺影が欲しいだけなの。それさえ回収できたら、こんなホコリ臭いとこ即効で出てくわよ」
吐き捨てるように言うと、イタミは首を吊っている男に背を向けた。
「待てっ!」
男が叫び声をあげながら、宙ぶらりんの体を必死にバタつかせる。
「どうせ縄から首外せないんだから、うるさいこと言わないで静かにしててくんない?」
相手にせず、イタミは次の部屋の敷居をひょいと跨いだ。
一階を一通り探し終えたイタミは、後回しにしていた家の一番奥の階段の前に立った。
「二階かあ……だるっ」
イタミの持つ類まれな霊感をもってしても、この廃屋は家全体の磁場が狂いすぎていて、ピンポイントで呪物の位置を察知するのが難しかった。
見上げる階段の上からは、青白い「白い顔」がいくつも重なり合うようにして、こちらをじっと見下ろしている。
歪んだ笑みを浮かべる者、怒りに満ちた表情の者、その表情は様々だったが、どれも一様に不気味な気配を纏っていた。
だが、イタミはそれに怯むどころか、特に気にする様子もなく階段を一段一段、気怠そうに登り始めた。
二階のフロアに近づくにつれて、どこからともなく女の湿った笑い声が耳元にまとわりつくように響いてくる。
「ふふふふっ……あはははっ……」
「……全然おもしろくないんだけど」
不機嫌そうに悪態をつきながら、イタミは階段を登りきって最初に目についた部屋の引き戸をガラリと開けた。
その瞬間、彼女は言葉を失った。
目の前の光景は、常軌を逸していた。
部屋の天井にも、壁にも、隙間なくびっしりと無数の「遺影」が貼り付けられているのだ。
こちらを凝視する幾千ものモノクロの視線が、一斉にイタミへと突き刺さる。
「そ……そんな……」
思わず、イタミは掠れた声を漏らした。
それを合図にしたかのように、部屋中に気味の悪い笑い声が一斉に響き渡る。
「あははははは!」
「きゃはははは!」
「ふっふふふふ!」
何十人、何百人もの声が重なり合い、頭が割れそうなほどの喧騒となって襲いかかる。
イタミは呆然と立ち尽くしたのち、心底うんざりしたように大きく息を吐き出した。
「……めんどくさっ」
「「「……えっ?」」」
あまりにも予想外すぎる反応に、部屋を埋め尽くしていた笑い声がピタリと止まり、異様な静けさが戻る。
「これ全部回収しなきゃいけないの? イタミ一人じゃ絶対無理じゃん!」
イタミは不機嫌さを隠そうともせず、ズカズカと気色の悪い遺影だらけの部屋の中へと踏み込んでいった。
イタミは部屋の中央でピタリと足を止めると、周囲の壁にスマホのライトを当てながら、じっくりと見渡した。
無数に並ぶモノクロの遺影の中から、イタミはある一枚の写真に目を留めた。
その遺影にしっかりとライトの光を合わせる。
写真に写っている四十代くらいの女性の遺影は、気まずそうに目を細めていた。
「ふふっ」
イタミは悪戯っ子のようにニヤリと口角を吊り上げる。
次の瞬間、彼女は床に転がっていた割れた食器の破片や、朽ちた木材の端材を掴み取り、その遺影めがけて容赦なく投げつけた。
「ぐっ……痛っ! やめろ、馬鹿! 物を投げるな! おい、このガキ……!」
衝撃と同時に、写真の中から女性の悲鳴と怒号が響き渡る。
「はいはい、うるさい。どうでもいいから、さっさとそこから降りてー」
イタミは相手の抗議を完全に聞き流し、さらに近くにあった瓦礫を拾い上げては次々と投げつけていく。
「この野郎……! 今すぐ呪い殺してやるからな!」
「はいはい、いいから早く。めんどくさいことさせないでよ」
イタミは冷めた声を浴びせながら、なおも容赦なくガラクタを投げ続けた。
やがて、耐えきれなくなったのか、目的の遺影がバタンと音を立てて床に落ちた。
「よいしょっと」
イタミはまるでゴミでもつまむかのような手つきで、その遺影をひょいと片手で拾い上げる。
(なんなのこのガキ……!? こいつには一切の呪いが効かない……霊的干渉すらできない……っ!)
遺影の中の女性は絶望と困惑に顔を歪めていた。
「じゃ、おじゃましましたー」
イタミは振り返ることもなく、鼻歌混じりにひょいひょいと部屋を出て、階段をスタスタと降りていく。
イタミが去っていくのに合わせて、廃屋全体が低い唸り声を上げていたが、当のイタミは上機嫌で外へと向かった。
*
その頃、廃屋の玄関先では、二人の祓師が今や遅しと心配そうに待ち構えていた。
「あの子……一人であんなところに飛び込んで、本当に大丈夫だろうか……」
中年の男が狩衣の袂にぎゅっと手を入れ、不安そうに古びた家屋を見上げる。
「いっそ、我々も後を追って入ったほうが……」
もう一人の壮年の男も、冷や汗を流しながら落ち着かない様子で足踏みをした。
「副所長から『手出し無用』と厳命されている。勝手に動くわけには……」
二人がピリピリとした緊張感で固唾を飲んだその瞬間。
重苦しい引き戸が気怠げに開き、ひょっこりとイタミが姿を現した。
「あ、お疲れさまでーす」
片手には、あの不気味な遺影をヒラヒラとつまみ持ったまま。
「く……釘屋さん、怪我はありませんか!?」
壮年の男は、目の前の光景が信じられないといった様子で、青ざめながら声を裏返らせた。
「大丈夫でーす。早く所長に褒めてもらわなきゃ」
イタミは、そそくさと送迎車の方へ歩いていく。
「「……」」
祓師の男たちは、片手でひらひらと遺影を持ち歩く女子高生の背中を見送りながら、しばらくその場で呆然と立ち尽くすしかなかった。
午後二時、九重観測所。
「へっへーん、どうだ見たか!」
副所長室のデスクにガツンと遺影を置くと、イタミは両手を腰に当ててふんぞりかえった。
「……まさか、こんなに早く帰ってくるなんて」
ウミは驚愕を隠せない表情で、机の上に置かれた遺影をそっと持ち上げる。
「イタミのスーパーパワーにかかれば、こんなの楽勝だもんねー」
勝ち誇ったように言い放つと、イタミはソファにドカッと深く腰掛け、用意されていた炭酸ジュースの缶をプシュッと開けた。
そのとき、ウミが手にした遺影の中で、四十代の女が怨念の籠もった真っ黒な目でウミをぎょろりと睨みつけた。
「……ふふっ」
しかし、ウミはその殺気立った視線に気づくと、薄気味悪い笑みを浮かべて微笑み返す。
「所長、いっぱい褒めてくれるかなー」
イタミは手鏡で自分の前髪を直しながら、ソワソワとしている。
「……ふふっ、今なら所長室にいらっしゃるはずです。報告がてら、顔を出してきたらいかがですか?」
「ホントに!?」
それを聞いた瞬間、イタミはパッと顔を輝かせ、散らかした荷物をカバンに放り込むと、飲みかけのジュースの缶をそのままにして部屋を飛び出していった。
「……」
バタンと閉まった扉の方を眺めながら、ウミは柔らかく微笑んだ。
「……おい、私をどうする気だ?」
遺影の中から女が低く冷たい声で語りかけてくる。
その瞬間、ウミの顔から先ほどまでの穏やかな笑みがスッと消え失せ、底冷えするような視線が遺影へと向けられた。
「……気にするだけ無駄です」
ウミは冷たく言い放つと、パタンとその遺影を裏向きにデスクへ押し付けた。
「イタミさんがいれば、早く計画が進みそうですね」
ウミは静かに笑う。
終




