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北条を継ぐ  作者: 辻 胡桃
2章 小田原で生きる
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6話 浅葱

 足柄山の朝は寒い。板敷きから伝わる冷たさに浅葱は目を覚ました。寝返りを打とうとして、腰に巻き付けられている縄で自由を奪われていることを思い出す。

 縄尻はヨネという女の手首に繋がっている。生命(いのち)は助けられたが信頼はされていない。

 ヨネはまだ寝息を立てていて、起きる気配はない。ぼんやり明るくなっていく家の中で、萱(かや)の天井を見上げた。

 風魔の根城だというこの屋形に連れてこられて十日ほどになる。同じ屋形に起居している仲間は十人ほどだが、ヨネ以外とは口を聞いたこともない。

 連れて来られた日に風魔の長に会った。

「若殿から風魔にて預かれと命(めい)を受けました」

 ヨネは目の前の男にそう説明する。再び縄を打たれたまま、浅葱はその男の前に引き出された。

 浅葱の前に立ったのは、初老の小柄な男だった。眉が太く、眼光は鋭い。対面すれば男とわかるが、体躯は線が細く、夜目であれば女性にも子どもにも見紛いそうであった。

(こんな男が長なのか)

 意外に思っていると、かさついた手で顎を持ち上げられ、上を向かされた。窪んだ眼窩から、じろじろと遠慮のない視線を向けられる。不快でも逃げようが無く、浅葱は黙ってその視線を受け止めた。

「若殿も酔狂じゃな」

 浅葱から手を離すと、長は吐き捨てるように言った。

「何かお考えがおありなのでしょう」

「命(めい)ならば仕方ない。ヨネ、手が掛かるが頼む」

 短いやりとりがあっただけで、以降その長の姿も見ていない。

 不思議で不気味な集団だ。


「起きたのか」

 隣から声を掛けられ、浅葱は顔だけを右に向けた。

「お前は朝が早いな」

 言いながらヨネは自分の左手から縄を外し、浅葱の腰縄も解く。これでやっと一日が始まる。

 井戸で汲んだ冷たい水で顔を洗い、身支度を整える。

 食事の前に訓練が始まる。

 持たされるのは短めの直刀。構えから、振り方、下ろし方、受け方。徹底的に型を叩き込まれる。隣でヨネが見ていて、彼女が納得いくまでは何度も繰り返させられる。

 褒めもしなければ、罵倒もされない。淡々と続く修行に、何某かの答えが欲しくて、刀を振り下ろした後で、縋るようにヨネを見てしまう。

「ヨネ」

 ヨネからは対等な言葉遣いでいい、と最初の日に言われている。ヨネは浅葱より年上のようだし、何より組織の先輩だ。尻込みしていたら、「周囲の者に関係性を探られる必要が何処にある」と言われ、納得してしまった。

 これまでの浅葱の常識が通用しないのだということも理解した。

「直すところがあったら、言ってほしい」

「特に無い」

「じゃあ何故、何度も同じことをさせる」

 浅葱が不満をぶつけると、ヨネは無言のまま俊敏な動きで、浅葱の着物の襟を掴み、彼女の喉元に己の短刀を突きつけた。鞘は抜いていないが、敵であれば生命が無い。

「⋯⋯っ」

「反応できぬであろう」

 悔しいがその通りだ。訓練が身についていないことを露呈している。

「覚えが悪いということか」

 初日の長の言葉が否応なしに甦った。

 ――若殿も酔狂じゃな。

 ――手がかかるが頼む。

 ここにしか居場所がないのに、ここですら否定されるのか。喉元の短刀を避けるように膝から崩れ落ちた。

「一朝一夕に身につくか。悔しいなら鍛錬しろ」

 慣れた手捌きで、ヨネは短刀を腰にしまった。

「ヨネはうんざりしないのか、こんな素人を相手にしていて」

「――素人だから、お前は生命(いのち)を助けられた。迷いがあっては、稽古していても無意味だろう」

 さっと、ヨネは屋形に引き上げる。

 怒りもしなければ、宥めもしない。

 感情の制御すら、ここでは全て己で行えということか。

 膝の泥を払って、浅葱は立ち上がった。


 田に水が張られ、農村が活気づき始める。浅葱が朝方寒さで目覚めることもなくなった。腰の縄は未だにほどかれていないが、訓練の苛烈さで浅葱の眠りが深くなり、ヨネに起こされる日が増えている。

 風魔でも田畑を持っていて、手の空いているものは田植えや種まきをしている。

 小田原城主伊勢氏綱という男は、頻繁に城外へ出ていくようだ。伴も僅かで、時には騎馬単騎で城下の街やら農村へ出向くのだ。

(そんなことある?)

 武蔵では見たことのない光景だ。

 氏綱がお忍びで出る時は風魔の誰かが、密かについて回ることが多い。大分、刀や秘密裏の行動が出来るようになった浅葱は、ヨネと共に氏綱の護衛につくことになった。

「お方様もか」

 馬上の氏綱の姿を確認して、ヨネが珍しく独りごちた。

 氏綱の姿をみるのは、祝言の夜以来だ。命を助けられはしたが、恩人などとは思えない。浅葱の氏綱に対する印象は冷ややかなままだ。

 二人乗りの駒はゆるゆると進むので、見習いの浅葱でもついて行きやすかった。追いつけないなら、置いていくとヨネからははっきり言われている。

 城の北側の久野の農村で、氏綱は駒を停める。

 自分が先に馬から降りると、馬上の女性に手をのべる。あれが氏綱の正妻らしい。図らずも調べようとしていたことが目の前にある。

 腰に手を添え抱き上げながら、ゆっくり地に下ろす。表情も所作も浅葱が目を瞠るくらい柔らかい。

(あんな顔出来るのか⋯⋯)

 自分に向けられた冷酷な眼差ししか知らない浅葱からすると、あの夜とは別人みたいだ。

 地主のところへ馬を繋ぐと、あっという間に氏綱の周囲に人が集った。

(なんじゃ、ありゃ)

 村の入り口の木の上から、氏綱の様子を見ていた浅葱は異様な光景に呆気に取られる。

 会話の内容は具に聞き取れないが、村人の様子から察するに、切羽詰まったものではなく、世間話に近そうだ。

「今年の苗の調子はどうか」だの「田植えの人手足りてるか」だの。

 氏綱はこの後も二、三の村を回っていたが、全て同じような調子だった。

「殿様が城内の田んぼを見て回ってるのか」

 それに風魔はわざわざついて回るのか。ばからしく思えた。浅葱には理解不能だ。

「何のために」

「見ていれば、わかる」

 相変わらずヨネは浅葱の疑問に、回答を用意しない。

(見てろと言われても)

 村内を隈無く巡回し、話しかけられれば立ち止まって答え、田植え中の農民には「精が出るな」と声をかける。

 平和過ぎる光景で、浅葱は欠伸を噛み殺すのに精一杯だ。


 だが、四つ目の村を出る時、氏綱はわざわざヨネの潜んだ木陰までやってきた。

 村を出る素振りで、ヨネに何か言葉を残す。ヨネが短く頷くと、すぐに待たせてあった馬に乗り去っていってしまった。

「降りろ」

 ヨネに言われ、浅葱は木から飛び降りた。

「何かあったのか」

「この村の名主を夜明けまでに城まで連れてこいとのことだ」

「なんで」

 浅葱の疑問にヨネはじっと村の方へ目を向けた。何事もなかったように、皆、田に戻っている。

「恐らく隠し田であろうな」

 台帳に載っていない田があるということか。

 ヨネの回答に浅葱の背筋をぞわっと冷たいものが走った。

(ならば今日の巡回は)

 村人と握り飯を食い、農民の話に耳を傾け、何食わぬ顔をして、田のあぜ道を歩いていた男の姿を思い返す。

 あれは全部、目と耳で勘定していたということか。可能なのか?そんなことが。

「相模国は他国より取り立てる税が少ない」

 ヨネがぽつりと説明を加える。

「だから年貢の取りこぼしは許さない、ということか」

 ヨネは答えない。答えないのが肯定だと、最近ようやくわかってきた。

 人が寝静まるのを待って、ヨネと浅葱は久野の名主藤兵衛の家に忍んだ。

「殿からのお召しだ。手荒な真似はしたくない」

 暁闇の中、ヨネは後ろから藤兵衛の首に華奢な腕を巻きつけ、もう片方の手で短刀を突きつける。

 藤兵衛は大きく息を呑んだが、抵抗はしてこない。がっくりと肩を落とし、力の抜けた手を、浅葱はひとまとめにし、縄でぐるぐる縛った。

 小田原城の裏手門に待機していた侍に引き渡して、ヨネの仕事は終わりらしい。

 既に空は白みかけていた。

「あの人これからどうなるんだ?」

 足柄への帰路、浅葱はヨネに尋ねてみる。

「隠し田についての審議をして、故意に隠してたことがわかれば⋯⋯」

「斬首?」

「まさか。これまでの分を納めさせて、今後はきっちり取り立てる。それだけだ」

 ヨネが少し足を早める。会話を終わらせたい意思表示か。

「けどさ、やり方が陰湿だよな。」

 わざと強い表現を使うと、ヨネは即座に振り返る。

「殿の悪口はやめろ」

「ヨネは殿が好きだからな」

 浅葱がからかっても、ヨネは顔色一つ変えない。

「お前と同じだ」

「同じ? いやいや私は」

 好意を否定しようとする浅葱を遮って、ヨネは続ける。

「――七年前、酒匂(さかわ)川が氾濫した。村ごと流された。柱にしがみついて、中州に引っかかった私だけ生き残った。途方に暮れて泣いてたら、殿が拾ってくれた」

 ヨネの身の上話は初めて聞いた。凄惨な、けれど今も何処かの国で起こっていそうな話だ。

 そして――あの若殿なら、領内の洪水の被害を見て回るなんて、いかにもやりそうなことだ。

「恩がある。だから――信じてるのか」

「お前もそうしろとは言わん。だが――生かされてることは忘れるな」

 浅葱の嘲りの色を感じ取ったか、ヨネは吐き捨てるように言って、また背を向けた。

 下手なことをしたら生命はいつでも取れるということか。釘の差し方がいちいち怖ろしい。

 小さく息をついて、浅葱はヨネの背中を追いかけた。


「――もう、これはいいか」

 寝る前の腰の縄を締めなくなったのは、浅葱が足柄に来て、三月(みつき)が経たぬ頃だった。

「信頼されるまで大分時間かかったな」

「疑り深い一族で悪いな」

 言いながらヨネは短刀で縄を切る。

 久しぶりに思い切り寝返りを打てる。浅葱はヨネに背中を向けて、目を閉じた。

 三日後は満月の夜だった。フクロウの鳴き声がやけに響き、その声に混じって、ヨネの寝息も聞こえた。

 息を潜め、浅葱はゆっくりと身体を起こす。まだヨネの寝息は聞こえる。

(修行の成果だな)

 身体は軽く、動きは疾い。またたく間に浅葱は屋形を抜け出した。

 足柄山に懸かった月は大きく明るかった。夜目の効かない浅葱でも麓まで走れそうだ。

 胸元に忍ばせていた草鞋を取り出したのだが、紐がうまく結べない。寒くもないのに、指先が震えていた。

(何でだ)

 ここまで順調だったのに。焦れば焦るほど、紐がもつれる。

「江戸に帰るのか」

 低い声で咎められ、浅葱は心臓が止まりそうになる。誰の声か認知していたが、それ故に怖ろしい。

 ゆっくり振り返ると、仁王立ちの氏綱とその傍らに膝立ちのヨネがいて、浅葱は今度こそ死を覚悟した。

(こんなとこまで⋯⋯本当に神出鬼没過ぎるだろ)

「何でここに⋯⋯」

「逃げるなら今宵であろう」

 氏綱も浅葱の背後の満月に目を向ける。

(やられた)

 解いた縄は信頼したからではなく、逃げる機会をわざと与えるためか。

「斬ればいいだろ」

 開き直って、二人に向かい合って胡座をかいて座り込む。強がってみても声は震えた。

「お前の生命などいつでも奪れる」

 凄んで見せてから、氏綱は地面に片膝をついた。浅葱の両肩を引き寄せて、言う。

「――お前の主、扇谷(おうぎがやつ)上杉家家臣太田資高(おおたすけたか)殿に繋ぎをつけたい」

 決して明かしたくなかった主の名があっさりと出され、浅葱は慄いた。言うだけ言うと、氏綱は立ち上がり、浅葱の反応を窺うように、一歩下がる。

「⋯⋯」

 何で、と喉元まで出掛かった疑問を、無理やり飲み込んだ。だが、表情には既に出ていたのだろう。

 氏綱は懐から短刀を出してきて、空に投げ上げる。月明かりに照らされれば、見覚えがあるもの――捕らえられた時に奪われた、浅葱の短刀だ。

「鞘に施された桔梗の花は、太田家の家紋だからな。――違うか?」

 落下してきた短刀を再びしっかり握りしめて、浅葱の顔を見る。

「いかが致す」

 伊勢家の内部に入り込み、隙を窺って江戸まで逃げ帰るつもりであった。

 まんまと泳がされていた。欺いているつもりで欺かれていたのはこっちだった。

 全部この男の掌の上だったのが悔しい。

「私に何をしろと」

「これを渡してくれれば、いい」

 氏綱は懐から書状を差し出す。何処まで周到な男かと、浅葱は舌を巻く。

「資高様を裏切れということか」

「違う。出来もしなさそうなことは頼まん」

「⋯⋯わかった」

 選択肢などほぼ無かった。不承不承頷く。

 ヨネが無言のまま、食料や路銀は持たせてくれた。怒ってはいるのだろう、目も合わせてくれない。

「これは返す」

 と最後に渡されたのが、桔梗花の短刀だった。

『よいな。構えて無理はするな』

 この短刀を浅葱に託してくれた主、資高の声と温度が甦る。じわりと掌が熱くなり、大きめの鞘は浅葱の手に驚くほど馴染んだ。

 何が無理だったのか、何処で引き返すべきだったのか、もうわからない。

「必ず戻って参れ」

 氏綱の言葉は奇しくも、自分を小田原へ送り出した時の主と同じものだった。


 朝を待って、浅葱は江戸へと旅立った。

 

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