30話 糸
氏綱との対面が叶ったのは五日後だった。だめかと諦めてた頃に、芙蓉からそっと耳打ちされた。
指定された間で、浅葱は氏綱が来るのを待つ。既に四半刻は過ぎている。その間、鼓動は早鐘を打ちっ放しだ。
このまま来なくても、朝までここで待つしかないだろうか。そんなことを考え始めた頃、漸く氏綱は現れた。
「待たせたな」
そう言い、氏綱は一段高い床の間でなく、浅葱の前に腰を下ろす。
(近い近い近い)
腕を伸ばせば届きそうな距離に氏綱はいる。
「太田殿の件で話があると言ったな」
「は、はい⋯⋯お願いの儀がございます」
「申してみよ」
芙蓉にかけられたような圧はなく、氏綱の声は軽い。頬杖をつきながら、少し斜めの角度で浅葱を見る目も、何処か面白がっている風だ。
「伊勢家と太田家の縁についてでございます。太田資高様は恐らく仕えるべき主家を迷っております。私が両家を結ぶ縁になればと思い、殿への対面の儀、お方様に願い出ました」
「糸自ら動くか」
(糸⋯⋯?)
氏綱の言葉の意味を測りかねてしまう。
氏綱はしばらく黙って考え込んでいた。
答えを待つ間の沈黙が重い。浅葱の心臓の動きが再び忙しなくなる。
「浅葱。外の空気を吸いたい。しばし付き合え」
「え」
呆然としている浅葱を置き去りに氏綱は立ち上がり、部屋の外に出てしまう。
(なんで。どういうこと)
訳のわからぬまま、浅葱は氏綱を追いかけた。
氏綱は迷いのない足どりで城の外に出る。
連れてこられたのは、小田原城からほど近い場所にある神社だった。
境内は仄かに木の香りがする。白木も新しく完成したばかりのようだ。
社殿の脇に聳える楠木に満月が浮かんでいる。
(この人と満月の組み合わせ、嫌なことしか思い出さない)
胃まできりきり痛みだした。そんな浅葱の心境を無視したように、氏綱は語り始める。
「ここは居神神社という。三浦氏の鎮魂のために建立した社じゃ」
「はあ⋯⋯」
それと私と何の関係が。浅葱の返事は至極適当なものになる。だが浅葱の困惑は無視して氏綱は続ける。
「秋にこの神社で祭礼を行いたい」
「は、はい⋯⋯」
「その祭礼の日に、太田資高殿をこの神社にお招きしたい。――連れて来られるか」
「⋯⋯」
やっと氏綱の意図を理解する。改めて、浅葱は社殿を見渡した。
てっきり最初の時のように書状の遣いだと思っていたのに。
「ここに⋯⋯ですか」
敵地同然の場所に、資高を連れてくる。――可能だろうか、そんなことが。
「難いのはわかっているが、そなたにしか出来ん」
そなたにしか出来ん。そう言われ、胸が引き締まる。伊勢家の者では資高は信じない。逆に太田家の者では氏綱の意思を伝えられぬ。
「伊勢家は太田家との誼を願っている――とお伝えしてよろしいですか? けして、罠に嵌めたりせぬと」
「無論じゃ」
氏綱の言葉に嘘はないだろう。問題はそれを資高に信じさせられるか否か、だ。浅葱に託された荷は重い。
「太田殿のお立場は氏綱より窮屈じゃ。簡単には決められぬだろうが、会えば分かり合える気がしている。そなたのせいかもしれぬな」
『わしと通じる部分があると思うが』
いつぞやの資高の言葉が浅葱の脳裏に甦った。
(殿と同じことを思っている⋯⋯?)
「やってみます――」
出来ます、とは言えなかった。それでも浅葱の言葉に氏綱は満足そうに微笑む。
書状を書くから城に戻る、と氏綱は境内と道を結ぶ階段を降り始める。
その背中に思わず語りかけていた。
「あの。初めからここまで見越していらしたんですか」
浅葱が資高の為に動く。それを最初から見透かされ、待たれていたようにすら思えてきた。
(――あの満月の夜から?)
何処までが想定内だったのか、浅葱には氏綱の心情が読めなさ過ぎる。
石段の中程で立ち止まり、氏綱は浅葱を振り返る。
「そんなわけがなかろう」
「ですが」
「芽を摘まぬように、糸を切らぬようにしているだけだ。手探りなのはみな同じじゃ」
資高の選択の余地を広げるための糸。
何本もあれば、手繰り寄せる未来を選べる。その一つに自分がなれれば、良い。
やるべきことが見え、浅葱の覚悟が決まる。
「頼んだぞ」
氏綱からの書状を胸に、浅葱は三度目の江戸に向かうことになった。




