↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北条を継ぐ  作者: 辻 胡桃
6章 糸を結ぶ
PR
33/33

31話 野分立つ


江戸城の軒に吊るされた風鈴が風に揺れて、チリンと清涼な音を奏でた。けれど、その音に気づいたのは浅葱だけだ。

資高の目は一心に、氏綱からの書に向いている。

読み終えた途端、資高は大きく溜息をつき、額に手を置いた。久しぶりに見た主の顔は、少しやつれたように見えた。

苦悩する主人に浅葱は心の底から同情する。

書状の内容を浅葱は具に知らないが、浅葱が伊勢氏綱から下された命はこうだ。

「祭礼の日に、太田資高殿をこの神社にお招きしたい。――連れて来られるか」

無理難題にも程がある。

「――小田原城の鬼門に位置する神社で対面願いたい、とある。なかなか難題吹っかけてきた」

苦笑いしながら、資高は書状を文机に置いた。

「伊勢家二代目当主の元、小田原の街は変わろうとしています。一度、様子を窺い、伊勢氏綱という男に会ってみるのも一興かと存じます」

「それは氏綱から言われた口上か?」

「いえ。これは、梓の勝手な見解です」

きっぱり言うと、資高は意外そうに眉を上げた。

「氏綱嫌いだ苦手だと言ってた割には、随分と変わったな。お前を小田原に長く置きすぎたか」

「いえ。苦手に変わりはありません。此度のことも何を考えているか梓には計り知れません」

正直にきっぱり言うと、資高は何処か安心したようにふっと笑った。

「それでもそなたは主に敵地に赴けと言うか」

資高の警戒はもっともだ。けれど、浅葱も簡単に引けなかった。これは氏綱から下された命じゃない。何より浅葱自身の願いが籠もっている。

「――氏綱はこうも申しておりました。伊勢家は太田家との誼を願っている。太田殿の立場は氏綱より窮屈だ。簡単には決められぬだろうが、会えば分かり合える気がしている」

浅葱の必死の訴えを、資高は無言で聞き入っていた。目に感情はない。届いているのか、わからなかった。

「⋯⋯そうか」

間をおいてから、資高は静かに言った。

「まだ時はある。ゆっくり考える故、そなたは休め。すぐに返事を持ってこいなどと言われてるわけではなかろう」

「はい」

資高は書を手にしたまま奥に引っ込んでしまった。

一人残された室内に風鈴の音がまた響き、浅葱の耳朶を震わせた。



夜、自室にて資高は改めて氏綱からの書を開いた。全くふざけた書状だった。

――太田殿よりお預かりしているものについて、お話したい。ついては、小田原城の鬼門に位置する神社で対面願いたい。

梓のことを指しているのは明白で、その他内応のことなど一切触れてない。

(何を話すと言うのだ)

行かなければいい。行く意味は無い。そもそも梓は今、ここに帰ってきている。

資高が決断しなければ、この「糸」はそのまま切れる。

何事も無かったかのように、梓は今まで通り、江戸城にて資高の近辺に侍し、資高は朝興に仕えるだけだ。

(その未来が見えぬから、梓を小田原に行かせたのではないのか)

幾ら書状を見つめていても答えが出るはずもない。


「資高」

どたどたと忙しない足音が響いて、資高は慌てて氏綱からの文を経箱の一番下に隠す。

資高が朝興を待つ姿勢を整えたところで、朝興はちょうど部屋に入ってきた。

「某の方からお伺いいたしますのに、お越し頂き申し訳ござりませぬ」

「同じ城内じゃ。それほど畏まることもあるまい」

江戸城には現在、曲輪が三つあり、それぞれに作られた建物が回廊で繋がっている。中央の曲輪に朝興が、一番海側の曲輪に資高は居住している。

「しばらくまた河越の方に行ってようと思ってな。留守をそちに頼みたい」

「留守は構いませぬが⋯⋯あちらで何かございましたか」

「いや。何かと言うわけではないのだ」

朝興は言葉を濁す。そういえば、河越に朝興の愛妾がいて、近頃娘が生まれたらしい。会って、しばらく傍にいたいのだろう。

「⋯⋯かしこまりました」

発した声の冷ややかさに自分でも驚く程だったが、朝興は特に気にした様子もない。

「そちがいるから、わしは安心して江戸を離れられる」

上機嫌で百程の兵を引き連れ、河越城に向かっていった。

朝興を見送り、資高は自室に戻り、床に身体を投げ出した。

天井の欄間に彫られた桔梗の紋が目に入る。

太田家は始祖以来ずっと扇谷上杉家と共にあった。

伯父の道灌は扇谷上杉家を支え、そして最後には、その主家に殺された。

父は一時、山内上杉に従属し、その後再び扇谷上杉に従っている。

戻った理由の詳細は知らぬが、連綿と続く太田家の血が、資高の思考も行動も縛っているように思えた。



資高が心を決められぬまま、日は過ぎてゆく。

嵐の前兆のような強い風が吹きつけている。窓に吊るした風鈴が騒がしい。

一旦外そうと資高は軒先に手をのべた。空には黒い雲がかかり、今にも雨が落ちて来そうだ。

江戸城中の板戸を閉め切らせ、嵐に備える。風の通り道がなくなり、停滞した不快な空気が江戸城内に満ちた。

晩夏の嵐は秋を連れてくる。氏綱に言われた対面の日が迫っていた。

「梓、梓はいるか」

薄暗い城内で親しんだ名を呼ぶと、梓はすぐに資高の前に現れた。

「ひとつ聞きたい」

「はっ」

「氏綱が指定してきた日時、何故この日なんだ」

「祭礼があると申してました」

「祭礼⋯⋯」

人が集まる。街が賑わう。そのどさくさに、自分を招き、何をしたいのか。何を見せたいのか――。

「決断力のない男だと呆れてるか」

いつまでも答えを出さぬ自分を梓はどう見ているのか。自嘲しながら資高は言う。

「いいえ」

梓は即座に否定した。資高は梓を見つめた。

「氏綱はこうも言ってました。芽を摘まぬように、糸を切らぬようにしているだけだ。手探りなのはみな同じじゃ、と」

(手探りなのはみな同じ。戦乱の世で何が正しいかわからないから、糸を切らない)

それは判断の甘さではなく、可能性を潰さぬための戦略。

「だからお前を生きて返してきたのか⋯⋯」

何年も前の氏綱の行動の理由がやっと理解できた。

「はい。なので此度も殿自ら、糸を切らぬようお願いしたいのです」

わけがわからぬ男と言いながら、確信を持った目で言う梓が面白い。

遠く雷が鳴った。嵐はもう来ている。

「糸を切るな、か⋯⋯逃げてばかりもおれぬな」

「はい」

梓の目は資高に注がれたままだ。昔と変わらぬ資高を信じ切った目。

何が変わるかわからない。だが、会わなければ何も変わらない。

「――氏綱に会ってみるか」



二カ月ぶりの小田原は浅葱の目には少し変わったように映った。

(道が整備されてる⋯⋯)

身分を忍んでの道行となる。資高の装いも、直垂には家紋もなく、生地も木綿で質素なものだ。

「明るい街だな」

資高が呟く。資高につられるように、浅葱も改めて小田原の街の景観を眺めた。

相模湾に並行するように整えられた街道。箱根山地の山裾に広がる足柄平野。頭上に広がる空は、広く明るい。

「⋯⋯」

明日の準備なのか侍たちが多く沿道にいて、浅葱はついきょろきょろしてしまう。

「どうした」

「いえ、あの、その辺に氏綱いそうな気がして。会いたくないなと」

「いるわけないだろう」

杞憂だと資高は笑う。


東海道を少し逸れた寺院に泊まるよう氏綱から指示があったので、そこに宿を取る。飾り気のない質素な宿坊だった。


「落ち着かんな」

案内された部屋の真ん中に座り込み、資高は居心地悪そうだ。

「仕掛けとか、伏兵とかいないと思います。が、寺見回ってみますか」

「度量の小さい男に思われるからやめろ。ここまで来たら、信じるしかないだろ」

苦笑いで制されて、浅葱は浮かしかけた腰を落とした。

部屋の戸は明け放たれ、小さな庭が見える。

白い玉砂利が敷き詰められ、石の手水鉢に鹿威しが時を奏でるように水を落とす。庭の石灯籠に火が灯された頃、ヨネが現れた。

ヨネが資高の前に侍る際、一瞬だけ、ヨネとは浅葱を見たような気がした。

「ご無事の到着祝着にございます」

ヨネは相変わらず淡々と感情を籠めない声で言い、明日の対面の時刻を伝える。

「御苦労」

資高の言葉を合図に、ヨネは即立ち去る。浅葱は反射的にヨネの背中を追いかけていた。

「ヨネさん」

寺の境内の石畳の上で、ヨネは立ち止まり浅葱を振り返る。

「ヨネでいい」

無表情でそう言われ、風魔での日々を思い出す。話す言葉も決めぬまま、反射的にヨネを追っていた。

「あの夜。あんな形で出て行って⋯⋯」

悔いはない。けれど、ヨネへの申し訳なさは常に心の隅にあった。水に沈んだ石のように、自然には流れて行ってはくれない。

「――悪かった」

謝罪を口にした浅葱を、ヨネはしばらく梓を見ていた。

「お前の忠義はそれなんだな」

独り言のように言うと、浅葱の反応を待たずに、ヨネは今度こそ行ってしまった。

「忠義⋯⋯?」

浅葱は一人、ヨネの言葉を反芻してみる。

許されたとは思えなかった。けれど、胸の淀みに沈んでいた石は、言の葉に押し流されたように消えていた。

いつの間にか日は落ちて、海の上には弓張月が浮かんでいた。

何がどうなれば、資高にとっていいことなのか浅葱にはわからない。けれど、だからこそ願いたい。資高の進むべき道が、少しでも平らかであるように。

(手探りなのは、みな同じ)

本堂の釈迦如来に祈りを捧げ、浅葱は資高の元に戻った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。