28話 道を繋ぐ
「ここの道幅が三間⋯⋯でも、ここで急に狭くなって二間半⋯⋯」
小田原の絵図と実際の場所を見比べながら、盛昌は呟く。
神輿の列と見物人の立つ場所の確保と考えれば、二間半では狭い。
(ここは道幅拡張⋯⋯)
筆を取り出し、その場で書き込んでいたら。
「盛昌」
名を呼ばれ振り向くと、遠山直景が立っていた。
「道の整備か、お主も大変じゃのう」
盛昌の手にしているものに気が付き、直景は同情する。
「遠山殿は⋯⋯」
「わしは検地の下準備にあちこち回っておる」
「ああ⋯⋯」
そういえば検地も行うという話だったか。
盛昌は居神神社祭礼のための道路整備を氏綱に一任されている。
直景は松田、石巻らと検地の作業に取りかかっているようだ。過去の台帳との比較とか、取れ高に対する年貢の割合とか、数字の照合は盛昌の苦手分野だ。
(人使いは荒いけど、配置は正しいんだよな、あの殿は⋯⋯)
とりあえず忙しいのが自分だけではないとわかっただけでも、若干気持ちが軽くなる。
しかし、直景の方はまだ言いたいことがあったらしい。
「まさかあんなに峻烈なお方とか思わなかった。代が変わったばかりで、はりきっておられるのはわかるが、少し勇み過ぎではないかのう」
扇で口元を隠しながら、こっそりと盛昌に愚痴を言ってくる。
けれど長年、近習として氏綱の傍にいた盛昌からすると、返事はこれしかない。
「いや、以前からあんなお方ですよ」
「そうか?」
盛昌の回答は直景の期待にそぐわなかったようで、「そうかのう⋯⋯」と首をひねりながら、城へ戻っていった。
盛昌の父重時は、山内上杉氏との戦いで帰らぬ人となった。その時盛昌は元服前で太郎と名乗っていた。
「すまぬ⋯⋯」と父を亡くした盛昌に宗瑞は膝をついて詫びてきた。
父の死は勿論衝撃で悲しかったのだが、父の主君である宗瑞に謝られ、困惑の方が勝ってしまった。
何と声をかければ良いのか。困り果てて立ち尽くした盛昌の後ろから。
「父上、太郎が困っています。おやめください」
宗瑞の感傷を一刀両断にしてきたのが、当時千代丸を名乗っていた氏綱だった。口数の少ない物静かな若様だとばかり思っていたから、この出来事は盛昌にとって衝撃で、未だに脳裏に焼き付いている。
自己満足な謝罪だと嫡子から指摘を受け、宗瑞は即座に立ち上がる。
「悪かった。これよりは、わしを父と思え」
普段の豪快な笑顔でそう言い、宗瑞は幼い盛昌が困らぬように手を打ってくれた。元服の際の烏帽子親も宗瑞だ。盛昌の「盛」の字は宗瑞の諱「盛時」からの偏諱となる。
氏綱は、わかりやすい男かといえば絶対に違う。が、情のない人間でもない。そして、昔から変わってもいない。
背中に当たっていた日差しが急に陰り、振り向くと既に空は薄暗くなっている。
冬の日は短い。やりたかったことの半分も終えぬまま、盛昌は帰路についた。
「盛昌さん、お帰り」
邸に帰ると、真っ先に富三こと葉凪の声がした。見ると子どもたちにせがまれたのか、動物の絵が沢山散らかっている。
葉凪の絵を踏まないように、部屋の奥に入り、座り込むと長女の苗が甘えて膝の上に乗ってきた。
「疲れてそうだね、大丈夫?」
座るなりため息をついた盛昌に、葉凪は心配そうに声を掛ける。
葉凪は二年前、京都から盛昌が連れてきた。あの時、どういう経緯で葉凪が小田原に移住することになったのかは知らないが、氏綱からはこう言われた。
「富三の住まいを用意してやってくれ」
「⋯⋯」
天から家が降ってくるとでも思ってるのだろうか。
すぐに家屋を用意できず、仕方なく葉凪は盛昌の屋敷に住まわせた。暫時のはずが既に二年。
最初は居候を申し訳なさそうにしていた葉凪だったが、すぐに馴染み、子どもたちの相手をしてくれ、今では家族のようになっている。
「あ、ああ。なかなか思うように作業が進まなくてな」
来年の秋に祭礼を行いたいと氏綱は言った。つまり、それまでに道を整え、区画を整理しなければならない。
「お祭りやるんでしょ? 助左さんの馴染みの大工さんがお神輿作ってるって言ってた。この街でそんな大掛かりなお祭り見たことないから楽しみだって」
「そうなのか」
職人達の間でも話題になっているとは知らなかった。葉凪も小田原で人脈が広がっている。
小田原の水は合っているようだから、もう京には戻らないだろう。
今回の街の整備で、葉凪のような職人達の街も作りたい。
(もうひと頑張りするか)
自室にこもり、盛昌は懐から図面を取り出し、変更を加えたい箇所を朱筆で修正していった。
畦道に菜の花が咲き始めると、小田原の街が一気に春めいてくる。
新しい季節の訪れに、少し焦りを覚える。氏綱から命じられた街作りはまだ半ばだ。
「もーりーまーさ」
城内で可愛らしい声で呼びかけられ、盛昌は本曲輪と二の曲輪の渡り廊下で立ち止まった。
振り返ると、伊豆千代丸が先年産まれたばかりの姫を抱っこして、立っていた。
(怖い怖い怖い)
苦笑いしながら、盛昌は伊豆千代丸に近づいた。
「若君、立派な兄上になられましたな」
「可愛いであろう、妹の絢」
伊豆千代丸はまだ幼い姫を脇を両手で支えて、盛昌に見せびらかすように前につきだした。
正直、可愛さより、伊豆千代丸の抱き方の危うさが怖くて仕方ない。盛昌がどうやって伊豆千代丸から絢姫を引き取ろうか悩んでいたら、芙蓉が現れた。
「伊豆千代丸、絢を⋯⋯あら、大道寺殿」
芙蓉も盛昌に気が付き足を止める。先に、芙蓉が伊豆千代丸から絢姫を取り上げ、腕に抱いてくれたので、盛昌は密かに胸を撫で下ろした。
「お方様にはご機嫌麗しゅう」
盛昌は平伏し、芙蓉に形通りの挨拶をする。
滅多に会うことはないが、相変わらず芙蓉は気品に溢れ、美しい。
「大道寺殿にもお変わりないですか。殿にまた無理難題を押し付けられたと伺っていますが」
「ははっ」
芙蓉に心配され、盛昌は思わず空笑いをする。
誰からどんな風に聞いているのだろう。氏綱が自ら言うわけもないのだから、直景辺りか。
憂い顔で芙蓉は続ける。
「私などはいつものこと、と慣れておりますが、ご家中の方には代が変わって、今までのやり方と違うと戸惑われている方も多いでしょうか」
要するに、芙蓉の心配は盛昌にではなく、氏綱に向けられているもののようだった。
利発で優しい若君と愛らしい姫がいて、正室は聡明で殿のことを第一に思ってる。
(あーもう、羨ましい。どんだけ前世で徳積んでるんだよ)
「お方様自ら、家中の者の殿への誤解を解いて回ってらっしゃるのですか?」
芙蓉の問いの真意を指摘すると、芙蓉は「あ⋯⋯」と一瞬口ごもり、赤くなった顔を俯かせた。けれどすぐに顔を上げ、自らを笑うように微笑みながらこう言い切った。
「そうですね、そう聞こえますね。差し出口ご容赦くださいませ」
「殿の無理難題はいつものことです。私にしか出来ぬ役目と心得ておりますので、ご心配なく」
「大道寺殿がそのような方なので、殿の信頼も篤いのでしょうね。これからもどうぞ殿をお支えください」
凛とした涼やかで、耳に残る声で言い、芙蓉は深々と頭を下げる。
(殿にはもったいないお人だよな)
「盛昌、またね」
と手を振る伊豆千代丸に手を振り返し、盛昌は氏綱の待つ居室に向かった。
「道の整備進んでいるか」
開口一番、氏綱に尋ねられ、盛昌はぼろぼろになった小田原の絵図を見せる。手入れが不要の場所、必要な場所、既に終わった場所。この三ヶ月の盛昌の働きがこの絵図に全て記されている。
「⋯⋯順調か?」
想定より遅れていると判断したのか、氏綱が盛昌に尋ねる。
これからやらねばならぬことの方が多いのは確かだ。けれど、まだ半年以上期間はある。
「秋の祭礼には間に合うかと」
「助けが必要な際は申せ」
盛昌の返答に対し、氏綱はそう言い、配慮を見せる。
「殿が手伝ってくださいますか」
茶化して言うと、氏綱は「ばかを抜かすな」と悪口を投げ返してきた。氏綱にそんな暇が無いのは盛昌も承知している。この返答も想定内だ。
「で、あれば要りません」
氏綱の構想を具現化出来るのは、自分だけだと盛昌は自負している。他者が入れば、説明のための作業が増えるか、完成型が歪むかだ。どっちみち意味がない。
「わかった」
盛昌の意図を汲み取ったのだろう。氏綱は柔らかく笑った。
「盛大に行いたいのう。小田原の街は伊勢家の街じゃと内外に聞こえるような」
修正やら完了を示す取り消し線で、盛昌以外には何が何やらわからなさそうな図面を見て、氏綱が呟く。
恐らくその目には祭礼当日の小田原の様子が映ってる。
年貢の取り立てを軽くし、印判を作って役人たちの不正の芽を潰し、こうして道を整え、街の賑わいを作る。
一歩ずつ、だが着実に、氏綱は理想を現実のものとしていく。
(まあ⋯⋯ついていくしかないんだよな、この人に)
亡くなった父も恐らく、同じような思いで宗瑞に従って、京から駿河へ下向したのではないか。
今となっては言葉も交わせぬ父の心境をそんな風に慮る。宗瑞の「すまぬ」は道半ばで失ってしまった家臣、いや友への悔恨の情だったのだろう。とても幼い盛昌が受け止め切れるものではなかったが。
(殿は⋯⋯俺が死んだらどうすんのかな)
親子二代でなんだかんだ同じような道を歩んでいるのが面白い。
「殿、絶対成功させましょうね」
「頼んだぞ」
短いけれど確かな氏綱の信頼の声を受け取って、盛昌はまた現場に戻った。
秋の日は早い。先ほどまで茜色だった空が、もうぬばたまの闇に落ちている。
工事用の足場などは全て撤去した。紙垂も取り付け、篝火も等間隔に焚き、祭りの演出も据え置いた。
真っ直ぐに同じ幅に伸びた道を満足気に歩きながら、盛昌は帰路につく。
ふと反対側から歩いてくる男が目に止まり、盛昌は慌てて歩を早めた。
「殿?」
よもやと思ったが、やはり氏綱だった。
「祭りが明日だから街の様子を見に来た」
軽率に領内を歩き回る癖は、当主になる前と変わっていない。
「いい街になったな」
自分の歩いてきた方を振り返りながら、氏綱が満足気に目を細めた。恐らく馬出門から出て、明日の神輿の道筋を全て辿ったのだろう。
多くを語らない氏綱らしい褒め言葉だ。
「明日が、待ち遠しいです」
「そのことなんだが――今ひとつ頼みたいことがある」
「え」
嫌な予感しかせず、盛昌は絶句する。
とりあえずすぐ近くの盛昌の屋敷に氏綱を案内した。
「お殿様」
いつものように盛昌を出迎えた葉凪は、予期せぬ来訪者に目を輝かせた。
「なんだ、お前まだここにいたのか」
対する氏綱の葉凪への返しはぞんざいだ。
(まだ、って知ってたのかよ、葉凪がうちに居候中のこと)
「居心地良くて。でももう出ていく。盛昌さんが、おいらたち職人の町も作ってくれたからね」
「そうか」
明日のお祭り楽しみにしてるねー、と奥に向かう氏綱を葉凪は両手で手を振って見送る。
久しぶりに元の飼い主に会えて尻尾を振って喜ぶ犬みたいだった。
「――で、頼みとは」
最奥の部屋の戸を締め、二人きりで相対したところで、盛昌は切り出した。
「神輿は午の刻より馬出門を出る予定じゃったな。町中を巡り、未の刻に戻ってくる」
既に氏綱の頭の中にも明日の予定が埋め込まれているようだった。
「御意」
「では、その間居神神社境内に人が立ち入らぬようしてほしい」
「⋯⋯」
氏綱の突拍子もない依頼に盛昌は絶句してから、深く溜息をついた。
祭りの最中、不特定多数が多く押し寄せる市中で、そんなこと不可能に近い。そもそもやる意味がわからない。
「無理ですよ」
「そこを曲げて何とかならんか」
「そもそも無人にして何をされるんです」
「人と会いたい」
「城内で会えばよろしいのでは」
「わしがあの男なら城には入りたくないからのう」
訳あり決定だった。密会だ。
「殿の警護はいかがします」
「要らぬ。恐らく向こうも疎かな真似はせん」
城に呼びつけられないような相手なのに、妙に信頼してるのが気にかかった。
「して、どなたにお会いになるのですか」
聞いたところで⋯⋯と半ば諦めつつ、盛昌は氏綱に尋ねてみる。
が、盛昌の予想に反して、氏綱はあっさり口を割った。
「太田資高殿じゃ」
そして、想定以上の大物の名に、盛昌は生唾を飲み込む。いつから調略を仕掛けていたのか。
江戸城にて、扇谷上杉家の家老を代々勤める太田家。彼がこちらに内応するのなら、武蔵への大きな足がかりとなる。
そして、それならば氏綱の無茶な命も合点がゆく。
「――なるほど」
やれるわけない、から、やってみる価値がある――と、盛昌の意識が変わる。
「やってみましょう」




