2話 斥候
本丸の外に出ると、直景と風魔の一族のヨネ、そして縄目にされている女が一人いた。
縄目にされている女は、祝宴の隙を狙ってか、今川家の休み所とした部屋の様子を窺っていた。そこを城内の偵察をしていたヨネに見つかったという。
「申し訳ございません。ご指示だけいただければ、いかようにも。若にはもっと重要な務めがございましょう」
女の前に向かいかけた氏綱の袖を引き、直景は言う。
「閨に戻れとか」
「御意」
直景は大真面目に頷いた。
『斬れ』か『放て』か。今、ここでそれを言えば、直景は着実に遂行する。
「いい。話を聞いてみたい」
そう言うと、直景はわざとらしく肩を落とす。
「何事もご自身で確かめたがる……悪いお癖ですぞ」
直景の愚痴は無視して、女の前に立つ。松明に照らしてよく見れば、三十歳前後の若い女だ。
「何処のものだ」
氏綱が尋ねると、直景とヨネも首を振る。まだ口を割ってはいないらしい。
「三浦か、扇谷上杉か」
伊勢家の対抗勢力の名を言うと、上杉の名の方に、視線が動き反応した。上杉ならば、武蔵の出か。
風魔の一族ほど訓練された忍びというわけでもなさそうだ。
素人の女がよくも武蔵辺りから、城内まで来れたものだと感心する。
「いかがします? 首を刎ねますか」
直景の申し出に氏綱は皮肉に笑って首を振る。
「氏綱婚姻の夜ぞ、不浄は控えろ」
とは言え、捨て置くわけにもいかない。
脇差を抜くと、女の眼前に刃の切っ先を突きつける。
「何をしに参った。目的を告げれば、痛い目には遭わさぬ」
短い白い刃を突きつけると、女は小さく息を呑む。怯えた目をするくせに、口は固く閉じたままだ。感情は露わなのに、意思は固い。
「なるほど。不浄は控えろ、と言ったから、何も出来ぬと高を括ったか」
「あとで風魔で始末しますか」
痺れを切らしたようにヨネが口を出してくる。
「いや。それでは目的も主もわからぬ。血を流さずとも、吐かせる方法は幾らでもあるぞ。まずはその木に逆さにでも吊るか」
背後の桑の木を振り返り、氏綱が呟くと、女はじりっと膝だけ動かし、少しでも後方に下がろうとする。
「その枝なら人一人の重みくらいなら耐えよう」
頭上の枝を指さすと、ヨネは俊敏な動きで、その枝に乗り移る。枝がきしんで、桑の葉が一枚はらりと落ちたと思うと、ヨネから縄も投げられる。
「さて」
縄尻を拾い、両の手でピンと伸ばすと、女の方が脅しに耐えかねて、口を開き始めた。
「待って、待って」
「気が変わったか?」
地面に座らされた女に目線を合わせるように、氏綱は腰を屈める。先ほどのふてぶてしい表情は何処へやら、ひどい怯えようだった。
「い、今川様の従者となりかわり、小田原城の内部の様子を知らせて参れ、と命を受けて参りました」
口を割るのも拍子抜けする程早い。素人同然の女に無茶な命を下すものだ、若干女に同情してしまう。
「そなたの他に仲間は」
「おりません」
その言葉の真偽は怪しいが、目的は理解した。そして、その目的ならば、主は扇谷上杉家の者でほぼ間違いないだろう。
「明日、今川家の従者に怪しきものがいないか、もう一度取り調べろ」
直景に指示をし、氏綱は不要となった縄を投げ捨てる。樹上から降りたヨネが素早くそれを回収した。
「この女はいかが致します」
ヨネが縄尻を引っ張り、氏綱に尋ねる。
視線を向けると、女は気まずそうに逸らした。
「帰る国も無かろう。ヨネ、暫く風魔で預かれぬか」
驚いた表情になったのは、直景だ。
「若。それは」
軽挙と止める直景の言葉を聞かず、女の前にしゃがみ込む。
「武蔵の国の者であろう、名は」
「……浅葱」
ぶっきらぼうに女は答える。
「色の名か。どうする、戻ったとて、主から褒美などもらえまい」
「国を捨てろとか」
「そなたにとって価値がある方を選べと尋ねておる」
「……」
浅葱は悔しそうに口を引き結ぶ。
恐らく命を下した主の顔が浮かんでは、消えているのだろう。
「本当に命は取らぬか」
「嘘は好かぬ」
氏綱が断言すると、浅葱は悔しそうに「わかった」と声を絞り出す。目で合図をすると、背中の縄をヨネが短刀で切る。
「では風魔で預かります」
「よろしく頼む」
「甘いですなあ、若。」
ヨネと浅葱の後ろ姿を見送りながら、直景は若干呆れたように言う。
「大殿なら、即刻首を刎ねておりますよ」
直景は父の名代のようなところがある。無論、それが一番無難な処断方法であろう。
「そうであろうな」
一旦、直景の忠告は受け取ってから、続ける。
「だが、情けを掛け、生かしておけば、使い道が生まれるかもしれん」
「生まれますかねぇ。あの女、素人ですよ」
直景の言葉に氏綱も小さく笑う。
「まあ、上杉は人がおらんのだろう」
ヨネから預かった女の短刀を氏綱は月にかざす。
黒塗りの鞘に同色の柄。柄巻きは赤糸で菱形に巻かれている。刃渡りは五寸弱、身幅は太め。
「若、それは?」
「女が所持していた。――なかなかいい」
本人のものでは無さそうだ。優美さが微塵もない上に、柄がごつい。女の手には余る。
「しかし、よりにもよって婚姻の夜に、難儀でしたなあ」
「婚姻の夜なればこそ、ではないか」
酒も出る。客も多い。城の警備は手薄になる。それに乗じて、忍び込んだとすれば、浅葱には婚姻の日取りが筒抜けだったことになる。
「偶然ではないですか」
「……わからん」
刃こぼれのない切っ先を氏綱は鞘に収める。その際、小さく彫られた桔梗の花が目についた。
「ところで若、今川の姫はよろしいのですか」
直景が別の問題を突きつけてくる。
「わかっておる、今戻るところじゃ」
残してきた姫の顔を思い出し、氏綱は早足に城内へ戻る。先に休めと言ったのだから、とっくに寝ているだろう。
賑わっていた主殿の灯りも消えている。子の刻の鐘の音が控えめに響き、誰もいない廊下で氏綱は深く溜息をついた。




