17話 帰郷
五条大路の境界には頑強な矢来が組まれ、町の入り口では鋭い眼光の門番が往来を監視している。かつての都の華やぎを覆い隠すような、刺々しいまでの防備だ。
「自衛ゆえでしょうか。いささか、物々しうございますな」
盛昌の呟きに、氏綱は小さく頷いた。
「戦乱が終わったばかりだからのう、治安が安定していないのだろうな」
しかし、ひとたび門の中に入ると、店が軒を連ね、人々が往来し、活気にあふれている。
野菜などの農作物から、櫛や手鏡といった工芸品まで、さまざまな品物が並んでいて、歩いて見ているだけでも、圧倒されるようだ。
「五町⋯⋯程はあるか? これだけの店が常に商いをしているのか」
小田原であれば、寺の門前などに行商人が訪れる「三斎市」が関の山だ。だが、ここにあるのは規模も、品数も、そして何より質において、東国のそれとは比較にすらならない。京という街が持つ、底力を見せつけられる。
「目移りしてしまいますな。して殿、お方様へのお土産は何を?」
盛昌が楽しげに問いかけてくる。からかいの色がありありだ。
「⋯⋯盛昌、お前はお前で適当に見て回ってこい。入り口の門あたりで落ち合おう」
主を一人にすることを躊躇う盛昌を、氏綱は「心配いらぬ」と笑って追い払った。
一人になり、改めて市を端から眺めて歩く。
「旦那、旦那」
と、あちこちからひっきりなしに声が掛かる。適当にあしらいつつ、氏綱は芙蓉に似合いそうなものを探す。鮮やかな紅もいいし、美しい織りの反物を買って、春の装いの着物を仕立てさせるのも良さそうだ。
通りの大分奥に小さな軒先の店があった。店番は下を向いていて、売り込みはしてこない。並んでいる工芸品は美しいものが多く、その中に
蒔絵細工の美しい手鏡を見つけた。描かれているのは散りかう桜だ。
手に取って眺めてみても、細工は巧緻で、芙蓉も気に入りそうだ。
「お侍さん、それ買うの?」
じっくり見ていたら、やっと店番の青年が声を掛けてきた。
「あ、ああ、いくらだ」
懐から札入れを出しながら尋ねると、相場より大分安い金額を言われた。
「⋯⋯その額でいいのか?」
違和感を覚え、もう一度尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「それ、おいらが作ったんだ。名も入れさせてもらえないから、他のより安いんだ」
「名?」
青年の言葉に隣の手鏡を手に取ってみた。持ち手の裏には、作者と思しき銘が彫られていた。
「――葉春、とあるな」
「それが師匠の名前」
何処か誇らしげに青年は氏綱に教える。
「お前の名は」
「おいら――は富三」
そして己の名乗りは弱々しい。自信のなさの表れか。
「差があるようには思えぬがな」
二つの蒔絵の意匠を、氏綱は丹念に見比べる。桜と牡丹、花の種類は違うが、どちらも艶やかさは変わらない。寧ろ、桜の方が花弁をそのまま貼り付けたような精巧な美しさがある。
差は技術ではなく――彫られた名のみだ。
「お前も知られぬ花――というわけか」
先日の歌会の自らの立場と重ねてしまい、氏綱の口元に笑みが零れる。
「何て」
「いや、何でもない。こちらの話だ」
氏綱は葉春と銘のある鏡の方を、台に戻す。
「わしはこちらが気に入った。銘のある方と同じ値で買おう」
「え、えええっ」
銭を渡すと富三は恐る恐るそれを受け取る。手指がしなやかに長い。これから枝葉をつけていく若木のような手だ。
「おいらは奇数の日はここで店番してる。お侍さん、また見に来てくれる?」
手鏡を渡しながら、富三は上目遣いに氏綱に尋ねる。
「また来たいのはやまやまだが、すまぬ。京へは見聞を広めるために来ているだけでな」
「そういえば、京言葉じゃないね。どちらから?」
「小田原」
「何処?」
「相模国の――要は、富士山の向こうじゃな」
「遠いね」
富三がぽつりと言って、お互い苦笑いをしてしまう。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げられて、一期一会の出会いが惜しくなる。若くて腕のある、ああいった職人がもっと小田原に集まってくれたら。
賑やかな喧騒の通りを歩く道すがら、烏の鳴き声にふと、東の方角を振り返る。美しく茜色に染まった景色の何処にも富士は見えない。
富士と海を一望に抱く小田原の風景が瞼の裏に浮かんだ。
(望郷か)
袂に買ったばかりの鏡を入れ、氏綱は盛昌の待つ門へ向かった。
木枯らしの吹く中での旅立ちであったのに、氏綱が小田原に帰った頃には、白梅が咲き誇っていた。
よちよち歩きだった伊豆千代丸の足取りがしっかりしている。我が子の成長で城を開けていた時の長さを思い知る。
城内で浅葱とすれ違う。鮮やかな青地の小袖の裾、白く染め抜かれた桔梗の紋様に目を留めた。
見覚えのあるあの着物は確か、芙蓉のものであったはずだ。
「京は楽しゅうございましたか」
芙蓉は出立前と同じように、凛とした佇まいで氏綱を出迎えた。
「物見遊山で行ったのではないわ」
笑いながら言い返し、周囲を見渡す。
「大事、なかったか?」
「はい」
間髪入れぬ芙蓉の答えに、少しだけ口角をあげた。
「なら、よい」
頷いてから、京から大切に持ち帰ったものを渡す。
「そちに土産じゃ」
「美しい細工ですこと」
芙蓉の眦が下がり、口元が柔らかく緩む。鏡の裏面の桜の模様に芙蓉は魅了されたようだった。
「そちが気に入るなら、わしの見立ても悪くなかったということじゃな」
一瞬だけ、京で出会った富三という青年の自信のなさげな声を思い出す。
「大切に致します」
嬉しそうな芙蓉の声に、氏綱も満たされる。
二の丸の部屋は芙蓉の好きな香の香りに満ちていて、開け放たれた板戸から、潮風が吹き抜けた。
戻ってきたなとしみじみと実感する。
「やはり小田原はいいのう」
「殿が好きになれとおっしゃるので、芙蓉も小田原が好きになってまいりました」
「はは、もっと良き街にするから見ておれ」
対面にあった芙蓉の肩を引き寄せて、両の腕で抱きしめると、ぴったりと芙蓉も頬を寄せる。芙蓉との関係とて一朝一夕ではない。
(京が、この国の文化の源というのはわかる。だが、公家の文化とは別の例えば――以前の鎌倉のような街を小田原に作れぬだろうか、いや、作らねばならぬ)
「そちに話したいことが沢山ある」
「私も、殿にお話したいこと沢山ございます」
「そうか、ではそちから話せ」
氏綱は芙蓉を腕の中から解き、向かい合った。
開け放った板戸の向こうで、白梅の枝が潮風に揺れていた。




