15話 京に知られぬ
初冬の気配は、廻廊を歩む音まで引き締めていた。奥の部屋に入ると、実隆お気に入りの香の香りに満ちている。
静かに気配を沈めた公家たちが居並ぶ、その一番端に、控えめに座る伊勢氏綱の姿があった。
実隆が興味本位で呼んだ男だ。狩衣という衣装は他の者達と変わらぬが、腰の太刀に飾り気がまるでないのが、彼の異質さを際立たせている。
(さて、どうなるか⋯⋯)
「本日は、寄り合いにて候。堅苦しきことは無用に」
連歌師、宗長の穏やかな声が場に響く。だがその実、誰も気を緩めてはいない。
ややあって、奥より人が入り、誰もが姿勢を正した。
関白近衛尚通。表向きは「忍び」とは言え、場の空気が一段沈む。
尚通は何事もなかったかのように席に着き、扇を開く。
やがて連歌が始まる。
宗長が発句を置き、順に句が継がれていく。
言葉は軽やかに見えて、その実、重ねられた教養と作法の上にある。
氏綱の番が近づく。
氏綱が詠んだ後、微かに嘲笑するような声が漏れた。皆、一様に扇で顔を隠してるので、誰かはわからない。
それが、二度、三度とつづいた。氏綱の連歌の次句の時のみ、笑いが漏れるのだ。それも少しずつ大きくなっているようだった。
(――良くないのう)
嘆息し、実隆は宗長を見る。連歌の会はいろんな者が一堂に会し、歌を詠んでゆく場だ。そこに身分の隔たりはない。
だが、違う文化の者を受け入れない者たちはいる。
当の氏綱に目をやると、大して気にしている素振はない。嘲笑が聞こえていないはすはないが、何食わぬ顔で座している。
作法を守り、けして笑われるような歌を詠んではない、という自負心が見えるような佇まいだった。
(それくらいでなくては、公家連中とは渡り合えぬ)
助け舟を出そうか迷ったが、実隆はこのまま見守ることにした。宗長にも目で捨て置けと伝える。
何事もなかったように、次は「冬」がお題となった。
発句は関白近衛尚通だった。さらさらと淀みなく筆を認めたあと、一呼吸置いて、朗々と読み上げる。
――雪降れば苔の細道降り積みて
次句は氏綱の番であった。しんしんと降る雪のような静かな緊張が場に降りそそぐ。
張り詰めた空気を裂くように、氏綱は下の句を読み上げた。
――京に知られぬ花ぞ咲きける
「貫之か」
短く尚通が呟くと、氏綱はかしこまって平伏する。
「なるほど」
思わず実隆は声にしていた。
雪降れば冬ごもりせる草も木も
春に知られぬ花ぞ咲きける
古今の紀貫之の句を、うまく本歌取りにしたわけだ。これなら誰も文句は言えぬし、嘲笑も出来ぬ。
しかも。
(京に知られぬ――か)
氏綱の立場としてこれ以上、最適なものはあるまい。
京より遠い相模の地で、どう咲き誇るつもりかのう。
氏綱を密かに笑い者にしていた公家たちも、この後はぴたりと大人しくなり、無事連歌の会は終わった。
部屋を立ち去る際に、近衛尚通が実隆の傍に寄り、扇で氏綱を指し示す。
「貫之を詠んだあの者は?」
「相模国領主伊勢宗瑞が一子、伊勢新九郎と申す者です」
「そなたの知己か」
尋ねられ、実隆は返答に惑う。答えずにいると、尚通はそれが答えかと察したように、小さく笑った。
「若いが、胆力のありそうな男よな」
尚通の評は実隆のものとほぼ一致する。僅かな共有の時間と、数首の歌のみで判断する尚通の観察眼に舌を巻く。
尚通はひっそりと実隆の屋敷を後にした。
連歌会の後の宴席は賑わっていた。
「一献いかがかな」
実隆は端の席で、宗長と酒を酌み交わしていた氏綱に声を掛けた。
「では、ありがたく」
氏綱が手にしていた盃を差し出すと、実隆はなみなみと酒を注ぎ入れる。氏綱はぐいと一気に飲み干した。
「いかがでしたかな、連歌の会は」
「武骨者が場を荒らさないか、ひやひやしておりましたが、楽しゅうございました」
苦笑いと共に、氏綱はそう答える。
本音ではないだろうが、本音にしか聞こえない。
(肚の内を見せぬ男よ)
「近々東国へ帰られるとか」
「はい。内大臣様には、格別のお計らいを頂き、お世話になり申した」
決まり文句のような挨拶を述べると、実隆はゆっくり首を横に振る。
「こちらこそ貴殿にはお世話になり申した。また、初対面時の無礼な態度、改めてお詫び致す」
「何のことやら見当がつきませぬ」
実隆の謝罪に氏綱はとぼけ、今度は実隆の盃に酒を注ぐ。
水のような男だ、と思う。淡々と物事を受け止め、いかようにも形を変える。帳簿を難なく裁き、連歌の会では雅に歌を詠む。戦場では、また違う顔を見せるのであろう。
勢いを増し、迸る様が見てみたいが、本人はそんな野心はとんと見せない。
ふと、悪戯心が芽生えた。
「貴殿は刀より筆の方が似つかわしいのではないか。京に残るのなら、位階と役職は用意しよう」
実隆の真意を確かめるように、氏綱は宗長と目を合わせる。そういえば、かねてから知り合いだと言っていた。
「過分なご配慮痛みいります。が、守るべき領国と待たせている者がおります故、ご容赦を」
成すべきことを決めている男の言だった。
「黒方の君か」
この男に興味を持つきっかけとなった香の名を出すと、氏綱の返答に若干動揺が走る。
「は、仰せの通りで」
「仲睦まじいご様子は、駿河にも入ってきておりますからな」
宗長にまでからかわれて、氏綱は「おやめください」と強めに言う。顔に若干赤みがさしている。なるほど、弱みはあるらしい。
「あれは見事な調合であった。北の方にもよろしくお伝えあれ」
「かしこまりました」
「また京にお立ち寄りの際は、いつでもお越しくだされ」
「ありがたきお言葉感謝致します」
「お父上にもよろしくな。いずれ、相模にも参ろうぞ」
「是非、お越しくださりませ」
後日、相模に戻った氏綱から鄭重なお礼の手紙と進物が届いた。
時康がいそいそと目録を帳簿に書き写しているのが可笑しかった。
今更ながら、実隆は尚通への回答を悔やむ。
(知己と答えれば良かったのう)
今後も続きそうな縁を感じながら、実隆は返礼の筆を取った。




