12話 相模の覇者
引橋の奥からは、笛や太鼓の囃子が聞こえてくる。櫓の篝火があかあかと燃え、闇の中に新井城の輪郭を浮かび上がらせていた。
「恐らく最後の夜なのだろう。明日、奴らは討って出てくる」
燃え尽きる前の炎のような明るさを、宗瑞は新井城の姿に見たのだろう。何処か寂しげにそう言った。
勝ち目も兵糧も潰え、なお降伏を拒むのなら、追い詰められた籠城兵の最後の足掻きは、城を枕に討死することだ。
宗瑞の指示で既に、伊勢の兵は配置を終え、明日に備えている。
「最後まで、三浦は我等に応じませなんだな」
氏綱はぽつりと父にこぼした。何のために、人質を奪い、船を止めさせて、朝興を撃退したのか。
「仕方あるまい。三浦は我らとは背負っている名と歴史が違う」
宗瑞の中では割り切れているのか、淡々と言う。
「ところで新九郎」
「はっ」
「横須賀殿の娘はいかがいたすのじゃ」
宗瑞に尋ねられる。
最後、降伏勧告の際に、もしかして奥方を託してくるのではと期待したが、何もなかった。
「明日、我等は伊井殿の船で島の搦手より攻めますが、その際川島殿も乗船し、あとは小太郎と共に救出に向かって貰えればと」
「うまく成せれば、横須賀殿に恩を売れる。戦後の伊勢家への取り込みが楽になる。頼むぞ」
父の抜け目のなさに舌を巻き、氏綱は小さく肩をすくめた。
翌朝、けたたましい勢いで法螺貝の音が鳴り響いたかと思うと、三浦の兵は遂に城の外へ一斉に討って出てきた。数は多くないが、死を覚悟したものは、勢いが違う。地の利も向こうにあり、こちらから大量の兵を一気に繰り出すのも難しく、開戦直後は伊勢側が押されていた。
氏綱は三崎の海から、船で城の北側、荒井浜の方へ寄せた。兵数およそ二百ほど。
「無いと思いますが、我等はここで海からの敵に備えます」
船を降りる氏綱達に四郎右衛門が声を掛ける。こちらに来てから、この男には世話になりっぱなしだ。
「忝い」
「こちらから、本曲輪の裏に出られるはずです」
何度かこの浜から新井城を訪れたことがあるという、川島吉隆の案内に従って、崖を登る獣道を進む。
その途中で立ち昇る炎が見えた。
「火の手が上がっているのは本曲輪か?」
しかも煙は一箇所では無かった。そして、城からこの道沿いに降ってくるものは誰もいない。
「まずい」
吉隆が足を早める。
搦手の崖を登っているうちに、大勢は決し、道寸は自害して果てているのかもしれない。そして、逃げまどう者がいないのも気がかりだ。よもや、城内の者全て、道連れにするつもりか。
「小太郎と川島殿は我等に構わず先へ」
「伊勢殿、忝い」
吉隆は深々と頭を下げる。
「御意」
小太郎と吉隆は一気に崖を上がっていった。間に合えばいいのだが。
たどり着いた崖上の本曲輪は、氏綱の想像以上の惨状だった。既にあちこちの櫓や建物から火の手が上がっている。足元には三つ引きの三浦の旗が無残に破れ、その横に亡骸が足の踏み場もない程に転がっている。地獄絵図のようだった。
こうならぬために、何度も何度も開城の使者を送り、勝ち筋を潰していったというのに。
足元の遺体を思わず蹴り飛ばしてしまう。
「兄上」
焦土の城内で氏時と鉢合わせた。
二の曲輪で大男が大太刀を振り回し、孤軍奮闘しているという。
氏時と共に移動してみると、見開いた目は瞋恚に燃え、まるで戦神の夜叉羅刹のようだった。
「あれが城主義同の子、義意か」
「御意」
三浦道寸の息子、義意は長身で鬼のように強いというのが、伊勢の兵たちの間でも噂になっていた。
「三年も我らを遠巻きに眺めているだけであった伊勢の弱腰者どもめ」
通常の兵士たちより頭一つ大きい義意は、これまた長い刃を巧みに扱い、迫りくる者を倒していく。
戦は既に決している。氏綱からすれば徒に家臣たちを傷つけられ、奴の気が済むまでと、捨て置くわけにもいかなかった。
「往生際の悪い奴よ」
箙から、矢を抜くと、氏綱は弓を番える。今まさに太刀を伊勢家の足軽に突き立てようとしている男目掛けて引き絞った。風切り音と共に氏綱の指を離れた矢は、義意の頬を掠め、勢いを失い地に落ちた。
「何奴っ」
義意は大音声で言い、飛んできた矢を拾い上げ振り返る。
「危なくなったら助太刀してくれ」
手にした弓を氏時に渡して言うと、氏綱は義意の呼びかけに応えた。
「三浦弾正少弼殿とお見受け致す」
義意は一旦動きを止め、氏綱の姿をまじまじと見る。大きな目は氏綱の鎧に刻まれた対い蝶に注がれた。
「貴様が伊勢の二代目か」
氏綱の返答より早く、血塗られた槍が振り下ろされ、氏綱はそれを己の刃で受け止める。
「いかにも。伊勢宗瑞が嫡男伊勢新九郎氏綱」
氏綱を見下ろす義意の目に暗い光が宿った。
「のこのこと我が前によう出てきおったわ。父上への格好の冥土の土産ができた」
既に満身創痍であろうに、義意の振り下ろす太刀は早くて重たい。氏綱は受け止めるだけで精一杯だ。
「何故、開城せぬ」
白刃を突き合わせたまま、氏綱は尋ねた。愚問だと言いたげに、義意はがははと豪快に笑う。
「知れたこと。貴様らに降るくらいなら、死んだ方が百倍も千倍もマシだからじゃ」
「その為に何百もの兵を失ってもか」
「ここに残った武士達はみな、同じ思いじゃ」
刃の交わる金属音がこだまするなか、一本の矢が義意の背後から彼の右腕を射抜く。
「うおっ」
不意の痛みに義意は顔をゆがめ、左腕で矢を引き抜き、矢を射た氏時を振り返る。それでも刀を離さないのは、流石の豪傑だった。
「誰だ」
「伊勢宗瑞が次男新六郎氏時」
大男に睨まれ、些か臆しながら氏時は名乗ると、義意はぺっと足下に唾棄する。
「よくよく卑怯な者どもよ。援軍を絶たせ、我らを兵糧攻めにし、戦では詭計を用いる。己一人では何も出来ぬか」
「使えるものは何でも使うが我が家風故」
相手の挑発に氏綱は動じず、言い返す。義意の目から戦意は引いている。
両手で構えた刀の切っ先を氏綱は義意に向ける。背後では氏時が矢を構え、彼の動きを牽制する。じわじわ義意は崖っぷちに追い込まれていった。
流石に最期を悟ったか、義意は高笑いし、最期にこう言い放つ。
「関東は頼朝公以来武家の地。東国武士は貴様らのような何処の馬の骨ともわからぬ奴らには決して膝を屈さぬわ。我ら三浦が滅んでも、朋輩は数多おる」
言い終えると、自慢の大太刀で首をかききってから、義意は勢いよく背後の海に飛び込んだ。
それに端を発し、残っていた兵たちも次々に身を投げていく。
「早まるな」
と言う氏綱の言葉も虚しく、あっという間に海面が死を急いだ者達の血に染まっていった。
崖から海面を見おろし、氏綱はしばらく動けなかった。
「兄上、申し訳ありませぬ」
どれくらい時が経ったのか、棒立ちの氏綱の隣に立ち、氏時がぽつりと震える声で言う。
「何がじゃ」
「兄上の名を貶めるようなことを致しました」
卑怯者、と義意に面罵されたのが堪えているようだ。弟は自分より純粋だ。強張っていた顔を緩め、口元に笑みを浮かべる。
「お主のおかげで助かった。謝ったりするな。それに――わしには惜しむ名など無い」
軽く肩を叩くと、氏時も混濁した思いを飲み込むように頷いた。
荒井浜に戻ると、伊井の船に川島吉隆と、女性が一人乗っていた。氏綱と同じくらいの年齢であろうか。
「清子姫でいらっしゃいますか?」
尋ねると女性は肩を震わせながら頷いた。
「ご無事で何よりでした」
心の底から安堵した思いを、氏綱はそのまま口にした。
何もかも思い通りに行かない戦であったが、唯一横須賀連秀の望みだけは、叶えられた。
「これを⋯⋯」
清子姫は袂から料紙を一枚取り出す。受け取った紙を氏綱はゆっくり開いた。認められていたのは、和歌――恐らく辞世の句であった。
口にして読んでみた。
――討つ者も討たるる者も土器よ
砕けて後は元の土塊――
「潔くも風流な⋯⋯道寸殿らしい辞世ですな」
四郎右衛門が感想を述べると、悲しみが襲ってきたのか、清子姫は袖口で目元を拭う。
土に戻る虚しさを謳いながら、名には拘るのか。いや、だからこそか。
漕ぎ出した船の上から、新井城を見上げた。山頂には、伊勢家の対い蝶の旗指物がたなびいている。今頃は勝ち鬨も上がっていることだろう。
けれど最期の義意の言葉は、いつまでも氏綱の脳裏にこだました。
「東国武士は貴様らのような何処の馬の骨ともわからぬ奴らには決して膝を屈さぬわ。我ら三浦が滅んでも、朋輩は数多おる」
自分たちが戦っているのは、目の前の敵だけではないのだと、義意の言葉が如実に突きつけてくるようだった。




