10話 横須賀連秀
新井城への補給船が一艘奪われた。信じられぬ報告を、横須賀連秀は浦賀の自分の屋敷で受けた。
「何者だ。目的は」
尋ねても、前方の船に乗船していた者達も何が何だかわからなかったという。灯りもなく、旗指物もなく、小舟が最後尾の船を囲い、船団を分断し、乗っ取ったようだったと言う。
「その方らは手をこまねいて見ていただけか!」
思わず当たり散らしてしまう。無事に戻ってきた七艘の船の長たちが、連秀の前に並んで座っていたが、全員身を小さくして、連秀の罵倒を受けるしかなかった。
新井城へ補給を始めて三年――船が襲われたのは初めてだった。
「殿」
小姓の菊丸が遠慮がちに連秀に奏上する。
「なんじゃ」
「殿にお会いしたいという者が門に来ております。お通ししてよろしいでしょうか」
「誰じゃ!」
「伊勢家家臣大道寺盛昌と申しております」
「伊勢家⋯⋯じゃと?」
連秀の野太い声が怒りに震えた。
新井城を三年も囲って、落とせず諦めず。淡々と時を稼ぐあの不気味な一族か。
船が襲われた朝すぐに使者が来るというのも、符号が合いすぎる。
(やられたか)
舌打ちしてから、門まで届くような大声で返す。
「客間に待たせておけ! すぐに行く」
あの船には亀崎父子と水夫二人が乗っていた。四人を人質に、何を言ってくるつもりなのか。
不愉快過ぎる。
どたどたと廊を歩きながら、連秀は客間に向かった。
そして、連秀の嫌な予感は的中する。
まだ若い伊勢家の使者は、連秀が姿を現すと、挨拶もそこそこに用件を切り出してきた。
「主、伊勢氏綱からの伝言にございます。ご家来衆、並びに水夫の方々、船を一艘お預かりしております。返してほしければ、三日後、白浜の毘沙門堂まで来られたし」
使者の大道寺とか言う男は淡々と伝えてくる。食えない男だった。
「卑怯な真似をなされますな」
連秀が罵ってみても、「恐れ入ります」と受け流し、「そなたを斬るか」と脅してみると、「どうぞ」と目の色一つ変えない。
「某を斬れば、こちらでお預かりしている四名の方の生命もございますまい。一人対四人で、そちらの方がご損ですがよろしいか」
腹立たしいことこの上ないが、この男の言う通りであった。どんなに憤ってみても、連秀のやるべきことは変わらない。
「三日後、毘沙門堂じゃな。指定の時刻に伺おう。それまで、人質の生命は保障してくださるのだな」
ぎろりと睨みをきかせると、大道寺は慇懃に一礼し、明言する。
「よきお返事ありがとうございます。疾く主に伝えます。亀崎様たちのお身柄は当家が保障いたします故、ご安心くだされ」
船を奪って、人を拉致しておきながら、安心くだされも何もないもんだ。呆れてしまうが、大道寺は涼しい顔でそれを言ってのけられる男だった。
毘沙門堂は三浦半島の南端から少し山あいに入ったところにある。石の鳥居をくぐると、伊井四郎右衛門が立っていて、連秀に会釈をしてくる。彼が、この対談の案内役ということか。
「なるほど」
思わず呟いていた。
「いかがされましたか」
連秀の独り言に四郎右衛門が反応する。
「いや、此度の船を一艘だけ掠め、人質を奪っていく伊勢側のやり口が余りに見事で不思議であったが⋯⋯、貴殿が関わっていたのなら納得だ」
伊井氏は昔から三崎の港を根城に、漁をしたり交易をしてきた一族だ。
「⋯⋯我等は船をお貸ししたのみ」
言いがかりは迷惑とばかりに、四郎右衛門はぴしゃりと言う。その船と、船を動かす人足が問題であろう、と連秀は思う。三浦の海は余所者には簡単に御せぬ。
「三浦の海を、何処の馬の骨ともわからぬ一族に占領されてもよろしいのか」
伊井氏の寝返りを非難してみても、四郎右衛門は口の端を少し上げてから言う。
「海は誰のものでもありますまい」
凪いだ海のような穏やかさだった。三浦につくか伊勢につくかで、伊井家内も散々揉めたと聞くが、少なくとも四郎右衛門の中では迷いはなさそうであった。
柵のない伊井家の立場が羨ましい。と、同時に娘の清子が、道寸の後室になど入っていなければ、自分はどうしていただろうかとも思う。
「伊勢殿。横須賀安房守殿お連れしました」
四郎右衛門が堂の中に声を掛けると、中から観音開きの扉が開く。出てきたのは、侍烏帽子に藍色の直垂姿の男だった。
「伊勢新九郎氏綱と申します」
毘沙門天の像を前に対面で向き合うと、直垂の男は、そう挨拶をし、頭を垂れた。
連秀の想像より大分若い。驚きを隠せないでいると、氏綱は連秀の困惑した視線を受けて、説明を加えてきた。
「新井城を先年より囲っておりますのは、わが父伊勢宗瑞にございます」
目の前の男は、伊勢家の当主ではないということか。
(ふん、若僧が)
連秀は腕を組み鼻を鳴らす。
この男の目的はわかっている。新井城への補給をやめろ、だ。
伊井を使い、船を奪い、自分をこの談判の席に引きずり出すところまでは成功している。
さて、ここから。どう、自分と交渉するつもりなのか。
「奪い取った船と人をお返し頂こうか」
一歩も退くつもりはない。連秀の圧の強めの声で、談判は始まった。
「無論お返し致します。が、その前に以前にもお願いした通り、補給船を止めて頂きたい」
「それは出来ぬ、とお伝えしたはずじゃ」
「『新井城への船を止めれば、城内の者は飢えて死を待つのみ。三浦の一族として、己の家のみ残そうとは思わぬ』――でありましたでしょうか。義に厚く情け深い。氏綱、感服致しました」
以前、小田原からの使者へ伝えた断りの文句を、氏綱はそのまま連秀に投げ返してきた。更に、感想まで言ってくる。
「思うてもないことを口に致すな」
不遜な態度に思わず怒鳴りつけてしまった。使者が使者なら主も主だ。淡々と、こちらの感情のみを刺激してくる。
「嘘は好きませぬ。ただ、一点。因果の確認をしとうございます。――新井城への船を止めれば、城内の者は飢えて死を待つのみ。――真にそうでしょうか」
「どういうことじゃ」
「こちらは開城を条件に、和睦の使者を何度も送っております」
「⋯⋯」
意地に拘り、矜持を捨てられず、城に籠って兵達の生命を危うくしているのはどちらなのか、と。突き付けられた言の葉の刃は鋭く、連秀の胸を抉る。
「それは⋯⋯某の預かり知ることではない! 籠城如何はお屋形様がお決めになること!」
「横須賀殿のお立場は承知しております。なれど、我らの願いは相模国から争いを無くすこと。三浦家を滅ぼし、兵達を殲滅し、田畑を焦土とすることではございません。――ご協力頂けませぬか」
「船を奪い、人を質とするような男を信ぜよと言うか」
「では、半分はお返し致します」
パン、と氏綱が手を叩くと、堂の奥の庫裡の戸が開く。出てきたのは、先日の大道寺という使者の男と、水夫二人であった。
縄も掛けられず、顔の血色も悪くない。非人道的な扱いは受けていなさそうで、連秀はほっと胸を撫で下ろした。
「亀崎父子は船を止めて頂いたのを確認後お返し致す――という条件でいかがでしょうや」
氏綱は冷静に条件を詰めてくる。だが、肯えない。連秀にとって一番大事なものが残っていた。
「いや、待て。わしには三浦家は裏切れぬ⋯⋯新井城には娘がいる。道寸の妻となっている」
苦しい胸の内を連秀は吐き出す。
家は守りたい。家臣を路頭に迷わせたくない。さりとて、自分の決断で娘の生命が危うくなっても、それを仕方ないと割り切れない。
両手で顔を覆ったまま、しばらく動けなくなった連秀を、氏綱はじっと待っている。声を掛けるでもなく、立ち去るでもなく。
長い沈黙の果てに、連秀は答えを絞り出す。
「清子という、わしの娘を救ってもらうことはできぬか。それが叶うのであれば、船は止める」
やっとここまで連秀の覚悟は決まった。
「――お約束は致しかねます」
だが、氏綱ははっきりと拒絶する。連秀の精一杯の譲歩を蹴られ、かあっと頭に血がのぼる。
「では、船も止められぬ! 交渉は物別れじゃ!」
乱暴に席を立ち、水夫たちを伴い帰ろうとした時だった。
「けれど、手は尽くします」
「どういたす」
立ったまま意地悪く、氏綱を見下ろして、問いかける。
「三浦がどう出るかわからぬのに、確たる道筋は示せませぬが⋯⋯、清子様をご存知の家臣、お一人を氏綱にお預け頂く。その際に亀崎父子はお戻し致します」
「亀崎らは返すが、別の人質を出せということか」
「顔もわからぬ姫は助けられませぬので、お力を貸して頂きたいだけです」
「よう言うわ」
「次の船はまた半月後になりましょう。それまでにお返事くだされば、この毘沙門天に誓い、打つべき手は打ちます」
「⋯⋯」
堂の板目に添えられた氏綱の指がぴたりと止まる。上からの無遠慮な連秀の視線には気づいているだろうに、氏綱は微動だにせず、彼の答えを待っている。
「しばし考えさせよ。こちらにも備えがある」
言い捨てると、乱暴に堂の扉を開け、連秀は外に出た。
三方を海に囲まれているせいで、三浦の空は明るく広い。
夏の到来を感じさせる強い日差しに、連秀は目を細め、「伊勢か⋯⋯」と呟いた。
終日悩んでも、伊勢家への対応に答えは出ない。しかし、そうしているうちに、戦況が悪化した。新井城の救援に来た扇谷上杉家の当主朝興が、玉縄城で伊勢家に撃退されたという。
戦の趨勢は決まってしまった。最早、三浦家にこの不利な情勢をひっくり返す力は残っていないだろう。
『この毘沙門天に誓い、打つべき手は打ちます』
(あとはもう、あの男を信じて託すしかない)
連秀は川島吉隆という男を密かに呼び、伊勢家の陣中に送り出した。




