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しりとり的なショートストーリー集  作者: 霧崎薫


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第63話:春を待つ雨

 春雨が窓を叩く音で、林美玲は目を覚ました。北京の古いアパートの一室。机の上には、昨夜まで読んでいた文章が散らばっている。1966年から1976年までの中国文化大革命期に、父が残した日記だった。


「あなたが20歳になったら、この日記を渡してほしいと言われていたの」


 先月、母は古い革のバッグから一冊の手帳を取り出した。北京大学で教鞭を執っていた父は、美玲が3歳の時に亡くなっている。


 日記は1968年の春から始まっていた。


「今日も春雨が降っている。我が家の小さな庭で、美玲が雨を見上げていた。『パパ、雨が踊ってる』と言う彼女の目は、まだ世界の闇を知らない。私は彼女の純真さを守れるだろうか」


 その頃、紅衛兵による批判集会が日常となっていた。父は「右派分子」のレッテルを貼られ、研究室から追われた。しかし日記には、不思議なほど恨みや怒りの言葉は少ない。


「同僚の王教授が批判集会で私を弾劾した。彼の目は虚ろで、声が震えていた。あの時、彼の背後で息子が泣いていたのを、誰も気付かなかっただろうか。春雨が、私たちの涙を隠してくれる」


 美玲は次のページを開いた。そこには押し花が挟まれていた。


「今日、美玲が庭で摘んだ梅の花。『パパの研究室に飾って』と言うので、こうして日記に挟むことにした。研究室はもう失ったが、彼女の優しさは私の宝物だ。花弁の間を縫うように、また春雨が降っている」


 ページをめくるたびに、父の静かな声が聞こえてくるような気がした。批判され、貶められ、それでも娘への愛を胸に生きた日々。その記録は、最後のページで思いがけない展開を見せる。


「王教授が密かに訪ねてきた。彼は私の論文を守っていたという。紅衛兵の手が及ぶ前に、彼の実家の床下に隠したそうだ。『いつか必ず、真実の春が来る』。彼はそう言って去っていった。外では、変わらずに春雨が降っていた」


 美玲は窓の外を見た。今も降り続ける春雨は、50年前と同じように静かだ。彼女は立ち上がると、本棚から一冊の本を取り出した。昨年出版された、父の研究書だった。


 扉には「林教授の遺稿論文集」とあり、その下に小さく王教授の名が編者として記されている。帯には「20年の眠りを経て、ついに日の目を見た歴史的論考」とある。


 美玲は本を開き、そっと押し花を挟んだ。春雨の優しい音が、時を超えて響いていた。


このお話から「いつか必ず、真実の春が来る」を取り出して次につなげます。

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