第64話:渡り鳥の季節(ヒューマンドラマ)
小さな植物研究所で、日向菜々子は十年間、不可能と言われ続けた研究を続けていた。それは、絶滅したはずの日本固有種「春淡雪」の再生だった。
「今日も、だめだったの?」
同僚の河野から声をかけられ、菜々子は首を振った。
「うん、今回の胚も育たなかった」
春淡雪は、かつて東北の山間部に自生していた一年草。淡い紫色の花を咲かせ、その花言葉は「真実の到来」だった。しかし、気候変動の影響で、二十年前に絶滅が確認された。
菜々子の机の上には、最後に撮影された春淡雪の写真が貼ってある。祖母が撮影したその一枚には、満開の花が写っていた。
「諦めたら?」
河野は優しく言った。
「研究費も底を尽きかけてるわ。それに、DNAサンプルだって、あと一回分しか残ってない」
菜々子は黙って実験ノートを開いた。
祖母は植物写真家だった。最後の春淡雪を撮影した後、祖母は菜々子にこう言った。
「この花には不思議な力があるの。冬の終わりに、必ず咲く。どんなに厳しい環境でも」
その言葉が、菜々子の原点だった。
最後のDNAサンプルを使う日、研究所は妙な空気に包まれていた。同僚たちが見守る中、菜々子は慎重に作業を進めた。
一週間後、芽は出なかった。
研究所の片付けを終えた夜、菜々子は祖母の写真を眺めていた。するとふと、写真の隅に見慣れない文字が目に入った。
「北緯38度15分、東経140度45分、標高960m、北東向き斜面」
菜々子は息を呑んだ。これは撮影地点の正確な位置データだった。しかも……。
「この場所、私有地じゃない。入れるはず」
翌週末、菜々子は山を登っていた。GPSを頼りに、写真の場所を目指す。
そして、たどり着いた場所で、菜々子は立ち尽くした。
目の前の斜面に、淡い紫の花が、一面に咲いていた。
遺伝子組み換えも、クローン技術も必要なかった。春淡雪は、ただそこで、静かに生き続けていたのだ。
「ばあちゃん……」
携帯を取り出した菜々子の目に、祖母からの最後のメールが映る。
「いつか必ず、真実の春が来る。だから、諦めないで」
淡い紫の花々が、春の風に揺れていた。
このお話から「気候変動」と「絶滅」を取り出して次につなげます。




