第26話:水晶の記憶(ヒューマンドラマ)
私は看護師として、山間の緩和ケア病棟で働いている。標高の高いこの地域では、冬になると一面の銀世界が広がる。今年は特に寒い冬で、連日氷点下を記録していた。
そんなある晩のことだった。当直勤務を終えて仮眠室で休んでいると、不思議な寒気を感じて目が覚めた。時計を見ると午前三時。窓の外では大粒の雪が静かに降り続いていた。
「巡回の時間ね」
暖かいコーヒーを一口飲んでから、病棟の廊下に出た。
すると──廊下の突き当たりに、一人の女性が立っていた。真っ白な着物を纏い、長い黒髪を風になびかせている。しかし、ここには風は吹いていないはずだ。
「どちら様でしょうか?」
近づきながら声をかけると、女性はくるりと振り向いた。透き通るように白い肌に、かすかに青みがかった唇。その美しさに息を呑んだ。
「あなたは……親切な方なのですね」
女性の声は、まるで氷の砕ける音のように清らかだった。
「私は、この病院で三十年前に亡くなった者です。でも、心残りがあって……」
私は固まった。幽霊……? しかし不思議と恐怖は感じなかった。その瞳には深い悲しみが宿っていた。
「その、心残りとは?」
「この病院で、私は一人の男性を看取りました。彼は私の恋人でした」
女性は懐から一枚の古い写真を取り出した。そこには若い男女が写っていた。女性は間違いなく目の前の彼女だ。そして男性は──私の祖父だった。
「まさか、藤原看護師さん!?」
祖父から何度も聞いた話を思い出した。祖父が若いころ入院していた時、藤原という名の看護師が献身的に看病してくれたこと。二人は互いに想いを寄せ合っていたが、藤原さんは持病の心臓病で急死してしまい、その後祖父は祖母と結婚したという。
「ええ。私は藤原雪子。あなたは、彼の孫娘なのですね」
雪子さんは静かに微笑んだ。その表情には恨みではなく、温かな光が宿っていた。
「伝えたかったの。私が彼を愛していたことを。そして、彼が幸せな家庭を築いてくれたことを、心から喜んでいることを」
彼女の姿が少しずつ透明になっていく。
「待って! もう少し話を……」
「私の想いは、あなたに届きました。もう心残りはありません。ありがとう……」
雪子さんの姿は、まるで雪が溶けるように消えていった。残されたのは、一枚の古い写真と、かすかな寒気だけ。
翌朝、私は病院の古い記録を調べた。そこには確かに、藤原雪子という看護師が三十年前に勤務していた記録が残されていた。そして彼女は、大雪の降る真冬の夜に、心臓発作で亡くなっていたのだ。
今でも雪の降る夜には、病棟に清らかな寒気が漂うことがある。その度に私は思う。人の想いは、時を超えて届くのだと。
このお話から「看護師と幽霊」を取り出して次につなげます。




