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しりとり的なショートストーリー集  作者: 霧崎薫


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第18話:香りの記憶(ヒューマンドラマ)

 まだ二月だというのに、庭の白梅が一輪、こぼれるように咲いていた。


 輝子はゆっくりと縁側に腰を下ろし、その白い花を見つめた。八十三歳。最近は足腰が弱り、庭の手入れも思うようにできない。それでも、この梅の木だけは何とか世話を続けている。


「お母さん、もう庭に出ない方がいいって言ったでしょう」


 長女の美香が、台所から声をかけてきた。週末になると、決まって様子を見に来てくれる。


「大丈夫よ。梅の香りを嗅ぎたかっただけ」


 輝子は微笑んだ。鼻は昔ほど利かなくなったが、それでも梅の香りだけは、しっかりと感じ取れる。


「この木、もう何年になるのかしら」


 輝子は目を細めた。記憶を手繰り寄せるように、ゆっくりと話し始める。


「私が嫁に来た時には、もう立派な木でした。お母さま……あなたのおばあちゃまが、大切にしていたの」


 美香が縁側に腰を下ろした。母が昔を語り出すと、いつも熱心に耳を傾ける。


「お母さまったら、厳しい人でねぇ。でも、この梅の世話をしている時だけは、柔らかな表情を見せたものです」


 輝子は、遠い日の光景を思い出していた。


 八十年代初め、まだ嫁いで間もない頃。姑である輝子の母は、着物姿で庭に立ち、梅の剪定をしていた。その手つきは優雅で、まるで茶道の所作のようだった。


「梅は、強さと優美さを兼ね備えた花なのよ」


 母は、そう語りながら剪定の技を教えてくれた。寡黙な人だったが、梅の話になると急に饒舌になる。


「冬の厳しさに耐え、最も早く春を告げる。そして、その香りで人々の心を癒す。まさに、女性の理想ね」


 当時の輝子は、その言葉の意味を十分には理解できなかった。ただ、季節の変わり目になると、母は必ず梅の手入れをした。そして、花が咲くと、最高の梅干しを漬けた。


「おばあちゃまの梅干し、今でも覚えているわ」


 美香の言葉に、輝子は我に返る。


「ええ、あの味は特別だったわね。私も随分と教わったけれど、お母さまの味には及ばなかった」


 年を重ねるごとに、輝子は少しずつ理解するようになった。母の言葉の意味を。梅の強さと優美さを。そして、その香りに込められた思いを。


「でも、お母さんの梅干しだって美味しかったわ」


 美香が優しく言う。


「私、今でも覚えてるの。小学校の運動会のおにぎり。真ん中に入ってた梅干しの味」


 輝子は、静かに頷いた。


 突然、風が吹いた。白梅の花びらが、一枚、舞い落ちる。


「あら」


 美香が立ち上がり、その花びらを拾った。


「お母さん、見て。まだ香りが残ってる」


 差し出された花びらから、かすかに香りが漂う。輝子は目を閉じた。


 母の着物姿。剪定ばさみの音。梅干しの赤い色。記憶が、次々と蘇ってくる。


「美香」


「なに?」


「今年は、あなたに教えましょうか。梅の剪定と、梅干しの漬け方」


 娘の目が、輝子の顔を見つめる。何か言いかけたが、すぐに口元を緩めた。


「ええ、教えて」


 その返事は、かつての輝子自身のものとそっくりだった。


 白梅の枝が、風に揺れている。その下で、また新しい記憶が生まれようとしていた。


「まずはね」


 輝子は、ゆっくりと立ち上がった。足腰の痛みも、今は気にならない。


「梅は、枝と枝の間に光が通るように剪定するの」


 美香も立ち上がり、母の背中を支える。


「まあ、今日は見るだけでいいわ。でも、この香りだけは、しっかり覚えておくのよ」


 母と娘は、白梅の前に立った。もうすぐ、この木は満開の花を咲かせるだろう。そして、その香りは、また新しい世代へと記憶を運んでいく。


このお話から「剪定ばさみ」を取り出して次につなげます。

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