787 「親子」
「以上がアレを取り巻く秘密というものだ。念のために言っておくが、リゼットには話すなよ。ふん……まぁ、アレを大切に想っている者ほど、明かせはせぬだろうがな」
「ああ……」
リゼットの真実、そしてその父の献身を知った。
どうせ父として正道は征けぬからと、この男は母と娘の愛を一生をかけて守護することにしたのだ。
もしもこの秘密をリゼットが知れば、彼女は重い罪悪感に苛まれることになるだろう。同時に、母との思い出にもヒビが入る。己が傷付けたかもしれぬ者を相手に、淡い思い出に浸っていられるほど彼女は無邪気でもなければ子どもでもない。
親子の愛が美しいままでいられるのは……リゼットが世界へ憎悪を滾らせる"程度"で済んでいるのは、この秘密が守られているからに他ならない。もしもその感情が、外側ではなく内側にまで向くようなことになってしまえば……。
「……なるほど。確かに明かせんな、これは」
「そうしろ。せいぜい胸を痛ませるがいい」
結論付け、思い出したかのように二人で酒を呷る。不味い酒だ……。
同時にグラスを机に置き、吐息をつく。業腹なことだが、俺の中に宿っていたアーカードへの敵意はすっかり鳴りを潜めてしまっていた。
「……」
リゼットの眷属として、そして恋人として絶対に口には出さんが……畏敬の念すら、抱いているかもしれん。
俺には俺の守護の形があり、この者にはこの者の守護の形があった。俺は愛する者全てを笑顔にしたいと思っているが……もしも、こちらに向けられる皆の顔が笑顔ではなく、憎しみに替えられたとするならば……なんとも、酷い話ではないか。
たとえそれで愛する者の平穏が守られるのだとしても……想像するだけで、胸が引き裂かれそうだ。そのような道を、この男は征っているのだ。
「不器用で、馬鹿な男よ……」
「なんとでも言え。吾輩は吸血鬼という種族の道行きを背負っているのだ。こうする以外の道など、吾輩にはなかった。それだけのこと」
「今後、どうするつもりなのだ。結婚式は流れてしまったが」
「……吾輩の近くにいても、最早どうにもならん。当初の計画通り、アレには日本で一生を終えてもらう。何も知らぬままな。アレは弱者のまま、何も知らぬ方がいい」
「そうか。では預かるぞ、貴様の大切な娘を」
「ふん……」
赤黒い瞳を細め、気に入らなそうに鼻息を鳴らすアーカード。決して言葉にはせぬが、その態度からして愛人とその娘に対し、深い愛情を持っていることは明白だった。
グラスに入った酒を飲み干し、俺は席を立つ。
「どれ……」
「おい、吾輩だけ喋って終わらせるつもりか。もうおよそ会うことなどないのだ、せめてアレの日本での暮らしぶりなどを──」
「ああ、そういったことはな」
アーカードの言葉を背中で聞きしな、俺は扉に手を掛け、
「──マスターから、直接聞け」
「お父様……」
「なッ──貴様!!」
「落ち着け」
所在なさげに廊下に立つリゼットの姿に、アーカードがガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。瞳に宿る殺気だけで人を殺せそうだ。
だがその顔色はすぐに蒼白となり、奴は力なく再び腰を下ろした。
「まさか、ずっと聞いて……」
「いいや。扉を開けるまで、念入りに聴覚は遮断してあった。こちらへ来る前に、マスターと多少の決め事をしていてな」
「『決め事』だと……?」
「マスター」
「う、うん」
そうして俺は少し緊張気味なご主人様に向き直り──頭を下げた。
「申し訳ない。この者から話を聞いた結果、それは特にマスターへは『明かさぬことが最良』と判断した。ゆえ、お前の眷属は口を閉ざす。許せよ」
「ふ、ふ~ん……そ。正直面白くはないけれど、分かりました。許します」
「な、あ……?」
腰に手を当てツンと言うご主人様に、アーカードは言葉にならぬ呻きを上げる。まさかここに娘がいることなど予期していなかったという顔だ。
だが。まず彼女がここにいるのは、至極当然のことである。眷属の行動には報告義務があるのでな。俺がアーカードから一人で呼び出されていると知り、俺のご主人様が黙っているわけがない。『どうしてもついていく』と頬を膨らませる可愛いマスターに、しかし姉上の態度を知るこちらとしては『明かせると判断すれば明かす。逆ならば黙らせてもらう』と少々無理矢理納得してもらい、彼女には気配を殺して廊下で待機してもらっていたのだ。
そして現在。俺はありのままを報告し、秘密を秘密のまま抱えておく許しを直々に得た。今のやり取りは、たったそれだけのことだ。我がマスターの今後の生活にも、あまり影響はない。眷属に秘密が一つ増えただけのことよ。
……いや、違うな。『安心して秘密を預けておける』、そんな相手がいるかいないかの違いは遥かに大きい。先にもアーカード自身が言っていたことだ。『それで壊れるほど脆い関係性を積み上げてはいない』と。それがシャルロットにとってのアーカードであり、リゼットにとっての俺ということだ。
残念ながら、リゼットは父に対する信頼関係を構築できておらぬゆえ、その秘密に対し不審が生まれる。しかし俺や姉上の『秘密にした方がいい』という判断であれば、彼女は納得ができる。それだけのものをここまでに積み上げ、互いに信頼しているからだ。
「お父様……?」
「う、む……」
そうすることにより、リゼットは自然と父に対する印象を変える。
これまでは彼女にとって『明かせぬ』としか言わなかった父親であり、これまでの処遇から『明かさぬのは自分や母を愛していないからだ』とリゼットは判断していた。
……だが俺が今『秘密にする事情がこの男にはあった』と、わざわざ目の前で保証してやったのだ。
「──っ」
信頼する眷属の保証が、娘の内側にある冷たい氷を溶かしていく。淡い期待という熱で。親と子の縁というものは、当人達が思っている以上に切りがたいものなのだ。それはあの時リゼットが呟いた『死なないで』という言葉に全て詰まっている。
おずおずと、リゼットはアーカードへと歩み寄る。だがアーカードはばつが悪いのか、それとも今更どのような顔で娘に相対すればいいのか分からぬのか、中途半端に横など向いている。親子とは思えぬ初々しさだ。いや、親子としての積み重ねなど表立ってはなかったため、初々しいのはむしろ当然のことなのか。これから親子として歩み出せるかは、これから行われる二人のやり取り次第ではあるが。
一歩下がる。ここからは、二人の時間だ。それが親子の時間になるかは……最早祈るしかない。
薄暗い部屋に、緊張が滲む。変わらず横を向いたままのアーカードに……リゼットは意を決するように手を胸に当て、言葉を紡いだ。
「お聞きしたいことが、あります……」
「……なんだ。吾輩は忙しいゆえ、質問は一つだけだ」
常より使っていた断り文句。
それは娘と共に長くいれば、より情が移ってしまうのを防ぐ楯だったのかもしれん。
別の角度から見る、厳格で冷酷だった父の顔。それが今、リゼットの瞳にどう映るのかは伺い知れない。
だがきっと、これまでの関係性では……次のことは聞けなかったに違いない。
「お父様は──私やお母様のことを、愛していますか?」
「っ」
一種族を背負った男の鉄面皮が、歪みそうになる。
本当は愛している娘から『愛しているか?』などと、子から問われる親のなんたる無情なことか。親を信じられず、それを言葉にして問うことになる子のなんたる無情なことか。
「……っ」
アーカードは唇を結び、言葉に出さない。出せるわけがない。この者がいる立場と、そしてこれまでの娘に対する所業からして、最早この男にはそれを口にする資格がない。
沈黙が満ちる。長い、長い沈黙だ。しばらくの無言の後……リゼットが、瞳を閉じて吐息をつく。もしかすれば、似たような問いを幼い頃に投げたのかもしれん。そしてその時には、また別の答えが返ってきていたのかもしれん。
だがその沈黙の中で──、
「……私はお父様を、簡単に許すことはできません。お父様からの言葉を信用することもできません」
「……ああ」
彼女は、答えを得ていた。
「ですが──その流れる涙は。私とお母様のために流す涙の熱さは、本物のはずだと」
「っ、く……」
初めて向けられる、愛する娘からの本気の想い。願い。娘の問いにすぐ答えられぬ不甲斐なさ。圧しかかる己の責務。冥府魔道を歩むと誓い、全てを手放し……だがもしかすれば、今この時となり結び直せるかもしれぬという期待。
そしてそれらの中で殊更に──『愛している』と叫びたい親としての衝動に。その父はいつの間にか、瞳から涙を流していた。
娘に『嫌いか』と問われれば、この男はきっとそう答えただろう。当主としてそう答える覚悟は、リゼットが産まれる前からできていたはずだ。
だが『愛しているか』と問われれば……そんなもの、そう叫びたいに決まっている。隠しおおせているならまだしも、娘にそう悟られているならば尚更に。
「──」
父の流す涙を認めたリゼットは、静かにその隣の席へと座る。
変わらず視線を合わせぬ父を覗き込みながら……彼女はポツポツと、語り始めた。
「……この一年で、色々なことを学びました。聞いてくれますか?」
「……っ」
「初めて飛行機に乗って、ヘトヘトになりながら日本に着いて、すぐに彼と出会って……あ、初めて、お、お友達も、できて……」
「……う、く……」
「トーカっていうんですけど、すごく元気な子で。それによく食べる子で、ちょっと頭もおかしいんですけど……いつも私を外に連れ出してくれる、良い子で……」
「ああ……」
たった一年の、留学。
だが箱入りお嬢様にとっては、全てが大冒険であった。
ほぼ追放紛いの留学であったというのに、微笑みすら浮かべてその思い出を語る娘の姿を前に……。
「そうか……そうか……」
アーカードは片手で目蓋を覆い、ただただ「そうか」と娘に相槌を返す。男の手を覆う白い手袋は、既に水分でその色を変えていた。
「ふ……」
どこまでも不器用な……だが再び親子として歩き始めた二人の背中を視界に収めた俺は、酒のボトルを片手に踵を返す。今ならば、美味い酒が飲めそうだ。
「まったく……」
懸命に全てを伝えようとはりきる可愛いご主人様の顔に、俺は見えぬよう一人で肩を竦めた。
全てを断ち斬る妖刀を手にした孤独な少女。その力を遂に一度は行使しようとしたが……己の中にある情を自覚し、こうして強欲にも絆を繋ぎ直してしまった。断ち斬るより繋げる勇気を、彼女は得ていたのだ。まったく、手にした妖刀が泣いているぞ。とはいえ、たとえ仕組まれた出会いであろうと、俺はそんなところに惚れ、彼女に跪いたのだがな。
「ねぇ、お父様……?」
「ああ……」
扉を閉める寸前、二人のやり取りが聞こえてくる。
「いつか……私が成長したら、その秘密を聞かせてくれますか?」
「ふ……いいや、話さんよ」
話さぬ理由は、今ならばもう理解できる。
「……ふふ、そうですか。まったく、お父様は仕方ありませんね」
「……ああ、すまないな。リゼット」
──愛しているからだ。
完結まで、残り2話




