786 「父親」
──シャルロットを殺したのは、リゼットだ。
今は夏であるというのに。それを聞いた瞬間、全身を巡る血が一息に冷たくなった心地がした。
「……」
そんなわけがない。
それは理解している。あのリゼット=ブルームフィールドが、進んで親殺しなどするものか。ゆえにこのアーカードは『あえて』と言ったのだ。そこには込み入った事情があるはず。
「──っ」
……この先は、慎重に聞かねばなるまい。
痛みすら伴う沈黙の中。こちらの胸中の整理を待っているわけでもあるまいに、口を閉じたまま虚空を見るアーカードへ問いを投げる。
「それは……リゼットの様子からして、自覚していまい。事故か」
「……見方によればそうだな」
「何があった」
「……どこから話したものか。これを知っている者は吾輩と、シャルロットと学友の頃から親しかった我が妻のみだからな」
「聞くだに、そのシャルロットにも多くの秘密があるようだが」
「うむ……」
金の顎髭を一撫でし、アーカードは唸るようにして語る。
「まず前提として、シャルロットについてだが。彼女を"愛人"として迎えたのは、その方が我々にとって都合が良かったからだ。彼女の身分を隠すのにな」
「身分? 仏国の貴族ではないのか」
「吾輩も最初はそう思っていた。身体が弱いため、学舎でも個室を与えられ、安静のため交流も制限されておるものだと」
だが、その実態は全く異なるものだった。
「シャルロットはな──フランス王族の血を引く吸血姫だったのだ。ゆえに交流を制限されていた。イギリスの貴族階級程度など、及びもつかんよ。本来であれば吾輩など、一言すら交わせぬほどの高貴な女性であった」
「……な、に?」
「そう思うだろう。ゆえに愛人と称したのだ。道ならぬ恋に落ちた我々が共にいるには、そうするしかなかったのだ。まさかフランス王族の吸血姫が、イギリス貴族の愛人になるなどと誰も思わんし、疑いもせん。無論、徹底した情報統制は必要だったがな。シャルロットには最期まで苦労をかけた……」
つまり、そんな母の血を引くリゼットは本来……。
「そうして『これまでの経歴を捨てること』や『その血を引く子どもを残さないこと』を条件に、シャルロットはブルームフィールド家に迎え入れられた。『フランス王族の一部から吸血鬼が輩出されている』という事実が漏れる危険性など、それを知っておるだけで粛清対象となる。だがやはりな……己が病弱であることもあり、シャルロットは衰えていくにつれ、この世界に何かを遺したいと強く思うようになった。止められん想いだ」
「それで……リゼットを」
「ああ。もちろん、産めば厳しい道を歩ませるとは吾輩もシャルロットも理解していた。吾輩は立場上、娘を特別扱いなどできぬし、今のシャルロットには何の権限もない。王族の血を引くことなど絶対に明かせぬゆえ、『愛人の娘』と後ろ指を差される人生となる……だがその分、シャルロットは『私だけはうんと、産まれてくる子に愛を注ぐ』と誓っていた。己の寿命が尽きるまで、莫大な愛を注ぎ続けると」
父の愛を受けられぬことは理解できる。
だが、それでは『リゼットがシャルロットを殺した』という話にどう繋がる……なぜそのようなことに。
俺の眉根が歪んでいるのが見て取れたのか、アーカードは「少し話は飛ぶようだが全て繋がっている」と前置きし、話を続けた。
「ところで、リゼットの吸血鬼としての力についてどう思う」
「……周囲と比べて、大きく未熟だと」
「吾輩がアレにかけた絶位命令権はたった二つ。一つは先に解除した『身籠る行為の禁止』。もう一つは──『吸血鬼の力を大きく制限すること』だった。アレが吾輩の命令を聞いているように見えるのは、これの余波だ」
吸血鬼としての力が弱いことも、こやつの仕業だと……?
「……なぜ、そのようなものを」
「決まっている。"シャルロットの腹の中にいる頃から、リゼットが母親の血を吸い始めている"と判明したからだ」
「な──」
そ、れは──。
「これらはシャルロットも知らん。シャルロットもリゼットも、吾輩と母の血の相性が悪いゆえリゼットの力が弱いのだと、そう思っていたしそう思っている。──逆だ。世界最強の吸血鬼の血と、フランス最高の王族の血は相性が良すぎたのだ。結果……化け物が、産まれた。胎児の段階から血を求め、吾輩が絶位命令権を行使せねば抑えられんほどの……吸血鬼の王がな。優秀な血を掛け合わせた当然の結果とも言えるが……まさか、これほどとは誰も思っていなかったのだ。前例もなく、予想もできなかった」
それはどこか、母の胎内にいる頃から意識があり、戦っていた姉上の話を彷彿とさせる。いや、そんな姉上だからこそ、いち早く真実に辿りついたのか。超越者は、たとえ腹の中であろうと脈動し始めるのだと知っていたのだ。
「気付いた時にはもう遅く、シャルロットの寿命は大きく削られていた。我等吸血鬼は長命種であり、シャルロットも本来であれば、リゼットが一人立ちする頃まで生きられるほどの余裕はあった。だが、実際は……」
「……それは、しかしリゼットの所業では」
「当たり前だ。吾輩はおろか、シャルロットはその真実すら知らんが……知っておったとて恨みもすまい」
聞いて思う。これは明らかな事故だ。娘はおろか、その父や母にも罪の責任はない。胎児の行動を、習性を、誰が咎められようか。
しかし……、
「……それを知った本人は、果たしてどう思う」
「──」
「理解したか。『自分が母を殺したのだ』と、そう思ってしまうだろう。ゆえに、これらは絶対に知られるわけにはいかない秘密となった。たとえアレがどれだけ成長し、強くなったとしても……明かせるわけが、ないだろうが」
……全てが、繋がっていく。
「貴様がリゼットから距離を取るのも……」
「立場上。そして吾輩が近くにいると、絶位命令権が強く反応し自我を削る。加えて、どこから『王族の血を引くこと』が漏れるかも分からん。己の血が強いものと知れば、いずれアレにも疑念が湧く。『その強さから、傷付けたものがあったかもしれぬ』とな。貴様もよく知るところだろう。強者は、在るだけで周囲を傷付けると。ゆえ十分な年齢となった時、弱者のままに留学へ出した。それも無双の戦鬼が潜むと噂されていた街にな」
「……よもや、そこまで」
「ふん、おかしいと思わなかったか? 貴様の前に、偶然、正真正銘の王族が現れるものか。それも貴様が、無双の戦鬼が。矜持はあれど未熟な少女に一目惚れなどと? 分の悪い賭けだったが、しないよりはマシだった。だが見ろ。貴様はまんまと、リゼットに流れる王の血に無意識に惹かれ、その足元に跪いた。助かったよ。貴様が眷属としてリゼットを守護しておるがゆえ、アレの周りには秘密を暴こうとする者も誰も寄り付かんかった……そのまま恋仲になったのは予想外だったがな」
「俺と別れさせ、弱き吸血鬼と結婚させようとしたのも……」
「強者と交われば、赤子のでき次第でシャルロット同様、リゼットの寿命が削られるかもしれん。ゆえに子を作る一切の行為を強く禁じた。シャルロットに似て、体力がなかっただろうアレは。破滅的な魔力を保有する無双の戦鬼と交わるなど、自殺行為に等しい。アレと子を成す相手は、何も知らず、リゼットの背景に興味もなく、力の弱い吸血鬼で丁度良かったのだ。留学から戻って来させる気など最初から無かったのだが……幸いにもブラッドリー家は遠方にあり、吾輩の影響力もあまり及ばん場所にあったのも都合が良かった。吸血鬼貴族としての使命も与えられるからな。アレは昔から、家の中で何かしらの役割を欲しがっていたのを覚えている……そうさせてやった方が幸せかと、そう思ったのだ」
「……だが、リンゼを見た貴様は」
「ああ──安心した。ゆえに絶位命令権の一つを解いた。貴様はどうやら、アレと何事もなく結ばれるらしい……その手段が今の貴様にあるのかは分からんが、ならばと……ん、いや、だが仲を完全に認めたわけではないぞ。だからこそ貴様に斬りかかったのだからな。まったく、気に入らん……今もリゼットの力を大きく抑えておるゆえ、吾輩も実力の半分程度しか出せなかった。口惜しい……全盛期であれば、あと数十回は殺してやったものを」
「……貴様は」
「ん?」
「貴様は、それでよかったのか」
全てが理解できた。
なぜ頑なに本人へ『明かせぬ』と言っていたのかも。冷遇していたのかも。留学も、力が弱いことも。『王族の血を引き、その力ゆえ母を傷付けたこと』を悟らせぬためであったと。
そしてそれらは、全て──、
「守護るためか。母と、娘の……愛を」
「……シャルロットには最初から『明かせぬ』と伝えていた。それで壊れるほど脆い関係性を積み上げてはいない。逝く時は、リゼットを遺していくことに対し口惜しげだったが……笑顔は、見られた」
「しかし貴様は代償として、娘から恨まれているではないか。それで──」
「──それがどうした」
その一言に、強い意志を感じる。不敵な笑みには、己の過去が間違ったものではないと確信する矜持が宿っていた。
「安いものだ。最初から吾輩は、アレの真っ当な父にはなれない。そんな吾輩が秘密を隠し続け、アレから恨まれるだけで……シャルロットとリゼットの過ごした時間が、紡いだ絆が、守護られるというのだからな」
「──」
愛する者を、守護る。
──たとえその者から、憎悪の炎で灼かれることになろうとも。
種族の代表としての重責を背負い。明かせぬ秘密を抱えたまま、愛する者を見送り。そうして、残った娘からは憎しみを向けられる。
だがそれを、よしとする。母と娘の過ごした幸せを本物とするために。二つの墓に誓いを立て、その秘密を墓まで持っていかんとする冥府魔道の吸血鬼。
なんと痛々しい……守護の形であることか。
「貴様は……」
「やめろ、サルからの同情などいらん。それに……貴様の国でも、そうした風潮があるのではないか」
「何がだ」
ここまで喋り通し、喉が渇くのかアーカードは正面を見たままワインを一口含み──、
これまで見た中で、最も優しい笑みを浮かべた。
きっとそれは、一人の父親としての……。
「──父親など、子に恨まれるのが仕事なのだとな」




