785 「呪い」
──式を台無しにし、アーカードをも打ち倒した我々は……英国のブルームフィールド本邸にて一泊することとなっていた。
「『話がある』か」
仄かな明かりのみが照らす廊下を征きながら、俺は一人鼻を鳴らす。
此度のカチコミはつまるところ『リゼットとブルームフィールド家の縁を切る』ことだったが……今のところ、それは保留ということになっている。それもこれも、あのダニが曖昧で意味深な態度ばかり取るからだ。髭の生えたおっさんがそのような態度を取ったところで可愛げもなければ、その口を切っ先で抉じ開けたくなるだけだというのに。
「さて、期待していいのか」
現在、夜明け前。
吸血鬼の結婚式は深夜帯であったため、少女達も今は寝てしまっている。余程リゼットに聞かれたくはなさそうであったため、アーカードに呼ばれたのも俺だけだ。その辺りも含め、今度こそ全てを話してもらおうか。そうでなければ、誰がこんなところに留まるものか。
「入るぞ」
そうして、廊下の突き当たりにある扉を叩いて開ければ、
「……来たか、サル」
「邪魔するぞ、ダニ」
仏頂面で"ばーかうんたー"に腰掛ける黒衣を纏う男……アーカードが俺を出迎えた。その手には既にワイングラスが握られている。幾度も殺してやったというのに、もう酒を飲む元気が戻っているのか。
隅にはダーツやビリヤードが設えられ、"かうんたー"の奥にはズラリとワインやウイスキーの酒瓶が並び、絞られた照明を宝石が如く上品に照らし返している。煌めきの過剰でない、趣味の良い部屋である。
グイと自棄のようにワイングラスを呷るアーカードを横目に、俺も適当に酒瓶に手を伸ばす。洋酒の類いはよく分からんが……どれ。
「おい。よりにもよって稀少なものを……」
「悪鬼は宝に対する嗅覚に優れていてな」
どうやら"当たり"を引き当てた俺にアーカードは苦々しい顔をするが、そのような顔をしても俺の酒が美味くなるだけだぞ。
"ばーてんだー"もおらぬゆえ、手酌でグラスに酒を入れる。互いに注ぎ合うような関係性でもなかろう。
そうして二席ほど間を空けて座り、俺も酒を呷る。蒸留酒の特別高い酒精が喉を焼き、豊かな樽の香りが鼻を抜けていく。こうした蒸留酒もたまには悪くない。
酒精交じりの熱い吐息をつき、俺はアーカードの方を見もせず「して」と口火を切る。お疲れ様会をしたいわけでもないだろう。
「こんな時間に呼びつけて、さぞ良い話が聞けるのだろうな」
「貴様等が式を滅茶苦茶にしたからこんな時間になったのだろうが。誰が後始末をつけたと思っている」
「自業自得であろう」
金髪のオールバックゆえ、深く刻まれた眉間の皺もよく見える。
「あの道化は機嫌良く帰ったのか?」
「……『よく分からないけれど、美しかったからオーケー』だと。案外、大物だったのかもしれん」
「どれのことだ。花嫁の晴れ姿か? 俺と貴様の立ち合いか? それともリゼットが貴様へ最後に見せた情か?」
「……ふん」
恐らく最後のものだろう。アーカードは瞳を閉じ、酒を一口飲む。
つまみも出ず、酒だけを口にする場にて。ここで肴となるのは、この者の語る言の葉のみだ。
グラスを満たす紅い湖面を見つめたまま、アーカードは誰に語り聞かせるでもないように呟く。
「……誰に似たのか。情け深い子に育ったものだ」
「少なくとも貴様でないことは確かだ。母親ではないのか」
「ふん、馬鹿め。シャルロットはより手厳しい女だった」
今は亡き愛人に、アーカードの瞳が慕情を孕む。
その色が本物であればあるほど……分からんな。
「それほど愛しているのならば、いくらでもやりようなどあっただろう。俺のご主人様を最初から冷遇などせず」
「それこそ馬鹿め、だ。吾輩はもう二度も禁を破っている。『フランスの吸血鬼をイギリスのブルームフィールド家に受け入れること』、『あまつさえその者との間に子を設けること』をな」
代々、吸血鬼の模範として在るブルームフィールド家当主として、掟を破ることなどあってはならんことなのだろう。
「──上が掟を守らずして、誰が守る? この神秘薄れし現代に、緩やかに絶滅していく種族を……誰が人間から守ってやれる。ゆえに、吾輩は一族の墓前で誓ったのだ。『もう二度と禁を破らぬ』と。愛人の娘を殊更に、特別扱いなどしたくてもできぬ。暴力で全てを台無しにする人造の鬼に、当主としての責務や連綿と連なる血の重みなど分かるまいが」
「ご立派なことだ。俺のご主人様になんら関係のないことを除けば」
「……貴族の家に生まれたのならば、それ相応の振るまいが求められるのは当然だろう」
「勘当紛いの留学や望まぬ婚姻もそれだと? まさか、あまりつまらぬ話を聞かせるなよ。これまでの話は、そうした側面もあるというだけだろうが。いい加減、本質を話せ」
「……本質、か」
アーカードが嗤う。こちらを見る赤黒い瞳が昏い色を湛えた。
「ああ、教えてやろう……特別に。アレと結ばれ、子を成すかもしれぬと分かった貴様だからこそ教えてやるのだ。知れば貴様は必ず後悔する、そんな呪いをくれてやる。それほどまでに知りたいと言うのならば、貴様を吾輩と同じ道に引きずり込んでやろう」
「ここへ来て腹いせとはな。だがそれは俺の決めること。あまり舐めるなよ吸血鬼。俺はリゼット=ブルームフィールド最強の眷属。無双の戦鬼であれば、なんぞしてやれることもあるかもしれん」
「貴様には何もできんよ。いや、この世界の誰にもな」
滑りをよくするためか、アーカードはまた一口酒を飲む。
そうして葡萄の香りで肺を満たし、奴はこちらに聞く。
「アレの母……シャルロット=ブルームフィールドのことはどれだけ聞いている」
母親……?
なぜ今、母の話を。そう怪訝に思いつつ、知り得る限りのことを並べていく。
「……容姿や話し方などは、リゼットとの契約の糸から見たことがある。貴様などという男の愛人に成り下がった由は知らんが、我がマスターに生きる指針を与えた尊敬すべきご母堂である、と。あの母がいなければ、今の誇り高きリゼットにはならなかったであろう」
思い浮かべるのは、ベッドに身体を預けるどこかリゼットに似た女性。最期まで愛する娘のことを想っていた、強き母の姿。
あの女性が生きてさえいれば、リゼットは妖刀を握るに能うほどの憎悪を抱くこともないまま、一人の心優しい少女として育ったに違いない。
「他には。身体が弱いことなどは」
「……そうだな。生まれつき身体が弱く、治せるはずの病気で亡くなったと」
ゆえに、我が主は世界を憎んでいる。愛する母を奪った運命を怨嗟の炎で呪う。
その炎は温かな日常の中にあり、なおも燎原の火の如く彼女の中で燃え盛っている。何もできなかった己をも、何もしてくれなかった世界をも焼き尽くさんと。それは母の教えと共に在る、彼女の生きる原動力だ。
「そう聞いているが、なにか」
……だが、
「ふ……ああ、そうだろうな。"そういうことになっている"」
「……なんだと」
その口ぶりに。嫌な予感を、覚える。
……なんだ、この胸のざわめきは。
せせら笑うこの吸血鬼は、いったい何を言おうとしている。
「──」
ふと、我が姉上の言葉が思い返される。
卓越した思考能力で恐らくは真実に辿りつき、しかしついぞ話すことのなかった姉上の言葉を。
『私が想像したのは、リゼットちゃんにとって最悪のお話ですので……』
リゼットにとって、最悪の話。
それは……それは今まで信じてきたものが、心の寄る辺が、前提から破壊されることに他ならない。それは心を死に至らしめる呪いだ。
既に呪われた運命を歩む少女に、これ以上の呪いをかけようというのか。
「いいか。あえて……あえてこういった言い方をする。ゆえに取り乱すな。暴れるな。それがアレを取り巻く事情、その本質の全てだからだ」
「……聞かせろ」
最早、酒を傾ける気にもなれぬ。
時計の針の音もどこか遠く。奴から放たれる言葉は聞き間違えようもなく、こちらの鼓膜を蝕む。
葬り去られるべき、無情なる真実を。
「──シャルロットを殺したのは、リゼットだ」




