152 「おモテになるのねえ……?」
屋上のフェンス越しから下界を睥睨すれば、ワラワラとうごめく人間共が菓子に群がるアリのように見える。
「見よ、綾女。人がゴミだ」
「はいはーい、人をゴミ扱いするのはダメなことでーす。あ、刃君、追加で鉄板に油敷くのお願いね」
「……承知した」
俺の言葉を真剣に聞いていない様子な綾女の指示に、憮然としながらも従う。
店頭に戻り、ペタペタと刷毛で熱された鉄板を撫でれば、香ばしく油の焼ける匂いが鼻をくすぐる。それだけに留まらず、既に周囲の出店からは様々な食欲をそそる匂いが漂っていた。
「いい天気でよかったね、刃君! 絶好の学園祭日和だよ!」
ふんす、と鼻息熱く拳を握った我らがクラス委員長は、普段の生活時よりも生き生きとしている。立ち並ぶ露店や客を前に、看板娘の血が騒ぐのだろう。
「ふふ、なんだか縁日みたいだね。刃君ってそういうの行った? 夏休みは何してたの?」
「縁日には行っていないが竜に変身して"神の杖"を射出して重力を操り流星群を作ったことはある」
「んー、ちょっと何言ってるのか分からないな~」
冗談だと思っているのだろう。彼女はクスクスと笑って、この賑やかな雰囲気を楽しんでいるようだ。
そう、時は学園祭初日。
まだ開催から一時間ほどしか経っていないが、既に客も複数この屋台を訪れクラスの者も喜んでいる様子。
過ごしやすい秋晴れであり、皆が楽しみにしていたであろう祭りの雰囲気に、一層その日差しが花を添えていた。
「ふふ♪」
瞳を輝かせる彼女はクラスで統一された黒いハッピのようなものをセーラー服の上に着込み、今日という一日を迎えられたことを言祝ぐ。
「刃君が晴れにしてくれたの? この前みたいにこう、雨雲をズバって」
「いいや、俺は何もしていない。きっと綾女の普段の行いがよかったのだろうな」
「そうかな? そうだといいな」
きっとそうだとも。
思えば、俺はスペース確保の幽霊絡みで動いていたが、実際に学園に申請して交渉していたのは綾女だ。
たい焼きを作成する技術の習熟を促したのも綾女であり、これで今日が雨に見舞われてしまい、彼女の労力に水を差されることになればそれこそ嘘だ。いや、この俺が許さん。
「楽しいお祭りにしようね!……な、なんで頭撫でてるのかな?」
「労はねぎらわれねばならん。それは人でも鬼でも変わるまい」
丁度いい位置にあるカフェオレ色の髪に指を通せば、綾女はくすぐったそうに笑みを漏らす。
まあ、俺の手では到底足らん労だろうがな。しかし今はこれくらいしかできぬのだ、許せ。
「ちょ、ちょっと恥ずかしいなあ……」
「嫌だったか、それならばやめるが」
「そ、そうは言ってないよ?……も、もうちょっとだけ……」
背丈の低い彼女の、上目遣いの愛らしいおねだりに微笑ましくなる。我が友は今日も可愛い。
そしてそんな俺達を見て「俺らの委員長が……」と涙を流す男子共の嫉妬の視線も大変心地好い。
鬼は宝を集めるのも好きだが、他人の宝を奪うことはもっと好きなのだ。貴様らの綾女だとは知らんかったが悪いとも思わぬ、いただいていくぞ!
だが──、
「……不安になってきたな」
「え、どうしたの?」
もう一度フェンスに近付き一抹の不安を言葉に出せば、綾女はキョトンと首を傾げる。
「この学園祭は外部の者を招くだろう。それはつまり、けしからん欲望を持った人間すら学園を闊歩するということ」
「あー……そう、かも?」
綾女が曖昧な表情を浮かべながらも隣のテントに目をやれば、そこにはなぜかヒヤヒヤした様子で接客をする橘の姿が見受けられる。
我らがクラスは複数のテントに渡ってたい焼き屋を展開しており、隣のテントには橘がいるのだが……目深に帽子を被り、サングラスにマスクを着用したスーツ姿の男を相手にこそこそと話し込んでいた。
耳を澄ませてみれば「姫さんが接客する姿どうしても見たかったんだもんよ……!」と言っている男に対し、橘が慌てた様子で『しー!』と唇に指を当てている。
「……」
なんだあのおっさん……いや事情を知っていればおのずと分かるが、知らぬ周囲の者など通報しようか迷っているではないか。逆に目立つわ。
「だが、つまりはそういうことだ。いつ少女に魔の手が忍び寄るか分かったものではない……」
「まあ他校の生徒も遊びに来てるからねえ。リゼットちゃんも刀花ちゃんも可愛いし、声をかけられちゃうかも?」
「……なにを自分は関係ないみたいな事を言っているのか」
「うん?」
またも不思議そうに首を傾ける綾女。
まったく、自覚が足りん……。
「綾女とて看板娘を担えるほどの美少女であろうが」
「はうっ!?」
巻き込まれるとは思っていなかったのか、綾女は妙な声を上げて赤面する。
リゼットであれば多少照れはするものの『自分が美しいのは当然』という、自分の容姿に関する自覚も品格も持ち合わせている。
綾女のそれも謙虚は美徳かもしれんが……国民性なのかもしれんな。
「そ、そんなこと……ないよぉ……」
「いいやそんなことはある」
「あぅ……」
もじもじテレテレとする綾女に断言する。
明るい髪に、親しげな雰囲気。接客業で鍛えられた完璧な笑顔とその対応。バカな男であればこちらに気があるかもしれぬと勘違いすることだろう。
実際、喫茶店を手伝っている時にそういった場面を何度か見たことがある。慣れているのか華麗にかわしていたが。
「うむ……」
それに、彼女の体つきもまた男子の視線を釘付けにする。その低身長にあってなお主張する、セーラー服を押し上げる豊かな胸部に。
「知っているぞ。"ろりきょにゅう"と言うのだろう?」
「ろっ、ロリじゃないんだけど!?」
俺がそう賛辞のつもりで言えば、綾女は頬を染めつつ心外そうにして訂正の言葉を放った。
「む? だが他の男子が称えるようにしてそう言っているのを聞いたぞ」
「変な言葉覚えちゃいけません! もぉ~……」
そう言って綾女が恨めしげに周囲の男子を見れば、男子は気まずげに視線を逸らした。
その反応を見るに、純粋な誉め言葉の類いではなかったか。
「では綾女のその胸はなんと言えばいいのだ?」
「そもそも一般的な男の子は女の子の胸について本人に言及しないよ! セクハラ、ダメ絶対!」
「まあ、そういうわけで外部の者にセクハラをされないか不安という話だ」
「強引に話を戻したよ……そして君が一番それをしたよ……」
線引きが難しいものだな。主と妹ならば胸を誉めれば喜ぶ……いや、リゼットは照れながら怒るか。うぅむ……。
「まあいい」
「いいんだ……」
「とにかく、目を光らせておかねば。我が少女達に毒牙がかからぬよう」
「それはいいけど、怖い顔はダメだよ? 接客は笑顔でね!」
俺が眉間のシワを深くしていれば、接客のプロである綾女が自分の頬に指を持っていき、くいっと上に持ち上げる。にっこり。
「ほら、刃君も。にこー♪」
「……にこー」
「うわ、すごいビジネス笑顔だ……」
俺の十年に及ぶバイト生活で鍛え上げられた笑顔を披露すれば、綾女が少し身を引く。
俺のこれは貼り付けた笑顔というやつだ。彼女のプロのそれとは比べるべくもない。
「喫茶店の時はもっといい笑顔だったんだけどなー」
「にゃにおふる」
綾女はそんなことを言い、背伸びをしてこちらの頬をぐにぐにしてくる。
笑顔に関しては、あの時は幻覚をキメていたからだ。有象無象の接客にあたって、そう簡単に笑みなど浮かべられるものか。
「むぅ……」
だが、今目の前でこちらに小さな手を懸命に伸ばし、挽き立てのコーヒーのような香りをふわりと香らせる少女の姿を見れば……、
「あ、そうそう! そんな感じでそんな感じで!」
「……そうか」
俺の笑顔の理由を知らぬ少女が、嬉しそうに頷く。理由を知れば、可愛い反応が返ってくるだろうか。
「うーむ……」
しかし、それをすればまた周囲に我が友の可憐さを喧伝してしまう。困ったものだ。
そんな彼女はしかし「はっ、でもそんな笑顔で接客したらそれこそ──」などと、急に何かを危惧するような声を出しており──、
「あのー、すみません……」
「む?」
いや難しい難しい、と悩んでいれば、店頭に新たな客が複数立つ。
薫風とは違うデザインのセーラー服を着た女のグループだ。他校の物見遊山だろう。
「たい焼きは具によって値段が違う。メニューを参考に選ぶといい」
「は、はい! えっと、じゃあ──」
なにやら緊張気味な注文の声に疑問を覚えつつも、注文に従いたい焼きを焼き始める。
そうすれば、目の前の女グループは感心したようにプレートに目を向けた。甘味はいつの世も少女の目を引くものだ。
「うむ」
その様子に安堵の息を漏らす。
外部の者でも、女ならば安心できる……いや、昔から衆道というものはあったな。多様化の進む現代、やはり気を張っておくべきだろうか……?
「お待たせした」
「ありがとうございます!」
そんな益体もないことを考えながら、さっさと業務をこなすべくたい焼きを差し出す。
「よし」
さて、そろそろ我が主と妹もこちらに来る頃だろう。そのための準備も早めにしておかねば──、
「あ、あのっ」
「……ん?」
そうして次なるたい焼きを用意しようとしていれば。
たい焼きを渡した他校の女が、遠慮がちにこちらに声をかけてきた。後ろに集まる者らがクスクスと楽しげに笑っているのも気になる。
(なんだ……さてはクレームか?)
よくいるのだ。
最初はこうして「自分は気弱な一般市民ですよ」といった雰囲気で話しかけ、聞いてもらえたと思えば要求を吊り上げていく底意地の悪い輩が。けしからん!
こういったクレーマーには毅然と立ち向かわねばならんと経験で知っていた俺は、なにやら隣でハッとした表情を浮かべる綾女を手で制し、どのような要求をも突っぱねるべく胸を張って──、
「あのっ、この後……時間空いてますかっ?」
「…………む?」
…………なに?
予想外の少女の言葉に、一瞬対応が遅れる。後ろの取り巻きもキャアキャアとうるさい。
「よろしければ、学園の案内を……」
「……いや、時間は空いていないのだ。他を当たってくれ」
萎縮するように肩を縮こまらせる少女を、言葉を選んで拒絶する。
この屋台の責任者は俺と綾女だ。それはつまり、もし俺がここで「自分のケツを拭けるようになってから言え小娘が」などと言ってしまえば、綾女の名を落とすことになる。それはダメなことだ。
「そ、そうですか……」
見るからに肩を落とし、少女のグループはそそくさと去って行く。
それを渋く見送った俺は、なんとも言えん心持ちだ。
「ふ、ふふっ……逆ナンってやつだ」
「……やめてくれ」
俺が誘われた時はハラハラとしていたみたいだが、今ではおかしそうに口元を押さえて笑う綾女に辟易した声でそう返す。
「モテますなー、うちの元スタッフ君は」
「やめろと言ったぞ、俺は……」
「まあでも、刃君って見た目とか大人っぽいから。実は裏とかでも少し人気あるの知ってた? 雰囲気は怖いけど、笑顔だったら……うん……その、かっこいいから、ね?」
少々照れた様子で言ってくれる綾女に、俺はいつものように鼻息を鳴らした。
「俺がかっこいいのは事実だが、有象無象からは要らん世辞だ」
「す、すごい自信……」
当たり前だ。
酒上家家訓──“兄は常にかっこよく在らねばならない”
刀花の決めたそれを遵守する俺が、それを認めねば妹が悲しむ。俺は妹のためにかっこつけるのだ。
……まさか俺が先に声を掛けられるとは思わんかったが。盲点だった。
「いかんな。もしこんな現場を二人に見られていたら──」
「「じとー……」」
「はっ!? この湿度を多分に含んだ視線は……!」
俺がバッと顔を上げて注がれる視線を辿れば。
い、いる……屋上に繋がる扉からひょっこりと、その縦に並んだご尊顔が二つ。
ものすごく……ものすごーく不満げに頬を膨らませ、夏もかくやというほどのじっとりした視線をこちらに送る少女達こそ……、
──まさしく、我らがご主人様と妹様であった。
「い、いらっしゃいませ……」
「刃君がこんなに汗ダラダラ流してるの初めて見たかも……」
見せたくなかったそんな顔。
およそ家訓を守れていないだろう顔をする俺は、頬をお餅のように膨らませながらこちらに近付く少女達に、来店を感謝する言葉を投げた。声は震えていなかったと思う。
「……お勧めをいただけるかしら、おモテになる私の眷属さん?」
「私は全部ください、かっこいいお兄さん」
チクリと刺すような声音で、彼女達は注文を述べる。
ああ、そんな風に可愛らしく嫉妬する二人も愛らしい。
少し空気に押されてしまったが、俺は気を取り直すように首を振る。
我こそは無双の戦鬼。我が愛は目の前の少女達のもの。
だからこそ──ここは挽回せねばな。
「二人とも、これを」
たい焼きを焼く前に、俺は二人に懐から一枚の紙切れを手渡した。
「なにこれ? “特別──」
「たい焼き優待券“……ですか?」
「うむ」
表面に書かれた文字を読み上げるリゼットと刀花に頷きを返す。
「その券を使った者は、特別なたい焼きが進呈されるのだ」
「あら、いいじゃない」
「刃君いつの間にそんなの作ってたの?」
昨夜にせっせと夜なべしたのだ。戦鬼のお手製である。
それに今日の金は俺持ちだからな、好きにさせてもらうぞ。
俺が「少し待て」と断り、たい焼きの生地を鉄板に流し込めば、刀花がワクワクした様子でこちらに尋ねてくる。
「兄さん兄さん、特別なたい焼きってどんなですか?」
「ククク、食い物を特別なものにするためには、“盛る”に決まっているだろう?」
「も、盛る……?」
リゼットの言葉に頷き、タイミングを計る。
そうして生地が形になってきた頃合いになれば、俺は取り寄せた餡子を──限界まで盛る!
「はあ──!」
そして間髪入れずに、ガチンとギロチンのようにたい焼き器を合わせれば……完成である。
「ふ、これが戦鬼特製、餡子を生地で包める限界まで盛った“すぺしゃる”たい焼きである」
「きゃあん、兄さんありがとうございます♪」
「いやもうパンパンになってるじゃないの……」
今にも中身が破裂しそうなたい焼きを前に、妹は歓声を上げ、主は呆れた様子だ。
俺はそんな二人に、たい焼きを差し出す。
「この餡子の量が俺の捧げる愛だ」
「素敵です兄さん……」
「ええー……このフォアグラ作る過程にされてるガチョウみたいなのが愛ぃ?」
「ほう、“食い切れぬほどの愛”と申すか。さすが我が主は詩的なことを言うな」
「言ってないのよねえ……もう」
そんなことを言いつつ、満更でもなさそうに受け取るところが我が主の可愛らしいところだ。
「さて、俺は休憩に入る。構わないか、綾女?」
「あ……うん。いってらっしゃい刃君」
少々圧倒されていた様子だった綾女が、小さく手を振り笑顔で送り出してくれる。シフトは事前に打ち合わせているからな。
俺は頷き返し、二人だけのために作った特別なたい焼きを頬張る少女達の手を取った。
「さ、二人とも。祭りに赴くとするか」
「はーい!」
「ええ」
よし、どうやら名誉は回復できたらしい。せっかくの祭りだ、その端正な顔に曇り空は似合うまい。
俺は二人分の気持ちのいい返事を聞きながら、さて彼女達をより楽しませるにはどこを巡るのがいいかと、改めて学園の地図を頭に思い描くのだった。
「……それで? さっきの女の子達、誰だったのかしら?」
「私は信じてますけど、事情くらいは聞きますからね兄さん」
「やましいことなど何もないのだが……」
……楽しい祭りは、まだまだ始まったばかりである。




