151 『燃え上がりましたね、ええ』
『──そうやって私が独り寂しく、この屋上でお弁当を食べていたら、唐突にそこの扉が開いてですね……『お邪魔でなければ、ご一緒してもいいですか?』って、センセがちょっぴり遠慮がちに言うんですよぉ。その困ったような、はにかんだような笑みがですねぇ、もうですねぇ! この時から私は恋をしていたのかもしれませんねぇ!』
「「おお~……!」」
「ずず……」
あー、味噌汁美味い。
刀花が学園での昼食用に、わざわざ魔法瓶に入れてくれた熱々のものだ。不味いわけがない。幸せな昼食時だ。
『ちょっと、聞いてますか戦鬼さん! せっかく思い出した私とセンセのめくるめく恋のアバンチュール!』
「聞いていない」
俺は妹の愛情でたっぷり味付けされた味噌汁を啜りながら、こちらを非難する化野の言葉にそう答える。
思い出してくれたのは僥倖だが、人間同士の恋路の中身などどうでもいい。大事なのは情報だけだ。
「それでカレン、続きは? ──あ、ジン。次、卵焼きね」
「私も、私も聞きたいです──兄さん、私はお肉でお願いします」
しかし、我が主と妹はそういうわけでもないらしく、化野の口から放たれる恋の物語に興味津々な様子だ。
教師と生徒。許されざる秘密の関係。密やかに共有される二人の時間。実を結ぶことが困難な陰日向の花。
まるで刀花が所有する少女漫画のような展開を前に、恋する乙女達はその瞳をキラキラと煌めかせていた。
女性が三人寄ればかしましいと言うが、その内容が恋バナとなればその華やかさは一層のこと輝きを増す。俺はそんな彼女達のお口に、お昼ご飯を運ぶ仕事に従事するのみだ。
「カレンは、最初から先生のことが気になってたのかしら?」
『うーん……まあでも、本当に最初の頃はセンセのこと『うっざ』としか思ってませんでしたね』
「そうなんですか?」
キョトンとする刀花に、化野は『あはは』と、どこか照れくさそうに頬をかいた。
『どうせクラスに馴染めない私を憐れんででしょ? とか、担任としての仕事ってだけでしょ? みたいな。なにせ私も思春期でしたので。私に家族がいればもう少しマシだったとは思うんですけど、触れる物を皆傷付ける勢いで。特に理由もなく流行のものは、とりあえず嫌っておく的な感じで?』
ああ、そういえば中学生の時の刀花も少し難しい時期があったな。
化野が得意げに話す内容を、言葉半分に聞きながら過去に思いを馳せる。
なんでも漢字で表記しようとしたり、右腕が疼いたり、風の泣き声を聞いたり……誰しもに訪れる時期なのだなあ。
『──ですけど、どれだけ無視してもセンセは穏やかに笑って、ずっと隣にいてくれて』
どうでもいい思考にかまけていれば。
キュッと、フワフワと存在が定かでない幽霊少女は、しかし大切な物はここにあると主張するかのように胸に手を当てた。
情愛に満ちた瞳が向けられるその先で、指に嵌められた銀の指輪が煌めく。
『叱るでもなく、同情する言葉をかけるでもなく……ただ静かに、側にいてくれたんです。センセは私にとって、太陽でした。温かくて、隣を見ればいつも側にいてくれて。結局、私は寂しかったんだと思います。両親を幼い頃に亡くして、親戚中をたらい回しにされてずっと独りでしたので。優しく寄り添ってくれるセンセのこと、すぐ好きになっちゃいました』
「素敵ですねえ」
「ジンも見習いなさい?」
うっとりとする刀花の横で、マスターがそんなことを言う。
いきなり水を向けられたが、肩を竦めておいた。
「俺とて常時、マスターの傍らに控えているではないか」
「それ目の前の脅威に刀抜くためでしょ。優しくって言ってるでしょう?」
「オレハヤサシイ」
「一瞬でバレる嘘吐くんじゃないの。私にすら、たまに意地悪になるくせに」
「……昨夜のことを根に持っているのか?」
「……べ、別にっ」
プイ、と頬を染めて横を向くマスター。
昨夜のお休みのキスは“優しく”という要望だったのだが、懸命にこちらへ唇を押しつける彼女があまりに可愛らしく、つい悪戯心が疼いてそのまま舌をな。
その後真っ赤になって、こちらの胸をしこたまポカポカと殴ったことでその件に関して手打ちとなったと思っていたが……まだ、彼女の中では消化し切れていなかったらしい。
「とにかく、あなたはもっと優しくなりなさい」
「……善処しよう」
「私は悪戯好きな兄さんも好きですよ!」
唇を交わしている間は、リゼットも夢中になっていたというのに、我が主は我が儘である。だがそれがいい。そして刀花は優しい。
『お、おかしいです。私の惚気を聞かせているはずが、いつの間にかあなた達のものに取って代わられ……』
「ふ、語る隙を見せたお前が悪いのだ」
「無茶苦茶言わないの。ごめんなさいカレン……」
戦慄した表情を浮かべる化野に、しかしマスターが頭を下げた。上の者が謝るなと言っておろうが。
そんな俺達をニコニコ眺めていた刀花が、気を利かせて化野を脱線から導こうとする。
「えっと、じゃあ華蓮さんから先生を口説き落としたってことですか?」
『こ、コホン……そう、ですね。おおむねその理解で間違ってはいないかと』
「おおむねでなければ間違っているのか」
『うっ……』
まあ教師から生徒に手を出すことなどあるまいて。
だがその仔細を問えば、化野は少し気まずげに視線を逸らす。
こやつ、一体何をしたのだ。
『ち、違いますよ。ちょっと他の先生からセンセの家の電話番号聞き出したりとか、ちょーっとセンセが帰宅する後をつけて住所確かめたりとか……それくらいしかしてませんって』
「え?」
マスターが「聞き間違いかしら?」といったような声を上げた。
いや本性出したな。ねちっこい幽霊になるわけだ。
『その後、ポストにラブレターを毎日投函したり、偶然を装って学園の行き帰りをご一緒したり、偶然を装って独り暮らしのセンセの家に晩ご飯を作りに押しかけたりして』
「“偶然晩飯を作りに行く”、という言葉が俺の中で消化不良を起こす」
「私もよ……」
『そうやってお互いに愛を育んでいったんですねえ』
「分かります。愛ゆえに、ですね」
『おお、分かりますか妹さん!』
愛があれば何も問題ない派の妹が賛同している。そう言われると仕方ない気もしてくるのが不思議だ。
『センセは独り身でしたし、私と同じくご家族を亡くされていたので、あの人も根本では寂しかったんだと思います。押しかける私に困惑しながらも、だんだん受け入れてくれて……どこか家族みたいな関係がとても心地よくて』
「うんうん」
「でもそんな生温い関係じゃ、私が満足できなくなってきて……」
「うん?」
微笑ましい話に頷いていたマスターが、首を傾げる。
語るごとに真顔になっていく化野の雲行きが怪しい。
『ある日、晩ご飯を食べた後、いつも家に送ってくれる時間になっても私が『帰りたくない』って言って。だけどそんな私を、駄々をこねる子ども扱いするセンセに、だんだん私も腹が立ってきて……』
「そ、それで……?」
聞きたいような、聞きたくないような雰囲気でマスターが続きを促す。一方、刀花はワクワクした様子で耳を傾けていた。
『結局お泊まりすることになったんですが、少しドギマギしながらもいつもと変わらない態度を取ろうとするセンセに、もう私はいてもたってもいられず』
「い、いられず……?」
『──押し倒しました』
「お、押しっ!?」
「きゃっ♪」
「ほう」
真顔で言う化野のその言葉にリゼットは目を見開き、刀花は黄色い声を上げた。
なるほど、そういう手を使ったわけか。存外、たくましいのだな。
『代わりばんこにお風呂に入ったんですけど、センセの後に上がった私が何も着ずにそのまま迫って──』
「は、はぅ……」
『──とても、燃え上がりましたね』
「参考になります……!」
ピュアなご主人様は茹でダコのように真っ赤になって俯き、刀花は瞳を爛々と輝かせる……が、参考にはしないで欲しいと兄は思うぞ。
『ふ、ふふふ……普段からおっとりしてるようなセンセでも、一皮剥けばただの男。あの夜のセンセはとっても素敵で、熱くて、『こうなったのでしたら、必ず責任は取ります』とまで言ってくれて……はあ……』
化野は陶然とした雰囲気で息を吐きながら、頬に手を当てている。大切な思い出なのだろう。
『関係が周囲にバレても、気持ち悪がられて苛めを受けても、その言葉を思い出せばなんでもありませんでした。こうしてここで待っていれば、センセは必ず屋上に来てくれて、優しくしてくれて……』
しかし……。
そこで言葉を句切り、化野は一つ溜め息をついた。仕方ないとでも言うように。
『──まあ、責任取ってくれる前に亡くなっちゃったんですけどね』
「っ」
そんな時間は、長くは続かなかった。
先程、化野は教師のことを『太陽のようだ』と言ったが……、
明けない夜がないように、沈まぬ太陽もまた、ない。
『まったく、ビックリしちゃいましたよ』
自嘲気味な化野の言葉に、少女達が息を呑む。それを横目に、俺は懐から一枚の紙を出した。
「これで間違いないか」
『……はい』
それは一枚の切り抜き記事。
街の図書館からではなく、この学園の書庫から探し出した物だ。学園に関する記事のスクラップを、先日運んでいたことを俺も思い出したのだ。
そこには、要約すればこう書かれている。
──家宅ごと山崩れに巻き込まれ、春光学園に勤める“一ノ瀬 托生”教諭が死亡した、と。
「自殺の記事を追っても見つからんわけだ」
自然現象による死だったとはな。
流布していた噂では、嫌がらせを苦にして自殺したのだとなっていたが、そうではなかったのだ。
それに化野の心境を思えば、自殺の方がマシだったかもしれん。
「自然相手では、拳の振り下ろし所も分かるまい」
『……そうですね。だから、私も後々……』
噂通り苛めを苦にした死因であれば、化野は恨みを抱いたはずだった。
恨みとは時に、人間を動かす力となる。例えそれが後ろ向きなことであろうと、人間の心を突き動かすものに相違はない。
……だが、これでは誰を、何を恨めばいいのか分からない。
人であれば人を。物であれば物を。しかし自然相手では……どうしようもない。
空虚だっただろう。やるせなかっただろう。どうしていいか分からなかっただろう。
『もう何も考えられなくなって、目の前が真っ暗になって……』
太陽が如き、そこに在って当たり前と思っていた存在を無くす。その悲しみは、この戦鬼ですら味わったことのない痛みだ。想像すらできん。
そうして唐突に空っぽになってしまった少女は、その絶望に耐えきれず、自ら死を選んだのだ。
「……」
どうりで怨霊ではなく、地縛霊になっているわけだ。
他人を恨む権利すら与えられず、かつての温もりに弱々しく縋る少女──それがこの、化野華蓮の真実だった。
幽霊にしては明瞭な意識も、行き場のない絶望が強く彼女をこの場に縛り付けていた結果なのかもしれん。
まあ、それだけではないような気配もするが──、
『……あー、やめやめ! そういう辛気くさいのはあの時に味わい尽くしましたから! 元気出していきましょうよ!』
何も言えずにいる少女達に、化野は腕を上げて声を掛ける。
空元気だと一目で分かるが、本人に言われてしまえば、そうせざるを得まい。
「……そうね。必要な情報は手に入ったんだし」
「むしろここからが本番って感じですね!」
『ですです!』
痛ましげに顔を歪めていたリゼットと刀花が、首を軽く振って表情を戻す。
そんな彼女達に、化野が少し温かそうに笑って話題に乗っかった。
『センセの名前も、住んでいた場所も思い出しました!』
そんな化野が、その前髪から見え隠れする黒い瞳を宝石の如く輝かせこちらを向く。
『いよいよ、戦鬼さんの出番ですね!』
そう、俺と彼女の契約は“屋上を明け渡し、その魂を差し出す代わりに、思い人を見つけ再会させること”だ。
手がかりが見つかった以上、今こそそこに注力すべき……と、言いたいところだが、
「ならん」
『なっ!? なんでですか!?』
俺の言葉に、化野が目を剥いて反論する。
だが、ならん。ならんのだ。
『どうして……』
「……それはな」
そのよんどころない事情を話そうとした手前──、
──ガコン、と。
重苦しい音と共に屋上の扉が開かれ、その“事情”が姿を現わした。
「あ、刃君。テントここで大丈夫?」
「問題ない」
扉からひょっこりと顔だけ出した我が友、綾女。
そうして「よいしょ、よいしょ」と他のクラスメイトと共に屋上へ運び入れるのは……白いテントと、たい焼きを焼くための道具一式だ。
そう、つまりは──、
「明日から学園祭だ。お前の件に時間を割くのは、祭りが終わってからだ」
『えぇ~! やだやだやだー!! 嘘吐きー! 戦鬼さんのう゛そ゛つ゛き゛~~~!!』
「あはは……ごめんなさいねカレン……」
時間切れというやつだ。
とはいえ化野はこう喚いているが、既に屋上を明け渡すことには同意している。学園側の許可は、この間に綾女が使用の申請を熱心に出し、それを勝ち取っていた。我が友は教師の人望が篤いのだ。
「案ずるな、思い人はどのような手を使っても必ず見つけると誓う。この祭りは二日で終わるのだ。あと数日待て」
『絶対ですからねー!!』
少々思っていた順序が逆になってしまったが、仕方あるまい。あまり“すまーと”にはいかんものだ。
耳許で絶叫しながら念を押す化野にヒラヒラと手を振り、俺はテントを張る綾女に手伝いを申し入れるのだった。
「……ふん」
しかし、威勢のいいことだが……分かっているのか?
お前が思い人と再会した時こそ、それがお前達の真の最期だということを。
我こそは無双の戦鬼。契約に生きる者。
交わされた契約に従い、貴様達の魂……必ず喰ろうてくれる。




