150 「ティータイムにする話じゃないでしょ!」
私の眷属が、お屋敷の鍵を開ける音が耳を打つ。
「おかえり、マスター」
「ふふ、ただいまジン」
そう言って彼は、どこか恭しく見えるような仕草でドアを開け、ご主人様である私を屋敷に迎え入れた。
芝居がかった動きが、なんだかちょっぴり面白い。
「おかえり、ジン」
「……ああ、ただいまマスター」
そんな彼が押さえるドアをくぐって、今度は私が振り返って「おかえり」と言えば、彼はほんの少し優しく目を細めて帰宅を告げた。
「ふふ」
そんな二人っきりのやり取りがどこかおかしくて、肩を竦めてつい笑い合う。私の場合は、照れ隠しも少し入っているかもしれない。
"おかえり"も、"ただいま"も、お母様が亡くなってからはあまり言っていなかったけれど。
こうやって毎日、彼とそんな家族のような言葉を交わせることが、私のささやかな幸せだった。
「~♪」
私、リゼット=ブルームフィールドが帰宅し、始めにすることは着替えだ。
一人、鼻歌を口ずさみながら自室に戻り、セーラー服をハンガーにかけてクローゼットを開ける。
「うーん、どれにしようかしら……」
イギリスにいた頃は、着替えも食事もメイドに任せていたが、今はこうして着替え程度ならできるようにはなった。
「さすがにジンにさせるのもね」
眷属に生活の全てを任せる吸血鬼も中にはいるが、私はそこまで徹底できない。多分そういった吸血鬼は、眷属を自分のペット程度にしか思っておらず、恥じらいもないのだろう。
しかし、私にとってジンという眷属は……その、ねえ? 下着姿とか見られたら、やっぱりあの……困るし……?
「あ、これいいかも」
もこもことした、ニットの上着を手に取る。
最近気温も低くなってきたし、こういうのもいいかも。
ニットの色は白。選んだ色に関して特に他意はない。
彼は黒をよく身に付けているけれど、別に黒が好きというわけではないのは知っている。
そして彼が、女の子には白を着させるのが好きだというのも把握済みだが、もちろん他意はない。ないったらない。
なぜなら私はご主人様。眷属におもねって服の好みを合わせるとか、なんか恥ずかしいし。
「偶然よ偶然」
そう、偶然手に取ったのが白い服だったというだけね? まあこの可愛いご主人様の姿を見て「可愛いな」って勝手に思うくらいは許してあげなくもないけどね? うんうん。
「まったく、ジンは幸せ者ね」
ばさりと自慢の金髪を、スポッと被ったニットの襟から解き放ちながら眷属を思う。今頃は食堂で紅茶の準備をしてくれていることだろう。
今日はトーカが学祭の衣装合わせとかで学園に残っているため、屋敷には現在私と彼の二人しかいない。カレンは少し一人になりたいと言って屋上にいるらしい。
「寂しがっているでしょうし、早く行ってあげなくちゃ」
別に私が寂しいとかじゃないから。
それにチャンスだ、とかも思ってない。最近は幽霊関係で、カレンが彼に取り憑いているかのように一緒にいる時間が多かった。
こうして本当に二人っきりになれるのは久しぶりだし、この隙に彼との時間をたっぷりと楽しもう……などとは思っていないのよ、ええ。私、誇りあるご主人様。
「よし」
少し厚めの赤いスカートを履き、簡単に髪を整えてから……おっとと、彼の好みの香水も少し付けてっと──うん、完璧。
姿見に映った自分の姿に満足を覚え、一つ頷いてから自室を出る。既に階下の食堂から、芳しい紅茶の香りが漂ってきていた。
「お待たせ、ジン」
「いや、ちょうどだ」
食堂に入ってみれば、彼は和服姿でカップに紅茶を注いでいる最中。
初期の頃のように危なっかしい様子もなく、手慣れた雰囲気で私が席に着くのを待っていた。
「あら、タイミングでも計ってたの?」
「そういうわけでもなかったが……まあ、マスターならこれくらいかと思っただけだ」
「そ、そう?」
なんでもないように彼は言うけど、通じ合ってる感じがして少しドキドキした。
いつものようにダイレクトな好意というわけじゃない、そういうさりげないのはやめて欲しい……不意打ちは心臓に悪いから。
彼は私を理解している。
なら、私だって理解してるところを見せなきゃ。
「それで、何を悩んでるのジン?」
「む……分かるか。表に出ていたか?」
「私を誰だと思ってるの?」
「俺の可愛いご主人様だな」
席に着きカップを持ち上げながら聞けば、彼は意外そうにしながらも冗談交じりに言ってのける。
分かるわよ。だって帰り道でずっと……あなたのこと、見てたもの。それくらいは分かるようになったわ。何か考えごとをしてるってことくらい。
もちろんそんなことは彼に伝えず「どうなの?」と視線だけで彼に問えば、彼はいつものように腕を組んで唸った。
「いや、少し価値観の相違に触れてな」
「へえ?」
なんだろう。
彼は流されないし、自分の意志もなかなか曲げない。
それは彼が己を誇りに思っているから。より正確には、私やトーカが彼を誇りに思っていることを、彼は誇りに思っている。
そんな彼が、価値観で悩みを? 珍しい……でも、いいじゃない。
「言ってごらんなさいよ」
「……そうだな、マスターにも関係のあることだ」
ふぅん?
私は興味をそそられながら、カップを傾ける。
いいじゃない、いいじゃない。こんなに悩むってことは、それはつまり私のことを真剣に考えてくれているというなによりの証拠。
それならご主人様として、眷属の悩みを聞いてあげるのもやぶさかではないわよ?
この穏やかな午後の一時。貴族として優雅に、そして華麗に彼の相談に乗ってあげましょう。
私は嬉しさが顔に出ないように苦心しながらも、彼の言葉を待ちながら喉を潤し──、
「──マスターは、俺と身体を重ねたいと思うか?」
「ぶーーーっ!!??」
穏やかな一時が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
は、はあっ!? なんですって!?
「ゲッホゲッホ!?」
「大丈夫か」
私の台詞よそれは!
いきなりなんなのよ。かっ、身体を重ねるって! そんなこと聞くとかあなた頭大丈夫なの!?
「はー……はー……」
彼に背中を擦られながら、なんとか落ち着こうと深呼吸する。
ま、待って。もしかしたら勘違いかもしれないわ。ほら、たまに彼って変な意味で言葉を使っちゃうこともあるじゃない? 今回もそういう類いのアレよ、きっと。
私は咳払いをしつつ、もう一度その真意を問う。
「こ、コホンコホン……ごめんなさい、ジンよく分からなかったわ。それってどういう意味で言って──」
「む、迂遠な表現だったか。いや、マスターは俺とせっく──」
「きゃーきゃー!?」
うわーん! 言い間違いとかじゃなかったー!
バカなの!? 優雅なティータイムにお話しすることじゃないでしょそれはー!!
頬がマグマのように熱くなるのを感じていると、ジンは顔色一つ変えずに淡々と話を続けた。
「化野関連で橘に話を聞いてな。恋人に手を出されないことを不満に思っている様子だったのだ。しかしそれに不満を抱くと同時に橘は“優しいのだ”と評し……いや、人間の心は複雑に過ぎる」
「あなたクラスメイトの女子に何聞いてんのよ……」
セクハラじゃないの? 訴えられても知らないわよおバカ。
私は湿っぽい目をしたが、彼は考え込むように顎に手を当てる。
「そこでこの戦鬼、思ったわけだ。直接聞いたことはなかったが、マスターはそういった情事を求めているのではないか? 俺が手を出せぬことで不満を感じているのではないか? とな」
「何で思っちゃったの……」
「俺は少女の願いを叶える道具ゆえ。それで、実際どうなのだ?」
「えっ!?」
真剣な顔でこちらを覗き込む彼に耐えられず、思わず視線を下げる。
いや、その……ね? そりゃあいつかは? そういう……ゴニョゴニョなことするとは思うわよ?
でも今じゃないというか、唐突すぎるというか……。
「はっ!?」
ちょっと待って!?
も、もしかして私……今、求められてる!?
だってトーカもカレンもいないし、誰も簡単には来られない森深くのお屋敷で……え、そういうこと!?
「あわわわわ……」
そ、そんなダメよ! 私、ロマンチックなのがいいの! こんな何の変哲もない平日に、しかもお昼よお昼! お天道様が見てるのよ!?
それに私、何の準備もしてないし! そういうのは計画的に、そしてひに──で、できちゃわないように道具も……あ、道具は前に買ったんだったわ……でもでもぉ!
「ご、ゴクリ……!」
も、もし……もしもよ?
私が今ここで「したい」って言ったら……どう、なるの?
彼は「契約者を傷付けることはできない」とよく言っているけど、それは正確ではないことを私は知っている。
正確には、"道具として"傷付けられない、だ。
"道具"は彼の側面の一つ。つまり、別の側面ならば……"鬼"としてなら、私を傷付けることができる。
だけど、それはきっと優しいものではない。それはお互いに本意ではない。だからこそ、彼はいまだ"そういうこと"ができないのだ。
──大嫌いな"人間"という側面を、彼がいつか受け入れるその日までは。
「あ、あなた、そういうことできないでしょ……?」
「難しいところだ。だが、マスターがどう思っているのかが知りたくてな」
普通そういうこと明け透けにしないと思うけど……まあそういう裏表がないのも、彼の良いところであり悪いところでもある。
「……ちなみに、あなたは?」
「無論、したいと常々思っている」
「っ!?」
や、やっぱりそうなんだ……!
これ、えっちなお誘いなんだわ! 鬼として、私を滅茶苦茶にしたいんだわこの子!
な、なんて破廉恥なの。ご主人様を無理矢理、手篭めにしたいだなんて……そんな強引なの、そんなの……ちょ、ちょっといいかも……。
「え、えっと、あの、ね……?」
しどろもどろになりながらも、なんとか言葉を紡ごうとする。
うぅ、でも初めては優しいのがいいし……。
「そ、そういうのは、ご両親に挨拶をしてから──」
「俺に親などおらぬし、マスターは勘当状態ではないか」
「ご、合意の上で──」
「俺達は好き合っているだろう。これは合意ではないのか?」
「段階を踏んでから──」
「キスもしたし、風呂にも一緒に入っただろう」
「あの、あの……!」
あ、あれ?
もしかして、そういう段階に来てる? 来てるの私達!? もう心臓が破裂しそう! でもでもぉ!
「……そっ、そういうのは……」
「うむ」
私は羞恥で震えながらも、なんとか声を……声を……!
「……ま、まだ、早いと思いまひゅ……」
「そうか」
あーん! 私の意気地無しー!
言ってからガクッと肩を落とす。私、チャンスをものにできなかった……。
そんな私を知ってか知らずか、ジンは「そうかそうか」としきりに頷いていた。
「いやよかった。不満に思っていないようならばいいのだ。橘が恋人のことを"意気地無し"と罵っていたのでな」
「うっ……!」
グサリ、とその言葉が胸に刺さる。
い、意気地無し……。
「この無双の戦鬼、意気地無しなどと思われていては立つ瀬がない。そうならず、俺も安堵した」
「ソ、ソウネ……」
「もしも不満だと言われても正直困るからな。本意ではないし、養育費も貯まっておらぬし」
「妊娠させる気満々……」
「む? なんだ、箱入りお嬢様は知らぬと見える。やればできるのだぞ?」
知らないのはあなたよ……。
うわあ、やっぱりこの子、避妊具の存在とか知らないんだわ……後でトーカに教えておくよう言っておかないと。もしかしたら、わざと教えていない可能性もあるけれど。むしろそっちの可能性の方が高いかも……。
「いや、無自覚で傷付けていないか心配だったのだ」
傷付いたわよ……。
「……なぜ頬をつねるのだ、マスター?」
「うるさいっ、自分の胸に聞きなさいっ」
「ちなみに俺は生まれるなら女の子がいいと思っている」
「し、知らないわよそんなことっ」
「名前はどうする。日本風にするか外国風にするか」
「……"リンゼ"、とか」
「ほう、いいではないか。当て字もできる。いいとこ取りというやつであるな」
「……育児は分担するのよ」
「ふ、この戦鬼、必要ならば母乳すら出そう」
「それは気持ち悪いからやめて」
緊張が抜け、いつもの空気が戻ってくる。
つ、疲れた……。
疲れた、けど。こういう将来の話ができるのは……まあ、悪くない。本当に、家族になるんだと思えて。
「あなたから悪い影響を受けさせないようにしないと」
「そうだな、方針について俺はとやかく言うまい。きっとマスターに似て聡明で美しく、そして可憐な子に育つだろうからな」
「……ばか。そういうところよ? 気を付けないと、学園に通うようになってから男子が放っておかないかも」
「む、それはいかんな。では子に聞かれぬよう、二人きりの時にのみ好意を伝えることにするか」
「もう……」
ホントにもう……。
そんな、私達には少し早い話だけれど。
乙女心を傷付けることと引き換えに、生きていれば確実に来る、彼との未来の話について花を咲かせるのだった。




