辞表
病院ではそれほど待たされる事は無かった。まぁ、診断書を貰うだけだから、そう待たされても困るけどね。
「神野さん、そろそろ治療方法について話を進めたいのですが」山井医師は神妙な面持ちでボクに語りかけて来た。でもボクはそんな事、どうでも良かった。どうせ助からないんだから。
「また今度、話を聞きますよ。ボクにはそれよりも、やらなきゃならない事があるんで」ボクは、極、普通に話したつもりだった。でも山井医師の引き攣った表情を見て、何となく分かった。ボクはもう普通側の人間じゃ無いんだ。ボクは殺し屋なんだ。誰にも分からないだろうけど…
ボクは受け取った診断書を、辞表を入れていた同じ内ポケットに仕舞い市役所に向かった。
一階フロアを通り抜ける時「神野君、こんな時間に遅刻かね?」と八名課長が声を掛けて来た。ボクは課長の言葉を無視して二階に向け、少し小走りに駆け上がった。
「課長、電話で話した通りです」ボクは先に辞表のみを提出した。
「神野君?何があったんだね、職場に不満でも…」小森課長の言葉を遮る様に、続いて診断書を提出した。「こう言う事です」
小森課長は診断書を開き、内容を確認しながら、見るみる内に表情を強張らせた。
課長は顔を上げ、真っ直ぐにボクの顔を見ると「神野君、これは本当なのかね?肝臓癌で余命一年だなんて…」課長のこの言葉に、周りの皆んなが反応してボクの方を一斉に見るのが分かった。
「本当も何も、診断書の通りです。こんな手の混んだ嘘を付いても仕方ないでしょう?ここでは短い間でしたが、お世話になりました」ボクは深々と頭を下げた。
「治療は…治療はどうするんだね。貯蓄や保険は?」短いながらもお世話になった小森課長の慈悲ある言葉が胸に染みた。
「ご心配、有難う御座います。ボクは保険やら貯蓄は計画的にして来たので大丈夫です。本当にお世話になりました」今度は軽く頭を下げ、踵を返した時「神野さん、待って下さい」と声が聞こえた。振り返ると好子ちゃんだった。「神野さん、残念です…一緒にお仕事してて楽しかったのに…あの…お身体、大事にして下さい」とボクの袖を両手で掴んで言った。好子ちゃんの池田との関係を知ってしまっているボクは、課長の言葉とは逆に白々しく聞こえた。
「ボクの方こそ楽しかったよ。有難う」と心にも無い事を言って市役所を後にした。
ボクはこの後、携帯電話ショップに行き、機種変更と、序でに番号の変更をした。そして、データのバックアップを断った。
こうしてボクは周りとの関係を全て遮断した。殺し屋として余生を生きる為に…




