やっとの帰宅
リニアの中はとても閑散としていて、シンプルな二人掛けの席が二つ、縦に並んでいて、扉以外に外の景色はなく、前部に一つモニターがあるだけだった。
「こちらへどうぞ」
初は案内された座席に座り、キョロキョロと辺りを見渡すが、その席とモニター以外は何も見つけることはできなかった。席にはシートベルトがついており、新幹線というよりも高速バスをほうふつとさせる作りになっていた。とりあえずいつ出発してもいいように初はそのシートベルトを締めて、何か流れるだろうかとモニターを注視した。
シロは初を一瞥したのち、席には座らずに前部のモニターの横に立つとモニターの固定してある壁の方に手を伸ばした。初の位置からでは何も見えなかったが、経験からきっとまたペタペタ触って行先でも設定しているのだろうと特に気を留めることなくその作業が終わるのを待った。
そこまで時間はかからずに作業を終えたであろうシロは再び初を一瞥してから隣の席に座って、シートベルトを締めた。初はてっきり後ろに座るものだと思っていたので、その予想外の行動と女性への免疫のなさに少し体をこわばらせた。
「数分したら動き出すと思うのでどうぞリラックスしてください」
「えっと、ありがとうございます」
「あと私に敬語は不要です。一番楽な喋り方で結構ですよ」
「いいんですか? シロさんは先輩ですよね? それにシロさんは敬語で自分だけっていうのも」
「問題ございません。私は元来このような喋り方をしているだけですし、私たちは対等な立場なんです」
——そうなのか? よく分からないけれど、この人が言うならそれでいいのか?
「えっと、ありがたいお誘いですが、少しずつでもいいですか? こうまだ慣れなくて」
「はい。問題ございません。それと敬称も不要ですよ」
「いや、それも流石になんで」
「そうですか。まあいいでしょう」
「それとは別に一ついいでしょうか」
「はい。何でしょう。無詠唱の配達員殿」
シロは初の方を向き首を傾げた。
「その呼び方そろそろやめてくれませんか? こう、背中がぞわっとするので」
「……」
丁寧に訴えかけるように初は言う。シロは体勢も表情も変わらない。
「いや、本当にお願いします」
「はあ。仕方ないですね。では初殿で」
畳みかけるように初が必死に懇願すると、シロはため息をつきながら渋々という気持ちが伝わってくる表情で言った。
「できれば殿もやめていただけると」
「要求が多いですね。まあでも承知いたしました。初さん」
「はい。ありがとうございます」
初がそう言ったすぐ後、最初に聞こえた汽笛がまた聞こえてきた。きっと出発の合図だろうと初は正面を向き直した。やがてリニアは動き出し、電気自動車のような静かな音で加速していった。かなりGがかかっているのだろう体が座席に押し付けられる感覚があったがそこまで気にするほどでもなかった。
そこから何分だろうか一時間は乗っていないと思うぐらいの時間が経過したとき、また汽笛が鳴った。
「さ、そろそろ着きますよ」
シロのその言葉とほぼ同時に初の体にかかっていた圧力が緩やかに消えていき、やがて停車を告げるかのようになくなった。そして扉がガコッと開き、その先には乗った時と同じような駅の様相があった。
「降りましょうか」
初はシロが降りるのを待ってからリニアを降りた。新しい場所に頭を振って辺りを見渡したが、初の目には先のホームと比べて変わったところは見られなかった。
——ここは何処なんだろうか。支部に繋がってると言っていたから僕の家の最寄りの支部なんだろうか。
「初さん、こちらへ」
そう言って案内されたのは行きに乗っていたのと同じエレベーターだった。
「ここからまた降るんですか?」
「いえ、ここから地上に出ます」
案内されるがままに乗り込んだエレベータには開閉の二つのボタンの他に階層を示してあるであろうボタンが二つしかなかった。というのも前回乗った時のボタンは数字だったが、今回はそれぞれGとBとだけしか書かれていなかった。それでも初が階層を示していると思ったのはイギリスのエレベーターではGがグランド、つまり一階を示すものであると知っていたからだった。その予想通り、シロはGと書かれたボタンを押してエレベーターは上に動き出した。
——なんでイギリスと同じ型のエレベーターを使っているんだ? 何か繋がりがあるのだろうか。でも警視庁って言ってたし、よく分からん。というか地上ってどこに出るんだ? 駅にあるような普通のエレベーターに繋がってるわけでもないだろうし。
チンッと言う音で目的の階に着いたことを知らされる。すぐに自動で扉が開いた。そこに広がっていたのは。
「更衣室?」
「はい」
更衣室だった。しかもロッカーが五個ほど並んでいるだけの。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
エレベーターから出て更衣室の中に入る。シロも続いて更衣室の中に入った。中は一般的な更衣室そのもので、不思議なところはエレベーターの横に不自然に本棚が置いてあるぐらいだった。そしてその理由もすぐに分かった。ガッという音と共に本棚が横に揺れ、スーっとエレベーターの入り口を隠すように移動した。初はそれに秘密基地のようだとテンションが上がったが、シロの目があり、努めて冷静を装って更衣室のロッカーを見る。そこには『小林初』と書かれたロッカーと『杉野志乃』と書かれたロッカーがあった。他にも名前が書かれたロッカーはあったが初の知らない名前だった。
「改めましてここが更衣室になります。ここに通常の制服とトクマ用の制服がそれぞれ入っているので、普通の出勤の際は通常の制服を、任務の際はこのボタンを押すとトクマの制服が出てくるのでそれを着てください」
シロはそう言いながらロッカーを開けて実際に制服を見せてくれる。通常の制服というのはまんま警察の制服だった。
「基本の説明は以上です。明日はとりあえず八時業務開始なのでそれまでにここに来てください」
「えっと、分かりましたけど、結局ここは何処なんですか?」
「外へ出れば分かりますよ。私はここに残るので何かあったら来てください。今日はお疲れさまでした。明日からよろしくお願いします」
シロはそう言って頭を下げた。初は訳の分からないままそこに立ち尽くしていると、シロはまるで誰もいないかのように軍服のような制服の上着を脱ぎだした。
「ちょっ!」
初は慌てて扉を開けて更衣室から脱出した。更衣室の外は古めの廊下で、初は奥に歩いて行くと、そこには生活感の溢れる空間が広がっていた。冷蔵庫に電子レンジ、簡単なデスクにパソコン、壁にはいろいろなポスターが貼ってあった。まさかと思い外に出て外観を見ると、この建物が警察の駐在所らしく、入り口にそれを示す看板が置いてあった。しかも周りの建物や道は初には見覚えがあった。それは配達でいつも通っている道に隣接している駐在所だった。
よく見て回ると、この建物のすぐ横には見覚えのある原チャがキーが刺さったままかつ、ヘルメットがハンドルにかけられている状態で置いてあった。聞かずともこれで帰れということらしい。
初はヘルメットを被ってキーを回してから家に向かってアクセルを回した。
「ただいまーっと」
バイトに出かけたはずがとんでもない寄り道をしてからの帰宅になった。部屋は夜に出た時と一緒だったと言いたいところだが、明らかに異なっているところがあった。部屋が水でびしょびしょなのだ。そこにぐちゃぐちゃに水を吸ってふやけた紙が何枚も落ちている。
——そうだ。きのうシロさんが来た時に急いで隠滅したんだった。思い出したくなかった。でもやっておいて良かった。
初はそのまま片付けるでもなく服を着替えて、現実逃避をするようにベッドに横たわった。
——まさか僕がMI6みたいな特殊部隊に所属するなんて昨日のバイト前の僕に言っても信じられないだろうな。別にただ研究がしたかっただけでそんなことを望んでいた訳ではないんだけど。けど給料を貰えてかつ自由に研究できるなんて、考えられないような待遇だ。何か裏があるんじゃないかとも思わなくもないけど、未だ彼らが無詠唱を達成していないのなら僕を雇うメリットが大きいのは理解できる。問題はいつまで無詠唱がリーチになりうるかと、いるであろうスパイの存在だろうな。
寝返りを打って携帯を見る。携帯が入っていた鞄はどういう訳か部屋の中に置かれていた。盗まれないためとはいえ、知らない間に部屋に入られたことは思うところがあった。鞄には律儀に『何も見ておりません 杉野』と書かれた紙が貼られていたため、とりあえず初はそれを信じることにした(といっても水でぬれて魔方陣なんて見れたもんじゃないけれど)。
久々に金の心配がなくなった日常。初は伸びをして、堕落を存分に楽しみながら過ごした。




