とあるバイトの日
そこから二年後、初は相変わらず新聞配達の仕事をしていた。しかし変わったことも多くあった。
初は近くの誰も入らない廃れている公園の横に配達用の車を停めて、運転席に乗りながら指を鳴らした。すると開けておいた助手席の窓から折りたたまれた新聞が次々と出ていく。窓から出るとその新聞たちはすぐに消えて見えなくなった。初が今行っている魔法は運び出すとともに光をそのまま透過さしているので基本的に見えない。しかも風で障害物や動く人を探知して、自動で避けるように設定している。そうしてこの新聞たちは決められた座標まで運ばれる。具体的にはいつも投函していたポストへだ。二分ほどですべての新聞が運び出された。その間、初はまるで貧乏ゆすりのように指を鳴らし続けていた。初にとってはもう慣れたものだった。しかしすぐに戻ると、魔法を疑われてしまうので、携帯をいじっていつも帰る時間になるまで時間を潰した。
あの論文が初のもとに送られてきてから二年が経つが、魔法は一般に知られているが一般人に流通していなかった。魔法という現象は大きな影響を各国にもたらされた一方で、その力が強大過ぎるために、一般人への流通を強く規制、使えるものでも研究や国益目的以外の使用を固く禁じていた。
しかし人の口には戸が立てられない。どこからか詠唱文や魔方陣が漏れてそれを使った事件がどこの国でも数多く起きている。魔法の難易度の高さからか、今まで高度な事件は起こっていないが今後どうなるかなんて全く分からない。この前なんて空中高速道路のスカイラインが爆破されたというニュースが流れた。ネットでは魔法という技術の可否が連日問われている。
初はニュースアプリで似たような事件を見る。今回は魔法で起こした風を制御できずに高所から落ちてしまったという事件だった。もしかしたら単に強風が吹いただけかもしれないがこの世界はそれを検証する術をまだ持っていない。そこでまた魔法について激烈な平行線の議論が行われていた。
——こんなこと話してても意味ないのに……。この人たちは包丁で人が刺されたら包丁を使うべきか議論せずにはいられないのだろうか。
初はそんなことを考えながらスマホを閉じて自分のメモ帳を開いた。そこには数々の魔方陣が描かれていた。詠唱は書かれていない。あれから何度も試作しながら作ったものだ。新しくなればなるほどその魔方陣は大きく複雑なものになっている。それは同時に複数の減少を起こすための文様や、詠唱を破棄する文様を描くためであった。今は瞬間移動をどうにか実現できないかと試行錯誤していた。
——必要なのはAという地点の座標とBという地点の座標を合わせること。そう考えると瞬間移動というよりワームホールの方が適切か。んー。時空間って考えるとブラックホールが一番手っ取り早いけど、作れるかな? ミスったらやばそうだから流石にやめておくか。ならどうしよう。
初はワームホールの要件定義を書き出しながらどうすれば実現できるかを考えているうちに、一時間半は高速に過ぎた。携帯で時刻を確認してから初は車のエンジンをかけた。
「見つけた……」
「おつかれさまでーす」
「おつかれさまです」
新聞の専売店に帰ると、社員である坂元から挨拶が返ってくる。初は基本的に社員さんは挨拶してくれるから好ましいが、時々すれ違うバイト仲間たちは挨拶しても返してくれないことがあってあまり好きではなかった。
「小林くん最近汗かかなくなったよね」
「そうですね。やっぱり体力がついたんだと思います」
「若いってのはいいね。私はもう年だからかもうしんどくてね」
「坂元さんはまだまだ若いと思いますけどね」
「そうかい? そうだといいんだけどね」
坂元は腰を叩きながらそう言う。初の目からしたらそんなに年を取っているとは感じなかったが、本人からしてみてはそうでないらしかった。
「では、失礼しますね。お疲れさまでした」
「うん。おつかれさま」
店を出て原チャに跨りエンジンをかける。ただ初はアクセルは回さずに指を二回鳴らした。するとアクセルをひねった時の音と共に強い風が後ろから吹いて原チャが前に進みだした。これは最近ガソリン代が高くなった初の節約の一つであった。
しかし、それは急に道路に飛び出してきた少女によって急停止をせざるをえなくなった。
「あっぶな!」
初は急いで指を鳴らして前から風を送り止まる。
「すみません! 暗くてあまり見えていなくて」
そう後ろにまとめた白い髪を揺れるほど勢いよく頭を下げて謝罪する少女は高校生か、もしかしたら中学生かもしれないほどの背丈をしていた。さらに帽子に半袖短パンと、動きやすそうな服装をしていて、初はもしかして運動をしていたのだろうかと思ったけれど、それにしてもこんな子がこんな夜更けというか早朝にいるなんて危なくないかと思いながらも咄嗟に止まれたことに安堵していた。
「……はい。まあ気を付けてください」
初はそれだけ言ってすぐに立ち去ろうとするが少女は前から動かない。そのうえ、初の事をジッと見つめている。幸いなことに後ろから車は来ていない。
「あの、どうかしましたか?」
「いや、手袋は着けないんですね」
見ていたのは初の手元だったらしい。バイクに乗るときは手袋を着けるのが一般的であるが、初は指を鳴らせなくなるので着けていなかった。
「お金がなくて」
「……そうなんですね」
「じゃあ失礼しますね。まだ暗いんで気を付けてください」
「ありがとうございます」
アクセルをひねって少女の横を通り過ぎる。最後までこちらを見ていたのが気になったが家に着くころにはそんなこと忘れて、ワームホールをどうやって実現するか、ただそれだけを考えていた。




