第87話 タイムアタック
11階層奥の通路から石壁の角をのぞくと、
少し離れた場所にオーガプリンセスが立っていた。
詰襟の黒い装束に紺色の袴、腰には鞘へ納められた刀がある。こちらにはまだ気づいていないらしく、鬼姫は通路の中央で微動だにしない。
鑑定スキルの結果は、Lv.41と表示された。
ノルデで戦った個体よりレベルは低い。
それでも、居合の一撃で石床を抉る相手だ。
数字が低いからといって、何度も気軽に付き合える魔物ではない。
まずは退路確認だ。
中間部屋へ戻る通路は確保できた。
ここならいつでも全員で退却できるだろう。
「あれが、オーガプリンセスか。おいヒデキ、もうやるのか?」
「いえ、二の鐘を合図に開始しましょう。
カーリナ、まだ二の鐘は鳴っていないよな?」
「はい、でも、もうそろそろだと思います」
「わかった、鳴ったら教えてくれ」
「はい、師匠」
ボニーが不思議そうにこちらを見ている。
二の鐘から始め三の鐘までに何回砂時計がひっくり返ったかを数えれば、
砂時計一回分のおおよその時間はわかるだろう。
ところが、肝心の鐘が自分には聞こえないのだ。
石壁の陰でカーリナとボニーが前に並び、その後ろに自分とリーザが立つ。
さらに後方で、レオノールが砂時計のそばへ腰を下ろしていた。
リーザが大型の砂時計を平らな石床へ置き、
その脇へ、輪になった蛇を模したウロボロスを添える。
リーザが魔力で砂時計を起動し、レオノールが反転した回数を数える手筈だ。
昨夜、段取りは何度も確認済みなのだが、それでも動かない砂を眺めていると、
これで本当に良いのか、作戦が何か間違っていないかと心配になる。
まあ、そもそも、同じ魔物を繰り返し相手にする時点でまともとは言い難いが。
心地の悪い緊張感、長く感じられる沈黙を破ったのは、カーリナだった。
カーリナがわずかに顔を上げるのと同時に、レオノールの兎耳も動いた。
「師匠、二の鐘です」
「……リーザさん、お願いします」
「承知しましたわ」
ふーっと一息吐いたリーザが砂時計の枠へ手を添え、静かに魔力を流す。
すると、上段にあった砂が、細い筋となって落ち始めた。
「始めます。カーリナ、ボニーさん、お願いします」
「はい、師匠!」
「よっしゃー、任せろ!」
二人が石壁の陰から飛び出す――長い一日の第一戦が始まった。
躍り出た二人へ、鬼姫の顔が向いた。
二人を認識すると、刀の鞘へ手を添え、腰を落とす――あれは居合の初動だ。
「攻撃だ! 二人とも、退避!」
カーリナが即座に脇の通路に身を投げ、半拍遅れてボニーも続く。
自分とリーザも通路の奥へ退き、
さらに後方の石壁の陰では、
レオノールが砂時計から離れないまま身を低くした。
前衛二人が滑り込んだ直後、空気を裂く音が通路を走った。
角の向こうで石が砕け、破片が足元まで転がってくる。
風圧が収まるのを待って戦場へ戻ると、
鬼姫は刀を抜き切った姿勢のまま動きを止めていた。
カーリナの槍とボニーの剣が左右から迫り、レオノールの矢が肩口へ飛ぶ。
自分の水刃とリーザの火球も続き、黒い装束にいくつもの傷が刻まれていく。
攻撃できるのは、居合を避けて戻った今しかない。
次の構えに入るまでのわずかな間、鬼姫が再び鞘へ手を添えるまでには、
自分たちは通路まで退かなければならない。
攻撃と退避を繰り返す。
「もうすぐ落ち切るよ!」
三度目の退避から戻った時にレオノールの声に急かされ、全員で攻撃を重ねる。
それでも倒し切れない。
次の瞬間、鬼姫の装束についた裂け目が塞がり、
身体に刻んだ傷も残らず消えていく。
乱れていた呼吸まで、戦い始めの静けさへ戻った。
「一回目だよ」
第一戦で分かったのは、
居合を避けている時間があまりにも長いということだ。
第二戦からは構えへ入る兆しを早めに見極め、退避と攻撃を繰り返した。
戻る足も、攻撃を合わせる呼吸も少しずつ揃っていく。
それでも石壁の陰まで往復する時間は消せず、ボトルネックだ。
あと一歩まで追い込んでは、反転した砂時計に傷を奪われた。
三戦、四戦……戦いを重ねても結果は変わらない。
十度目の反転をレオノールが告げ、休む間もなく第十一戦へ入った。
何度目かの居合を避けて戻ったところで、背後からレオノールの声が飛んだ。
「お兄ちゃん、もう少し!」
もう時間がない。
鬼姫の呼吸も大きく乱れている。
「今です。全員で!」
カーリナの槍が脇腹を貫き、ボニーの剣が膝裏を切りつける。
傾いた身体へ矢と火球が続き、最後に放った水刃が首元を横切った。
オーガプリンセスの輪郭が崩れ、黒い煙となって消えていく。
「やっと、倒した……」
「ボニー、気を抜いてはいけませんわ」
ボニーがその場へしゃがみかけ、リーザの声に膝を伸ばした。
自分の視線は、鬼姫が消えた床へ向いていた。
指輪さえ出れば、残りの砂時計など知ったことではない。
「カーリナ、アイテムは――」
「師匠、指輪ではないです!」
床に落ちているのは金色の卵だ。
ここからでもわかる、指輪ではない。
その時、背後でレオノールが砂時計の反転を告げる。
次の瞬間、金の卵の向こうに、詰襟の鬼姫が再び立っていた。
休む間もなく、第十二戦が始まった。
黒い煙から再び現れた鬼姫は、傷一つない姿で刀を帯びていた。
床に残った金の卵だけが、先ほど確かに倒した証拠だ。
第十二戦も戦い方は変わらない。
居合の構えを見極めて退避し、風圧が通り過ぎた後の隙へ全員の攻撃を重ねる。
しかし、鬼姫を倒し切れないまま傷を元へ戻される。
続く第十三戦も結果は変わらなかった。
「今ので、十三回目だよ」
レオノールの報告とともに、第十四戦が始まった。
大型砂時計の使用回数は十二回のはずだ。
それを越えても鬼姫が復活し続けている以上、
ウロボロスが機能していることは間違いない。
問題は、十二回に五回か六回を足すのか、
十二回を五か六セット繰り返すのかだ。
今の回数だけでは、まだどちらとも決められない。
第十五戦からは、鬼姫が腰を落とす前に退避を始めた。
逆に、風圧が収まりきる前に、一斉に次の攻撃を始める。
誰かが指示したわけでもないのに、
何度か繰り返すうちに全員の動きが自然とそう変わっていた。
ほんのわずかだが、これまでより攻撃に使える時間が増えた。
せわしないことに変わりないが、わずかな時間を削り出すやり方が実を結び、
第十八戦までの四戦で二度、制限時間内に倒すことができた。
だが、落ちたのはいずれも金の卵だった。
卵が三つに増えたところで、欲しい指輪の代わりにはならない。
パカッと割れて中から指輪が――なんてことはない。
第十九戦では、退避から戻るカーリナの足がわずかにもつれた。
ボニーが前へ出て鬼姫を引きつけたが、攻撃が間に合わない。
またしても倒せないまま、鬼姫の傷が消えていく。
「十九回目!」
レオノールの声でようやく答えが出た。
十二回へ六回を足しても十八回にしかならない。
十九回目の反転が起きたということは、単純な加算ではない。
「ウロボロスは、砂時計の使用回数を五倍か六倍にしています」
十二回の五倍なら六十回、六倍なら七十二回。
仕組みは分かったが、残りが減ったわけではない。
それどころか、予想していた長い方の戦いが現実になっただけだ。
「このまま、同じやり方を続けます。
危険だと感じたら、誰でもいいです、声をかけてください。
すぐに退避します」
「はい、師匠!」
「……ああ」
「承知しましたわ」
「うん」
カーリナだけが勢いよく返し、槍を構え直した。
ボニーの返事は荒い呼吸に混じり、リーザもワンドを握り直している。
レオノールはクロスボウへ次の矢をつがえた。
鬼姫が鞘へ手を添え、考える時間も終わる。
鬼姫の刀が鞘を走り、第二十戦最初の風圧が石壁の角を削った。
全員で通路から戻り、これまでと同じように攻撃を重ねる。
第二十四戦まで、戦い方を大きく変えることはできなかった。
倒せたのは一度だけで、床へ落ちたのは、またしても金の卵だった。
第四の卵である。
第二十四戦も倒し切れないまま、鬼姫の傷が消え始めた。
その時、カーリナがわずかに顔を上げる。
「師匠、三の鐘です!」
ほぼ同時に、後方からレオノールの声が続いた。
「今ので二十四回目だよ!」
二の鐘から三の鐘までを三時間と仮定すれば、
百八十分を二十四回で割って、一回七分半。
鐘の音が等間隔という前提からして確かではないが、
大きく外れていなければ、砂時計一回分は七分から八分程度になる。
それにしても、仮定どおりなら、もう三時間近く戦っているのか。
そう考えたら、無性にタバコが吸いたくなってきた。
リーザの祖父によれば、お茶を淹れて少し冷ますくらいだったか。
その説明には、湯を沸かす時間まで含まれているのだろうか?
それとも、すでに湯が用意された状態からなのか?
命を懸けて戦っている最中に、
お茶の準備をどこから始めるかで悩むことになるとは思わなかった。
「師匠、あと半分です!」
カーリナが槍を握り直し、鬼姫へ向き直る。
いや、六十回なら残り三十六回、七十二回なら残り四十八回だ。
どちらにしても、まだ半分には届いていない。
訂正しかけたが、言葉を飲み込んだ。
ボニーが剣を持ち上げ、リーザも下がっていたワンドを構え直した。
今の一言で足が前へ出るなら、正しい計算よりも役に立つ。
「さあ、行きましょう。第二十五戦です」
「はい、師匠!」
第二十五戦でも、自分たちは居合のたびに通路へ退いた。
鬼姫の傷を増やしてはいるが、自分の魔力にはまだ余裕がある。
魔法を撃てる回数そのものが少ないのだから、当然といえば当然だ。
石壁の陰へ退避したところで、隣のリーザへ声をかける。
「リーザさん、魔力はどのくらい残っていますか?」
「まだ余裕はありますわ。でも、戦いがどこまで続くか分かりませんもの。
今から使い過ぎれば、後半に動けなくなりますわ」
リーザの言う通り、先を考えれば魔力は温存した方がよい。
それでも、今より攻撃魔法を増やせれば、倒せる回数も増やせるはずだ。
「前衛を巻き込まずに、魔法を撃つ回数を増やせませんか?」
「今より増やすとなると、カーリナさんたちが離れている時に限られますわね」
その機会がないから困っているのだ。
二人が接近している間は誤射が怖く、居合の構えに入れば全員で退避する。
魔力が残っていても、撃てる時間がないのが実情だ。
第二十五戦も倒し切れず、また最初の状態へ戻される。
傷一つない姿へ戻った鬼姫が、また刀の鞘へ手を添える。
次も同じだ。
居合を避けるために退き、戻ってから攻撃する。
退避に使う時間さえなくせれば、もっと攻撃できるというのに……ん?
退避しなくても、居合を防げれば……そうか。
考える場所を間違えていた。
攻撃魔法を増やすのではない。
居合からの退避自体をなくせばよい。
昨日覚えたアクア・カウェア。
水柱が魔物を囲み、壊された箇所へすぐに水が流れ込む魔法だ。
直接攻撃にならないため、昨日は評価を低くしていたが、
試す価値はありそうだ。
第二十六戦が始まると同時に、鬼姫へワンドを向けた。
「アクア・カウェア!」
石床から立ち上がった水柱が、鬼姫を取り囲む。
水柱が立ち上がっても、鬼姫は腰を落として刀の鞘へ手を添えた。
「二人とも、下がらずに攻撃を続けてください!」
カーリナとボニーが水柱の隙間から武器を突き入れる。
直後、放たれた居合の風圧が水の檻へぶつかり、何本もの水柱が弾け飛んだ。
だが、崩れた箇所へ左右の水が流れ込み、新しい水柱となって塞いでいく。
風圧は檻の外まで届かず、二人は退避することなく槍と剣を振るい続けていた。
「今です、リーザさん!」
火球が水柱の隙間を抜け、レオノールの矢が鬼姫の肩へ突き刺さる。
自分も水刃を続け、前衛二人の攻撃へ重ねた。
これまで退避に費やしていた時間が、そのまま攻撃へ変わっている。
五人の攻撃を受け続けた鬼姫は、
次の居合へ移る前に輪郭を崩し、黒い煙へ変わった。
アクア・カウェアは、攻撃する魔法ではない。
攻撃する時間を作る魔法だ。
第二十六戦で落ちた品を確かめるより先に、傷一つない鬼姫が再び現れた。
後方から、レオノールが二十六回目を告げる。
「このまま、同じ方法を続けます」
第二十七戦からは、アクア・カウェアを中心に戦い方を組み直した。
水の檻で居合の風圧を受け止め、カーリナとボニーが退避せずに攻撃を続ける。そこへ矢と火球と水刃を重ねる。
戦い方が決まったからといって、毎回うまくいくわけではなかった。
一度は自分の魔法が遅れ、水柱が鬼姫を囲み切る前に居合の構えへ入られた。
前衛二人を退避させたため攻撃時間を失い、その戦いは傷を戻されて終わった。
「三十回目だよ!」
その声に返事を返す余裕があったのも、その頃までだった。
連戦の疲労が積み重なり、全員の返事も次第に消えていく。
カーリナは戦いの合間に何度も槍を握り直し、
ボニーは剣を下げたまま肩で息をしている。
リーザが火球を放つまでには僅かな遅れが生まれ、
レオノールもクロスボウへ矢をつがえる指を時折止めるようになった。
自分の腕にもワンドの重さが残り続けている。
魔力より先に、身体の方が動くことを嫌がり始めていた。
「四十」
レオノールの反転回数の報告が、それだけになる。
水の檻が間に合っても、攻撃が続かなければ倒せない。
ボニーの足が止まり、カーリナが一人で前へ出た。
すぐに水刃と火球を重ねたが、倒し切るより先に鬼姫の傷が消え始めた。
それでも戦術を変える余力はない。
倒せた戦いでは、回収できないまま床のドロップアイテムが増え、
倒せなかった戦いでは、鬼姫の傷だけが消える。
散らばったドロップ品を確かめることもできないまま、
同じ鬼姫へ何度も武器と魔法を向け続けた。
「五十」
誰も返事をしなかったが、カーリナとボニーは立ち上がり、
リーザも黙ってワンドを構えた。
第二十六戦から第六十戦までに倒せたのは十一回。
アクア・カウェアを使えば必ず勝てるわけではない。
それでも、退避を繰り返していた前半より、
討伐できる回数は明らかに増えている。
後方から、レオノールの掠れた声が届いた。
「六十……」
第六十一戦。
これで終わる保証はないが、まだ全員が自分の足で立っている。
なら、もう一戦は続けられる。
「檻を出します」
返事を待たず、ワンドを振る。
「アクア・カウェア!」
立ち上がった水柱へ居合の風圧が突き刺さり、崩れた隙間を新しい水が塞ぐ。
カーリナの槍が胸元へ入り、ボニーの剣が膝を斬った。
レオノールの矢とリーザの火球が続き、自分は残った力で水刃を放つ。
鬼姫の首元を水刃が横切り、その輪郭が黒い煙へ変わった。
床へ何かが落ちたが、確かめに行く者はいない。
「レオノールちゃん、砂はまだ残ってる?」
「うん。でも、ちょっとだけしか残ってない」
誰もその場から動かない。
黒い煙を見つめながら、レオノールの声を待つ。
この中から再び刀を帯びて鬼姫が現れるのか……
「お兄ちゃん、全部落ちたよ」
鬼姫は……現れない。
「砂時計は?」
「ひっくり返らないよ」
六倍ではなく、今回使用したウロボロスの効果は五倍だったようだ。
これで、長い一日がようやく終わった。
本当に終わったと理解した途端、脚から力が抜けた。
そのまま石床へ腰を下ろし、ワンドを脇へ置く。
もう次の反転に備える必要はない。
それでも、身体だけはまだ戦いが続いているつもりらしく、
動かない砂時計からなかなか目を離せなかった。
代わりに、四人が通路へ散らばったドロップ品を拾い集めていく。
最初に増えていったのは、見慣れた金色の卵だった。
一つ、二つどころではない。
まとめて置かれると、よくこれだけ同じ物が出たものだと感心するより先に、
少し腹が立ってくる。
少し離れた場所では、カーリナとレオノールが並んでしゃがみ込み、
赤い石をのぞき込んでいた。
あれは、紅玉髄だろう。
ボニーは二本の刀を見つけたらしく、一本ずつ鞘から抜いて刃を確かめている。
リーザはハープを片腕に抱えたまま、こちらへ歩いてきた。
空いた手には水筒がある。
「ヒデキさん、お水をどうぞ」
「ありがとうございます」
受け取るなり、水を喉へ流し込む。
乾ききっていた口の中がようやく潤い、一息ついたところで、
リーザが自分の前へしゃがんだ。
「それから、ヒデキさん。お探しの物ですわ」
差し出された手のひらに、小さな指輪が載っていた。
一瞬、呼吸が止まる。
水筒を石床へ置き、すぐに鑑定スキルを使った。
オーガの指輪
表示された文字を、もう一度確認する。
何度見ても変わらない。
「……間違いありません。オーガの指輪です」
カーリナとレオノールが同時に顔を上げ、ボニーも刀を鞘へ戻した。
カーリナが口を開いたが、声にはならず、長い息だけが漏れる。
レオノールが指輪をのぞき込み、小さく笑った。
「あと、一つだね」
「ああ。残るのはゴブリンだけだ」
ゴーレム、トロール、スライム、サイクロプス、そしてオーガ。
これで五つ。
長かった指輪集めも、ようやく最後の一つまで来た。
しばらく指輪を眺めた後、ようやく残りのドロップ品を数えた。
討伐できたのは全部で十六回。
金の卵が十一個、ハープが一つ、刀の業物が二本、紅玉髄が一つ。
そして、オーガの指輪が一つ。
全部で十六個。
六十一回も戦った結果として多いのか少ないのか、もう考える気力もなかった。
すべてをマジックバッグへ収め、中間部屋を経て地上へ戻る。
小屋の外へ出たところで、まずタバコに火をつけた。
煙を深く吸い込むと、ようやく迷宮から帰ってきた気がする。
その後、昼食と呼ぶには遅すぎる食事を腹へ入れた。
何を食べたのかさえ、あまり覚えていない。
食べ終えると小屋へ戻り、
横になる場所を選ぶ余力もなく、そのまま眠りについた。
***
目を覚まして小屋の外へ出ると、日はすでに空の頂を越えていた。
カーリナに尋ねると、昼をとうに過ぎているという。
身体の芯に残った重さを考えれば、今から迷宮へ入る選択肢はない。
今日は休むと告げると、四人から反対は出ず、
遅い食事の後はそれぞれ身体を休めて過ごした。
日が傾き始めた頃、ゲートの黒い霧から一人の冒険者が現れた。
騎士団に所属する冒険者で、自分たちをノルデへ連れ戻すために来たという。
支度を整え、五人でゲートをくぐった。
騎士団詰所を出たボニーは、
通りを行き交う人々と軒を連ねる建物を忙しなく見回している。
「ずいぶんでかい街だな。人の数もヴァサとは比べものにならないぞ」
その隣で、リーザは口元を引き結んだまま視線を巡らせている。
歩幅はいつもより狭く、ボニーの半歩後ろを離れずについてきた。
ドロップ品を換金するため、まずは冒険者ギルドへ向かう。
ギルドの建物が見えてきたところで、
カーリナが念を押すように自分の顔を見上げた。
「師匠、紅玉髄は売らないでくださいね」
「お兄ちゃん、あの赤い石は取っておこうね」
「分かってるって。あれは売らないよ」
「絶対ですよ、師匠」
「絶対だからね、お兄ちゃん」
二人して、そこまで自分が信用できないのだろうか。
「はいはい。紅玉髄は売りません」
ようやく納得したのか、カーリナとレオノールが顔を見合わせる。
何もそこまで大事そうにする物でもないと思うのだが、
二人にとっては違うらしい。
そんなやり取りをしながら冒険者ギルドの扉を開けた途端、足が止まった。
広間は人でごった返し、いつも以上に騒がしい。
だが、聞こえてくる声の種類が違う。
酒を片手に笑う声も、戦果を自慢する声もない。
職員が名前を呼び、冒険者たちが短く答え、
その間を、紙束を抱えた職員が足早に行き来している。
何かあったのは間違いない。
奥から出てきたギルマスのアンダースは自分たちを見つけると、
足早に近づいてきた。
「戻ったか、ヒデキ」
「ええ、ついさっきです。ところで、何かあったんですか?」
アンダースの表情が険しくなる。
「北部のラティスが陥落した。魔物にやられた」
ラティスという街には聞き覚えがない。
だが、北部という言葉には引っ掛かった。
たしか、ユーハンたち騎士団は――
隣で床を蹴る音がした。
カーリナは何も言わなかった。
踵を返すと、騎士団詰所へ向かって走り出した。




