第40小節目 ♫ それはフォルテッシモ、さしずめ、フォルテ。
二人はそのまま、ホールの中から聴こえてくるピアノの響きに耳を傾けた。
ユーリは最初、その音の主はクロウリーの恩師であるエリーゼクラヴィアだと思っていた。
けれど聴いていくうちに、何人もの生徒たちが順番に一曲ずつ弾いているのだと分かった。
「先生、どんな方なんですか。」
ユーリが小声で尋ねる。
「とても、厳しい。」
クロウリーはホールの扉の方を向いたままで答えた。横顔は口角こそ上がっているものの、その笑みは明らかに引きつっていた。
「もしかして、本当は会いたくなかったり?」
「いやいや、そんなこと、そんなこと。」
彼は早口で否定する。だがそれはどうも嘘くさい。
そして何か誤魔化すかのように、話題を変えた。
「それよりも君さ、まだ学生だよね。どこの学校に通っているの?」
突然の問いに少女は少し驚いたものの、すぐに表情を和らげて答えた。
「実は私、学校にはもう…。」
クロウリーは彼女の答えに眉を上げた。
「そうなの?」
「はい、2年前に母が亡くなったり、他にも色々…。ですね。」
ユーリは静かに話した。
その声は淡々としていて、感情の起伏を感じさせなかった。
まるで悲しみや悔しささえも、とうに手放してしまったかのように。
クロウリーはじっと彼女の横顔を見つめる。
「なるほどね。それでいて、一人で生きる術を身につけている。それに、あのオカリナの腕前……。」
「そんなことはないです……。
ただ必要だったから、できることをしていただけで。」
ユーリの控えめな言葉に、クロウリーは微笑んだ。
「そうだ!」
思わず声が弾む。
静かにしていなければいけないホールの前だというのに、熱がこもった声が響いた。
「君さえ良ければさ、ここを受験してみなよ。」
ユーリが驚いたように顔を上げる。
クロウリーはそのまま続けた。
「毎年、入学試験の合格者の中で、成績上位者数百人に奨学金が支給されるんだ。
その中でも、各楽器専攻の首席合格者なら入学金も学費も全免除!
君ならオカリナ専攻で受けたら、トップ間違い無しだ。」
クロウリーのエメラルド色の瞳が、まっすぐにユーリを見つめる。
「まだ音楽を学びたい気持ちがあるなら…挑戦してみる価値はあると思うよ。」
彼の言葉が、彼女の心にそっと触れた。
「それに、ここではきっと、もっといろんなことが見つかる。
世界は広いからね。」
彼はステンドグラスの外に目を向けた。
差し込んだ午後の光は、色とりどりの影を床に映し出している。
ユーリはじっと耳を傾け、そっと目を伏せる。
——まだ音楽を学びたい気持ちが、自分の中に残っているのかもしれない。
そんな予感が、胸の奥で小さく芽生えた。
そんな話をして、また少し仲が縮まったような二人の座るベンチに、ふいに影が落ちた。
「『ピアニッシモ』。」
ピシャリと言い切るその声は、女性のものだった。
クロウリーは反射的に顔を上げる。
「……エ……。」
そしてそれが誰か分かった瞬間、彼の表情は一気に強張った。
先程まで、「世界は広い」だの「挑戦してみる価値はある」だのと、年下の少女に向かって悠々と語っていた青年の姿はどこへやら。
今や彼は、怒る飼い主に怯える仔犬のように縮こまっていた。
その様子を見て、ユーリは不思議に思う。
(もしかして、この方が…。)
スラリと伸びた背筋に、整った顔立ち。鋭い眼差しには、一切の甘さがない。
「エリーゼ…先生…。」
つづく




