第25小節目 ♫ ト音記号のようなヘビ
クロウリーは目を見開いた。
少女は肩で息をし、頬を赤くしていた。
走ってクロウリーを追いかけてきたようで、肩に止まっているバッツも何度か小さく羽を震わせている。
「……行きます。」
ユーリは前のめりの姿勢で息を整えながらも、その紅い瞳でクロウリーを真っ直ぐ見ていた。
その声に迷いはなかった。
港は思いのほか静かだった。
小さな波が岸壁に打ち寄せる音と、遠くで聞こえる海鳥の鳴き声が耳をくすぐる。
ユーリの言っていたとおり、こじんまりとした港だった。
「どんな船が来るのかは分かりません。ただ、ここからピアノ合衆国へと向かう船が来るとしか…。
もしかしたら、漁船のようなものかも。」
近くには、海風にさらされて赤錆のついたポストがぽつんと立つのみである。
「これ、今も使われているのかな。」
クロウリーのつぶやきに隣に立つユーリが首をかしげる。
「どうでしょう、かなり古いですし…。
けれどここにあるということは、もしかしたら。」
船を待つ間、二人はほとんど言葉を交わさなかった。
吹きつける潮風に混じって、海の匂いが漂ってくる。
ユーリはそっと肩にとまるバッツを指先で撫で、柔らかな羽の感触を確かめた。
クロウリーもまた、遠くの水平線を見つめながら静かに思索にふけっていた。
しかし、やがてクロウリーが木のデッキに座り込み、懐から紙と万年筆を取り出した。
クロウリーは何かを考えるように視線を遠くに向け、次の瞬間、左手が動き出した。
ユーリがその様子を眺めていると、象形文字のようなものと思われたそれが、だんだんと楽譜であるということが分かった。
(すっっごい癖字…。)
左端のト音記号らしきものは、形を崩して書きすぎて曲がりくねったヘビのようであったし、音符は五線譜の間に置かれた単なるゴマ粒のような点の数々であった。
「せっかくならもっときれいに書けばいいのに…。」
ユーリの呟きはクロウリーには聞こえなかったようだ。
彼の手は止まることなく、信じられない速さで音符を埋めていく。
まるで何千回も曲を書いてきた天才作曲家のような慣れた手際(雑さ)であった。
ユーリは静かに微笑む。
クロウリーの内に絶え間なく流れる音楽が、こんなときでも彼の手を動かしているのだと感じたのだ。
クロウリーは紙を丁寧に折りたたみ、再び古びたポストの前に立った。
小さな音を立てて投函口を開け、迷いなく手紙を滑り込ませる。
「それ、何の曲なんですか。」
クロウリーは肩をすくめて答える。
「ただの落書きだよ。」
その笑みは、どこか『ニヒル』とも言えるようなそれを感じさせるものだった。
やがて、水平線のむこうから船影が現れた。
つづく




