buzz.6 里山SOS!
眩い光の霧が収束し、女子高生の姿をしていたクロは、吸い込まれるように銀色の箱――『分子共鳴転移装置』の中のカプセルへと収まった。
「……まるで昆虫採集ですね。ちょっと、僕の知っているものよりハイテクすぎますけど」
ユキオは、カプセルの中で静かに揺らめく光の残滓を見つめながら、ぽつりと呟いた。その言葉に、隣に立つ邑人はふっと口角を上げた。
「そう見えるか。だが、こうして収めているのは、単なる一匹の蜂ではない。蜂の巣全体……一つのコロニーの情報をすべて取り込んでいるんだよ。いわば、巨大な『群体』の意識を、一人のアバターという『個体』へ転移させているわけだ」
「巣、まるごと……?」
驚くユキオに、邑人は歩みを止め、知識を授けるように指を一本立てた。
「ミツバチ一匹の脳細胞は、せいぜい100万個程度だ。人間の約10万分の1以下。だが、一つの巣には5万匹以上の働きバチがいる。彼女たちはフェロモンやダンスを駆使して、密に情報を交換し、ネットワークを形成しているんだ。その集合知は、君たちが想像するよりもずっと高度で、時に人間以上の最適解を導き出すこともある」
ユキオは、手元の装置と邑人の横顔を交互に見た。この男が語るスケールの大きさに、めまいがしそうになる。
「……邑人さんの任務って、もしかして地球の昆虫の研究なんですか?」
その素朴な疑問に笑顔を見せると、邑人は遠く、入道雲がそびえる夏の空を見上げた。
「目的は『研究』という点では似ているが、俺の正確な職務は『観測』だ」
「観測、ですか?」
「そうだ。太陽フレアの変動、惑星のマントルの流動と磁場のゆらぎ、温室効果ガスの濃度測定……。そして、この星の文明の主役である『君たち人類』の動向。それらすべてが、俺の記録すべき対象なんだよ」
邑人の声は、蝉時雨の中に溶け込むほど穏やかだったが、ユキオにはそれが、宇宙の深淵から響いてくる声のように感じられた。
ユキオは少し得意げに、けれど真っ直ぐな瞳で邑人を見返した。
「それって、まさに生態系の研究ですよね。僕も高校の理科クラブで同じようなことを調べているんです。宇宙も地球も生命も、すべてが繋がった大きな研究対象なんだって。……僕、将来は理系の研究者になるのが夢なんです」
その言葉を聞いた邑人は、歩みを止めてユキオを振り返った。少し意外そうな、それでいてどこか眩しいものを見るような目だった。
「いいねえ。……では君は、『純粋な』生態系研究というものに興味があるのか?」
「純粋でないもの、なんてあるんですか?」
ユキオが首を傾げると、邑人は顎に手を当てて少し考え込む仕草を見せた。
「うーん、そうだな。知的生命体が進化していく過程では、どうしてもその周囲にある環境を、単なる『エネルギー源』として見てしまう傾向がある。君はどう思う?」
「それは……そうですね。食べ物も、車を動かす燃料も、もとは全部自然から生まれるものですから」
ユキオの答えに、邑人は静かに首を振った。
「本来、人間を含むすべての生物は、生態系を循環させるための不可欠なパーツなんだ。特にある程度の知能を持った存在は、その『知的生産性』をフル稼働させて、生態系全体の維持や発展に大きく貢献すべき役割を担っているはずなんだよ」
邑人の声から、先ほどまでの穏やかさが消え、学問的な厳しさが混じる。
「だが、今の地球における人類はどうだ? 消費し、破壊し、バランスを崩す。生態系という巨大な計算式の中で、人類はプラスの貢献どころか、今や『マイナス係数』としてしか存在していない。それが観測者としての俺の、冷徹な評価だ」
真夏の陽光が照りつける小道で、ユキオは言葉を失った。
自分が「研究したい」と願う美しい世界にとって、自分たち人類が「負の存在」であるという突きつけられた現実に、背筋が少しだけ冷たくなるのを感じていた。
その時、ユキオの視界の端で、進行方向の茂みが大きく波打った。
ざりっ、という重苦しい足音と共に、濡れたような光沢を持つ黒い塊が姿を現す。
「……熊だ。蜂蜜を狙って降りてきたな」
邑人が声を低めた。ユキオの叔母、高柳久美子は稲作研究の傍らで「養蜂」も手掛けている。その甘い香りに誘われた「山の主」が、すぐそこの藪に潜んでいたのだ。
「マズイな……。今日はスタンガンを持ってくるのを忘れた」
邑人の言葉に、ユキオの心臓が跳ね上がった。最近の熊は人間を恐れない。学習してしまっているのだ――人間は弱く、そして自分たちの獲物を守る邪魔者でしかないと。鼻の利く彼らは、既にユキオたちの存在を明確に感知し、じりじりとその距離を詰めてきている。
「邑人さん、どうすれば……」
ユキオが恐怖を押し殺し、ゆっくりと後退りしてやり過ごそうとした、その時だった。
――ガサッ。
背後、退路を断つかのように鋭い音が響いた。
反射的に振り返ったユキオの目に飛び込んできたのは、もう一頭の巨大な黒い影。
「二頭……親子か、それとも……」
前方の熊が喉の奥で低く唸り声を上げる。退けば後ろの個体と対峙せざるを得ず、立ち止まれば前の個体に間合いを詰められる。真夏の里山の湿った空気が、一瞬で凍り付くような殺気に塗り替えられた。
逃げ場のない一本道。
手元にあるのは、まだ使い方もままならない『分子共鳴転移装置』と、その中に眠る蜂のアバター。
夏の陽光に照らされた、あまりにも静かで残酷な、死の予感が二人を包み込んだ。




