buzz.58 寺田一族のパーティー
都内の高級ホテルにあるファンクションホール(中宴会場)は、まばゆいシャンデリアの光とクリスマス装飾に彩られ、異様なほどの熱気に包まれていた。ここで寺田家親類が一同に会したクリスマスパーティーが催されていた。
子供世代が六人、孫世代が二十人、そしてひ孫が八人。総勢三十六名もの親族が一堂に会する――寺田家の歴史上、これほど盛大な集まりはこれが初めてである。そしてこの豪勢な宴の「玉座」たるメインテーブルに泰然と鎮座しているのが、寺田一族の長、寺田耕一と智恵子の夫妻である。
だが、この一見華やかな親族会は、ただのクリスマスパーティーではなかった。
発起人は長女の理恵子。古希や還暦を迎えた老兄妹たちが裏で手を組み、「お父さん、お母さん、そろそろ二人で老人ホームに入ってください」と、頑固な両親に観念させるために仕掛けた「寺田家総動員の大包囲網」だったのだ。
「お爺さま、ほんとうにお元気そうでなによりです」
「ご無沙汰していました。ずっと米国で研究していたもので……」
「お父さん、俺なんて最近デイサービスに通い始めたんだぜ。すっかりヤキがまわっちまったよ」
次々と挨拶に訪れる血族たち。二人の下に連なる血脈は現時点で誰一人欠けることなくすべて健在である。今まさに神のご加護による奇跡とも言える、寺田家の最盛期を現す光景に、両親とも毒気を抜かれるだろう――この、理恵子の演出による宴は完璧に見えた。
しかし、当主は新たな決意を胸にこの宴席を訪れていた。
グラスを叩く軽やかな音とともに立ち上がった耕一は、朗々たる声でホール全体に響きわたる宣言を言い放った。
「百歳まで老人ホームには入らん。それをここで、はっきりと宣言しておく!」
堂々たるその威圧感に、企てていた子供たちは一瞬で圧倒されてしまう。続いて、拍手や口笛が鳴り響き、本来は二人の老人ホーム入りを祝う演出に用意しておいたクラッカーが、無邪気なひ孫たちの手によって次々と炸裂する。理恵子は呆然として両親の心変わりを受け入れるしか無かった。
「お父さんもお母さんも頑固なんだから! せっかく良い老人ホームの空きが手に入ったというのに……。仕方ないから、お兄さんが夫婦で利用すればいいんじゃない?」
「おれももうすぐ七十歳だしな……。冗談抜きで、使わせてもらおうか?」
長男の寺田轟(ごう)が苦笑交じりに逃げ腰のセリフを吐くと、その隣で彼の妻が露骨に嫌そうな顔となる。
「私はご免よ!そうだ、あなた、磊さんと一緒に入ればいいじゃない?」
「お義姉さん、それ名案!」
即座に呼応した次男・磊の妻の言葉に、理恵子は天を仰ぎたくなるのを必死でこらえた。説得するはずの子供世代が、説得する前に自分たちの老後問題で早くも空中分解しかけているのだ。
そんな親世代のドタバタをよそに、少し離れたテーブルではひ孫グループが感嘆の声を漏らしていた。
「大お爺さま、とても九十歳には見えないわ……」
「背筋がピンと伸びていらして、市政の顧問役である賢人会議のメンバーでもあるのよ。私も六十年後に、あんなふうになってみたいわね」
親族一同総出の「老人ホーム説得作戦」は、開始早々、耕一と智恵子の健在ぶりと威厳の前にあえなく打ち砕かれようとしていた。
子供たちが自分たちの老後の押し付け合いで空中分解していく様を、耕一と智恵子はどこか面白がるような、呆れたような目で見つめ合っていた。
ふっと目元を和ませた耕一が、手に持ったグラスを傾けながら、隣の妻にだけ聞こえるような低い声で囁く。
「……理恵子たちには申し訳ないが、私たちはまだ隠居するわけにはいかんのだよ。新しい教え子を二人も託されてしまったんだ。教育者冥利に尽きるというものじゃないか」
智恵子もまた、品のある笑みを浮かべながら静かに頷いた。その瞳には、90歳という年齢をまったく感じさせない、強い意志の光が宿っている。
「ええ、本当ね。あと十年生きて、あの子たちを最高学府まで修了させる……それが、私たち夫婦の人生最後のミッションですもの」
「あと十年か。百歳だな。ちょうどいい目標じゃないか」
親族たちが繰り広げる「老人ホーム説得作戦」の喧騒を余所に、老夫妻は誰にも聞こえない未来の約束を交わす。
我が家の庭の地下に広がる壮大な迷宮の主・女王蟻"伊耶那美"から託された、若き新女王たち――人間との共生を模索する幼き命と知識の芽を育てること。
子供世代が差し出してきた「穏やかな余生」の切符をあっさりと突っぱね、二人はすでに、人類と新たな異種生物の未来を担う、人生最大の「教育プロジェクト」へと踏み出していたのだった。
首謀者・理恵子は深々とため息をつき、手にしたグラスの氷をガラリと鳴らした。
「いいんじゃない? もう私はお手上げよ。……でもね、この間までは、お父さんもお母さんも極楽浄土を臨まれるような悟りの境地に見えていたのよ? 老人ホームの話をしても『それもいいんじゃないか?』なんて言ってたのに、なに、この豹変ぶり! まるで燃え尽きる寸前のロウソクが、ひときわ激しく火柱を上げるみたいじゃない!」
「おい理恵子よせよ、縁起でもない!」
長男の轟が慌ててたしなめるが、隣にいた弟の磊は腹を抱えて笑い出した。
「火柱なもんかよ! ありゃ花火の大尺球がハジケたような笑顔じゃないか!」
「……お兄さんたちも、まだ老人ホーム入りは無理そうね」
理恵子は半ば呆れ顔で二人を見やった。
「私たち夫婦だって、あと五年もすれば考えたかもしれないわ……あ〜あ、本当にもったいないけど、せっかく取れた入居枠はキャンセルするしかないわね」
真顔で兄たちに告げた理恵子だったが、すぐに、その顔にパッとひまわりのような笑みが咲いた。呆れつつも、嬉しくてたまらないといった感情が溢れ出している。なにしろ、ずっと静かに凪いでいた両親の心に、圧倒的なまでの「命の火」が灯ったのだ。
「仏門に入ったような二人だったのが、百歳まで生きたいなんて……急に煩悩に満ちた人間に戻っちゃったんだもの! こうなったら私たち子どもは、全力でサポートするしかないでしょ!」
理恵子はぐっと兄たちの手を引き寄せ、熱を込めて言いはなった。
「私たちだって、”百歳越え”を目指しましょうよ!」
成り行きなのか、あるいは半ばやけくそなのか。
けれど、強く手を握り合った三人の頭の中には——百歳を迎え、なおもギラギラと命を輝かせる両親の誇らしげな雄姿がくっきりと浮かんでいた。
【12月25日】
クリスマスの華やかなパーティーの余韻を残したまま、寺田夫妻は都内のホテルで静かな一夜を明かした。翌朝、ホテルの車寄せに横付けされたのは理恵子の愛車であるミニバンだ。後部シートには寺田耕一・智恵子夫婦、3列目のシートには息子の轟と磊の二人も乗り込み、一家は両親を厨子市の実家へと送り届ける途についた。
ハンドルを握る理恵子の横顔を後ろの座席から眺めながら、長男の寺田轟がふと思い出したように口を開く。
「俺、実家に帰るの10年ぶりくらいだな。理恵子は最近行ってきたんだろ?」
「ええ。一ヶ月ほど前かしら」
バックミラー越しに兄と目を合わせ、理恵子はうなずいた。
実はその時、理恵子は夫と共に両親を訪ね、高齢になった二人の老人ホーム入居を強く勧めたばかりだった。あの時点では、あの広い屋敷に寺田夫妻は二人だけで暮らしており、その生活も限界が来ているように見えていた。
「でも、そのときは……中学生の教え子なんて、影も形もなかったのよ」
理恵子が不思議そうに呟くと、助手席に座っていた父・寺田耕一がどこか照れくさそうに咳払いをした。
「まあ、さすがに私たち二人だけでは手が回らなくなってな。若いお手伝いさんにも来てもらっているんだよ」
そんな会話を交わしているうちに、車は慣れ親しんだ寺田家の屋敷へと差し掛かった。
ミニバンが大きな屋敷の前に停車すると、待ち構えていたように重厚な門扉がすっと開いた。一人の若い女性が、見事な手つきで車庫への誘導を行ってくれる。
車を止め、一行が車外へ出ると、玄関口にはさらに別のお手伝いらしき女性と、まだ幼さの残る二人の少女が出迎えていた。
「旦那様、奥様、お帰りなさいませ」
玄関の前で待っていた長い黒髪の女性が、まるで伝統舞踊の所作のように美しい動作で、深くお辞儀をした。そこへ、門扉を静かに閉めて戻ってきた先ほどの女性が合流する。彼女はどこか男装の麗人を思わせる凛とした身のこなしで、同様に丁寧なお辞儀をしてみせた。
二人の女性は、初めて顔を合わせる寺田家の子供たち——轟、磊、理恵子へと向き直る。
「お初にお目にかかります。私は箕通と申します。隣におりますのは丹節でございます」
黒髪の女性——箕通が、よく通る美しい声で挨拶を口にした。
「遠路お車でお越しいただき、さぞやお疲れのことでございましょう。まずはお部屋へご案内させていただきます。どうぞお体を休めてくださいませ。」
洗練されたその立ち振る舞いに一瞬気圧されつつも、車を運転してきた理恵子が一家の代表として前へ出た。長旅の疲れを見せず、柔らかな笑みを浮かべて労いの言葉をかける。
「父と母の留守中、留守宅をしっかりとお守りいただき本当にありがとうございました。私たちは寺田家の子供でございます。私が理恵子、こちらの二人が兄の轟と磊です」
理恵子の紹介に応じ、轟と磊も一歩前へ出て深く礼をした。
「両親のこと、どうかよろしくお願いいたします」
長男の轟が代表して頭を下げ、それに合わせるように3人が揃って深々とお辞儀をすると、出迎えた箕通たちも嬉しそうに目を細めた。
冬の凛とした空気の中、いつまでも玄関先で立ち話をしているわけにもいかない。
「さあ、立ち話もなんですし、まずは座敷へ上がりましょうか」
理恵子の促す声に背中を押されるようにして、一同は温かな温もりの残る寺田家の玄関へと足を踏み入れた。
「いや〜、懐かしいな。昔となにも変わっていないよ」
居間に足を踏み入れるなり、磊が感極まったような声を上げた。すっかり低くなった鴨居にぽんと手をかけ、ぐっと背筋を伸ばしてストレッチをする。その横で、長男の轟が父母と並ぶようにして長い座卓の前へと腰を下ろした。
するとタイミングを見計らったように、箕通がすっと静かな所作でお茶を差し出した。湯気の立ち上る湯呑みを手に取り一口含んだ轟は、思わず目を丸くする。熱すぎず、ぬるすぎず。長旅で乾燥した喉を心地よく潤し、芯から疲労を解きほぐしてくれる絶妙な温度であった。
「……美味いな」
静かな感嘆が漏れたその時、すりガラスの障子が静かに開き、ネフとクロ2が姿を見せた。
二人は寺田家の兄妹たちの正面へと歩み寄ると、乱れのない綺麗な動作で正座し、丁寧に頭を下げた。まずは、その佇まいからどこか年長者の落ち着きを感じさせるネフが、ハキハキとした澄んだ声で挨拶を述べる。
「お初にお目にかかります。ネフティス=ネブテフートと申します。どうぞ『ネフ』とお呼びください。このたびは寺田様のご厚意と温かいご指導を賜り、こちらでお世話になりながら、日本の中学校に通わせていただくことになりました。以後、どうぞお見知りおきください」
洗練された美しい日本語に続いて、隣のクロ2がやや緊張した面持ちで言葉をつないだ。
「……クロ2といいます。ええと、私も寺田先生のご厚意で、一緒に中学校に通わせていただくことになりました。先生方にご迷惑をおかけしないよう、しっかり勉強してまいります」
言い終えると、二人は示し合わせたかのように同時に深く伏礼をした。
その一連の流れるような動作、そして先ほど出迎えてくれた箕通と丹節の佇まいを目の当たりにし、兄妹たちは胸のつかえがすっと下りていくのを感じていた。大人の女性ふたりと、しっかりした少女ふたり。この四人が手を取り合って家事全般を完璧に切盛りしているならば、高齢の両親の暮らしも何一つ心配はない。それどころか、来年から学校へ通うという若い情熱は、静かだったこの屋敷に再び活力を与えてくれる源になるのだろうと、確信と納得が得られた。
様子を見守っていた父・耕一が、満足そうに頷きながら口を開く。
「ネフとクロ2はな、私が昔いろいろとお世話になった古い研究仲間のお孫さんなんだよ。日本の中学校で勉強したいという希望があってね、我が家に下宿して生活してもらうことにしたんだ。ネフは外国人だが、見ての通り日本語も堪能だから心配はいらん。クロ2は、お隣の高柳さんのご親戚筋にあたる。二人とも実に優秀でな、これからの成長が本当に楽しみだよ」
目を細めて語る父の言葉を聞きながら、兄妹3人が頭の中で同時に考えていたのは、異国風の面立ちをしたネフのことではなかった。学者である父の研究仲間は海外にも多く、幼い頃から寺田家には頻繁に外国人の研究者が客として出入りしていたから、外国人を前にしても全く違和感を覚えない。
彼らの意識を強く惹きつけて離さなかったのは——クロ2と名乗る少女の顔立ちであった。
その目元、鼻立ち、ふとした面影が、あまりにも自分たちの妹・理恵子の少女時代に瓜二つだったのだ。
あまりの激似ぶりに、3人の脳裏には拭い去れない「あらぬ疑念」がむくむくと湧き上がっていた。耐えかねた磊が、妹たちにしか聞こえないような小声でボソッと呟く。
「……なあ。まさかとは思うが……父さんの『隠し子』じゃないだろうな?」
「ちょっと、磊兄さん……! お母さんの前でそんな変なこと言わないで!」
理恵子は慌てて小声で制し、不穏当すぎる兄の発言を遮った。
しかし、そのやり取りはしっかりと母・智恵子の耳に届いていたらしい。智恵子は怒る風でもなく、むしろ待っていましたと言わんばかりの得意気な笑みを浮かべた。
「そうなのよ〜! 実はね、この前ちょっとした軽い冗談のつもりで、教育委員会の課長さんに『実は夫の隠し子なんですの』って言ってみたの。そしたらもう、ものすごく驚かれちゃってねぇ! 『奥様のなんというお心の広さ、懐の深さに感動いたしました……!』なんて仰ってね。すっかり私の迫真の演技に取り憑かれちゃったのよ」
楽しそうにほほほと笑う母の姿に、轟も、磊も、そして理恵子も、揃って肩の力が抜けていくのを感じていた。
昔から変わらない母親の芝居好きと、人聞きの悪い悪戯心。呆れ果てつつも、どこか懐かしい温もりに包まれた居間には、全員の柔らかな苦笑いが広がっていった。




