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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.52 共同統治者の女帝


「なんか……取り返しのつかない凄いの来ちゃったな……」


 朝が来て、ベッドから這い出してきた高柳ユキオは、階段を下りて、ダイニングキッチンに向かう。そこで我が家の食卓を一瞥した瞬間、まだ残っていた睡魔が音を立てて吹き飛ぶのを感じた。


 ここ最近、ユキオの周囲には(本人の意思とは無関係に)ガールフレンドの頭数(あたまかず)が爆発的に増えていた。だが、今日ばかりは次元が違った。とうとう国境はおろか、時代すら超越したような、まるで絶世の美女クレオパトラがそのまま現代にタイムスリップしてきたかのようなエキゾチックな少女が、早朝から我が家のダイニングキッチンに屹立しているのだ。


 いつも通り、毎朝ユキオを叩き起こしに来る(という建前の)ミェリナ、朝から爆食で食卓を蹂躙(じゅうりん)するツェンドリカ、そして先日めでたく人間の中学生となったクロ2(・あと、今日は有休のクロ)。ここまではまだ、ユキオの胃がキリキリと痛む程度で済んでいた。


 だが、その輪の中に平然と混ざっている初登場の少女――ネフティス・ネブテフートの存在感は圧倒的だった。

古代エジプト王家の墓に記(しる)された壁画からそのまま飛び出してきたかのような、漆黒の髪と切れ長の瞳、そして異国情緒溢れる装飾品。どれほど目を皿のようにして探したところで、彼女のどこからも「メイド・イン・ジャパン」の品質表示ラベルは見当たりそうにない。


(さすがにこれは……『学校の友達』って設定で押し通すのは無理がありすぎるだろ……!)


 これでまだ、彼女の左右に巨大な団扇(うちわ)や日傘(ひがさ)を持った半裸のマッチョな従者でも控えていてくれれば、「近くで映画のロケをやっていて、休憩がてら寄っただけ」と誤魔化すこともできただろう。しかし彼女は単身、威風堂々と高柳家のダイニングキッチンにいる。


 常識ある想像力(イマジネーション)によるものではない風景の、強烈な違和感を前に、ユキオは冷や汗を流しながら、脳細胞をフル回転させて苦し紛れの設定を口走った。


「い、いやあ! 母さん、父さん! 彼女、『コスプレ研究会』をやっていて! 年末のコミックマーケット107――いわゆる冬コミに向けて、今からお気に入りのアニメキャラを猛烈にエミュレートしてるんだよ! 役作りにストイックなタイプなんだ!」


 母・静江は、一瞬だけ呆気に取られて料理の手を止めていたが、持ち前の大らかな性格が働いたのか、(まあ、今どきのアニメ事情はよく分からないけれど、息子の友達にちょっと濃いめのオタクがいても不思議じゃないわよね……)と、自分を無理やり納得させようと深く頷いた。


 一方、父・正平の動揺は別のベクトルで限界突破していた。

彼は目のやり場に完全に困り果て、広げた新聞とテレビのニュース番組の画面をメトロノームのように交互に行き来させていた。そして、およそ10回に1回という絶妙なローテーションで、ネフティスの姿を視野の端に収めては、心の中で猛烈な葛藤を繰り広げていたのである。


(む、胸が……衣装からこぼれちゃいそうだよ……! 今どきの学校のクラブ活動は、こんなうらやまし……ゲフン、風通しの良いクラブ活動を公式に認めているんだな。いやあ、いい時代になったものだ……)


 日本の未来を憂うべきか喜ぶべきか、時代を映すサブカルチャーの変遷に、正平は一人で深い感慨を抱いているようだった。


 本日の朝食のメニューは、目玉焼きにウインナ、サラダ、そして焼き立てのトーストである。隣ではツェンドリカがすでに食パン一斤をまるごと平らげ、次の獲物を狙っていた。


 そんな中、ネフティスは高柳夫妻に向けて、凛とした声で初対面の自己紹介を始めた。昨日、箕通のM&Aの成り行きで連れてこられてしまった彼女だったが、郷に入っては郷に従えとばかりに、事前に叩き込まれた「設定」を出力する。


「ネフティス=ネブテフートと申します。エジプトから参りました(※設定)。ユキオさんとは大変仲良くさせていただいております。以後、お見知りおきを」


 すっと頭を下げる所作は、まるで古代エジプトの王宮の儀礼を見ているかのように優雅だった。

高柳夫妻は、その完璧な挨拶を受け、「やはりどこかの留学生か何かなのだろう」と完全に納得した。こんなにも美しいエキゾチックな風貌だからこそ、周囲のオタク友達に囃し立てられて、心ならずも露出度の高いアニメキャラのコスプレをさせられているに違いない――両親の脳内で、ネフティスは可哀想な被害者として処理された。


 正平は視線を泳がせながら、父親らしい威厳を保とうと声を絞り出す。

「ま、まあ、ネフティスさん、お掛けになって、朝食でもどうぞ! その……腹が減っては、勉強やクラブ活動にも力が入りませんからね、ハハハ!」

「そうですよ。今、紅茶を入れますね」

静江が手際よく温かい紅茶をカップに注ぎ、食卓の中央を指差した。

「お砂糖はそこのポットに入っていますから、お好きなだけどうぞ」


「高柳家の大恩とオシリスの恩寵に感謝する」

ネフティスが上品に陶器のポットの蓋を開けると、中から鮮やかな白い角砂糖が姿を現した。


 ここまでは、実に微笑ましい異文化交流の朝の風景だった。


 しかし、ここからが「女王蟻」の本領発揮だった。

ネフティスはトングを手に取ると、その角砂糖を紅茶のカップに入れるのではなく、何を血迷ったか、目玉焼きとサラダが盛られた自分の皿の上へと、カチャカチャと小気味よい音を立てて積み上げ始めたのである。その数、実に14個(9+4+1)。皿の上には、あっという間に白い角砂糖のピラミッドが出現した。


(お、おい……嘘だろ……?)

ユキオが恐怖に目を見開く。静江も「あら……?」とフライパンを持ったまま固まった。


 高柳家に集う蟻蜂系女子は、なぜかどいつもこいつも角砂糖に対する執着が異常だった。ミェリナとクロ2は、さすがに周囲の目を気にして上品に紅茶の中に溶かしていたが、野生児ツェンドリカに至っては、自分の皿に無造作に積み上げた角砂糖を「バリバリ、ボリボリ」と豪快に丸齧りしている。


 ツェンドリカは、ネフティスの皿のピラミッドを見るや否や、親指を立ててニヤリと笑った。


「おう、ネフ! やっぱり糖分はそうやってダイレクトに摂取するに限るよな! こうやって食ったほうが断然旨い! お前とは、食の趣味が合うようだな!」


 食の戦友からの力強い賛辞を得たことで、ネフティスは深く安心したように満足げに頷いた。

「うむ。やはり理解者がいるというのは素晴らしいことじゃな」


 そう言うと、ネフティスはフォークとナイフを置き、美しく長い指先で角砂糖をつまむと、スナック菓子でも食べるかのような軽やかさで「ボリッ、バリッ」と小気味よい音を立てて齧り始めた。


「いや、趣味が合うとかそういう次元じゃないから! 朝から糖尿病まっしぐらのデス・ゲーム開催すんな!!」


 キッチンに響き渡るユキオのツッコミ。しかし、甘党の女王たちの前には一切届かない。

冬休み直前、高柳家の食卓は、エジプトの栄華と日本の家電、そして大量の角砂糖が織りなす、新たなるカオスの幕開けを迎えるのだった。


「あ、あの! お父様、お母様!」


 角砂糖ピラミッドの崩壊とユキオのツッコミで完全にカオスと化した食卓を救うべく、お行儀よくトーストを口に運んでいたクロ2が、すっと助け舟の挙手をした。


「その、ネフティスさんのことなのですが…。実は、寺田先生が昔から交流されている海外の研究者仲間のお孫さんだそうです。このたび、お勉強のためにしばらく日本で生活されることになりまして、寺田先生のお宅に滞在されることになりました。つまり…私と一緒に生活することになったんです!」


「へえ、寺田先生のお宅に!」

静江が「なるほどねぇ」とポンと手を叩く。さすが人脈の広い寺田教授である。降って湧いたようなエジプト美女の出現にも、インテリな理由がつけば妙な説得力が生まれる。


 だが、クロ2の解説はそこでは終わらなかった。


「それでですね、ネフティスさんは、実は私と同じ『中学1年生の13歳』なんです。来年からは、私と一緒に同じ中学校に通う予定なんですよ」


「……えっ!?」

その瞬間、高柳夫妻は完全にシンクロして目を丸くした。

手元で広げていた新聞がカサリと音を立てて床に落ちる。てっきり、ユキオ(高校生)の同学年のオタク友達か、あるいはミェリナたちの友人だと思い込んでいたのだ。


 正平は、ネフティスのどこをどう見ても13歳には見えない、あまりにも発育が良すぎるエキゾチックなプロポーション(視線のやり場に困る原因)を10回に1回の割合で網膜に収めながら、引きつった笑みを浮かべた。


「え、ええーっ!? ず、ずいぶん大人びて見えるねぇ……! いや、外国人の女の子は成長が早いと聞いてはいたが、ゲフン、ゲフン! いや、まさかクロ2と同い年……13歳とは到底思えないというか、その、なんというか……!」


「あなた! 朝から女の子の見た目に個人的な感想を述べないで! 失礼でしょ!」

横から静江が、もの凄い形相と激しい手振りで正平を牽制する。

「あ、いや、違うんだ静江、私はただ国際的な成長速度の差異について学術的な感想を述べただけであって……!」


 高柳家の主権を握る夫婦が朝から盛大に揉めかける中、クロ2がニコニコとさらに微笑ましいフォローを入れた。


「ふふ、年齢は私と同じですけれど、なんだか頼りになるお姉さんができたみたいで、私はとっても嬉しいんです。これから寺田先生のお家で、ネフティスさんと一緒に生活できるのが今から本当に楽しみです!」


 その健気で愛らしいクロ2の言葉に、静江の母性本能は完全にノックアウトされた。ギスギスしかけたリビングの空気は一瞬でハートフルな朝ドラのワンシーンへと早変わりする。


 静江は優しく微笑み、クロ2と、未だに角砂糖をボリボリと優雅に齧り続けているネフティスへと向き直った。


「そうなの、良かったわねぇクロ2! ……そうだわ! ねぇお父さん、ユキオ。毎年、うちのクリスマスって言ったら、親子三人でこぢんまりとチキンを突っつくくらいで、ちょっと寂しかったじゃない?」


「え? ああ、まあ、そうだけど……」

ユキオが嫌な予感を察知したように身構える。


「今年の24日のクリスマスイブはね、ユキオのガールフレンドのみんなはもちろん、寺田先生ご夫妻もお招きして、この高柳家で盛大にパーティーをやりましょうよ! クロ2も、ネフさんも、遠慮しないで一緒に思いっきり楽しみましょうね!」


「わあ……! ありがとうございます、お母様!」

目を輝かせて喜ぶクロ2。


 一方、ユキオは静かに遠い目をした。

(ミェリナ率いるミツバチ10万、ツェンドリカのスズメバチ5万、クロのクロマルハナバチ3万……そこにクロ2と新入りネフの蟻2万……。それらが一堂に会するクリスマスイブ……)


 高柳家で開催される予定の、実質『総勢約20万匹の聖なる大夜会』。

3升炊き電気釜とアラジンのトースターがフル稼働する未来を幻視しながら、ユキオはどうか当日までに我が家のブレーカーと自分の胃壁が破裂しませんようにと、心の中で切に祈るのだった。

挿絵(By みてみん)

ーーー


 一方、高柳家のリビングの片隅では、クロ2が自分のスマートフォンを耳に当て、少し緊張した面持ちで寺田家へ連絡を入れていた。


「はい、耕一先生、智恵子様……。そうなのです、私の群体(M&A)の成り行きで、新しい蟻の女王様が登場してしまいまして……。はい、エジプトの『ネフティス』様とおっしゃる、とても誇り高い方なのです」


 そして、クロ2は電話の向こうの耕一へ、自身の切なる願いを打ち明けた。

せっかく出会えた同じ境遇の女王なのだから、自分と同じ中学校へ通えるようにしてほしい、と。耕一はクロ2の真摯な訴えに耳を傾け、「分かった、今から智恵子と教育委員会へ行って掛け合ってみよう」と請け合い、優しく微笑んで電話を切った。


 しかし、通話を終えた直後、耕一の顔から笑みが消え、その表情はにわかに複雑なものへと曇っていった。


「……どうしたの、あなた?」

智恵子が心配そうに顔を覗き込むと、耕一は静かにスマートフォンを机に置いた。


「黒津(クロ2)からの連絡だよ。新しいお友達は、どうやら蟻の巣の『共同統治者』だそうだ」


「共同統治者の、女王蟻……」

智恵子はその言葉の意味を、直ぐに理解した。そして、一瞬にしてその胸を締め付けるような心理に陥った。「その、行く末は……」


 それは、昆虫という世界が孕む、あまりにも残酷な宿命の話であった。耕一は重い声音で、生物学者としての事実を言葉に継いだ。


「蟻の社会において、究極的に『女王』は一人だ。いつまでも二人の女王が並び立つことはない。群体が最終的な判断を下し、一人の女王を決定したとき……選ばれなかった方の女王蟻は──巣から追放されるか、あるいはその場で処刑される」


 自然界の厳格な掟であり、彼らのような知性を持った存在であっても、その本能の呪縛から完全に逃れられるかは分からない。生物学者ゆえに知り得るその冷徹な事実に、部屋の空気がずしりと重くなる。


「あの二人は、今は微笑ましく接しているかもしれない。だが、一歩間違えれば悲劇になりかねない案件だ。これは、私たちで最悪の事態とならないよう、人間界の教育という枠組みも含めて、しっかり見ておかんとならないな」


「ええ、責任重大ね……」

智恵子は一瞬だけ悲しげに目を伏せたが、すぐにいつもの芯の強い、慈愛に満ちた表情を取り戻して耕一を見つめた。

「でも、大丈夫よ。私たちがついているんだから。あの子たちの未来を、悲劇になんてさせやしないわ」


「ああ、そうだな」

耕一もまた、妻の強い眼差しに応えるように力強く頷いた。


人間の庶民の常識や、役所の法理論を遥かに超えた、命を懸けた女王たちの共同統治。その行く末を温かく、そして厳しく見守ることを誓い合い、寺田夫妻は互いの目を真っ直ぐに見つめ合うのだった。

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